2011年08月14日

鎮護平定隠蔽護摩化し

『毎日新聞』では慣れない宗教のお話で冷や汗をかいた安斎育郎さんでしたが、13日の『讀賣新聞』関西版の記事によれば、彼は松の皮の処理に参加する意向はないようであります。

専門家は「健康には問題ない」

 今回、薪の表皮から検出された放射性セシウムの数値は、コメや肉などの暫定規制値(1キロ・グラムあたり500ベクレル)の約2倍だが、専門家は、送り火への使用に関して、安全面では全く問題がないと指摘する。安斎育郎・立命館大名誉教授(放射線防護学)は「食品などの規制値は、食べ続けた場合に体内に蓄積する放射性物質の影響を想定している。木に触ったり、燃やして拡散した灰を吸い込んだりしたとしても、影響は計算する気にもならないほど低いレベル。京都市は、風評被害を広めないよう、健康に問題ないレベルであることを正しく情報発信すべきだ」とする。

 陸前高田市は東京電力福島第一原子力発電所から約200キロ離れているが、安斎名誉教授によると、樹木の表面だけなら、風向きによって1000ベクレルを超える放射性セシウムが付着することは十分あり得るという。

風評被害鎮める機会逃した

 岩手県花巻市で育った京都市在住の宗教学者、山折哲雄さん(80)の話「昨日、花巻に行ってきたが、現地の人は京都の態度に非常に怒っていた。今回、薪の使用を中止したことで、風評被害を鎮める絶好のチャンスを逃した。京都の歴史に残る汚点で、非常に情けない。お盆に送り火を行うという意味を、もう一度考え直すべきだ」

2011年8月13日 讀賣新聞


わざわざ「表面だけなら」と断った上で「燃やして拡散した灰」を云々しているところを見ると、安斎さんやっぱり「薪」は「皮ごと」燃やすもんだと思ってたようです。まあ「神事」と「仏事」の区別がつかないのに「けがれ」がどうしたとか「文化の問題」を論じるくらいですから、そのくらいの間違いは京都名産というべきでしょう。

ここでその道のプロの登場でありますが、「お盆に送り火を行うという意味」は「風評被害を鎮める」ことだったそうです。他ならぬ山折哲雄さんがおっしゃることですから、よもや間違いはありますまい。お盆の送り火は「風評被害」を鎮めるために行なわれるのです。これが日本宗教学の権威の堂々たる御説であります。

ところで去年の送り火はどのような「風評被害を鎮める」ためにやっていたのか、是非聞いてみたいものですが、僕には何も考えつきません。おそらくその「風評被害」は完全に鎮圧されたので、誰の記憶にも残っていないのです。全くもってそうに違いありません。記憶まで消去するとは、送り火恐るべしであります。

もっとも今度は山折さんがやはり専門外のことを何の根拠も無く「風評」などと断言しているわけですが、それどころか山折さん、こういう問題は「専門外」どころかまるっきり全然なんにも分かりませんし、分かる必要も認めていません。

素粒子というものは科学的には証明できるかもしれない。けれども私はどうしても実感としてそういうものの存在を感じられない。魂というものは、これは科学的にはまったく証明できないかもしれない。しかし実感として強く感じることができる。


これが山折さんの言葉として方々に引用されているわけですが、何を言っているのかサッパリ分かりません。こんなことで「魂」が存在するんだ、ということになると、逆に「素粒子」は存在しないことになってしまいます。山折さんはそれでいいかも知れません。「素粒子」が存在しないのであれば核分裂などということも考えられませんし、放射性物質などというものが世の中にある、という話そのものが「風評」に他ならない、ということになるでしょう。

つまり山折さんにとっては近代科学的知そのものが「風評」なのであって、お盆のたびに送り火によってその鎮圧が図られているところです。去年の送り火も一昨年の送り火も、その「意味」はそこにあったのです。ちっとも知りませんでした。山折さんの学識の深さには敬服の至りであります。

もっとも、例の松の木にとってそのような「お盆に送り火を行うという意味」についての無意味な思いつきはどうでもいいことで、そのような「無意味」を置き去りにして今度は別方面に向かうことになりました。

陸前高田市の松の木 新勝寺へ


津波で倒された岩手県陸前高田市の松の木が、震災で亡くなった人たちの供養のために、千葉県にある成田山新勝寺に送られ、9月に護摩の木と一緒にたかれることになりました。

陸前高田市の国の名勝「高田松原」では、およそ7万本あった松が津波で1本を残してなぎ倒されました。震災で亡くなった人たちの供養にと、8月はじめに成田山新勝寺から提案を受け、陸前高田市の金剛寺が倒れた松の木の一部を送ることになりました。高田松原の松を巡っては、8月16日に京都市で行われる送り火で、燃やすことが計画されていましたが、陸前高田市から取り寄せたまきを検査した結果、皮の部分から放射性セシウムが検出されたとして、京都市が送り火の保存会と協議し、計画を断念したと8月12日に発表しています。これについて、新勝寺は、陸前高田市から発送する前に、松の皮を削れば心配はないとして、予定どおり9月に護摩の木と一緒にたくことになりました。金剛寺の小林信雄住職は「本当にありがたいです。震災で亡くなった人の供養はもちろん、生き残った人たちの心の癒やしにもなると思います」と話しています。

2011年8月14日 NHK


ここに至って僕としては山折さんの所説を見直さざるを得ません。「お盆」には「近代的知の抑圧」という「意味」がある、という話になると大変に奇異な説に見えるかも知れませんが、「お盆」でも「おたき上げ」でも何でも、宗教行事には「人民の蒙昧化」という「意味」がある、と言ってみれば比較的マトモなお説に見えて来ます。

もっともお坊さん自身が「蒙昧化」の先頭を切って走っていては困るようですが、最近では宗教以外の形態では愚行は不可能なのです。いや、そうとは限らないような気もしますが、安斎さんが「樹木の表面だけなら」と言っているのは立って生えている樹木の場合の話です。

セシウムが松の皮を通り越して「幹の内部に蓄積」するのは難しいかも知れませんが、なぎ倒されて断面に「幹の内部」を晒している場合にはその限りではありません。したがって「発送する前に、松の皮を削れば心配はない」などというのは坊主にありがちなタワゴトであって、被曝した松の木が二手に分かれて放射性微粒子を散布し、拡散することになります。

どうかひとつ、その一皮むけて大人になった松を検査してもらいたいもので、坊主同士の相談に任せているわけにはいきません。今度は「成田山新勝寺から提案」したということになっていますが、各地の坊主共の怪しい動きにどんな「意味」があるのか、これは科学的に証明出来ないかも知れませんが、実感として感じることもなかなか難しいようであります。


posted by 珍風 at 20:58| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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