2011年11月29日

ぐるぐる環状線山手線

大阪敗因「既成政党の閉塞感」=民主・輿石氏


 民主党の輿石東幹事長は28日の記者会見で、大阪府知事と大阪市長のダブル選挙で自民党とともに支援した候補が敗れたことについて、「既成政党への閉塞(へいそく)感というか、日本も世界的にも不況だから、閉塞感を何とかしてくれという気持ちの表れだ」と、敗因を分析した。

 ダブル選を勝利した地域政党「大阪維新の会」が掲げる「大阪都」構想への対応に関しては、「(協力の)要請があった時点で党としてどうするか検討していけばいい」と述べるにとどめた。敗北の影響については「国政にそのまま即影響してくるとも思えない」と語った。

2011年11月28日 時事


「閉塞感」なんだそうです。「閉塞感を何とかしてくれ」ということであるとのことでありますが、どうもよく分かりません。一体何が「閉塞」しているのだ肺か腸か。だいたい「閉塞感」をもたらしているものがはっきりと意識されているのであれば、それは「閉塞感」というよりは「反感」というべきでしょう。投票行動に即してみればそれは「不支持」であり、有権者が自民党や民主党に投票したくなかったから橋下さんたちが当選した、という説明は可能です。

もっとも、投票は義務ではありませんから無理にどこかに票を入れなければならないわけではありません。そこで、どうしてまた大阪維新の会なんかに票が集まるのかということが問題になって来るわけで、その時になれば「閉塞感」を持ち出して来るのも良いかもしれません。

ここで橋下さんたちが訴えていた「大阪都構想」なるものが選挙戦にもたらした効果を考えないといけないのですが、まず第一にこの構想自体に何の効果があるのかよく分かりません。つまり「大阪都」が出来たからといって何か良いことがあるとも思えないのです。二重行政が問題なんだったら政令指定都市を分割してしまった方が良くはないか。

もっとも政令指定都市とはいっても単に大きいだけで相変わらずひとつの自治体であり、その中の各地域に相対的自立性がない場合もあるでしょうから、分割すると言われても困るでしょう。同じ理由で大阪に「特別区」を作っても、それが構想どおり上手く機能しない可能性があることになります。

例えば東京の特別区のいくつかが「市」になりたがっているようですが、それが出来るところは良いでしょう。しかしながら逆に「市」になれない特別区もあるわけです。東京都には「区間格差」があるそうで、金持ち区とビンボー区があるようなのです。区に分かれているおかげで格差が固定される傾向があり、それは囲い込まれて切り捨てられ、やがて埼玉県に売り飛ばされて「北関東」に編入されてしまうかもしれません。

埼玉県を「北関東」と言うと怒られますが、大阪でも同じようなことが起こる可能性は高いでしょう。「ビンボー人はあっちに区分けして自分で頑張らせる」ということでしょうけど、そうやって足を引っ張っている区を切り捨てて「景気が良くなる」としても、一般の「都民」には何も回ってこないようです。

というようなことは全く関係なく橋下さんは勝利するわけですが、それはやはり「大阪都構想」が、内実はともかくとして、「何だかエラくなれそう」だからに他なりません。大阪も東京のようにエラくなれる、これが魅力的だったのです。

ここで残念ながら大阪の人たちは「東京の方がエラい」という前提を受け入れたことになるんですからもう東京に頭が上がりません。東京に来たら差別されても仕方がないのです。もっとも東京の知事は石原さんですから目糞鼻糞ですが、それはともかく、内容の無い「都」という称号に熱狂的に飛びつくという思慮のない行動が、大阪人特有のものではないことは彼等の名誉のためにも強調しておくべきでしょう。

自分の住んでいるところがエラくなったり、親戚にエラい人がいると威張ったり、自分の国が偉大だ、「国歌」「国旗」を大切にしよう、というのは同じことでありまして、自分に自信がない人のやることです。今もビンボーだし将来もビンボーな私は社会に必要とされていないのでいつ何時虫けらのように殺されてもおかしくありません。

このような感情を「閉塞感」と呼びたい人は呼べば良いわけですが、普通はもっと分かりやすく「怒り」とか言うんでしょう。ただし、「怒り」が行き場を失った場合は「閉塞感」と言っても良いようです。つまりこの場合「閉塞」しているのは「怒り」であることになります。しかし「閉塞」しっぱなしだと爆発するのでベントを行なうことになるでしょう。この場合は安全弁の設計がきわめて重要であります。

今回の選挙の結果によって、この安全弁を「右派っぽい、乱暴」な方面に開くことが有効であることが分かりましたが、別に目新しい発見でもありません。そんなことはかつての自民党でもやっていたことで、小泉さんとか安倍さんは「閉塞感」をもたらす圧力を上げ続ける一方ではそっちの方の弁を開いていたもんです。

それが当然のことながらあまり上手くいかなかったんですが、政界というのもあまり芸のない人々の集まりであるようで、現在のところ単に目先を変えて、「既成政党」を再編成して「民主党」が政権を担当してみたり「維新の会」とかが立ち上げてみたりしているんですが、連中が「閉塞感」を感じているのも、まあ無理のないことではあります。とはいっても大阪の人々がより一層の「閉塞感」に見舞われるのも間違いのないところですから覚悟しておいて下さい。
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2011年11月25日

国家底抜け脱線転覆ゲーム

国家転覆ありえた?…サリン70t、自動小銃千丁


 オウム真理教の被告189人のうち、最後に残った元幹部・遠藤誠一被告(51)に対し、最高裁が21日、死刑判決を言い渡し、一連の事件の裁判が終わった。

 これを受け、東京地検次席検事として捜査を指揮した甲斐中辰夫・元最高裁判事(71)がインタビューに応じ、早期摘発の機会を生かせなかった教訓や、教団が企てた、70トンものサリンや1000丁の自動小銃を使用する「首都制圧計画」が食い止められた経緯を、次のように語った。

 読売新聞は1995年1月1日の朝刊1面で、「山梨県上九一色村(当時)でサリン残留物を検出」というスクープ記事を掲載した。記事で前年に起きた松本サリン事件とオウム真理教との関連が初めて示唆され、教団は慌てふためいた。サリン製造プラントだった教団の施設「第7サティアン」が宗教施設であるように装うため、その一部を自らの手で取り壊し、サリンの製造は中止された。

 教団は、自分の手で製造した70トンものサリンを霞が関や皇居に空中散布して大量殺人を実行し、混乱に乗じて自動小銃を持った信者が首都を制圧するという国家転覆計画を企てていた。

 記事が出たのは、教団がまさにサリンの量産に乗り出す直前のタイミングだった。この報道によって、教団のサリン量産と国家転覆計画は頓挫したと言ってよい。読売新聞は報道の報復として、自分たちの会社にサリンをまかれる可能性もあったわけで、勇気が必要だったと思う。おかげで多くの人々の命が救われた。

 今、そんな計画を聞いても荒唐無稽な印象を受けるかもしれないが、教団は実際、サリン散布のためにヘリコプターを購入していたし、自動小銃の試作品もでき、信者らの訓練もしていた。計画が実行されていれば、三日天下くらいは取られていたかもしれない。

2011年11月22日 讀賣新聞


現在ほど国家転覆の必要性が叫ばれている時はありません。しかしよく考えてみると、転覆してしまったものは、たとえば電車なんかのことを考えてみると、それを地面に埋めてしまったり、また掘り出してみたりというような下らない用事しかありません。たぶん麻原さんだって、スクラップや「がれき」を作ろうとしたわけでもないでしょう。

どっちかと言うと、麻原さんがやりたがっていたのは電車の運転手さんなのではないでしょうか。いかにも無邪気な発想ではありますが、『電車でGO!』の開発が1年早かったら事情が違っていた可能性はあります。とはいってもフライトシミュレータ好きの人がハイジャックをした例もあるようですから何とも言えません。

しかしながらそれはつまり運転手の交代でしかありません。かなり乱暴な手段をもってするとは謂え、運転手は運転手ですから、きちんとダイヤを守って運行してくれれば乗客は誰も気がつかないかも知れません。運行そのものを変更する場合は「革命」とか呼ばれる可能性がありますが、その場合でも別段「転覆」させることを目的としていないのが普通です。

その「乱暴な手段」は「サリン70t、自動小銃千丁」というものだったようですが、実際には構想段階で頓挫したようです。サリンの製造は中止され、自動小銃については試作に終わっています。この「試作品」が実用に耐えるレベルに達していたのかどうか、アヤシイもんですが、その程度では「三日天下くらい」なんだそうです。

それはそうなんで、1000丁くらいの火器では直ぐに制圧されてしまうのは目に見えていますし、サリンの散布によって占拠地域内に生存している市民が少ないかほとんど存在しない、という状況は逆に不利なようです。十分な武装と防毒マスクによる鎮圧行動は「三日」も必要としないでしょう。

そういえば運転手の交代、てゆーか「政権交代」があったのは遠い昔のようですが、あの時はいわゆる「国家」が一種の「転覆」をしたかのように思ったものですが、実は運転手の交代に過ぎなかったようで、既定の線路をダイヤグラム通りに運行しているのは御存知の通りであります。「国家」どころか「政府」すら「転覆」していないのです。なかなかどうも、「国家転覆」というのは難しいものなのでありました。

とはいうものの、実は今現に日本は転覆しているところです。サティアンだかさらし餡だか知りませんが「サリン70t、自動小銃千丁」も原子炉には如かずでありまして、地震一発でわりと簡単に転覆するようです。これはもう運転手が誰だろうとあまり変わりはありません。運転手が自民党だったらもっと上手くやれたろうと想定する根拠はありませんが、何を上手くやるんだか分ったものではありません。むしろ隠蔽と虚偽情報の流布がより巧妙に実施され、「線量計所持罪」が新設されていた可能性ならあります。

もとより民主党も同じ線路を走る電車でGO!ですから、ノダイヌを筆頭に、小宮山さん枝野さん細野さんあたりの「てんぷくトリオ」を中心にして、「人身事故」の死体を鉄輪で切り刻みながら血飛沫上げて「政権交代」前から続く路線を驀進中なのでありますが、土台が転覆している線路ですからどこに突っ込むつもりか分かりませんです。

しかしそんなことを言ったら一番「転覆」しているのは『讀賣新聞』さんであるようです。なんたって「主筆」があの調子の人格者ですから、本当にどこかの誰かが購読しているのかどうか知れたものではありません。「国家転覆」って何の騒ぎかと思ったら、それを「讀賣新聞が阻止した」というご趣旨の自画自賛、なにしろ誰も褒めてくれないんだから仕方がないとはいえ、マスゴミ各紙のオウム関係記事中で一番みっともなかったのがこれでありまして、ただただ同情と憐憫を誘うのみなのが見苦しいものでありましたが、常日頃から見苦しいんですからもういいんですどうせ。
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2011年11月21日

低俗で幼稚で勝手でとんでもなく合理性のない不安をあおり誤っていて意図不明でお粗末で陰湿でイジメ的で不健全な少数派の意図的に偏った正確な情報

反原発の記事を中傷したエネ庁への報告 詳細判明

 
 経済産業省資源エネルギー庁(エネ庁)がメディアの原発報道を監視してきた問題で、チェックされた報道の詳細が、本紙が情報公開請求で入手した同庁資料で分かった。エネ庁は事業の趣旨を「不正確な報道の是正」と説明してきたが、事実関係が正しいかどうかにかかわらず原発の推進に反する記事が収集され、「低俗な社説」「勝手な反対派を勇気づけるだけ」などと中傷されていた。 

 資料によると、二〇〇八〜一〇年度までの三年間で新聞や週刊誌の記事計二百七十五件が「不正確」として報告された。事業は外部委託で行われ、各年度とも異なる財団法人が受注しており、いずれも電力関係者らが役員を務めている。

 報告記事は、原発に関する日々のニュースを伝える一般記事のほか、社説、読者投稿、広告まで及び、漫画も含まれていた。

 地球温暖化対策として原発推進に言及した環境相に苦言を呈した二〇〇九年九月三十日の南日本新聞の社説に対しては「このような幼稚な社説を掲載する論説委員の質が問われる」と指摘。原発反対を訴え徒歩で旅をする男性を取り上げた同年四月十四日の佐賀新聞の記事には「目立ちたがりの行動をなぜ写真入り、三段抜きで報道するのか。勝手な反対派を勇気づけるだけで、社会の大多数のための政策の推進を阻害する」と報告した。

 同年一月六日の朝日新聞に掲載された電機メーカーの広告は、太陽光発電への取り組みをPRする内容で原発に触れていないにもかかわらず「原子力の数倍の発電量を生み出せるような誤解を招く」と指摘していた。

 報告された二百七十五件の八割は、主に原発が立地する自治体をエリアとする地方紙の記事で、最多は県内に伊方原発がある愛媛新聞の二十八件。以下、柏崎刈羽原発を抱える新潟日報が二十五件、玄海原発がある佐賀新聞が二十一件と続いた。

 新聞や週刊誌を対象とした同事業は昨年度で終了しているが、本年度はブログやツイッターなどのインターネット情報に対象を変更して継続。外部委託費の総額は四年で一億三千万円に上る。エネ庁によると、これまでメディアに訂正を求めたことは一度もない。

◆あくまで検討資料
 資源エネルギー庁原子力発電立地対策・広報室の話 正確な情報の発信が必要かどうかの観点から情報を分析しており、「原発推進に反する記事の収集」との指摘は当たらない。委託先の判断により不正確と思われる情報を当庁に提供してきたものであり、あくまで当庁として正確な情報の発信を検討するための途中段階の資料だ。

◆全てエネ庁に報告
 09年度の事業を受注した日本科学技術振興財団の話 「不正確情報」は外部の原子力の専門家三〜四人に作成してもらい、職員が内容を確認した上で、全てをエネ庁に報告した。できるだけ多くの判断材料を提供した方が良いと考えたからだ。何ら間違ったことはしていない。

2011年11月20日 東京新聞


大した自信ですが、大した地震の後だけに地震を無視せずに自身を顧みる余裕の欲しいところです。まあ、今回明らかになったのは地震の前の分ですからちょっとアレですが、実際のところその「監視」と「報告」の実態たるや惨憺たる有様で、「外部の専門家」の想定外の天才ぶりが窺われるモノです。

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大丈夫なんですかね、この人たちは。「高レベル放射性廃棄物」には「特段の管理は必要ない」というのは「正確」なんでしょうか。多分「正確」なんでしょう。連中に管理する気がないのですから管理はされないのです。どうもこれは大変に不安をかき立てる「情報」ですが、「正確」なのでオッケーです。

なお、「核のごみの安全な処理、処分システム」については「技術の問題」ではないんだそうです。「管理」を放棄しているんですから「技術」がほとんど必要とされないのも当然で、「正確な情報」であると評すべきでしょう。一方テキトーに放置される廃棄物については、「住民」に猛毒を受け入れることについて「合意」させるのが「最大の課題」なのであります。もっとも、「住民」については「住民が何を判断できるのか」と思っています。自分で言っているのですからこれも「正確な情報」です。

高濃度放射性廃棄物については「管理」も「技術」も「住民の合意」も「必要」ではありません。これが「正確」な言い方です。「不正確」な表現だと「管理する技術はないし住民の合意を得られるはずもない」、となります。「不可能」を「正確」に表現すると「不必要」になることに留意して記事を書きましょう。

原子炉の「寿命はいくらでも延ばせる」というのもかなり「正確」な話で、何といっても「理論上」なんですから実際にぶっ壊れるまでの間は「正確」極まりないものです。それにしても「正確な情報」によれば、連中は原子炉の建て替えとかそういうことの必要を認めず、「理論」が実際に破綻するまではいつまでも動かすつもりのようです。いくら「理論上」のこととはいえ、やはり僕んちの近くで破綻してもらいたくない「理論」ではあります。

「核燃料サイクルにかかる費用」につては「試算できる範囲で試算されて」いるそうですから「正確」である範囲で「正確」です。すなわち「試算できない範囲」というものが認識されており、その範囲についてはもちろん試算は行なわれていません。つまりお金はいくらかかるのか「正確」には分からないから際限なく寄越せ、というのが「正確」なところでしょう。

あと、「原子力政策」の費用と「原発の発電コスト」を混同しているあたりに「専門家」諸氏の降って湧いたような天才ぶりが遺憾なく発揮されています。君たちは「原子力政策」の「巨費」でごはんを食べているくせにこれっぽっちも電気を起こしていないでしょう。自家発電していますかそうですかじゃあオカズ代とティッシュ代も「巨費」の負担だよ。

とはいえ、やはり目立つのはその世にも稀な「モンスタークレーマー」ぶりでしょう。世間ではどうもそういう人が沢山いるようですが、大いに参考になります。いや、あまり参考になりません。ほとんどが拙劣極まる単なる言い掛かりでありまして、「これまでメディアに訂正を求めたことは一度もない」のも道理と頷けるほど、そもそも人前に出すようなものではなかったりします。

曰く「反対派の講演会開催を記事にする場合は、推進側の開催案内も同様に記事にすべきだ」とか、そんなら「推進派の講演会開催を記事にする場合は、反対側の開催案内も同様に記事にすべきだ」と指摘すべきですが、それがされていないのは公平を欠きます。まあ公平ではないわけですが、それなら「記事全文が不正確」ということは、「反対派の講演会開催」の日時とか場所が「不正確」だったものと思われます。そうであれば「推進側」にとっては都合が良いのではないでしょうか。

「高速増殖炉には人類の存続がかかっている」というのは成る程確かにその通りでしょうが、「重い課題」はイヤだとか「原発マネー」も印象が悪い、果ては「反対運動を支持するような報道姿勢は疑問」だとか、「全体として原子力反対のトーンの社説」だから悪い、「反対派の意見を掲載し、タイトルには反対派の見解を大きく取り上げ」るのが「問題」であるなど、「正確」「不正確」の範囲を遥かに逸脱した活躍を見せる「専門家」諸氏には性格的な問題があるのではないかと疑われるほど、大半が「原発推進に反する記事の収集」であり、「正確な情報の発信が必要かどうかの観点から情報を分析」しているとの主張はあたりません。

鎌田慧さんの「ような」「反原発者」の意見を報道してはいけないんだそうですが、井野博満さんは「論客」なんだそうです。それでも「健全」な人々からは支持されていない「少数派」なので、「少数反対派の見解を掲載するのは問題」というのですが、これなどはいささか穏当を欠く主張であるとせざるを得ません。少数意見を公衆に示すべきではないという、これは恥ずべき意見であり、これを公表した資源エネルギー庁の勇気が称えられます。

ところで「健全な立場に立つ」科学者さんたちのことを、「学者先生方」という、ちょっと揶揄したかのような表現をとっているのは「問題」でしょう。明らかに人をバカにしています。まあ「健全な立場に立つ」ような人は、ウラを知っている人から見ればあまり尊敬できるような人物ではないのかもしれませんが、それにしても当人も見る可能性のある文書なのでしょうから、モノの言い方には気をつけたいものです。「健全」な「クレーマー」の餌食になってしまう可能性があります。事のついでですから、これを公表した資源エネルギー庁の勇気も称えておきましょう。普段は間違ったことばかりしている人たちですから、こういう機会を捉えて褒めておかないと褒めようがありません。
posted by 珍風 at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

よ〜く考えよう 「絆」は大事だよ〜

今年大流行の「絆」でありますが、元々は警戒区域内で逃げ出して野生化した牛が巨大化して東京を襲うことを危惧していたものと思われます。実際のところ「絆」とは何よりもまず牛に関わることなのです。

漢字の「絆」の「糸」は紐の意、「半」は「挽」に通じ「ひく」意味だそうです。「絆」とは牛馬を引っ張るヒモのことです。「紲」という字も「きずな」と読ませますが、これは「繋ぎ止める」こと、そして牛馬を繋ぐ縄、罪人を繋ぐ縄を意味します。

日本語の「きずな」の語源も同様に「騎綱」(きづな)あるいは「引綱」(ひきづな)ではないかと考えられております。いずれにしても「絆」の一方の端には自分の意に反して「絆」に接続されている「家畜」や「罪人」が、もう一方の端っこには相手の意志に関係なく自分の都合で相手に「絆」を繋ぐことの出来た人がいるのであって、「絆」の両端は非対称的です。

そういう話なので、被災者の首に紐を付けて引っ張ってきて牛馬の如く働かせようなどということは、出来たら止めて頂きたいものです。それは人道的見地からして極めて問題のあるものであると言わざるを得ません。社会の暗部と申し上げても良いでしょう。少なくとも公衆の面前やTVで、昼間から大きな声で言うようなことではありますまい。

もっとも、人類の進歩は「紐」を「縄」や「綱」に、そして「鎖」へと進化させてきたものです。鎖に繋がれた奴隷こそ「文明」の印なのではないでしょうか。そして今や「鎖」は見えないものとなりました。現代では、不可視となった「鎖」のことを「絆」という古い言葉で呼ぶことになったのです。

連合 派遣法修正やむをえず


連合の古賀会長は、記者会見で、民主党が、労働者派遣法の改正案を巡り製造業への派遣を原則禁止するとした規定を削除するなどの修正を行う方針を確認したことについて、法案を成立させるため、修正はやむをえないという考えを示しました。

民主党は、政府が去年、国会に提出した労働者派遣法の改正案について、製造業への派遣や仕事があるときだけ雇用契約を結ぶ登録型の派遣を原則禁止するとした規定を削除するなどの修正を行う方針を確認し、自民党や公明党と調整しています。これについて、連合の古賀会長は記者会見で、「国会情勢の中で、今の法案がそのまま成立することは極めて厳しい。連合は、法案がたなざらしにされるより、派遣社員の保護を一歩でも二歩でも進める取り組みを与野党に求めており、残念だが苦渋の選択として受け止める必要がある」と述べ、法案を成立させるため、修正はやむをえないという考えを示しました。また古賀氏は、野田総理大臣が、TPP=環太平洋パートナーシップ協定の交渉参加に向けて、関係国との協議に入る方針を表明したことについて、「野田総理大臣の判断を尊重すべきだが、国を二分するような議論になったことは不幸なことで、必ず尾を引く。それを払拭(ふっしょく)する取り組みを、政府は丁寧にやるべきだ」と述べました。

2011年11月17日 NHK


今回の「改正案」では「原則禁止」の「短期」派遣の定義を「2カ月以内」から「30日以内」に短縮するなど、むしろ積極的な改悪すら行なわれるようなのですが、たとえどんな内容であろうとも聯合が三党合意に反対するはずはありませんから安心です。

進歩した現代では「絆」は年中ヒモで繋がれていることを意味していません。むしろ今年の「絆」という言葉の使い方では、それは気の向いた時にちょっと言ってみるセリフなのであって、たまには誰かのことを思い出してあげたりなんかすることのようです。したがって労働者諸君も企業の気の向いた時にたまたま「絆」を回復したりすることが出来る、というわけです。

ところが労働者は確かに恒久的に繋ぎ止められています。鎖の奴隷との違いは、「絆」のもう一方の端を特定の誰かがちゃんと持っているわけではない、ということに過ぎません。それは「不安定」に安定的に結びつけられているのですが、「貧困」が存在しなければこの「絆」はあり得ないのでした。時給が30円上がったってどうにもならん。
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2011年11月14日

通商とは他の手段をもってする戦争の継続である

外務省、日米首脳会談に関するアメリカ側の報道発表について否定する恒例のコメント


ハワイで12日に行われた日米首脳会談に関するアメリカ側の報道発表について、外務省は、「事実と異なる」として否定する異例のコメントを出した。

首脳会談では、野田首相が「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉参加に向けて、関係国と協議に入る」意向を伝え、オバマ大統領は歓迎する考えを示した。

首脳会談のあと、アメリカ政府は報道向け資料を出し、「野田首相が『全ての物品およびサービスを貿易自由化交渉のテーブルに乗せる』と述べ、オバマ大統領は歓迎した」と発表した。

これに対し、外務省は「事実無根だ」として抗議し、アメリカ側は「そうした事実はなかった」と誤解を認めた。

オバマ大統領は会談の中で、「全てのTPP参加国は高い基準に合うよう準備しなければならない」とくぎを刺しており、今後の協議で、日本に対して市場開放を強く迫るのは確実で、その姿勢が報道発表に反映されたとも言えそうだ。

一方、APEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議が12日夜、オバマ大統領夫妻が主催する夕食会で開幕した。

野田首相は、一連の会合の中で、各国首脳に対してTPP交渉に参加する方針を伝えることにしている。

2011年11月14日 FNN


アメリカ政府の発表はそんなに間違っているというわけでもありません。ノダイヌがオバマさんに何を言ったのかは不明ですが、報道では「TPP交渉参加に向けて、関係国と協議に入る」と言ったことになっています。しかしいずれにしてもアメリカは日本がTPPに参加する意向を表明したと解釈するでしょうし、ノダイヌもそれを期待していることは間違いありません。

現時点でノダイヌの生存領域は国内外での解釈の違いの隙間にあります。アメリカにとっては日本が「TPP交渉参加に向けて、関係国と協議に入る」ということは「全ての物品およびサービスを貿易自由化交渉のテーブルに乗せる」ことを意味します。まあ、「どうせそうなるんだから」という意味も含めてですが、しかし、ノダイヌは「全ての物品およびサービスを貿易自由化交渉のテーブルに乗せる」という発言そのものはしていないのです。少なくとも自分からはしていませんし、「まだ」していない、ということでしょう。

アメリカも日本もとりあえずは国内向けのアナウンスを済ませましたが、しかし物事には原則というものがあって

TPP、9カ国が大枠合意=米大統領「来年中に結果を」−野田首相は陰で吠える


 【ホノルル時事】米国やオーストラリアなど環太平洋連携協定(TPP)拡大交渉に参加する9カ国は12日午前(日本時間13日未明)、当地で首脳会議を開いた。オバマ米大統領は会議で、9カ国首脳は高いレベルの経済協定実現に向け「大枠合意に達した」と宣言した。その上でルールの詳細をめぐる作業は残っているものの、最終合意できると「確信している」と強調した。

 オバマ大統領は会議終了後のアジア太平洋経済協力会議(APEC)関連行事で、TPP交渉について「来年中に結果を出したい」と表明。来年夏までに合意文書をまとめるとの目標を掲げた。

 TPP首脳会議終了後に発表された共同声明は、「アジア太平洋地域の貿易・投資の自由化へ、包括的で次世代の課題に対応した地域協定を確立する目標を共有した」と表明。関税撤廃などの具体的なルールの策定に向けて必要な作業を「可能な限り早く」進めるとの方針を示した。

 一方で「各国は(国内産業への配慮などから)慎重な取り扱いが必要なさまざまな問題を抱えている」と指摘、協定を包括的でバランスの取れたものにするため「各国経済の発展度合いを考慮し、適切な方法を取る」とし、交渉参加国のうちベトナムなど新興・途上国への配慮もにじませた。

 コメ問題などを抱える日本にとっては、関税撤廃の例外項目の設定を示唆する表現が盛り込まれたのは歓迎すべき点といえそうだ。しかし、交渉に参加した場合、米国に次ぐ経済規模を持つ日本へは、厳しい要求が突き付けられる可能性もある。 

2011年11月13日 時事


ノダイヌが国内向けに何を言うかなどアメリカの知ったことではありませんが、とにかく「大枠合意」には達していて、これには変更はありません。しかしノダイヌが「出席できず」てゆーか出席しなくても良くなったのは彼にとって幸いでした。「大枠」とは「全ての物品およびサービスを貿易自由化交渉のテーブルに乗せる」ことに他ならず、そんなところに顔を並べていては「誤解」の余地はありません。

時事さんは「厳しい要求が突き付けられる可能性」「も」「ある」としていますが、ここはゴマカシようはなく、厳しい要求が突きつけられる可能性しかありません。声明では「経済の発展度合いを考慮」するとしていますが、日本が「発展」の峠を越えて下り坂に入っていることを「考慮」してくれるかどうかは補償の限りではないのです。むしろいち早く衰退局面に入ることは、それだけ「発展」が進んでいる、と見ることも出来ますから注意しなければなりません。

いずれにしても政府とマスゴミはゴマカシたりウソをついたりするのかもしれませんが、それは今までと同じだったりします。もとより日本の外交、特に安全保障分野においてはむしろそれは伝統的なもので、虚偽と密約でずっとやってきた事実があります。巷間TPPも安全保障に絡めた議論が行なわれているようですが、つまり同じ手法を使うということのようでありまして、これが日米関係の原則というものだそうです。
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2011年11月13日

ソープランディングアフターナイトクラビング

ノダイヌは何かの都合でホノルルに行けないようなことになっても大丈夫なように、11日の夜にはキッシンジャーさんに会ってアメリカ側に最低限伝えるべきことは言ってあります。ですから今更死んでももう遅いわけですが、だからというわけではないのですがまだ生きていて、

TPP交渉参加を伝達へ=日米首脳、13日に会談


 【ホノルル時事】野田佳彦首相は12日(日本時間13日)、オバマ米大統領とホノルル市内で会談する。首相は環太平洋連携協定(TPP)交渉に参加する方針を正式に表明。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題をはじめとする日米間の懸案についても日本側の取り組みを説明し、首脳間の信頼関係構築を通じて、同盟深化につなげたい考えだ。

 両首脳の会談は9月にニューヨークで行われて以来2度目。首相はホノルルへの出発に先立ち、記者団に「経済、安全保障、人的交流の面で日米同盟の深化に向けた議論をしたい」と述べ、停滞気味の両国関係立て直しに意欲を示した。

 日本のTPP交渉参加に対しては、カーク米通商代表部(USTR)代表が歓迎の声明を出しており、オバマ大統領も同様の姿勢を示す見通し。首相としては、新たな経済秩序の構築に向け連携を呼び掛けるとともに、交渉参加を急ぐ立場から、数カ月かかるとされる米国内の了承手続きの迅速化を念頭に、協力を要請するとみられる。 

2011年11月12日 時事


これで「交渉参加に向けた関係国との協議」の日程は全て終了です。まあ強いて言うとすればそういうことになります。実際には「交渉参加に向けた」「協議」などというものはあり得ず、それはもう「交渉」に入ってしまっているんですが、中にはヘンに拘って見せている人もいるわけで

TPP「参加表明とは思っていない」 山田前農水相


 野田首相が環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加に向け「関係国との協議に入る」と表明したことについて、交渉参加に反対する山田正彦前農林水産相は12日、地元の長崎県大村市で記者会見し「今回は交渉参加でなく、事前協議であることを直接、総理にただしたい」と述べた。

 週明け、民主党の両院議員総会などの場で首相に真意を確認するという。

 山田氏は、首相が交渉参加方針を表明した11日の記者会見について「参加表明とは思っていない。事前協議にとどまった」と改めて主張。「来週から我々の戦いが始まる。まさにTPPの延長戦だ」と強調した。

2011年11月12日 asahi.com


ノダイヌは千葉の人ですから例えば「栄町に行く」とか言うわけですが、そうすると山田さんは「ソープに行くのだとは思っていない」と「改めて主張」したりする、ということのようです。それは別に構わないのですが、ノダイヌが全世界の目の前でマット洗いをやっているというのに、いつまでこんなことを言っていられるのか心配なことではあります。

てゆーか山田さんも馬鹿ではないので、ノダイヌの婉曲話法がその「真意」を必ずしも正確に表現し切れていないことくらい知っていますから、週明けには「真意を確認する」んだそうです。そうしてから何かと「戦う」とのことであります。全くもって持って回ったような事の運びではありますが、「慎重」と言えないこともありません。

まあこうなったら「慎重派」であって「反対派」ではないことを世間の皆さんに再確認して頂く、というのが山田さんの「延長戦」の目標になるでしょう。ノダイヌの「慎重」は1日でしたが、山田さんの「慎重」は3日ですから、その「慎重」は日数において勝っていることは明らかであります。

もっとも、より「慎重」な人たちというものはいるもので、「エガワる」なんて懐かしい言葉を思い出したり、発電所の所長が死にそうになったりしたそうです。13日は日曜日だということですからあまりヘンなニュースをこしらえなくても良いようなのですが、無闇矢鱈と「慎重」な人がだめ押しで大惨事を起こすのではないかと思うと、日曜日なのにもう目を覚ましてしまったのでした。

なお、「ソープランディング」については下記をご参照ください。とっても「慎重」です。
http://designworks.moo.jp/portfolio/post-23.php
そういうわけで山田さんもノダイヌも明日のこころだぁ。
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2011年11月08日

環太平洋泥鰌地獄

どじょうするTPP−交渉参加で日本をどこへ


 米国や豪州、シンガポールなど9カ国による環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に、日本も加わるべきか、否か。

 9カ国は、12、13日にハワイで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に合わせて、大枠での合意と交渉継続を打ち出す見通しだ。

 野田首相はAPEC出席の前に交渉参加を打ち出す構えを見せるが、与野党から慎重論や反対論が噴き出している。

■戦略づくりを急げ

 TPPのテーマは幅広い。関税引き下げだけでなく、医療や郵政、金融、食の安全、環境など、さまざまな分野の規制緩和につながる可能性がある。農業をはじめ、関係する団体から反対が相次いでおり、首相の方針表明を食い止めようとする政界の動きにつながっている。

 改めて主張したい。まず交渉に参加すべきだ。そのうえで、この国の未来を切り開くため、交渉での具体的な戦略づくりを急がねばならない。

 資源に乏しい日本は戦後、一貫して自由貿易の恩恵を受けながら経済成長を果たしてきた。ただ急速に少子高齢化が進み、国内市場は停滞している。円高の追い打ちもある。貿易や投資の自由化を加速させ、国内の雇用につなげていくことが、ますます重要になっている。

 世界貿易機関(WTO)での自由化交渉が行き詰まるなか、アジア太平洋地域にはアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)の実現という共通目標がある。横浜で昨年開かれたAPECでは、FTAAPへの道筋の一つにTPPも位置づけられた。

 それに背を向けて、どういう戦略を描こうというのか。

 慎重・反対派は「なぜTPPなのか」と疑問を投げかける。関税撤廃が原則でハードルの高いTPPではなく、2国間の経済連携協定(EPA)を積み重ねていけばよいという主張だ。

 これまでの日本が、そうだった。すでに東南アジア各国などと10余りのEPAが発効している。だが、コメなどを対象外にする代わりに、相手国にも多くの例外を認めてきたため、自由化のメリットが薄い。

■EPA網へのテコに

 TPPでは、中小企業の自由貿易協定(FTA)活用促進や電子商取引など、WTOで取り上げてこなかった分野も含まれる。積極的にかかわってこそ、メリットが生まれる。

 「TPPには中国、韓国などの貿易大国が加わっておらず、意味がない」との指摘もある。

 しかし、TPPへの参加は中韓との交渉にも波及する。日中韓の3カ国が続けているEPAの共同研究について、中国は積極姿勢に転じた。当初の予定を大幅に繰り上げ、年末までに結論を出す。来年から交渉を始めることになりそうだ。

 米国が主導するTPPへと日本が動いたことで、中国がそれを牽制(けんせい)する狙いで方針転換したとの見方がもっぱらである。

 中断したままの日韓、日豪両EPAの交渉再開も急ぎたい。欧州連合(EU)とのEPAも事前協議から本交渉へと進めなければならない。「なぜTPPか」ではなく、TPPをてこに、自由化度の高いEPA網を広げていく戦略性が必要だ。

 「TPP参加で産業の一部や生活が壊される」との懸念に、どうこたえていくか。

 まずは農業である。特にコメへの対応が焦点だ。政府は、経営規模を現状の10倍程度に広げる方針を打ち出している。バラマキ色が強い戸別所得補償制度の見直しをはじめ、TPP問題がなくとも取り組むべき課題である。

■消費者の利益が原点

 規制緩和の問題はどうか。

 TPP交渉で取り上げられている分野は、米国が日本に繰り返し要求してきた項目と重なる。「市場主義」を掲げて規制緩和を進めた小泉内閣時代に検討された内容も少なくない。

 折しも世界各地で「反市場主義」「反グローバリズム」のうねりが広がる。格差拡大への懸念が「米国の言いなりになるのか」という主張と結びつき、TPP反対論を後押ししている。

 ここは冷静になって、「何が消費者の利益になるか」という原点に立ち返ろう。安全・安心な生活を守るため、必要な規制を維持するのは当然だ。TPP反対派の主張に、業界の利益を守る思惑がないか。真に必要な規制を見極め、米国などの要求にしっかり向き合いたい。

 TPP交渉では国益と国益がぶつかり合っている。「例外なき関税撤廃」の原則も、実情は異なる。米国は豪州とのFTAで砂糖を対象から除いており、この特例をTPPでも維持しようとしているのが一例だ。日本も、激変緩和のための例外措置を確保できる余地はある。

 もちろん、難交渉になるのは間違いない。しかし、参加しない限り、新たなルールに日本の主張を反映できない。TPPに主体的にかかわることが、日本を前へ進める道だ。

2011年11月8日 朝日新聞社説


これは極めて巧妙にカモフラージュされた参加反対論であるというべきでしょう。なるほど上辺では「まず交渉に参加すべきだ」などと書いてはいるものの、そこは老獪なる朝日新聞のことです。参加の意義についてはあえて説得力のある議論を避け、意味不明な抽象論と希望的観測の羅列に終始させています。

まあ実際のところ、TPPへの参加に積極的な人でも「何だか知らないけど自由貿易は良いことのはずだ」という以上のことを主張できたためしはないようですから、このような書き方をするのはさして難しいことではないようでもあります。

しかしながらこの社説では、「FTAAP」という「目標」や進行中の日中韓EPA、対欧州EPAの存在を指摘しています。「てこ」だかタコだか知りませんが、TPPはそれらの協定とも関係している、というのがこの社説の主張するところであります。ここからは自然に、TPPへの参加がこれら諸協定の内容にも悪影響を及ぼす可能性が指摘されるでしょう。

世界中が「TPP」になってしまったら、これは大変なことになるのではないか。読者としては不安にかられざるを得ないのであり、それこそが朝日新聞の意図するところであると思われます。翻って「「TPP参加で産業の一部や生活が壊される」との懸念」への対応については、フグのように薄い、「対策」を揚げるばかりであり、その見え透いた「対応策」は、朝日新聞の隠された意図をも透かし見せるかのようです。

農業への対策は経営規模の拡大しかないそうです。「10倍」になっても大した規模ではないわけですが、あとは農業者戸別所得補償制度を止めると。代わりにどんな「補償制度」を考えているのかわかりません。ことによると何の補償もない可能性すらある、そう思われても仕方のないような書き方で農家の不安をかき立てようとしているのです。

「規制緩和」については、あえて小泉さんの名前を挙げるという必殺ワザを出しました。小泉さんが「消費者の利益」になったかどうか、誰でも知っています。そのうえで、社説は「必要な規制を維持する」「余地」の為に、「国益と国益がぶつかり合」う中で「難交渉」をしなければならない、と書いているのです。その「一例」が、アメリカがオーストラリアに対して要求している事例であって、その逆ではないんですから「米国の言いなりになるのか」といわれてしまうのもやむを得ないわけです。

ちなみに、「参加」することにしたところで、実際に「参加」出来るのはもっとずっと後であり、その頃には「日本の主張」が「反映」するどころかちょっとでも何かを言う「余地」すら残されていないことが知られています。したがって日本が「TPPに主体的にかかわること」は不可能なのです。だからといって心配することはありません。「主体的にかかわ」ったところで、日本は「前」に行くだけの話です。その「前」とかいうところがどんなところか、あまり詳しくは書いてくれていないのですが、賢明なる読者にとっては、そこが「米国の言いなりの市場主義」であることがわかるようになっています。

もっとも、「主体的にかかわ」らなくても、ちょっと近づいただけでもTPPはその手の「前」に連れて行ってくれるでしょう。ことのよると更により「前」の方に放り投げられてしまうのかもしれません。いずれにしても「前」には進みやすいものです。あとで後悔して「後」に行こうとしても困難であることが多いようです。道に飛び出した猫のようにペチャンコになってみるのも国としては一興かもしれませんが、猫ですら頭に紙袋をかぶせると後ずさりするのが目撃されています。先が見えない真っ暗な「前」に向かっていくのはドジョウの習性でしょう。
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2011年11月06日

だいじなもの

日本人ではない石原慎太郎さんによれば日本人は「だめになった」そうで、そうするとどうも石原さんは、あれでまだ「だめ」ではないということなんですが、いずれにしてもこれから「だめ」になっていくということで、東京まで南下したのでこれからは西に向かって「だめ」が進行します。

がれき処理、国が安全保証 細野原発相


 細野豪志環境相兼原発事故担当相(衆院静岡5区)は5日、東日本大震災で発生したがれきの処理について、県など地方自治体に対し、「安全性は保証する。(国が)全ての責任を負う」と受け入れに協力を求めた。また福島第1原発事故を受け、年間線量が20ミリシーベルト程度の低線量被ばくがもたらす健康への影響を調べるため、有識者による作業チームを設ける方針も示した。同日、浜松市内で開かれた東海4県の民主党県議、市議らの会合の席上で明らかにした。


 細野氏は、静岡県の川勝平太知事が岩手県山田町、大槌町のがれき焼却処理の支援策を検討し始めていることに感謝の意を示し、住民の不安を払拭(ふっしょく)するため、自らも説明に出向く考えを述べた。


 健康への影響を調査する作業チームは、8月に内閣官房に設置した「放射性物質汚染対策室」の有識者会議の下に結成する。100ミリシーベルト未満の人体への影響は十分に解明できていないとし、「現在20ミリシーベルトで一つの線を引いているが、この線量をどのように見なしていくのか、国としての考え方を整備していく。しっかりと知らせ、国民に判断してもらえる状況をつくりたい」と述べた。


 放射性物質の健康被害については、食品安全委員会は7月、外部被ばくと内部被ばくを合わせた生涯の累計線量を100ミリシーベルトまでに抑えるべきとする見解を発表。国は年間20ミリシーベルトに達する恐れがある地域を「計画的避難地域」に指定している。

2011年11月6日 静岡新聞


細野さんが言うんですから間違いありません。彼は信用できる男です。彼が「安全性は保証する」と言っている以上、瓦礫は危険なのですし、彼が「責任を負う」と言っているのですから国は責任を負うことはないでしょう。細野さんは本当に信用できる男なのです。彼を信じましょう。彼の言ったことではなくて彼の言わなかったことを。

「東海4県」とは静岡、愛知、岐阜、三重の4県です。日本は意外と狭いもので、ここまで来れば大阪は目前であります。全国制覇まであと1歩というところなのです。

問題の瓦礫は、御丁寧にも鉛で密封されて運ばれてきます。これが「安全」ではない証拠だ、ということが出来るわけですが、そんな事は分かり切ったことです。問題は、どうせ燃やして軽くして天高く吹き上げ広範囲にまき散らすものを、どうして途中まで「散らないように」密封して来るかということなのです。

これすなわち「Mottainai」の精神であります。途中までは、既にそこそこ汚染されているんですから、そんなところをまた汚しても仕方がありません。それを言うなら東京もいい加減汚染されていますが、濃いところを東京で燃やすのにはそれなりに理由があるんでしょう。

おそらく東京焼却のターゲットは房総半島でしょう。実は千葉県は北海道に次ぐ農産県なのです。首都圏の、ということはつまり日本人口のかなり大きな部分ですが、その口に入る野菜はほとんどそこで生産されているのであって、東京での瓦礫の焼却はこれに決定的なダメージを与えるでしょう。

日本全国から目の敵にされたり爪弾きにされたりしている千葉県ですが、その千葉県を更にいじめるのには、そんな理由があります。もちろん東京湾の汚染も千葉県の水産業にとって致命的となりますが、目標は千葉県民をいじめることではなく、日本の食糧生産の潰滅なのですから、千葉県民は自分たちだけイジメられると思って僻んだりしてはいけません。

政府の「保証」のもとに、日本全土に放射性物質が再び散布されます。西へ南へ、だいじな瓦礫が運ばれていって焼却され、貴重な物質が惜しげもなく降り注がれるのです。前のは「事故」だったかも知れませんが、今度はワザとです。「保証」、「責任」、何とでも言えます。汚染してしまえば目標は達したのであり、やってしまえばこっちのもんです。

このようにして日本は強制的に食糧の輸入を大幅に増加せざるを得なくなります。これはTPPなんかよりもずっと簡単に出来そうなのです。もしかするとこれは「脅し」なのかも知れませんが、国内で食糧を生産出来なくなるのであれば、時間をかけて関税を撤廃していったりするよりもずっと話が早いというわけで、ステキなお土産のできあがりです。
posted by 珍風 at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月02日

淫水焼けする一般市民

おそらく核技術などを弄ぶのには世界一向いてない会社ですが。

玄海原発4号機の発電を再開 九電


 人為的ミスで自動停止していた九州電力の玄海原発4号機(東松浦郡玄海町、118万キロワット)が2日、発電を再開した。福島第1原発事故後、定期検査やトラブルで停止した原発の再稼働は初めて。安全性を確認しながら出力を上げ、4日には出力100%の通常運転に復帰する予定だが、定期検査のため、12月中には再び停止する。
 
 玄海4号機は10月4日、復水器のトラブルで自動停止した。九電は原因究明や再発防止策をまとめた報告書を提出し、31日に国から「妥当」との評価を得た。これを受け、1日午後11時に原子炉を起動、2日午前0時23分には臨界に達し、午後3時にタービンと発電機をつないで発電を再開した。
 
 九州電力管内の原発6基のうち、稼働しているのは玄海1号機(55万9千キロワット)と再開した4号機だけで、この2基も12月中に定期検査で停止する。九電は冬場の電力不足に対応するため、家庭や企業に12月19日から来年2月3日まで5%以上の節電を求めている。(日高勉)

2011年11月2日 佐賀新聞


まずなによりも「妥当」でないのは「国」だ、というようなことはともかく、大事なことなので日高さんは2回も書いていますが、要するに4号機は12月にはまた停めないといけません。定期検査前に運転再開を既成事実化することだけが目的ですから、九電は例によって例の如く、例の「冬場の電力不足」を喧伝しているわけですが、今はまだ「冬場」ではありません。まだ電力は「不足」していないのです。

不必要な発電をするために過大なリスクを犯したのが今回の再稼動です。どこからどう見ても何一つ正当化できないのが立派といえば立派なもので、中々どうも大したものですが、目的は再稼動そのものの既成事実化の他にも、色々あります。ひとつは「安全性」の「確認」であります。

あるいは一種の信仰告白と言っても良いようなものですが、要するに核発電は無駄に動かすことが出来るほど安全である、と言いたいようなのです。そんなことを言ってもらったところで放射線の害が減るわけではないのですが、九州男児は「安全」を信じる態度を表明することをもって「安全性」の証明に替えることが出来ると思っているようです。

これをより小規模にやるとすれば、例の淫水の飲水になるでしょう。「淫」の字には「浸す、溢れる、はびこる」などの意味がありますから、溢れて溜まっていた水は「淫水」と言って言えない事もありません。園田康博さんは意地になってその「淫水」をば「飲水」なされたそうであります。園田さんは彼が「淫水」を「ゴックン」することが「淫水」の「安全性」を証明することには全くならないことに気がついているのかどうかわかりませんが、そのことによって彼が「淫水」が「安全」であると信じていることは疑う余地がない、ということにはなりそうです。

一休宗純も美人の淫水を吸うことを喜ばれたそうですから、園田さんの行動も一概に非難すべきでもなかろうとも考えられます。もっとも一休さんの場合はたとえそれが「安全」でなくても吸いかねないところがありますし、多少不潔であっても気にしない、というようなことは誰でもやっていることです。ところが園田さんは例の「淫水」を念入りに消毒なさったそうであります。淫水に対する尊重の念においていささか劣るものであると言うべきでしょう。

そういうような話はともかく、再稼動の強行によって「やらせ」の件が有耶無耶にできる可能性もあります。もちろん再稼動そのものが「やらせ」の延長上にある、てゆーか再稼動そのものも「やらせ再稼動」に他なりませんが、とにかく状況をどんどん悪化させることによって以前の罪が軽く見える、という効果も期待できそうなのです。

もっとも、世の中には間抜けな援軍というものもあるもので、こんな時に

元第三者委・岡本氏「九電の知事かばう行為立派」


 九州電力の「やらせメール」問題で、第三者委員会委員を務めた岡本浩一・東洋英和女学院大教授(社会心理学)が31日、福岡市内で記者会見を開いた。九電が最終報告書で古川康・佐賀県知事の発言を発端とする第三者委の見解を受け入れていない点について、「九電が知事をかばおうとする行為は人であれば立派な人格。一般市民の目から見れば、信頼するに足る企業ということ」と持論を述べた。

 一方で、委員会終了後もメール問題に関わり続ける元委員長の郷原信郎弁護士に関しては、「私の理解ではあり得ない。第三者委の役目は最終報告書の提出で終わっている」と批判した。

 郷原氏らが10月26日に第三者委4人の総意として「第三者委の報告書を否定する九電の見解は社会常識に反する」とする緊急メッセージを発表したことにも、「当日にいきなり伝えられ、中身を検討する時間がなかった。委員長の権限と思ったのかもしれないが、アンフェアだ」と不快感を示した。

2011年11月1日 讀賣新聞


悪いヤツ同士で庇い合うのがどうして「立派な人格」になるのか誰にも分かりません。讀賣新聞ですら「持論」と書いていますから、さすがにこれには納得できない模様なのです。しかし、相手は「社会心理学」の学者様であります。そっちの方では「立派」という言葉に特別な意味を持たせている可能性があります。例えば、それはどうも「信頼」と関係する概念であるのかも知れません。

ここでは「立派」=「信頼するに足る」という関係が成立しているようです。岡本さんの「持論」に従うならば、これは例えば、「一般市民」が何か「悪いこと」(歩道を自転車で走るなど)をした場合に、九電が庇ってくれることを期待できる、というような意味になると思われますが、しかし、このような「期待」は、実際のところおよそ考えられないものではあります。

ここで注意しなければならないのは、「九電が知事をかばおうとする行為」が、両者に共通する利害関心から出ているという点でしょう。つまり「仲間」だから庇ったのであり、そうだとすればそれは大して「立派」なことだとは思えないかもしれません。とはいうものの世知辛い世の中、一旦オマワリさんの支配下に置かれれば簡単に「仲間」を裏切る事例も耳にしますし、捕まってもいないのに「仲間」を裏切り、殺してしまって犯罪の成果の独占をはかるというのもありがちなことではあります。「仲間」を「かばおうとする行為」は、かくも稀にして美しいものであると言えましょう。

そこで、「一般市民」にとって「九電」が「信頼するに足る」場合とは、「一般市民」が「九電」の「仲間」になってしまった場合であることが分かります。「九電」と共に歩み、その奨めには従うことが肝心です。それは例えば「節電」に励む、ということなのかもしれませんが、そうすることによって「一般市民」は「九電」からの特別な保護を期待できる、というのが「社会心理学」的な知見から岡本さんが導き出す結論なのです。

もっとも「一般市民」も馬鹿ではありませんから、そんな「期待」などこれっぽっちも出来ないことは百も承知でありましょう。しかしながら岡本さんにとっては「九電」の「仲間」としての「一般市民」が、「九電」から「立派な」「行為」をしてもらえる場合が確かに存在するのです。おそらく、その「一般市民」とは岡本さん自身の事に他なりませんが、彼がどんな悪いことをして九電から「かばおうとして」貰ったのかは不明ですし、その「かばおうとする行為」が果たしてその目的を首尾よく達成したかどうかも分かりません。とはいうものの、岡本さんが「九電」から庇ってもらわなければならないようなこと以外に何が出来るのか、はなはだ疑問ではあります。
posted by 珍風 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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