2011年08月30日

よい病院、よくない病院の見分け方

原発作業員が白血病で死亡「因果関係なし」


 「東京電力」は30日、福島第一原子力発電所の男性作業員が今月上旬に急性白血病で死亡したと発表した。

 死亡したのは40歳代の作業員で、今月上旬に7日間、福島第一原発の休憩所の出入りや放射線量を管理する作業を行っていた。男性の被ばく線量は累計で0.5ミリシーベルト、内部被ばくはなかったという。男性は、勤務を終えた後に体調を崩して入院し、東京電力は元請け企業から、今月16日、男性が死亡したという報告を受けたという。

 今回の原発作業との因果関係については「元請け企業から、『医師の診断で因果関係がない』と聞いている」ということで、東京電力は、プライバシーの問題があるため、これ以上、調べる予定はないと説明している。

2011年8月30日 日本テレビ


この作業員の人は、作業に入る前の健康診断では何も問題はなかったということですから、全く不思議な話です。立地本部長代理の松本さんによればこの人は何も異常はなかったのに全く未知の原因による白血病によって自覚症状が出てから10日以内に死んでしまったのです。21世紀最大の怪事件と言うべきでしょう。

もっとも、これは全て伝聞のようです。すなわち作業前の健康診断の結果、作業内容、作業に従事した期間、被爆線量、内部被曝の有無などは、すべて元請け企業からの報告をそのまま喋っているだけなのです。「因果関係」に至っては伝聞の伝聞であって、松本さんは「元請け企業は『医師が「因果関係はない」と言っている』と言っている」と言っているわけですが、この餓鬼の使いぶりはまことに恐るべきものがあります。ほとんどアンファン・テリブルと申し上げて然るべきでしょう。

仮に作業前健康診断というものが必要にして充分な項目について正しく行なわれているのであれば、当然に「因果関係」を疑うところであり、この場合は被爆線量が間違っている可能性があります。本当かどうか知りませんが、健康診断では白血球数を測定しており、その時点では異常値は出ていなかったらしいのです。

しかしよく聞いてみるとこの作業員さんの履歴は不明なんだそうですから、福島第一原発での健康診断とか被爆線量を問題にしてみても仕方がないのかも知れません。核発電所の現場を渡り歩いている人たちが存在し、そのような人たちは累積被爆線量が極めて危険なレベルに達している場合があります。こういう人たちは今までどこの現場でどのくらい被曝してきたか、などというデータを持ち歩いていないものですから履歴を把握することは困難で、履歴を把握できないことを履歴が存在しないと表現してしまう方が簡単だったりします。

そしてそんな事が可能であるのであれば、「健康診断」はけっこういい加減なものでなければなりません。問題の「医師」によれば「急性白血病は(臨床症状が出るまでの)潜伏期間が数年あり、死亡直前に短期間被曝して発症することはない」(asahi.com)んだそうで、それはそうかも知れませんが、そうだとすると今回の症例では臨床症状の出始めから死亡まで長く見積もって2週間、ということになるんで、そいつもどうかと思います。

まあ、色々と不審な点があるわけですが、そうでなければ作業員が確保できないという事情もあるでしょう。そこで東電からすれば、これは死体を自宅の玄関先に放り込まれたようなもんとして受け止められている可能性があります。どこか他所で死んでくれれば良かったのに、たまたま福島に来たところで死んでしまったのは大迷惑であります。

だからといってそのような自殺的労働に依存している核の現実に変更はありません。ところで、作業員が体調不良の場合、元請け企業は彼を東電指定のお医者さんのところに連れて行くことになっていますから、「医師」は患者の被爆線量を測定しようとしたり内部被曝を調べたりすることはありません。元請け企業が提出する、しばしば過小な記録を鵜呑みにすることになっています。核発電所は石よりも固い意志を持った医師で出来た防波堤に守られています。

いずれにしても東京電力やお医者さんなどの「プライバシーの問題」があるもんですから、東電はこの問題にはこれ以上関わらないことをここに宣言しました。というのも、東電のために医学的な助言をしてくれる「医師」が「複数」存在するようなのですが、この「医師」もしくは病院を特定することは、「数年」の「潜伏期間」の後では多くの人にとって重要な問題となることが明らかであるからです。
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2011年08月29日

あなたの節電が招いた結果

自分で掘った落し穴から這い上がろうとしています。上から砂をかけましょう。

東電、10%超値上げ検討 31年ぶり申請、燃料費増で


 東京電力が電気料金の10%超の値上げを検討していることが28日、明らかになった。福島第1原発事故の影響で代替の火力発電への依存度が高まっており、燃料費の大幅な増加により電力事業の収支が悪化していることが主な要因。値上げは政府の認可が必要な本格改定で、東電は10月にも申請し、来春の実現を視野に入れている。申請をすれば31年ぶりになる。

 ただ値上げは、東日本大震災や原発事故の影響で厳しさを増す企業経営や家庭生活には一層の負担となるため、政府は慎重な姿勢を示している。東電は人件費や燃料費の原価を抜本的に見直すことで理解を求める。

2011年8月28日 共同


円高はどうした、てゆーか「燃料費」は多分ウソです。まあ、極東の小島の猿ども以外の人類が核発電に見切りをつけるのであれば「燃料費」は上がる、という話はあるわけで、そうなると核発電は「安かろう悪かろう」というシロモノである、とゆーことになるんですが。

「電力事業の収支が悪化」している原因はおそらく他にあり、それは東電自身が招いたものです。

制限令で7月の電力需要、過去2番目の下落率


 電気事業連合会が19日に発表した7月の電力需要速報(10社合計)は、前年同月比5・0%減の730億9400万キロ・ワット時。

 5か月連続で前年実績を下回り、7月としては過去2番目の下落率となった。
 経済産業省が7月に電気事業法に基づく電力の使用制限令を東京電力、東北電力管内で発動し、大手企業などで節電の動きが広がった影響が大きい。
 電力会社別では、東電が11・0%減と7月で過去最大の落ち込みとなり、東北電力も10・5%減と7月で過去2番目の下落率だった。

2011年8月19日 讀賣新聞


海の家やスイカと同様、電力会社にとっても夏は書き入れ時であります。エアコンはフル稼働し、甲子園の狂児どもが拍車をかけます。ところが今年は、核発電の必要性を、ひとつ国民どもに身をもって実感してもらおうじゃないか、と言い出したのは政府と東電さんです。熱中症で沢山死人が出れば国民は核を受け入れるであろう、と森山昌秀さんと同レベルの作戦ですが、「健康への影響」が遅いか早いかの勝負です。


しかしこの「核戦争」は東電の負けです。東電はギブアップしました。電力使用制限令のおかげで7月は10%以上電力需要が減りました。8月も同様に減っているでしょう。これは電気料金収入も減ることを意味しますが、「10%」とはいえこの時期の10%は年間の収支の中では死活的大問題であります。じゃあ死ねばいいんですが、そこでまず

電力に余裕、制限令解除を検討 エネ庁と東電


 経済産業省の資源エネルギー庁は26日、東京電力管内の9月の電力需給に余裕があるとして、大口需要家向けに発動した電力使用制限令の解除、緩和に向けた協議を東電と始めた。9月22日までとしている制限の終了前倒しや、昨夏比で15%低減を求めたピーク時使用量の削減緩和を検討。国民生活や経済活動への影響を和らげる。

 同庁は需給予測に関する詳細なデータ提出を東電に求め、9月上旬にも判断する。実現すれば今夏の電力不足はヤマを越えるが、定期検査中の原発再稼働が進まず、今冬には暖房需要で需給が再び逼迫するのは確実。

2011年8月6日 共同


負けて口惜しいはないちもんめ、転んでもただでは起きない資源エネルギー庁は子牛園のセシウム砂でも持って帰ればいいものを、「今冬には暖房需要で需給が再び逼迫するのは確実」と、どのメディアにも書かせています。しかし残念なことに、冬の電力需要はたしかにひとつの山ではありますが、それでも夏には及びません。

そもそも暖房は冷房と違って必ずしも電力を必要としません。3月は寒いのに「計画停電」をした結果、電気の要らない石油ストーブをみんな買ってしまいましたよ。ガスというものも世の中にはあります。「燃料費」は僕たちが直接払うんで大丈夫気にしないで下さい。

てゆーか、ということもあって、「今冬」の電力会社の収支は「逼迫するのは確実」な模様です。今期はエラいことになるのは確実で、それでも沢山いる偉い人たちに高い高い給料を払ったりしなければなりませんし退職金なんかも。そこで値上げ、となるわけですが、電力供給が不足しているフリをし続ける限り収入は増えませんし、しかしそれは国策ですからヤメるわけにもいきませんし、そのかわり政府も東電には「責任」を感じて、優しく値上げを認めてくれるでしょう。国民に対する責任とかそーゆーことは理解できません何の話だ。
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2011年08月28日

軽はずみ 海は最終処分場

山の餓鬼も帰れません。

線量低下、帰宅に20年以上 除染なしで政府試算


 政府は27日、東京電力福島第1原発事故で放射性物質に汚染された地域のうち、年間の被ばく線量が200ミリシーベルトと推定される場所では、線量が下がり、避難している住民が帰宅できるまでに20年以上かかる可能性があるとの試算結果を、福島市で開かれた「福島復興再生協議会」で示した。

 放射性物質を取り除く除染などをしない場合に、セシウム137や134が時間経過とともに減少することや雨や風で地表面からなくなることにより、帰宅の目安となる年20ミリシーベルト以下になるまでの期間を求めた。現在の推定線量が100ミリシーベルトの場所は10年程度となる。

2011年8月27日 共同


やはり何といっても「20年」なんであります。もっとも、児玉龍彦さんなんかは

「誰が首相に試算を示し、どのように審議されたか全く分からないまま、突然『20年』という数字が出てくることは問題。国会もチェック機能を果たしていない中、数字を示されても国民は信頼できない。その繰り返しでは、物事を前向きに進めるのは難しいのではないか」

2011年8月28日 毎日新聞


ということで、まあ確かに「信頼できない」わけですが、どういう方向に「信頼できない」かは分かりません。10年で済むのかも知れませんし、50年かかるのかも分かりません。とはいうものの、この「20年」ってのは昔から言われてきたわけで、どのくらい昔かというと20年くらい前から、いや25年前からですか。実は4カ月ちょっとですが

「原発周辺20年住めない」 首相発言として伝わり波紋 全村避難の村長「これが政治家の言葉なのか…」と涙


 「10年住めないのか、20年住めないのか…」

 菅直人首相が13日、官邸で松本健一内閣官房参与と会った際、東京電力福島第1原発の半径30キロ圏の避難・屋内退避区域について、少なくとも10年間は居住が困難との認識を示したとの情報が駆け巡った。原発被害の深刻さを示す衝撃的な発言だけに、情報は一気に広がった。首相は同日夜、公邸に戻る際、記者団に「私が言ったわけじゃありません」と否定した。

 情報の発信源は松本氏が首相との会談直後に行った記者団への説明。松本氏は「10年住めないのか、20年住めないのかということになってくると、そういう人々を住まわせるようなエコタウンを考えなくてはいけないということを言っていた」と発言。時事通信が首相発言として速報した。

 波紋は全村避難の対象となっている福島県飯舘村にも広がった。住民への説明会の途中で情報に接した菅野典雄村長は「少しでも早く戻れるようにするのが政治家の仕事なのに、これが政治家の言葉なのか。全く悲しくてならない。直ちに抗議する」と涙ながらに訴えた。住民からは「そうだ」との声が上がった。

 このため首相は、松本氏に電話をかけて記者団に情報を否定させた。ただ、松本氏は、長期間にわたって原発周辺が居住困難になる見通しを首相に説明したことは認めた。その上で移住先として内陸部に5〜10万人規模のエコタウンを建設する案を示し、首相も賛同したことを明らかにした。

2011年4月13日 産經新聞


村長さんがあんまり泣くもんでついつい「私が言ったわけじゃありません」と言ってしまいましたが、誰が言ったにしてもこれはいわゆる「軽はずみ」な発言、というべきでした。つまり木下優樹菜さんが言うような意味で、です。

菅さんだか松本さんだかの「20年」は、4月10日に原子力安全委員会が提出した予測に基づくものですが、8月27日に示された「政府試算」も基本的にはこれと大差ないもんであると思われます。いずれにしても10年、あるいは20年、という見通しは事故後かなり早い時期に確立していたものでした。

もっとも、これは帰宅できる基準が年20mSvという乱暴なものですから、実際にはそんな危ないところには帰れません。政府は帰れと言うんでしょうが、帰ったら5年で100mSvです。いくらなんでもどんなアホでも100mSvを「安全」とは言わないという、原発推進派御推奨の鉄壁の危険地帯であります。

政府では原発事故の補償額を気にしているわけですが、それというのも与党の原発政策は恐ろしいもんなんでありまして、民主党代表選候補者、てのは次の首相になる人ですが、その中でも「原発依存度」が低いとされる海江田さんですら、「40年以内に原発ゼロをめざす」というのんびりムードなのでした。

「40年」、この間に大地震が来るかというと、来ますね。だからこそ今回の事故で補償額を縮小しておきたいわけですが、海江田さんの政策では「今後10年をめどに(自然エネルギーの発電量を)総発電量の20%に引き上げる」んだとも書いてあります。

「20%」だったら現在の原発のシェアよりも高いわけですから、「10年後」に原発は要らなくなる予定ですね。てゆーか「今後10年をめどに、原発への依存度を20%以下に引き下げる」とも書いてあります。まあ、そう上手くいくか分かりませんが、仮に倍の20年かかったとして、その時点で原発と自然エネルギー発電が入れ替わってることになりますから、あとの20年間、原発を稼動させる理由がひとつもありません。原発の廃止のために40年かける理由が分からないのです。

分からないわけではないのですが、その辺はいわゆる「軽はずみなこと」に属するんでしょう。そういうことを言うと大阪湾に最終処分されちゃったりするのかも知れません。木下優樹菜さんと政治家だけが知っている核ヤクザの恐ろしさでありましょう。
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2011年08月26日

軽はずみ ホップステップ 一斗缶

橋下知事が「別れの言葉」 府幹部職員への講話で


 「これからも府庁をしっかりとマネジメントしてほしい」。知事を辞任し、11月の知事・大阪市長のダブル選に持ち込む意向を示している橋下徹知事が25日、府の幹部職員らに対する講話で、「別れの言葉」を口にした。

 橋下氏は約40分間にわたり、課長級以上の職員約300人に語りかけた。「僕のほぼ満足のいく結果を出してくれた大阪府職員のみなさんに感謝したい」と謝意を伝えつつ、政治と行政の関係や政治判断の難しさにも言及。「これからどういう知事が来るか分からないが、府民感覚をもとにした目標を実現できる組織運営を期待する」と説いた。

 府庁内で知事辞職は「既定路線」と受け取られている。橋下氏は「こんなことを言いながら知事に戻ってくるかも。それだけは勘弁してくれと言われている」などと冗談交じりに語り、職員らの笑いも誘った。(池尻和生)

2011年8月26日 朝日


しかしもちろん橋下さんは「大阪府知事」という「立場」に「戻ってくる」ことを望んでいないに違いありません。そんな「立場」にいると言いたいことも「言えない」のですから、全くツマラナイ話なのです。

橋下知事 紳助さん引退つらい


島田紳助さんが芸能活動から引退したことについて、テレビ番組で共演したことのある大阪府の橋下知事は「僕は紳助さんの番組で多くの人に知ってもらい、大阪府知事になったので、今があるのは紳助さんのおかげだと思っています。きのうは会見の様子をテレビで見ていましたが、これまでのつきあいから紳助さんの気持ちが分かりすぎるぐらい分かっているので、非常に残念でもあり、つらかったです。ただ、大阪から暴力団の排除を掲げ、その旗振り役である以上、あれぐらいいいじゃないかとか僕の立場では言えませんし、紳助さんの判断は正しいと思います」と述べました。そのうえで、橋下知事は、24日午前2時ごろに島田さんに「お疲れさまでした」という内容のメールを送り、「ありがとう」という返信があったことを明らかにしました。

2011年8月24日 NHK


橋下さんが大阪の知事をやっているのは島田紳助さんのおかげなんだそうです。島田紳助さんはその他にも色々と悪いことをしていると評判ですが、橋下さんは山口組とつき合っても「いいじゃないか」と言っています。正確に言うと「『いいじゃないか』と思っているけど立場上言えません」と言っているのですが、だからといって「良くない」と言っているわけではありません。

これは「大阪維新の会」という、例の「会の会」一派の立場と一致するものです。連中の想定によればいやしくも教職に携わるほどの人間であれば日の丸君が代糞食らえと思っているのは当然であり、そうでなければそいつはちょっとオカシイに違いありません。したがって、「立場上」そんなことは言うな、というのが連中の条例案です。

これの教育的効果は絶大で、「立場」というものがなければ、ほとんど何をやっても良い、というアウトローな生き方と表裏一体です。ところで誰かの「立場」というのは他者の認知によるもんですから、要するに「立場」が明らかでない場面では行動を規制するものは何もないのですから、これは剣呑であります。

こっちにはその「立場」が分からない何者かによって一斗缶に詰め込まれるのもアリですから気をつけましょう、ということですが、大阪にはそういう「立場のない人」が大勢いたりしますし、世間で言うところの「暴力団排除」は、それなりに「立場」を築いてきた人たちの「立場」をなくして、どうぞ勝手にやって下さいという意味になります。つまりそれはそれで、そういう「立場」なんですが。

『大阪日日新聞』によれば橋下さんは「付き合いもさせていただいた」ので島田紳助さんの「状況は分かり過ぎるくらい分かって」いるそうです。自分は「状況」を「分かり過ぎるくらい分かって」いる、という自己の認識に対する過剰なまでの自信がどこから来るのか分かりませんが、もしかすると橋下さんは「Aさん」や「Bさん」とも「付き合いもさせていただいた」のかも知れません。

島田紳助さんたちが専門家による法的な助言を必要とした可能性もありますし、まあ考えてみれば弁護士にとってヤクザは上得意様でありますし、戦い甲斐のある敵手でもあります。ヤクザが社会の中でそれなりの「立場」を持つにあたって弁護士のアドバイスを必要としたことは疑いありません。

同じく弁護士の丸山和也さんも、「状況」をどのくらい「分かって」いるのか知りませんが「法的にも道義的にも問題ない」と言っています。むしろ弁護士であり国会議員である丸山さんが「法的に問題ない」と言う以上は、丸山さんも「状況」を相当深く「分かって」いるものと見るのが自然でありましょう。

一方「道義的」な問題に関しては、知事だとか公務員だとか「法的」に定義される「立場」を離れれば何をやっても良いわけですから、最初からそんなものは存在しないのです。そして橋下さんや丸山さんが「状況」に深く関わっていたとしても、それはどうやらバレずに済むようなのでした。

てゆーか、よく考えないといけません。元ヤンキーの木下優樹菜さんによれば滅多なことを書いたりするとヤバいんだそうです。タイマンで培った勘が彼女の口を閉ざさせていたのでした。「軽はずみなことは言いたくない」。島田紳助さんの周りにいると、色々なものを見聞きするようです。そして「守られている」オジサンたちと違ってこの若い女性はすっかり恐怖に駆られてしまった模様です。みんなも気をつけようぜ。
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2011年08月24日

貧乏記者の心の闇

復興増税に慎重姿勢の前原氏、産業界に評価の声


 23日夕方にも民主党代表選への出馬を正式に表明する前原誠司前外相は、東日本大震災の復興財源をまかなう臨時増税について「この1、2年は増税は極めて慎重であるべきだ」と表明している。国際競争力強化をめざす産業界の多くの企業の考え方と重なることから、政権と経済界との関係修復に市場の期待が高まっている。

 前原氏は増税そのものを否定する立場をとってはいないものの、円高や電力不足で企業の経営環境が悪化し、国民生活の先行きに不透明感が高まる中での増税実施には難色を示している。

 経団連会員企業の中にはこうした考え方に「産業界の考え方を理解できる人物」と評価を与える経営者もいる。

 このため市場には政権と経済界との関係修復を期待する声が上がっており、「前原政権が誕生すれば、経済界との意思疎通が円滑化し、政策の停滞が一定程度解消される」との声が上がっている。

2011年8月23日 SankeiBiz


最終パラグラフでは2回も「声が上がって」いるようですが、誰の「声」なのかわかりません。「市場」の「声」なのかも知れませんが、通常は「市場の声」というのは数字で現れて来るんで、あまり仮定に基づいた込み入ったことは喋らないようです。

「経団連会員企業」の「経営者」というのも謎の人物であります。顔が見えない、てゆーか体もないかも知れません。多分この人は記者さんの脳内に住んでいる別人格です。だいたいそんなに「政権」と「経済界」との「関係」は悪いんでしょうか。

産經記者さんは薄給に耐えられず人格が分裂して、「頸断連会員企業経営者」を頭の中に飼っている様子ですが、ご愁傷様であります。もっとも、いちいち外に出掛けなくても電話もかけなくても机に座って頬杖をついたままで取材が出来ますので便利であります。

とはいえ産經新聞社さんもマスゴミのご多分に漏れず島田紳介ことマエバリさんを支持したいようであります。どうしてマスゴミは前原さんが好きなのかよく分かりませんが、「増税に慎重」なんだそうです。

「慎重」というのは3年後に消費税増税をするということのようですが、財政危機だとか言われております。財政危機というのは税収が減る一方で国債で資金を調達出来ている状況を謂うようですから、つまり世の中にお金はあるわけで、大した問題ではありません。

マエバリさんといえば「回し者」というウワサもあります。というのもあまりにヘマばかりして民主党を危機に陥れて来たからで、そのヘマぶりは仲間を見捨てて自殺させるほど念のいったものですが、その一方で特に目立った功績というものがない、にも拘らずこのように平然と再び代表になろうとしている、というのがいかにもアヤシい、という話です。

そうだとすれば、産經記者脳内経営者のおっしゃる通り、「政権と経済界との関係修復を期待」、というよりは「経済界」との「関係」が良好な「政権」が、マエバリさんを通じて実現される、という「期待」が持てるのかも知れません。それがどこの党の「政権」かは分かりませんが、頸断連が税金を取られなければどっちでもいいのです。
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2011年08月22日

夏のチラリズム

原発周辺の土地、国借り上げ検討 居住を長期禁止


 菅政権は、東京電力福島第一原発の周辺で放射線量が高い地域の住民に対し、居住を長期間禁止するとともに、その地域の土地を借り上げる方向で検討に入った。地代を払うことで住民への損害賠償の一環とする考えで、すでに地元自治体に打診を始めた。菅直人首相は今週末にも福島県に入り、自治体関係者らに説明する見通しだ。

 政権は当面、立ち入りを禁止した原発から半径20キロ圏内の「警戒区域」の中で、継続して高い放射線量が観測される地域について警戒区域の指定解除を見送る方針。福島県双葉、大熊両町のうち、原発から半径3キロ圏内の地域が想定されるが、「3キロ圏外でも放射線量が高い地域があり、範囲が広がる可能性がある」(政権幹部)との見方もある。

 警戒区域の一部では、高い放射線量が観測されている。事故発生から1年間の積算放射線量の推計は、警戒区域内の50地点中35地点で、政権が避難の目安としている年20ミリシーベルトを超え、原発から3キロの大熊町小入野では508.1ミリシーベルトを記録した。

2011年8月22日 朝日


ようやく「帰れない」ことを言うようですが、例によって事態を小さく表現するところから始めるようです。「原発から半径3キロ圏内の地域」とか言ってますが、当然それだけで済むはずはなく、「政権幹部」とかいう人が無責任な立場で「範囲が広がる可能性」を示唆しています。まあ要するに20キロ圏内は基本ムリ、ということでしょう。早いとこ白状した方がいいわけです。

ちなみに大熊町小入野の「1年間の積算放射線量の推計」は文部科学省によるものですが、この場所は微妙でして、厳密にどの地点なのか不明ですが「原発から3キロ」を越えている場所もあります。いずれにしても「3キロ」以内は0.5Sv以上、居住は不可能でしょう。しかし「想定」されているのは「福島県双葉、大熊両町のうち、原発から半径3キロ圏内の地域」だったりしますので、同じ「3キロ圏内」でも「安全」な場所もあるかのようなのです。

文科省 1年後の積算放射線量推計

東京電力福島第一原子力発電所から半径20キロ圏内の警戒区域について、文部科学省は、事故から1年後までの積算の放射線量の推計値を初めて公表し、福島県大熊町の調査地点では508.1ミリシーベルトと、国が避難の目安としている年間20ミリシーベルトを大きく上回りました。

文部科学省は、住民の立ち入りが禁止されている警戒区域への一時帰宅を近く実施するという政府の方針などを踏まえ、区域内の50の調査地点について、事故から1年後までの積算の放射線量の推計値を初めて公表しました。それによりますと、値が最も高かった福島県大熊町小入野では508.1ミリシーベルトと、国が計画的避難区域指定などの目安としている年間20ミリシーベルトを大きく上回りました。このほか、浪江町川房で223.7ミリシーベルト、双葉町長塚で172.4ミリシーベルト、富岡町小良ヶ浜で115.3ミリシーベルト、南相馬市小高区金谷で53.1ミリシーベルトなどとなっていて、年間20ミリシーベルトを上回ったのは、50の調査地点のうち35地点に上りました。一方、浪江町については、原発から8キロしか離れていない北幾世橋では4.1ミリシーベルトと推計されるなど、同じ町内でも値に大きなばらつきがあることも分かりました。文部科学省では「今後も警戒区域の解除に向けて必要な情報を公開していきたい」としています。

2011年8月21日 NHK


当然のことながら距離と線量は比例しないわけで、記事では線量の高い順に挙げられている各地点の福島第一原発からの距離はおおむね巨乳

508.1mSv 福島県大熊町小入野 約3.5km
223.7mSv 浪江町川房 約17.5km
172.4mSv 双葉町長塚 約4km
115.3mSv 富岡町小良ヶ浜 約7.7km
53.1mSv 南相馬市小高区金谷 約16.7km

時間あたりの線量はみんな測っていると思いますが、これは事故後1年間の推計であります。文部省の推計の仕方が正しいのかどうかという問題がありますが、要は国は自分で推計値を決定して自分で警戒区域を指定して自分で地代を払うということですから、よく考えようお金は大事だよ。

国はおそらく20キロ圏内において警戒区域を虫食い状に指定するでしょう。「同じ町内でも値に大きなばらつきがある」んですから場合によっては「町」などの行政区域が維持出来ません。おそらく組み替えをしなければならないわけですが、「警戒区域」に取り囲まれた「安全区域」というものが発生する模様です。

そういうところに住んでいるのはイヤな気もしますが、国の補償はない、ということです。ちなみにこれは20キロ圏内の「警戒区域」の部分的解除ですから、20キロ以上のところは最初から「想定外」ですから注意が必要です。

この「推計」は、おそらくもっと早く出ていたはずですが、公表されたのは8月21日です。これは政府の補償方針が決定したから公表した、てゆーか政策の根拠として出されたものです。政府は持っている資料を公表して国民がそれを基に判断するようなことを許しません。政府の決めたことについて、それを説明するのに都合の良い範囲で「公表」するようです。つまりもっと内緒の秘密がいっぱいであることが当然に想定されるのです。
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2011年08月19日

「誤解しないで下さい!原発は存続します」

再生エネ法衆院通過は23日に延期 26日成立は変わらず

 民主、自民、公明3党の国対委員長は18日の会談で、再生エネルギー特措法案の19日の衆院採決を先送りすることを決めた。民主党が「子ども手当存続します」と訴えるビラを配布した問題で、自民党が反発したためだが、同法案については23日に衆院を通過させ、当初の予定通り26日に成立させることで合意した。

 民主党の岡田克也幹事長は18日の記者会見で「ビラの記述は、今の子ども手当がそのまま存続すると誤解を与えかねない不適切な表現だ」と述べた。党広報委員会も藤本祐司広報委員長名で党所属国会議員や都道府県連などに対し、今後、ビラを配らないよう文書で要請した。

 民主、自民両党は事前の調整で、岡田氏の謝罪を受けて、19日の再生エネ法案の衆院通過を容認することにしていた。だが、岡田氏が謝罪したのはビラの配布時期だけで「中身は間違ってはいない」と一部正当化したため、逢沢一郎国対委員長が「問題は中身だ。納得のいく謝罪になっていない」と反発。19日の衆参両院での審議を拒否した。

 ただ、自民党も菅直人首相の居座りは避けたいため、逢沢氏は24日に特例公債法案、26日に再生エネ法案をそれぞれ成立させることに合意した。

2011年8月18日 産經新聞


自民党も昔はキチガイじみたビラを配ったりしていたようですが、それにしてもこの暑いのにどうしてこんな下らないことをやっているのか、現在までのところ不明です。とにかく休み返上で5日間の余裕ができたので、時は金なり、であります。

現在までのところ法案の修正協議によっていくつかの偏向が加えられていますが、政府試算によれば概ね電気料金の上乗せは1kWhあたり0.5円とされています。経済産業省の試算ですからよく分かりませんが、エネルギーの種別によって買い取り価格を違えるそうで、このへん具体的な買い取り価格は「第三者委員会」てゆーか事実上経済産業省が決定することになるでしょう。

ということはつまり経済産業省の官僚が買い取り価格を操作することによって「再生エネルギー」の中でも特定エネルギー分野を伸ばしたり潰したりする、ということを意味しますが、国としては「再生エネルギー」全体を潰したい意向ですから、上手くいかなくてもそれは最初からそのつもりだったりします。

そういうワケでこの法律はしょっちゅう「見直し」をされることになりました。3年ごとに「見直し」をして、10年後には廃止を含めて検討に付されるのです。それどころか「エネルギー基本計画」の改訂時にも危機が訪れるようで、要するにホトボリが冷めたら「見直し」てしまおうという意図がアカラサマですから、この分野に大きな投資を考えている人は心配で夜も眠れず髪の毛が抜けます。

もう抜けていますが、例によって大企業を優遇する分は税金からの支出になります。つまり電気代の一部を税金から払うんですが、その財源は電力会社が払っている石油石炭税なんだそうです。要するに電力会社としては払った税金が戻って来ることになりますので笑いが止まりません。

その財源が足りなければ国民の血税に手を付けることになりますので、今のうちに電力会社から税金をもっと取っておきましょう。原発を設置されている自治体では核燃料税を取っているようですが、今回の事故で原発の影響が極めて広範囲に渡ることが明らかになりましたし、核汚染環境への対処には、もう既にいくらお金があっても足りません。そこで国として電力会社から核燃料税を徴収するのも一つの単なる思いつきです。

もっとも、そうするとその税金の分も電気代に上乗せされる仕組みです。国民の負担は重くなる一方ですが、これは逆に原発を廃止すればするだけ電気料金が安くなるという効果を生むでしょう。また、広域電力会社の料金が高くなることは「再生エネルギー」発電家の競争力を高めることにもなります。

いずれにしても既に相当高い電気料金とそのための仕組みを全力で維持しつつ、少し電気料金が上がると「企業の競争力に悪影響を与える」とホザく頸断連は意味不明ですが、連中のためにウラで色々と協議を行なって骨を抜いたり活動限界を定めたりして僕たちの知らない協定でも結ぶつもりなら、土日も休まずに働くのは当然です。電力使用制限の対象外ですから涼しいお部屋でゆっくりお過ごしください。
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2011年08月18日

メタボリック無脳症

北海道・泊原発:3号機、営業運転 道知事同意、震災後初の再開


 北海道の高橋はるみ知事は17日、調整運転中の北海道電力泊原発3号機(泊村、出力91・2万キロワット)の営業運転再開に同意する意向を海江田万里経済産業相に伝えた。これを受けて経産省原子力安全・保安院は定期検査の終了証を北電に交付。北電は営業運転を再開した。3月の東京電力福島第1原発事故以降、定期検査から営業運転に移行した原発は全国で初めて。

 高橋知事は17日午後の緊急会見で「国が最終検査の手続きを行うことに異論はない」と再開容認を表明した。その理由として、検査の妥当性のチェックに保安院だけでなく内閣府原子力安全委員会も加わったことなどを挙げ「さらなる安全性の確認を行う国の考え方を理解した」と述べた。

 一方で、定期検査中で原子炉が停止している泊原発1号機(出力57・9万キロワット)や、今月下旬から定期検査に入る同2号機(同)の再稼働については「より慎重な判断を要すると考えられる」として、今回の容認とは切り離す立場を強調した。

 泊原発3号機は1月5日に定期検査が始まり、3月7日に調整運転に入った。今月9〜10日で最後の検査を終えたが、海江田経産相が終了証交付は地元の同意を待つ姿勢を示していた。

 高橋知事は16日の道議会特別委員会に出席したうえで17日午前、北電と安全協定を結んでいる泊村など地元4町村と、その周辺にある後志(しりべし)地方の市町村に道の考え方などを説明し、理解を得たという。【高山純二、吉井理記】

2011年8月18日 毎日新聞


なんたって高橋はるみさんですからこうなってしまうわけですが、核ギャングに支配された日ノ本では気に入らない知事は取っ替えちゃうんですから誰でも同じでしょう。それにしても福島第一原発が「収束」の兆しすら見せない中での営業運転の再開は驚くべきことであると言えるでしょう。日本人連中は気が確かなのか。

とはいえ、連中も何も考えずに闇雲にやっているというわけでもありません。北海道では特に「電力不足」は演出されていないのですから、無理に営業する必要は無いわけですが、泊原発はあえて「再開」することを選択された模様です。

北海道出身の方も沢山いらっしゃることと思いますが、大変申し訳ないことにその第一の理由は北海道がイナカだからです。蝦夷なんてどうでもいいのです。イザとなったら切り離して見捨ててしまえば宜しい。北海道は東京からとっても遠いのです。泊原発の「再開」は浜岡の「停止」と裏表であって、やはりいくら何でもその危険性は認識されているようですが、蝦夷だったら構わないのです。

これが首都圏に近いと反対する人も多いわけですが、遠い蝦夷の出来事なのでそれほどの騒ぎにもなりません。泊から近い人口密集地は札幌でしょうが、それでも60キロくらい離れています。まあ札幌が「人口密集地」であるとすればですが。

あまり失礼なことを書いているのは良くないのですが、泊原発は「再開」に際して最も反対する声が小さいと想定されたことは想像に難くありません。福島の事故後イッパツ目にカマすには最適の選択であったと言えるでしょう。

このタイミングでの「再開」も重要であり、これは日本政府の立場をより鮮明にする効果があります。事故なんて気にしない、核被害なんて無いのです。福島ではほとんど何も起こっていませんから、泊原発の「再開」は当然です。てゆーか「当然」であると言うために「当然」のようにそれを行なうと、それは当然、「当然」になります。

このことから、福島の教訓を受けた日本政府の、今後の原発事故対応の方針が明らかになるでしょう。それは事故そのものの否認です。「否認」と言っても大きな音をたてたりすることもありますんで困っちゃうんですが、これからは原発事故は徹底的に隠蔽される可能性があります。もうされているのかも知れません。大気も土壌も水も食べ物も放射線をビンビン出しています。

したがって50年くらいすると日本は「原因不明」の病人と奇形に覆われることになりそうですが、相変わらず健康に注意するように、例えば煙草を止めたり暴飲暴食を避けることが推奨されるでしょう。本当のことは何一つ分かりませんが、「メタボ」や喫煙が無脳症の原因として特定される日も近いでしょう。医学は日々進歩しています。心配することは何もありません。
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2011年08月14日

鎮護平定隠蔽護摩化し

『毎日新聞』では慣れない宗教のお話で冷や汗をかいた安斎育郎さんでしたが、13日の『讀賣新聞』関西版の記事によれば、彼は松の皮の処理に参加する意向はないようであります。

専門家は「健康には問題ない」

 今回、薪の表皮から検出された放射性セシウムの数値は、コメや肉などの暫定規制値(1キロ・グラムあたり500ベクレル)の約2倍だが、専門家は、送り火への使用に関して、安全面では全く問題がないと指摘する。安斎育郎・立命館大名誉教授(放射線防護学)は「食品などの規制値は、食べ続けた場合に体内に蓄積する放射性物質の影響を想定している。木に触ったり、燃やして拡散した灰を吸い込んだりしたとしても、影響は計算する気にもならないほど低いレベル。京都市は、風評被害を広めないよう、健康に問題ないレベルであることを正しく情報発信すべきだ」とする。

 陸前高田市は東京電力福島第一原子力発電所から約200キロ離れているが、安斎名誉教授によると、樹木の表面だけなら、風向きによって1000ベクレルを超える放射性セシウムが付着することは十分あり得るという。

風評被害鎮める機会逃した

 岩手県花巻市で育った京都市在住の宗教学者、山折哲雄さん(80)の話「昨日、花巻に行ってきたが、現地の人は京都の態度に非常に怒っていた。今回、薪の使用を中止したことで、風評被害を鎮める絶好のチャンスを逃した。京都の歴史に残る汚点で、非常に情けない。お盆に送り火を行うという意味を、もう一度考え直すべきだ」

2011年8月13日 讀賣新聞


わざわざ「表面だけなら」と断った上で「燃やして拡散した灰」を云々しているところを見ると、安斎さんやっぱり「薪」は「皮ごと」燃やすもんだと思ってたようです。まあ「神事」と「仏事」の区別がつかないのに「けがれ」がどうしたとか「文化の問題」を論じるくらいですから、そのくらいの間違いは京都名産というべきでしょう。

ここでその道のプロの登場でありますが、「お盆に送り火を行うという意味」は「風評被害を鎮める」ことだったそうです。他ならぬ山折哲雄さんがおっしゃることですから、よもや間違いはありますまい。お盆の送り火は「風評被害」を鎮めるために行なわれるのです。これが日本宗教学の権威の堂々たる御説であります。

ところで去年の送り火はどのような「風評被害を鎮める」ためにやっていたのか、是非聞いてみたいものですが、僕には何も考えつきません。おそらくその「風評被害」は完全に鎮圧されたので、誰の記憶にも残っていないのです。全くもってそうに違いありません。記憶まで消去するとは、送り火恐るべしであります。

もっとも今度は山折さんがやはり専門外のことを何の根拠も無く「風評」などと断言しているわけですが、それどころか山折さん、こういう問題は「専門外」どころかまるっきり全然なんにも分かりませんし、分かる必要も認めていません。

素粒子というものは科学的には証明できるかもしれない。けれども私はどうしても実感としてそういうものの存在を感じられない。魂というものは、これは科学的にはまったく証明できないかもしれない。しかし実感として強く感じることができる。


これが山折さんの言葉として方々に引用されているわけですが、何を言っているのかサッパリ分かりません。こんなことで「魂」が存在するんだ、ということになると、逆に「素粒子」は存在しないことになってしまいます。山折さんはそれでいいかも知れません。「素粒子」が存在しないのであれば核分裂などということも考えられませんし、放射性物質などというものが世の中にある、という話そのものが「風評」に他ならない、ということになるでしょう。

つまり山折さんにとっては近代科学的知そのものが「風評」なのであって、お盆のたびに送り火によってその鎮圧が図られているところです。去年の送り火も一昨年の送り火も、その「意味」はそこにあったのです。ちっとも知りませんでした。山折さんの学識の深さには敬服の至りであります。

もっとも、例の松の木にとってそのような「お盆に送り火を行うという意味」についての無意味な思いつきはどうでもいいことで、そのような「無意味」を置き去りにして今度は別方面に向かうことになりました。

陸前高田市の松の木 新勝寺へ


津波で倒された岩手県陸前高田市の松の木が、震災で亡くなった人たちの供養のために、千葉県にある成田山新勝寺に送られ、9月に護摩の木と一緒にたかれることになりました。

陸前高田市の国の名勝「高田松原」では、およそ7万本あった松が津波で1本を残してなぎ倒されました。震災で亡くなった人たちの供養にと、8月はじめに成田山新勝寺から提案を受け、陸前高田市の金剛寺が倒れた松の木の一部を送ることになりました。高田松原の松を巡っては、8月16日に京都市で行われる送り火で、燃やすことが計画されていましたが、陸前高田市から取り寄せたまきを検査した結果、皮の部分から放射性セシウムが検出されたとして、京都市が送り火の保存会と協議し、計画を断念したと8月12日に発表しています。これについて、新勝寺は、陸前高田市から発送する前に、松の皮を削れば心配はないとして、予定どおり9月に護摩の木と一緒にたくことになりました。金剛寺の小林信雄住職は「本当にありがたいです。震災で亡くなった人の供養はもちろん、生き残った人たちの心の癒やしにもなると思います」と話しています。

2011年8月14日 NHK


ここに至って僕としては山折さんの所説を見直さざるを得ません。「お盆」には「近代的知の抑圧」という「意味」がある、という話になると大変に奇異な説に見えるかも知れませんが、「お盆」でも「おたき上げ」でも何でも、宗教行事には「人民の蒙昧化」という「意味」がある、と言ってみれば比較的マトモなお説に見えて来ます。

もっともお坊さん自身が「蒙昧化」の先頭を切って走っていては困るようですが、最近では宗教以外の形態では愚行は不可能なのです。いや、そうとは限らないような気もしますが、安斎さんが「樹木の表面だけなら」と言っているのは立って生えている樹木の場合の話です。

セシウムが松の皮を通り越して「幹の内部に蓄積」するのは難しいかも知れませんが、なぎ倒されて断面に「幹の内部」を晒している場合にはその限りではありません。したがって「発送する前に、松の皮を削れば心配はない」などというのは坊主にありがちなタワゴトであって、被曝した松の木が二手に分かれて放射性微粒子を散布し、拡散することになります。

どうかひとつ、その一皮むけて大人になった松を検査してもらいたいもので、坊主同士の相談に任せているわけにはいきません。今度は「成田山新勝寺から提案」したということになっていますが、各地の坊主共の怪しい動きにどんな「意味」があるのか、これは科学的に証明出来ないかも知れませんが、実感として感じることもなかなか難しいようであります。
posted by 珍風 at 20:58| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月13日

日本縦断木片放射

心からおわび…陸前高田の薪使用断念で京都市長

 「せっかく五山の足並みがそろったのに」――。「京都五山送り火」で燃やす予定だった岩手県陸前高田市の松で作った薪から放射性セシウムが検出され、計画の中止が決まった12日、京都市や送り火保存会の関係者は落胆と戸惑いを隠せなかった。

 再度の使用中止について、京都市の門川大作市長は「陸前高田市をはじめ、被災地の皆様に悲しい思いをさせてしまい、心を痛めている。尽力頂いた皆様に心からおわびします」と肩を落とした。門川市長は、「(薪は)食品と違って国の基準はなく、国には早く基準を示してほしい」と繰り返した。

 薪を提供した福井県坂井市のNPO法人「ふくい災害ボランティアネット」の東角操代表(53)は頭を抱えた。薪の売り上げを復興支援にあてる計画で、5月に陸前高田市の国の名勝「高田松原」から、津波で流された松を回収、販売し、7月中旬から、発送を始めたばかり。これまで薪を1本ずつ簡易検査し、放射性物質は検出されなかったという。「少しでも復興の力になればと始めた活動が、思いもよらぬ事態になって戸惑っている」と東角代表は語った。

2011年8月13日 讀賣新聞


さっきも言った通り、「放射能影響に詳しい」ばかりでなく生まれつき「松原」にも詳しい「専門家」様ですら「幹の内部にまで放射性物質が蓄積することはな」い、とおっしゃっていたわけです。表皮に付着していない、などとは一言も言っていません。そこは「専門家」ですから、上手いこと逃げを打つことが出来るように言うわけで、お話の「幹」ばかりに気を取られていないで「表皮」をもっとよく見ることが大切です。

おそらく「ふくい災害ボランティアネット」の代表である東角操さんという人は、いい人なんでしょう。本当は悪い人なのかも知れませんが、特に取り立ててずば抜けて頭が良いというわけではなかったようです。それでも東角さんは自民党の福井県議会議員です。こうなるとかなり相当に立派な人物を思い浮かべるわけですが、東さんは期待を裏切りません。2008年当時、東角さんは福井県議会の「原子力発電特別委員長」にてあらせられました。

「特別」な「委員長」なんです。なかなかどうも大したものです。そこでここに福井県の原子力安全対策課の作成した「第164回福井県原子力環境安全管理協議会議事概要」なるものがあります。どこにあるかというとあそこにあるわけですが
http://www.atom.pref.fukui.jp/ankan/164/giji.pdf

(福井県議会:東角原子力発電特別委員長)

・保安院がかなり厳しい指摘をしているが、安全文化というか組織風土の問題が大きいのではないかと感じている。

・日本原電や関西電力は、こういったトラブルが発生すると経営的に困る部分があるが、この2社とは違い売電事業者ではない原子力機構は、税金を投入されている組織であるためその点が甘いと思う。

・原子力機構を監督する保安院もまた行政だということで甘さがある。この辺がもう少し突っ込まないとこういったトラブルが次から次へと出てきてしまう。原子力機構は、一般の事業者のリーダーとしての役割を果たすべきなのに、現時点では足を引っ張っている気がしている。

・先ほど発言があったが、国の政策として、原子力、特にもんじゅに期待する部分は大きい。これから50年、100年たった時のエネルギー政策を踏まえた時に、このもんじゅの役割が非常に大事だということは理解しているので、組織的な考え方をもう一度根本的に見直してほしい。

・今回のダクトの問題についても日本原電や関西電力にも過去に近い事例はあったと思うが、それを原子力機構が勉強していなかったのではないか。そういったものを先回りして勉強してしっかり研究することで、事前に察知しなければいけない問題であったと思う。

・官の人間であっても、民に学ぶという姿勢をしっかりと身に着けてほしい。

・今回保安院から厳しい発言があったが、ことが起ってから検査するという姿勢だけでなく、先回りして突っ込んだ指導をして欲しい。原子力機構が見過ごしてしまうような点も先に突っ込んで指導する姿勢が必要だとと思うので、その点を少し注文させていただく。


「税金を投入されている組織」だから「甘い」という何の根拠も無い決めつけが自民党の面目躍如といったところですが、日本が「ひとつ」かどうかはともかく、原子力村は間違いなくどこへ行っても誰でも「甘い」ようです。「もんじゅ」の屋外排気ダクトに腐食孔が発見されたというトラブルがあったわけですが、やはり東角さんは「もんじゅ」に「期待」しているようです。「甘い」としか言いようがありません。

まあ県議会も「税金を投入されている組織」であることには変わりがありませんが、東角さんによると「官」よりも「民」の方が「事例」の蓄積があるから「勉強」しろということであります。大威張りであります。さすがは「特別」な「委員長」様であります。も、も、も、申し訳ございません!などと言わざるを得ません。ところで「事例」というのは村の方言では「事象」、要するに「事故」のことで、日本原電や関電では頻繁に事故を起こしている模様です。のんびりと「勉強」なんかしている場合ではないのではないか。

おそらく東角さんは率先して「民」から「勉強」なさっているようです。多分に「経営的」な要素の色濃い「勉強」をなさって来たご様子でありますから、松の木にセシウムが着いている、というような事態は想像すら出来ない、というような「勉強」の仕方です。そのような事態は「経営的に困る部分がある」からです。

そこで東角さんには悪気はなかった、という可能性があるかも知れません。悪気を持つほどの知識が無かった、とか誤った知識を注入されていた、ということでもあります。実際のところちゃんとした「勉強」はしていないようで、こんな人にエラそうにとやかく言われる日本原子力研究開発機構はいい気味ですが、どうせ大したものの入っていない「頭を抱えた」東角さんは、自身のブログでさっそく好都合な「専門家」の御意見にしがみつきました。

参考:今回のデーターによる専門家の見解の一部(毎日新聞社のHPより)
◇専門家 測定数値は「問題ないレベル」
 測定結果の数値について、専門家は「問題となるようなレベルではない」と話す。国際放射線防護委員会の主委員会委員、丹羽太貫・京都大名誉教授(放射線生物学)は「仮に表皮を1キロ食べ、全て体に吸収されたとしても取るに足らない線量」と指摘した上で、「意味のないクリーンさを求めた今回の判断は被災地の方々の気持ちを踏みにじるものだ」と指摘する。
 また、安斎育郎・立命館大名誉教授(放射線防護学)は「五山の送り火は伝統的神事という性格を持つ。放射能がけがれのようにとらえられたのではないか。今回の件は科学の問題ではなく、文化の問題となっている。解決も文化的に行うべきで、犠牲者への追悼のセレモニーをやった方がいい」と提案する。【根本毅、須田桃子】

みさお物語「復興支援 薪+α」
http://blogs.yahoo.co.jp/mmh330hmm/63927010.html


内部被曝に「甘い」のは村人なら当たり前ですが、薪は何本もありまして、みんな表皮を剥かなければなりません。そうするとセシウム満点の表皮だけが何キロもそこに積み上がっているわけで、それをどう処理していいのか誰にも分かりません。いや、分かります。丹羽太貫さんが全部食べれば良いのです。決まってるじゃないですか。

「送り火」は「神事」ですかそうですか。安斎育郎さんは専門外のよく知らない「文化」なんぞのことに口を突っ込まない方が「科学者」としての知への謙遜が伺われて好感が持てるところです。「科学者」であればですが。何だかわかりませんが。「民」からいくら貰っているか知りませんが、しかし、こういう傲慢で馬鹿っぽい言い方が今後「価額者」間で流行するかも知れません。
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2011年08月12日

「民自公路線」か否かが争点だ

首相「退陣3条件」整う、28日代表選へ調整


 民主、自民、公明3党の政調会長は11日、国会内で会談し、菅首相(民主党代表)が成立を退陣条件とする再生可能エネルギー特別措置法案の修正で合意した。

 もう一つの条件である特例公債法案は11日の衆院本会議で民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決された。両法案は26日までに成立する見通しで、今国会中に「退陣3条件」が整うことが確実となった。首相は両法案成立後、速やかに退陣を正式表明する方向だ。民主党執行部は31日までの会期内の新政権発足を目指し、28日の党代表選実施を軸に調整を進める方針で、代表選に向けた党内の動きも本格化している。

 篠原孝農林水産副大臣は11日の記者会見で、鹿野農相が出馬すれば支持する考えを表明した。増子輝彦元経済産業副大臣ら鹿野氏を推す議員は12日、緊急の会合を開き、鹿野氏に出馬要請することを決める考えだ。党内の各グループも11日、相次いで会合を開き、結束固めを進めた。

2011年8月12日 讀賣新聞


この「修正」たるや自民党の習性に従ったもので、買い取り価格を成る可く低額に抑制することと、電力を大量に消費する業種には電気料の値上げ分のほとんどを減額し、そのぶんはどうやら電力会社に税金を差し上げるらしい、という大変に立派なもので、電力会社様に御迷惑をおかけすることのないように配慮されたもののようです。

僕が菅さんだったらこんなだらしのない法案を持って来た奴は怒鳴りつけて、こんなんじゃ辞められねえな、と言うところですが、菅さんの場合はもともと「退陣」するのかどうかよく分からないんですから何を言ったところであまり迫力はありません。

もっとも、「退陣3条件」というのは菅さんのクビと引き換え、という意味だったはずですが、自公はその他に「条件」を挙げてそれを飲ませようとしています。それは連中の言ういわゆる「バラマキ4k」という、民主党マニフェストの一部撤回がそれですが、政権の基本政策は一代表の去就よりも優先度が上であることから、「退陣3条件」はもはや「退陣」のための「条件」であることを止めていると言ってもいいでしょう。

とはいえ実際には民主党の現執行部自身がマニフェストを撤回したくて仕方がない人たちですから、みっともないことに野党に頼み込んで特に「条件」を出してもらった、ということが無かったとも思えません。この場合は「条件」どころか、自公は民主党に恩を売った、というつもりでいるかも知れません。

考えてみれば菅さんにとってもマニフェストの「見直し」は、法案成立のために身を切るような思いで行なわれるようなものではなく、むしろ大変に好都合な話であり、一種の「前進」であると考えられます。そんなことでは民主党は何も失いません。何かをふんだくられたのはお人よしの有権者のほうです。菅さんが「退陣」に「追い込まれた」としても、自公が民主に勝ったわけではありません。負けたのは馬鹿な国民なのです。

そこでナベツネさんは極めて正しい、ということになります。ただしどっかの党の「党代表選」ではなくて、広く日本に住む人一般にとっての話ですが。すなわち

民自公路線か否かが「争点」だ(2011年8月12日 讀賣社説)


「争点」なのであって、「民自公路線」の他に選択肢がないわけではありません。社説の中では「民主党が時計の針を戻すような代表を選」ぶという可能性についても言及しており、それはそれで一つの望ましい可能性ではあります。もちろん、「民自公」に対してまるごと「否」を突きつけるのもアリです。その場合には解散総選挙が行なわれることが正しい、菅さん「退陣」するな、ということになるでしょう。頑張れ菅直人っと。
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2011年08月10日

木片の音楽

一転して「まき散らす」ことになった京都の夏、緊張の夏、日本の夏。

近事片々:いたたまれぬ一事…


 いたたまれぬ一事。

 希望の象徴、陸前高田の松。震災遺族の祈りや伝言を記したまきを京都「五山送り火」の大文字に使用予定中止に。放射性物質の心配→検査→「問題なし」、しかし「それでも」と。

 私たちメディアも何を報じてきたのか。木片が問う。

    ◇    ◇

 私たちは何か大事な物を忘れていないか。忘れ物。「母さん、僕のあの帽子……」。ジョー山中さんの訃報に「人間の証明」のキーワードを思いおこす。

    ◇    ◇

 いよっ、大統領、とかかる声はありやなしや、憂国のゴルバチョフ節久々に。

    ◇    ◇

 <風鈴の鳴らねば淋し鳴れば憂し> 赤星水竹居(すいちくきょ)

2011年8月8日 毎日新聞


いたたまれぬ文章ではありますが、この人は「木片」から何か質問を受けているようです。言うまでもありませんが、「木片」というものは滅多に人に向かって何かを問いかけたり、主張したりしないものです。「それでも」と言うのであれば、むしろ「問われた人」の方に問題があります。「阿片」の影響とか。

まあどうせ僕たち下々の皆さんは「木偶」どころか「木片」ですよどうせ。てめえら「メディア」が「何を報じてきたのか」というと、例えばこんな「専門家」の御言葉でございます。

被災地の松、「送り火」使用断念…専門家は批判


 東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪を、「京都五山送り火」(16日)で燃やす計画について、大文字保存会(京都市)は断念することを決めた。

 保存会と京都市が行った薪の検査では放射性セシウムは検出されなかったが、放射能汚染を懸念する意見が相次いだためだという。
 送り火は、故人の名前などを書いた護摩木を燃やす、お盆の伝統行事。今年は、被災者らが薪に犠牲者の名前や復興への願いを書き込み、五山のひとつ「大文字」に奉納する計画だった。薪は計画の倍の約400本が集まったが、放射能汚染を不安視する声がインターネット掲示板や京都市などに寄せられ、保存会内でも「見送るべきだ」との意見があったという。
 保存会の松原公太郎理事長は6日、陸前高田市を訪れ、経緯を説明。薪に記された願いは写真に記録し、京都で護摩木に書き写して送り火に使うことにした。薪は8日夜、陸前高田市で「迎え火」としてたき、法要をする。松原理事長は「申し訳ない。被災地の思いにできる限り応えたい」と話している。

 放射線影響に詳しい松原純子・元原子力安全委員会委員長代理の話「原発から遠く離れた岩手県陸前高田市で、幹の内部にまで放射性物質が蓄積することはなく、誇大な不安だ。根拠のない不安をもとに計画を中止することは、むしろ不安をいたずらにあおることになる」

2011年ん8月7日 讀賣新聞


松原純子さんといえば枝野さんの師匠にあたる方でありまして、「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」の本家本元です。

1都7県の空中で放射性ヨウ素など検出


 松原純子・元原子力安全委員会委員長代理は「チェルノブイリ原発事故が周辺の国や地域に及ぼした汚染レベルの1000分の1以下と言え、直ちに健康に影響を及ぼすものではないが、環境中や、野菜、牛乳などの放射能レベルを継続して観察していくことが重要だ」と話している。

2011年3月20日 讀賣新聞


てゆーか実はLNT仮説をなんとかしてやっつけようと頑張っておられるようですが、その一方では「健康に良い影響がある」仮説にも加担してみたりもするようで、例の放射線ホルミシスでおなじみ稲恭宏さんとも仕事をしていますから、健康に影響があるのかないのかよく分からないわけですが、要するに原発による健康被害を否定出来ればどっちでも良いようです。

「木片」はこんな「専門家」の有り難いお話を頂いていますから、今更セシウムが検出されていないとか聞かされても眉が唾でベトベトであります。少し汚いようですが、その「検査」ってのはどこがやったのか、「メディア」はなかなか教えてくれないようです。

まあみんなどうせ「木片」ですから、しょうがない喰っちゃってるようですが、「検出されず」というような「検査結果」を誰も信用していません。「メディア」もそのことはよく御存知ですので、最近では「風評被害」に加えて「いわれなき差別」を糾弾する方向で、「専門家」様の御託宣を信仰しない「木片」どもに日夜鉄槌を加えているところであります。

望ましくない事態が存在することを指摘すること、あるいはある出来事が望ましくないことであると言うことは、そのような事態に見舞われ出来事に遭遇した人を「差別」することとは違うようですが、「木片」は価値判断と人格評価を混同しがちであります。つまり犯罪を犯した人は「悪人」であって、もう根っからどうしようもない反価値の物質化だからその存在を否定するしかない、という風に思ってしまうようなのです。

そう考えると死刑を容認するような人々は、「差別」をも行なうに違いないことになりますが、それ故に「差別」が行なわれる構造そのものを保存しつつ「差別」が行なわれないようにするのが政府の方針となります。したがって「望ましくない事態は何も起こっていない」という「専門家」の御言葉がどうしても必要である、という望ましくない事態が存在するのです。世界の皆さん日本人を差別しないで下さい。
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2011年08月08日

シネマ見ましょか お茶のみましょか いっそ人類やめましょか

あの吉本隆明さんがまた何か言っているみたいなんですが、誰も見向きもしないので

−事故によって原発廃絶論が出ているか。

「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬いものを透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いに安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。


だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防禦装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」

2011年8月5日 日本経済新聞「8・15からの眼差し3 震災5ヶ月」


「戦後最大の思想家」の言うことですからアテにはなりませんが、吉本さんはチェルノブイリの時分も同じようなことを言っていたわけですから今更誰も見向きもしないのは当たり前なのでした。特筆すべきは日経記者さんの記憶力であると言うべきでしょう。もっとも、「日経を読むような連中」には「吉本隆明」のセリフが影響力を持つだろう、という判断が妥当であったかどうかはわかりません。

最近色々な人が死ぬので、お年寄りが元気でいることが分かるのは何よりなんですが、考えてみれば人が死ぬのは年中しょっちゅうのことですから気にするには及びません。もっとも、いくらお年寄りとはいえ「老化」に起因する問題とそうでないものには区別が必要です。

吉本さんは何か誤解している、というのは東工大出身の人にしては致命的なことかも知れませんが、「原発」というものがどうやら「原理的」には「放射線」で「発電」をしていると思っているらしいからなんですが、もしそうだとしたらこれは大変な「科学」の「発達」であります。

たぶん「ドラえもん」の中に装備されている「原子炉」も、この「吉本型原子炉」の一種であると思われます。どう考えても「ドラえもん」の筐体の中で蒸気タービンを回しているとは思えませんし、現代の「原子炉」と同様のものが中に入っているとすると、冷却水の供給と排水の関係からして「ドラえもん」は野比家のトイレから出ることが出来ません。

未来の技術的達成がトイレを占領していて、その代わり色々な相談に乗ってくれる、というのも、それはそれで面白いかも知れませんが、実際には「ドラえもん」はそこらを自由に歩き回ったり、空を飛んだりしています。これはその「原子炉」がタービンを回すための蒸気を作るためのものではないということを示しています。おそらく、そこでは放射性物質から出るエネルギー、と言ってもやっぱりそれは熱ですが、この熱が何の媒介もなく「ドラえもん」のメカニズムを駆動しているか、放射線として放出されている電子が直接に電子回路を動かしているに違いありません。

これこそ「吉本型原子炉」であり、現在すでに「発達してしまった科学」の到達点なのです。残念なのはこの「科学」が誰にも知られていないということでしょう。「ドラえもん」や冷蔵庫や洗濯機がそれぞれ小さな「原子炉」を内蔵して稼働することが出来るのです。巨大な発電所や長大な送電線はもはや必要ではありません。現在の「科学」は、吉本さんによれば、そのようなところまで来ています。しかしながら今日一般的に知られている「原子炉」というのは、蒸気機関のためのボイラーでしかありません。

吉本さんはスチームパンクなのかも知れませんが、実際の原発はそれを止めると「後戻り」になるほどのものではありません。蒸気機関です。外部燃料は薪でも何でもいいんですが、その一つに過ぎません。原発の蒸気機関としての新しさはレシプロ型機関に対してタービン型の方が新しい、という点にあるのかも知れませんが、大したことではないようです。すなわち原発というのは吉本さんの言う「科学的には少しの思いつきを追ったに過ぎないと思えることが莫大な富の権力にむすびつきうるという事態」に他なりません。

むしろ吉本さんの「知性」の「鋭さ」というものがあるとすれば、それは「科学」を「覚醒剤」に喩えてみせたところに存在するでしょう。「科学」は、時として文字通り「確実に人間を破壊します」。大量被曝した人体がどのように破壊されるか、覚醒剤キャンペーンのイメージがそれを先行して提示していたのは偶然ではありません。もっとも吉本さんのは、実際には「原発をやめる」と「人類をやめる」ことになるというギロンになっていますから本当は逆なんですが、頭に浮かんだイメージの関係の絶対性を見間違えただけかも知れませんし、不注意な読解と誤解に救われる、というのは全くもってありがちなことなんですから気にしないことが大切です。
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2011年08月06日

ヒロシマに原発を!

被曝者の低年齢化が叫ばれる狂このごの、

広島、6日原爆の日 核の平和利用疑問訴え


 広島は6日、被爆から66年の「原爆の日」を迎え、広島市中区の爆心地に近い平和記念公園で午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれる。東京電力福島第1原発の事故を受け、松井一実市長は平和宣言で「早急なエネルギー政策の見直し」を政府に求め、初めて核の平和利用に疑問を投げかける。

 被爆者や遺族らは犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓う。「脱原発」を表明した菅直人首相も参列、原子力政策にどんなメッセージを発するか注目される。

 原発事故を受け、松井市長は「原発に対する国民の信頼が失われた」と指摘。被爆者で反核哲学者の故森滝市郎氏の「核と人類は共存できない」という言葉を引用して、「脱原発を主張する人々がいる」と言及する。同時に「原子力の厳格な管理を求める人々」もいると併記し、原発の是非については「国の政策だ」という主張から賛否を明示しない。

 初めての被爆2世の市長として今年4月に就任した松井市長は、高齢化する被爆者の体験の継承を重視。体験談を初めて公募し、被爆者や有識者を迎えた委員会の意見も踏まえ、被爆者2人の言葉を平和宣言に盛り込んだ。原爆の悲惨さと核兵器廃絶に向けた思いを強く訴える。

 式典には、過去最多だった昨年の74カ国を下回る66カ国の代表が出席。昨年参列した国連の潘基文(バン・キムン)事務総長と米国のルース駐日大使は欠席し、それぞれ代理の出席者が参列する。

 長崎も含めた被爆者は今年3月現在、21万9410人で昨年より約8千人減少。広島市内に住む被爆者6万8886人の平均年齢は77歳で、昨年より0.7歳上がり高齢化が進んだ。

2011年8月5日 共同


「国の政策だ」から「賛否を明示しない」というのは、これはまた単なる言い訳にしても最悪の言い訳を用意して来たものです。「国の政策」には「賛否」を言ってはいけないんだそうですが、今どきどんな偏屈ジジイでもそんな事は言いません。石原さんですら「国の政策」を「否定」して「核武装」を主張する「勇気」を持っているようです。ヒロシマは石原以下に転落しました。右にふらつかず左によろけず、中央突破のメルトダウンを演じたと言って良いでしょう。

まあ、色々あるんで、世の中には核禁会議なんていうものもウィキペディアによれば「反核・平和運動団体」なんだそうですから世界は広く宇宙は人知では計り知れません。原水協も「あらためてすべての原発の点検にただちに着手するよう」という、「あらためて」「すべての」「ただちに」という勇ましい修飾語を除けば単に「原発の点検をしましょう」といういささか軟弱に過ぎる主張を「強く要求」してみたりするだけです。もっとも、「点検」に「ただちに着手」し、そしていつまでたっても「点検」が終わらないのであればそれはそれで面白いかも知れませんが。

そういう中で何故か『朝日新聞』が比較的明快なことを書いていたりします。

原爆投下と原発事故−核との共存から決別へ


 人類は核と共存できるか。
 広島に原爆が投下されて66年の夏、私たちは改めてこの重く難しい問いに向き合っている。
 被爆体験をもとに核兵器廃絶を世界に訴えながら、核の平和利用を推し進める−−。
 核を善悪に使い分けて、日本は半世紀の間、原子力発電所の建設に邁進(まいしん)してきた。そして福島第一原発で制御不能の事態に陥り、とてつもない被曝(ひばく)事故を起こしてしまった。

(長いので中略)

 核エネルギーは20世紀の科学の発達を象徴する存在である。
 私たちは、一度に大量の人間を殺害し、長期にわたって被爆者を苦しめてきた核兵器の廃絶を繰り返し訴えてきた。
 世界各国に広がった原発も、同じ燃料と技術を使い、危険を内包する。ひとたび制御を失えば、人間社会と環境を脅かし続ける。その安全性のもろさが明白になった以上、原発から脱却する道も同時に考えていかなければならない。
 世界には推定で約2万3千発の核弾頭がある。原発の原子炉の数は約440基だ。
 道のりは長く、平坦(へいたん)ではないだろう。核被害の歴史と現在に向き合う日本が、核兵器廃絶を訴えるだけではなく、原発の安全性を徹底検証し、将来的にゼロにしていく道を模索する。それは広島、長崎の犠牲者や福島の被災者、そして次の世代に対する私たちの責任である。
 核との共存ではなく、決別への一歩を先頭を切って踏み出すことが、ヒバクの体験を重ねた日本の針路だと考える。

2011年8月6日 朝日新聞社説


もっとも、原発を「将来的にゼロにしていく」「長い道のり」を「模索する」という大変にのんびりした話でありまして、何百年かかるか分からない話ですが、それでも半減期よりも短いというのがこの分野の強みといえば強みです。人間的な時間スケールは通用しないのです。一方その頃我等が『産經新聞』も極めて明白な立場を表明しているでしょう。

エネルギー政策 世界一安全な原発めざせ 今のままでは最貧国に転落だ


(間違っているので前略)

「原発」と「原爆」を結びつけ、国民の忌避感や不安感をあおる行為も禁物だ。まして、一国の最高責任者が行うべきことではない。あらかじめくぎを刺しておきたい。

(イイカゲンなので後略)

2011年8月6日 産經新聞「主張」


やたらと「くぎを刺しておき」たがる人ですが、良い鉄は釘にならない、まともな人間は兵隊にならないそうです。もっとも良いウランも悪いウランも放射能を持っていることに変わりはありません。したがって「原発」と「原爆」とが「結びつ」かないという言い分は世にも珍にして奇なるものです。原爆の製造過程でついでにお湯を沸かしてみたのが原発ですが、見方を変えれば「原発」とは「原爆」の遅いやつのことだと言ってしまっていいでしょう。そしてもしかすると『毎日新聞』は『産經新聞』の遅いやつなのかも知れません。

社説:原爆の日 経験を原発にも生かせ


(くだくだしければ前略)

 運動は一枚岩ではない。「平和運動と日本のエネルギー政策にからむ原発の是非は分けて考えるべきだ」という主張があるのも事実だ。
 すさまじい破壊力で一瞬にして大量の放射線を放出した原爆と、低線量の放射性物質の影響が広範囲で続く原発事故の違いは大きい。だが、人々が放射線被ばくによる不安に長年苦しめられる点は共通する。
 原発事故の場合、低線量被ばくの影響に未解明の部分があることが不安を大きくしている。原爆との違いも考慮したうえで、広島と長崎の被爆者を対象に放射線の影響を調査している放射線影響研究所など、専門研究機関が蓄積してきた専門知識やチェルノブイリ事故の経験を住民の健康管理に積極的に活用したい。
 核兵器と原発はこれまで切り離して考えられてきた。近年は原子力に対する「安全神話」も浸透していた。しかし、福島の事故は原発の危険性に改めて目を向けさせた。唯一の被爆国としての経験を原発対策にも生かしながら、従来にも増して核廃絶のメッセージを発信し続けるのが私たちの責務である。

2011年8月6日 毎日新聞社説


「「平和運動と日本のエネルギー政策にからむ原発の是非は分けて考えるべきだ」という主張」を紹介することにはあまり意味はありませんが、結論にはもっと意味がありません。「唯一の被爆国としての経験を原発対策にも生か」すというのは、「広島と長崎の被爆者を対象に放射線の影響を調査している放射線影響研究所など、専門研究機関が蓄積してきた専門知識」を「住民の健康管理に積極的に活用」することでしかありませんので注意が必要です。したがって「核廃絶のメッセージ」というのも何のことやら分かりませんが、「原爆との違い」を強調する以上は「「平和運動と日本のエネルギー政策にからむ原発の是非は分けて考えるべきだ」という主張」は『毎日新聞』自身のそれとほとんど同じであると言って良いでしょう。

こういう人たちは「平和」が「国の政策」にからんでくると「分けて考える」に違いありません。つまり政府が戦争を始めるとそれについての「是非」は論じないことになるでしょう。「平和運動」も国が認めている間、国に許される範囲でのことで、本当にそれが必要なときにはそれは存在しません。夏の間だけ借りて来たストーブのようなもので、最初からないのと同じこと、いやむしろ邪魔なので山林等に不法投棄されてしまいます。

そこで「国の政策」に対して「賛否」を言い表さない平和記念公園には「平和運動」も「反核運動」も存在しません。それは「運動」ではないからです。ことによるとそれは一種の「スポーツ」のようなものでしょう。日本語では同じような意味に使いますが、本来の意味は思いっきり違います。しかしあるいは一部に「運動」の存在が認められうるのかも知れませんが、TVの中継には映らないことになっていますので、もっとも僕んちは地デジ未対応で、そしていつまでたっても未対応であればそれはそれで面白いかも知れませんが。
posted by 珍風 at 07:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月05日

何でも出て来るジュークボックス

「六重苦」にあえぐ自動車産業 トヨタ専務「労働規制が厳しすぎる」


いま日本の製造業は「六重苦」にある――。最近、自動車業界などでよく言われる言葉だ。円高や高い法人税、自由貿易協定(FTA)への対応の遅れ、製造業への派遣禁止などの労働規制、温室効果ガスの原因とされるCO2の25%削減。そして、東日本大震災後の電力不足の6つで「六重苦」だ。

その一つ、労働規制について、2011年8月2日に開かれたトヨタ自動車の11年第1四半期決算の発表会見で伊地知隆彦専務が、「いまの労働行政では、若い人たちに十分働いてもらうことができなくなっている」と。

ヒュンダイは年間労働時間が1000時間多い

伊地知専務によれば、期間従業員の雇用が難しくなっている。

震災による部品の供給不足が解消し、トヨタをはじめ自動車業界は一斉に増産体制に入った。トヨタは今後、休日出勤や残業の実施、7月からは3000〜4000人の期間従業員の確保に乗り出した。「いまのところ確保できているようだが…」(伊地知専務)

期間従業員の日給もこれまで9000円台だったが、1万円台になったところもあり、「総合的にみて、若干採りにくくなっている」と心配する。トヨタは、今年度の生産台数を6月時点の計画から33万台上乗せして772万台に修正したが、今後は部品の供給や設備能力に不安はないものの、「人員の制約」によって生産が鈍る可能性があるとみている。

8月3日付のレスポンス自動車ニュースによると、伊地知専務のこんな危惧も紹介した。「若い人たちが時間を気にしないで働いてもらう制度を入れてもらえないと、日本のモノづくりは10年後とんでもないことになるのではないかと思う」。

伊地知専務によると、韓国のヒュンダイとトヨタの技術者を比べた場合、個人差はあるものの、年間労働時間が1000時間も多いという。10年で1万時間。この差が技術力の差につながってくるとみている。

いまの若者が働かないというのではない。「労働規制が厳しすぎる」と指摘していて、日本の技術力を守るためには労働規制の緩和が必要と示唆したのだ。

日本が勝つためには「圧倒的な技術力をつけるしかない」

「すでに(ヒュンダイに)コスト競争力では負けている」。決算説明会で、伊地知専務はこう漏らした。ヒュンダイとの労働コストをドルベースで比べると、日本はヒュンダイの2倍かかっていて、「クルマの原価の差は労働コストの差だ」という。

ただ、そうした中で日本が勝っていくためには、「圧倒的な技術力をつけるしかない。そのためには、日本の車両開発技術と生産技術開発をクルマの両輪でやっていくしかなく、日本はその生産基盤をもっている」と説明。これが真意だと語った。

もちろん、トヨタをここまで追い詰めたのは「円高」だ。トヨタは「輸入部品に手をつけざるを得ない」とも話し、国内の生産部品を使っていくことは限界に達していることも示唆した。

2011年8月4日 J-CASTニュース


「日本のモノづくり」はすでに「とんでもないこと」になっているようですから伊地知さんは心配するには及びません。日本の自動車メーカーでは期間工の確保に大変な苦労をしているご様子です。

これは労働者派遣事業者を利用しているうちに人事部門が退化したんでしょう。チンポでも何でも使っていないとダメになっていくものです。今の大企業の「若い人」は電話1本で労働者を調達出来ることに慣れているのかも知れませんから、当分の間は「人員の制約」が存在すると思われますが、そうであれば、それは社内的な問題であって、「六重苦」なんて言っている場合ではありません。

もちろん、企業には労働は「より安くより長く」という「希望」があるでしょう。気持ちは分かります。てゆーか企業としてはこれは当たり前のことで、そんなことはいわれなくてもみんな知っているのです。だから「労働規制」というものが存在するわけです。世の中の人々は企業は規制が存在しなくても労働者の生活や健康に配慮した労務管理を行なうことが出来る、などとは露程も思っていません。

それどころか目先の利益しか考える余裕のない容量の少ない脳味噌しか持たないワリには厚かましくてわがままで何でも他人のせいにするバカだと思われているのです。どうして「労働コスト」が市場の購買力となって帰ってこないのか、考えてみる必要がありますが、無理です。

したがって伊地知さんの発言は、残念ながら相変わらずバカであることの証左となっているわけですから、今後も引き続き、より一層の「労働規制」が必要であることを示唆しています。伊地知さんやなんかに任せていると日本の社会は「10年後とんでもないことになる」のは明らかです。

そこで日本の製造業には「七重苦」が存在します。円が安くなって法人税がゼロになり、世界中と自由貿易をして労働法制が撤廃され二酸化炭素をいくら出しても大丈夫で電力が潤沢にあろうとも、「死んでも治らない」問題を抱えているのですから、何かが上手くいかなければきっとまた新たな「苦」をどこかから見つけてくるに違いありません。そのうち海外に出て行ってくれるという話も耳にしますが、アチラにはどんないい事があるのか、どんな「苦」が転がっているのか、まだ見ぬ異国への期待と不安は膨らむばかりでありましょう。
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2011年08月01日

武器用ですから

原発への攻撃、極秘に被害予測 1984年に外務省


 外務省が1984年、日本国内の原発が攻撃を受けた場合の被害予測を極秘に研究していたことがわかった。原子炉や格納容器が破壊された場合に加え、東京電力福島第一原発の事故と同じ全電源喪失も想定。大量の放射性物質が流出して最大1万8千人が急性死亡するという報告書を作成したが、反原発運動の拡大を恐れて公表しなかった。

 欧米諸国は原発テロを想定した研究や訓練を実施しているが、日本政府による原発攻撃シナリオの研究が判明したのは初めて。

 81年にイスラエルがイラクの研究用原子炉施設を爆撃した事件を受け、外務省が財団法人日本国際問題研究所(当時の理事長・中川融元国連大使)に想定される原発への攻撃や被害予測の研究を委託。84年2月にまとめたB5判63ページの報告書を朝日新聞が入手した。

2011年7月31日 asahi.com


こんなことは誰にでも思いつきそうなことで、実際にそのような攻撃が行なわれなかったのが不思議なくらいです。どうして某国は目の前に並んでいる原子炉に見向きもしないで自前の核兵器を作ろうなどという無駄なことをやっているのでしょうか。日本は海岸線に原子炉を並べてくれているんですから、通常兵器で核攻撃が可能なのです。

外務省の想定では、(1)送電線と設備の破壊による「全電源喪失」、(2)爆撃による「格納容器破壊」、(3)弾道ミサイル等による「原子炉直接破壊」という3つのシナリオが考えられていて、被害予測がされたのは(2)だけのようです。(1)については被害予測がされたのかどうか不明なのですが、現在福島でやっているところですから今更「予測」でもなかったりします。

そんでもって(2)の場合に緊急避難がなされなかったときに「急性死亡」が最大18,000人、「急性障害」が41,000人。18km圏内の住民を5時間以内に避難させた場合「急性死亡」が8,200人、「急性障害」が33,000人とされています。「長期的影響」としては癌死亡24,000人であり、37km圏内が居住制限地域となる、とされています。

(1)と(2)違いはメルトダウンに至る時間の違いだけなので、「長期的影響」については(1)と(2)に違いがないかも知れません。つまり現在進行中の(1)において、2万4千人の癌死亡が予想されており、37km圏内の居住が制限されるであろうと考えることができるのです。

(3)の場合は爆発的な反応が起こる可能性もあり、原子炉がたくさん集まっていればそれが全部爆発する可能性もありますが、おそらく「何が起こるか分からないがロクなことは起こらない」とでも思ったんでしょう。被害予測は書いてなかったようですし、対処出来ない被害は予測する意味がなかったりもします。

ところでこのリポートが公表されなかったのが「反原発運動の拡大を恐れ」たためである、というのは誰が言ったことなのかよくわかりません。まあ当時「反核運動」というものがあったわけですが、それだけが理由であるとするのは極めて甘い考え方であるといえるでしょう。今日から見ると、これには軍事機密としての大きな意味があります。要するに「原発」は「兵器」なのです。

もちろんそれは敵にとっての兵器でもありますが、敵国の原発はこちらにとっての兵器となりうるのです。このことから、敵国の原発は多ければ多いほど良く、自国の原発は少なければ少ないほど良いことになりますが、他国の原発を増やすためにそれを「輸出」することがひとつの方法です。日本政府は現在そのために多くの努力を傾注しているわけですが、これはその国の喉元に匕首を突きつけるようなものです。なんといっても自分で設計した原子炉ほど攻撃しやすいものはありません。

なるべくだったら「原発が攻撃を受けた場合の被害予測」をやっているような国の原子炉は買いたくないものです。原子炉は攻撃されるものだと思っている人は、他人の原子炉は攻撃するものだと思っているに決まっています。たとえばそういう人たちは原子炉に攻撃しやすいようなバックドアを内緒で設定しているかもしれないではないですか。したがって「原発」を「国家防衛」的に輸出しようとする場合、それは「平和利用」であるという建前を愚直なまでに固守する態度を示すことが必要なのであり、「原発が攻撃を受ける」ことを想定すらしないような顔をしているにこしたことはありません。

しかしながら、じゃあどうして日本国内に「原発」をあんなに沢山作るのか。ここで逆に国内の「原発」も「国防」として定義することが出来なければなりません。そもそもどうして「東京に原発を」建設しないのか。それは東京が東京を攻撃することはないからでしょう。しかし「地方」に「原発」を置くことによって、自国の一部を「切り離す」ことが可能になります。例えば「不沈空母」とはそういう意味だったのかも知れません。浸水が起こったとき、船体の一部を放棄することによってバランスをとって転覆を防ぐ、みたいな発想なのかも知れません。

あるいは被占領地域の「原発」を攻撃してしまう、というくらいのことは本当に考えているとみて差し支えないでしょう。攻撃された所は頑張って守らないと、お国のために死んで貰います。不器用ですから。
posted by 珍風 at 22:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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