2011年12月02日

「遺族」の最後のおつとめ

「何も言うことはない」 福井県警が手記 女子中学生殺害再審決定 


 殺害された女子中学生=当時(15)=の母親(64)は福井県警を通じ「今でも胸が張り裂けそうになります」と変わらない悲しみをつづった手記を公表した。

 母親は「あの日、(娘は)血まみれになって殺されました。どんなに怖かっただろうか。どんなに痛かっただろうか」と心情をつづり「今生きていれば40歳。事件がなければ、どんな人生を送っていたのだろうかという思いがつのることがあります」と亡き娘に思いをはせた。

 再審開始決定については「遺族として何も申し上げることはございません」とした。

2011年11月30日 産経ニュース


もちろん「アスの会」の熱烈な支持者としてはいささか心配になるわけです。この事件は25年間未解決だったわけで、未だに犯人は捕まっていません。そういう事件の「被害者遺族」としては、「何も申し上げることはございません」というのは、ちょっと、どんなもんなんだろうか。もう少し「無念の思い」とかそーゆーアレはないのでしょうか。

てゆーか、「遺族」として、一連の「事件処理」をどのように見ていたのか、非常に興味を惹かれるところであります。仄聞するに被害者の遺体に残された創傷は50以上におよび、その多くが顔面に集中していたといいますし、頸には電気コードが巻かれていたそうです。更に被害者の友達のアドレス帳が切り裂かれ、切り裂いたものを重ねて刃物で突き通した紙片が遺体の周辺にバラまかれていたとか。

これがシンナーでオカシクなった男のすることとは、ちょっと思いにくいフシもあるわけで、その辺「遺族」としてはどのように考えているのか聞いてみたい気もするわけですが、考えてみれば「遺族」がそういう事を知っているとは限りません。

確かに現状を最初に発見したのは「遺族」ですが、お嬢さんがイキナリ血まみれで死んでいる場合に細かいことに気を配れというわけにはいかないでしょう。そして警察に連絡すると、もう「遺族」は現場から切り離されます。ヘンにいじったりするといけません。こういう場合、「遺族」は何よりもまず最も有力な容疑者なのです。

したがって「遺族」は犯罪、てゆーか被害者の死、要するに自分の娘が死んだことですが、それから遠くに追いやられます。そこはもう自分の家ではなく「犯行現場」なのであり、死んでいるのは自分の娘ではなくて「被害者」なのです。警察がそのように定義するのであり、そこは警察の仕切りなのです。「容疑者」が「被害者」の地位を与えられ、「被害者」が「我が娘」になるのはもう少し後のことになるでしょう。

もちろんその頃には「現場」には何も残っていません。証拠は全て警察が持ち去るのであって、「遺族」には思い出が、犯行直前までの思い出が残されるだけです。犯行そのものは「遺族」の知る由もないものです。「遺族」には「被害者は犯罪の犠牲になった」という言葉が与えられ、実際の「犯罪」の様相は警察だけが知っていて、「遺族」には全ての情報が、警察が「遺族」に開示することを許したすべての情報が与えられるでしょう。

ここで警察が「遺族」に何らかの情報を開示するならば、それは警察にとってその情報の開示が目的に沿うものであるからである、ということが出来ます。逆に言えば「遺族」には果たすべき機能があるのであって、その限りで警察と「遺族」の関係が存在するわけです。

そこで記事の「手記」は、「福井県警を通じ」て「公表」されたものであることに、イヤでも気がついてしまいます。別に福井県警が「遺族」の「手記」を検閲した、とか、書き換えた、というつもりはありません。それどころか福井県警は「遺族」に「手記」の執筆を奨め、ただちに「公表」するように手を打ったもののようです。

ここでは「遺族」はむしろ、というよりは「遺族」が常にそうであるように、福井県警の代弁者として機能しています。すなわち「福井県警としては何も申し上げることはございません」とした、のです。もちろん、経緯を御存知の方であれば、この「福井県警の声明」はもっともなことであると受け取ることが出来るでしょう。福井県警が何も言えるはずはないのです。しかし「遺族」の立場を離れた被害者の母親は何か言うことがあったのではないか、と思われないわけではありません。

どうも司法手続に「被害者遺族」が関与することになっても、被害者の遺族は関与できない状態が続いているようです。この点について「アスの会」が何らかのコメントを出すことが期待されていないわけではないのですが、連中は最近はあまり活動していないようです。おそらくこのテの「未解決事件」に対処する方法を知らないのでしょう。そりゃそうでしょうけど。

いずれにしても犯罪は警察のものです。検察のものであり、裁判所の所有に帰するものです。当然のことながら被害者のものではありませんし、ましてや「被害者遺族」のものでもありません。それどころか加害者のものでもないようで、一連の手続に加害者が一切関与していないというのも嘆かわしいことではあるとはいえ、よくあることなのではないでしょうか。確かに被告人に有罪判決を下すにあたって、そこに加害者が存在することは不可欠ではありませんが、誰かがいなければならないわけですし、その誰かは誰でもよいのです。


posted by 珍風 at 00:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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