2011年05月31日

君子は豹変す。いわんや小人をや

「豹変」てのは本当は良い意味だったらしいですよ。もっとも須藤正彦さんくらいになると何が良いやら悪いやら

憲法30条は,国民は法律の定めるところによってのみ納税の義務を負うと規定し,同法84条は,課税の要件は法律に定められなければならないことを規定する。納税は国民に義務を課するものであるところからして,この租税法律主義の下で課税要件は明確なものでなければならず,これを規定する条文は厳格な解釈が要求されるのである。明確な根拠が認められないのに,安易に拡張解釈,類推解釈,権利濫用法理の適用などの特別の法解釈や特別の事実認定を行って,租税回避の否認をして課税することは許されないというべきである。


このご立派な文章は今年の2月18日、「贈与税決定処分取消等請求事件」の判決でありまして、要するに税金てのは国民に義務を課するものであるからその要件については形式的に厳格な解釈をしなくちゃいけない、「安易に」「特別の法解釈」をするもんではない、と書いてあります。

これは2月18日当時の須藤正彦さんの御意見でありますが、地震の影響か放射線の被害か知りませんが、最近では須藤さんもより「柔軟」な立場を取るようになったそうです。

国旗国歌訴訟 最高裁判決の要旨


 最高裁が30日言い渡した国旗国歌訴訟の上告審判決の要旨は次の通り。


 公立高校での卒業式などの式典で「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱が広く行われていたことは周知の事実で、国歌斉唱の際の起立斉唱は、一般的に式典における慣例上の儀礼的な行為としての性質を持つ。

 起立斉唱はその性質上、元教諭の歴史観や世界観を否定することと不可欠に結び付くとはいえず、起立斉唱を求める職務命令は、歴史観や世界観自体を否定するとはいえない。

 客観的に見ても、特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するともいえない。

 起立斉唱の職務命令は、個人の思想、良心の自由を直ちに制約するとは認められない。

 もっとも、日の丸、君が代に対して敬意を表明できないと考える者が、歴史観や世界観に基づかない行動を求められる点で、思想、良心の自由を間接的に制約する。

 間接的な制約が許容されるかどうかは、職務命令の目的や内容、制約の態様などを総合的に比較して、許容できる程度の必要性と合理性が認められるかどうかという観点から判断すべきだ。

 学校教育法は高校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解などを掲げ、学習指導要領も学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めている。

 地方公務員の地位や性質、職務の公共性に鑑み、元教諭は法令や職務上の命令に従わなければならない立場にあり、地方公務員法に基づき、学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した通達を踏まえて、校長から本件の職務命令を受けた。

 元教諭に対して卒業式での慣例上の儀礼的な行為として国歌斉唱の際の起立斉唱を求める内容で、国旗国歌法や学習指導要領の規定に沿っており、地方公務員の職務の公共性を踏まえ、生徒への配慮も含めた秩序の確保や式典の円滑な進行を図るものだ。

 職務命令は、思想、良心の自由についての間接的な制約となる面はあるが、命令の目的や内容、制約の態様などを総合的に比較すれば、制約を許容できる程度の必要性と合理性が認められる。憲法19条に違反するとはいえない。

2011年5月30日 共同


「職務命令」は「国民に義務を課するもの」に他なりません。もっとも須藤さんが公務員は「非国民」であるとか「一般的に職務命令などというものに従う義務は存在しない」などと言い出すのであれば話は別ですが、そういうワケでもないようです。

したがって国民の権利義務について、「これを規定する条文は厳格な解釈が要求される」ことになり、「明確な根拠が認められないのに,安易に拡張解釈,類推解釈,権利濫用法理の適用などの特別の法解釈や特別の事実認定を行」うことは「許されない」はずであります。

ところが須藤さんによればそのようなことも場合によっては「許される」ようで、今回の判決では「特別な法解釈」を全面的に展開しています。その「根拠」として「命令の目的や内容、制約の態様などを総合的に比較」したんだそうですが、「命令の目的」が憲法秩序の下で正しいものであるという「明確な根拠」が示されていないうえ、その「内容」についても、面倒な立ったり座ったりを省く人が何人かいたところで、別段「秩序」が乱れるということもないでしょうし、「式典の円滑な進行」を妨げるとも思えませんから、「内容」が「目的」に適っているという「明確な根拠」も存在しないようです。

そればかりか須藤さんは当該職務命令の目的であると須藤さんが想定した「秩序の確保や式典の円滑な進行」とやらを憲法条文よりも上位に置くことにしたようです。なぜそういうことになるのか不明ですが、須藤さんは勝手に憲法の「目的」を思いついたようです。そしてその「目的」が条文の解釈を導くわけで、つまりこの間とは違って今回は急に「実質的」な「法秩序」を重視することになったわけです。

須藤さんの思いつきの「法目的」が憲法の条文を著しく限定的に解釈させているようですが、これは2月の判決とは正反対の思想を表明したものであると言えるでしょう。

須藤さんは何を考えているのかサッパリ分かりません。もし何かを考えているとすればですが。マトモな脳味噌の所有者であればすっかり混乱してしまうところですが、最高裁判所の裁判官ともなるとフツーの人とはアタマの出来が違うのかも知れません。

それは例えば記憶力が著しく低下しているとかそういうことかも知れませんが、単に武富士の息子さんとビンボー教師とでは対応が違うんだ、という事なのかも知れません。こういうのを定見がないというのかあるというのかよく分からないわけですが、出世したがる人にとっては当然の行動であるとはいえ、法律家としてはメチャクチャ破綻しています。

須藤さんが現在の地位を手に入れるために自らの原理とした考え方が、現在の地位を危うくしているようです。もうこうなったら次に書くのは判決ではなくて辞表ですが、脳の方がアレになっているようですので辞表を書いたからといって辞めるわけではなかったり、辞表を書かなかったからといって辞めなくて済むというわけではなかったりするのでまだまだ生き恥をさらすつもりのようです。


posted by 珍風 at 06:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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