2011年02月28日

暴走過呼吸ダッチワイフ

特捜部の起訴権分離検討=「暴走しやすい」−笠間検事総長


 笠間治雄検事総長は28日、都内の日本記者クラブで会見し、村木厚子元厚生労働省局長が無罪となった郵便不正事件の再発防止策として、特捜部から起訴権を分離することを検察内部で検討していることを明らかにした。特捜事件で主任検事を補佐する立場に公判部など他部の検事を置き、起訴の可否を判断させる案が浮上しているという。

 笠間検事総長は特捜部による独自事件について、「個人的には、自分で捜査、起訴するため暴走しやすいと考えている」と述べた上で、「内部では賛否両論がある。外部からの声などを総合的に判断したい」と話した。

 3月からの試行を決めた特捜事件の取り調べ一部録音・録画については「不適切な取り調べは必ず根絶できる」と理解を求めた上で、「全面可視化は説得過程も録画されるなど組織的犯罪で難しく、容認できない。取り調べに頼らなくてもいい武器が付与されたら考えようもあるが、今はそうしたシステムが確立されていない」とした。

2011年2月28日 時事


笠間さんには口がダッチワイフになりそうです。もっとも、そういうダッチワイフもいささか古典的ではないかと言われている昨今ではありますが、定価68万円也の高級ラブドールも、もし彼女が「本物そっくり」だとしたら、この発言を聞いて先祖帰りしてしまうのではないでしょうか。いかにももったいない話であります。

笠間さんによると特捜部は「自分で捜査、起訴するため暴走しやすい」から「起訴権を分離」すれば良いんじゃないかということです。どうしてそういうことになるのかちっともわかりません。「警察の事件は検察が冷静な目で判断する」ことになっているので、特捜部にもそのような仕組みを作ろうという話らしいのですが、どんなもんだか。

検察の「冷静な目」というのがどんな目だか知りませんが、おそらく「冷凍した目」か何かの間違いではないでしょうか。とりあえず凍らせて保存してあるかもしれませんが、何も見えません。このような「目」のおかげで、実際のところ夥しい冤罪事件の発生をみているのが現状であります。警察の事件ですら検察は「冷静な目」で見ていません。ましてや検察の事件を検察の他部の検事が「冷静な目で判断する」など、到底無理な相談であるというべきでしょう。

笠間さんは立場が立場だけに根拠なく検察を信頼しているようです。もっとも立場が違っても、検察を信頼しなければならない場合には、根拠なくして信頼するほかに道はありません。したがって笠間さんに「「不適切な取り調べは必ず根絶できる」と理解を求め」られても困ってしまうわけで、検察を信頼してどうぞ安心して密室にお越しくださいと言われてもそういう気持ちにはなりにくいものです。

もっとも世の中には奇特な人がいないわけではありません。笠間さんの言いたいようなことを全て代わって言ってくれているのか、笠間さんがこっちの人の意見を聞いて喋っているのかよく分らないというほど、驚異の人肌モミモミ感まで再現した拘りの逸品です。

【主張】特捜事件可視化 新たな捜査手法が前提だ


 東京、大阪、名古屋各地検の特捜部は3月18日から、取り調べ過程の一部の録音・録画(可視化)を試行する。対象を特捜部が手がけた事件で容疑者を逮捕したケースに限り、「真相解明機能を損なわない範囲内」としている。

 報告を受けた法相の私的諮問機関「検察の在り方検討会議」には、可視化の範囲に対する批判や、全面可視化を求める意見もあったという。

 だが、全面可視化には賛成できない。捜査機関が冤罪(えんざい)を生んではならないが、犯罪を摘発しなければならない責務もある。取り調べを全面的に可視化してしまうと、真実を聞き出すことは極めて困難になるだろう。可視化の論議は、刑事司法手続き全体の見直しと並行して進められるべきだ。

 今回の試行は、厚生労働省の元局長の無罪が確定した郵便不正事件を受けて行われる。大阪地検特捜部による押収資料の改竄(かいざん)は、到底許すことができない権力の犯罪だった。全検察を挙げて猛省すべきなのは当然である。

 ただ、特捜部の主たる対象事件は政官界の汚職や企業犯罪だ。物的証拠の乏しい疑獄事件では、供述に頼るケースが多い。被疑者の聴取は、全人格を懸けた対決にもたとえられる。時には取調官もプライバシーをさらけ出す。目の前の録音・録画機材は、「真実の吐露」の妨げにならないか。

 取り調べの全面可視化を導入している英国やイタリア、豪州、米国の一部の州では、併せて司法取引や通信傍受なども認めている。司法取引とは、被告人が共犯者を告発したり捜査に協力することを条件に、刑を軽減するなどの捜査手法のことだ。

 供述を得にくい贈収賄事件や暴力団犯罪、テロ事件などの捜査に有効だとされる。可視化によって捜査力の劣化が懸念されるなら、こうした新たな捜査手法の導入を検討すべきだ。日本を「疑獄天国」にしてはならない。

 特捜事件ではないが、昭和40年、「吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件」で逮捕され、否認を続けた容疑者が涙で犯行を認めたのは、警視庁の担当刑事による郷里の母親からの伝言だった。

 「もし息子が誤ったことをしたなら、どうか真人間になるように言ってください」。全面可視化の取調室で、母の言葉は被疑者に伝えられるだろうか。

2011年2月25日 惨刑新聞


ここんちの人にジャーナリストの真似をしろとは言いませんが、「可視化によって捜査力の劣化」を「懸念」しているのは、「新たな捜査手法の導入」をやりたがっている人だけです。もっとも、海外諸国で「テロ事件などの捜査に有効だとされる」のは別段「司法取引」だけではありません。第一「司法取引」が可能なのは容疑者が犯罪組織や「テロ」組織の一員である場合だけです。むしろ、かなり「有効」な「捜査手法」が「拷問」であることは誰でも知っています。これなら容疑者が犯罪に関わっていない事実があるとしても、そんなことは捜査の妨げになりません。

このような「新たな」というよりはむしろ古くからある「捜査手法」の活用に際して、「一部可視化」が何の障害にもならないことは明白でしょう。脅かしたり侮辱したり苦痛を与えている間はカメラを止めていてよいのです。検察は今まで通り杜撰な捜査をすることが出来ますから、「一部可視化」の代わりに検察に何かくれてやる必要などはないのです。

「全人格を懸けた対決」というのもおかしな話でして、これもむしろ取り調べ側が招いた事態であるといえるでしょう。たかが犯罪くらいで相手の全人格を否定し、萎縮させ威圧し、もって相手の「人格」に打ち勝ってそれを自由にコントロールして思うような供述を得ようとする、というような捜査手法がそのような「対決」を招いたり、「真人間」だの「土下座」だのという茶番を演じることにもなるようです。

それにしても、取り調べが全面可視化されると取調官は容疑者の母親の言葉(とされるもの)を「伝える」ことができないのでしょうか。別に出来るのではないか。どうせ落とすための演技ですから土下座つきでもやる分には一向に構わないのではないかと思わざるを得ません。それが自分のプライドある仕事だと思うことができるのであれば。それともこの「美しい」話の裏には何か表ざたにできないようなマズいことでもあったんでしょうか。

てゆーか実は小原さんを落とした決め手が「母親の土下座」だったというのは平塚八兵衛さんが相当脚色している疑いが濃厚です。もちろん平塚さんのことですから、それこそ「拷問」のようなこともあったのかもしれませんが、小原さんに関しては小原さんが自分で余計な事を喋ってアリバイを崩しちゃったことが大きいようです。これをきっかけに矛盾点を理詰めで追及していくことになります。産経新聞や笠間さんは知らないかもしれませんが、捜査には「拷問」や「感情」に訴える茶番、「司法取引」や「囮捜査」といったトリックの他にも、比較的当たり前なので忘れられがちな古典的な「手法」があるようです。まあ笠間さんにはそんなことムリなんでしょうけど。


posted by 珍風 at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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