2011年01月29日

都築の続きは

石原知事「当たり前」…国歌斉唱「合憲」判決


 国歌斉唱などを教職員に義務付ける東京都教育委員会の通達を違憲とした1審の東京地裁判決が28日の東京高裁判決で取り消され、都教委担当者らは安堵の表情を浮かべた。

 石原慎太郎都知事も28日の定例記者会見で「当たり前のこと。妥当だと思う」と述べた。

 都教委によると、1998年度の調査で、入学式や卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱の実施率は、全都道府県で最下位。危機感を強めた都教委は99年以降、都立高への指導強化に踏み切った。担当者は「学校運営の正常化を図るためにはやむを得なかった」と話す。

 これに対し、2006年の1審判決は都教委の通達や指導を違憲と判断。当時楽観視していた都教委は大きな衝撃を受けたものの引き続き都立高への指導を続けてきた。式典で起立しないなどの理由で処分を受ける教諭は今も後を絶たない。

2011年1月29日 讀賣新聞


石原さんは強制することが「当たり前」だと言っているようですが、このような言い方は議論を呼ぶものとなりそうです。東京高裁都築弘裁判長の判決は、「強制することが当たり前」とは言っていません。とはいえ、そう言っていないわけでもないんですが。

実際のところ都築さんの判決はかなり強引な議論を展開しているアクロバティックなものであると言ってよいでしょう。判決によると公務員は「全体の奉仕者」であることから職務命令に従う義務がある、ということのようですが、「職務命令」が「全体」の利益に沿うものであるかどうか、「全体」の利益とすべきは何か、という点については敢えてスルーしています。その結果として「全体」とは「上司の命令」のことである、という驚くべき結論が導かれているようです。

もっとも、都築さんといえどもそのような身も蓋もない話はしないようで、「職務命令」が「全体」の意志に基づくものであることを証明しようとしていますが、当然のことながらかなり無理のある仕方でそれを行なわざるを得ないのはこの際やむを得ないものであるとはいえ、いやしくも「判決」としては相当にみっともない結果になっているのは残念なことです。

都築さんが「全体」と言っているのは、なんと「国旗掲揚」や「国歌斉唱」は、「入学式などの出席者にとって、通常想定されかつ期待されるもの」であるという、何の根拠もない想定であります。「出席者」がそんなことを「想定」したり「期待」しているという証拠は何もありませんし、ましてやそれが行なわれないことが「出席者」にとって著しい不利益をもたらすというようなこともないようです。都築さんは自分が「フツーそういうことをやるんじゃない」と思ったことだけを根拠にしています。

更に「スポーツ観戦では自国ないし他国の国旗掲揚や国歌斉唱に、観衆が起立することは一般的」だとも言いますが、どこの観客が強制されて「スポーツ観戦」をしているというのでしょうか。観客は強制されて仕方なく「スポーツ観戦」をしているわけではありません。「スポーツ観戦」における下らない慣習に馴染めない人は運動場に行かなければ良いだけの話であり、立場上否応なく儀式に参列しなければならない教職員や生徒とは全く違うようです。

しかしながら、都築さんはこのような、些か意を尽くさない例を挙げて何を言ってしまったかというと、それは「別段強制しなくても普通やるでしょ」ということになってしまうのです。「通常想定されかつ期待され」、「一般的」なことなのであるとすると、これを「職務命令」をもって強制する根拠はありません。実際のところは「命令」や「強制」の存在自体が、それが「通常」でもなければ「一般」でもないことに基づいています。

このようにして都築さんは「職務命令」の正当性を証明することに失敗しているわけですが、それを受けた石原さんの方が事態を正確に把握しているようです。「国旗掲揚」や「国歌斉唱」を強制するのは「当たり前」である、何故ならそれは「通常想定されかつ期待され」たり「一般的」であったりするものではなく、「特定の思想を外部に表明する」ための極めて特異な行為であるからです。

都築さんのゴマカシよりも石原さんの非常識の方が正しいと言うべきでしょう。都教委は教職員に「特定の思想を外部に表明する」ことを求めており、「特定の思想」を持っていない人がそれを「表明」することが不可能であるが故に「命令」をもって強制せざるを得ませんが、その命令は被命者が「特定の思想」以外の「思想」を表明することを禁止することになるので、それは思想の自由の侵害となるでしょう。

石原さんもいい加減ですから都築さんの判決をもって「妥当」と評しているようですが、まあ途中の道筋はともかく結論は石原さんの意に添うものであることは間違いありません。内容的には「妥当」どころか「ひどいというより情けない」(星野直之)ものですが、しかし、その様な結論を導くのに情けなくてだらしなくてみっともない判決文を書く以外にどうしろというのか、と言われれば確かにその通りです。他にやりようはありません。特に定年後の生活を考えた場合、間違った結論を放棄するなんて考えることすら出来ません。晩節を汚したとか言われたって平気です。はてさて都築さん、次は何処に現れますやら。


posted by 珍風 at 12:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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