2012年02月08日

ボクの親父は宇宙人

人間の存在は二つの死の間にあるのだ、とか、人の「絆」とは何よりも死者との繋がりである、とかそういう、大切なテーマを扱っている『ムカデ人間』ですが、それにしても医師であればまず考えつかないような単なる思いつきには困ったものでありまして、後続個体が摂取しなければならない栄養が先頭個体の排泄物から補給しうるのかどうかという重大な問題の他、尿管が接続されていないことによる水分の不足など、ツッコミどころ満載の術式であることは言うまでもありません。

特に懸念されるのが後続個体が行なわなければならない「嚥下」でありまして、映画の中では難なくクリアしていたようですが、ちょっと考えてみれば誰にでも分かるようにこれには多大な心理的抵抗を伴うものですし、嚥下が行なわれる量と流入量とのバランスが取れないことも考えられることから、実際にはこれは失敗する可能性が高く、失敗した場合は口腔が閉鎖されていることから糞便が気管に流入し、窒息を起こして速やかに死亡する虞れがあります。

この問題に対しては胃瘻増設術によって後続個体の口腔及び食道をバイパスすることが考えられます。3体以上をリニアに繋げた場合の3体目以降の後続個体の著しい栄養不良についても、先頭個体の肛門から発するチューブを分岐して複数個体の胃瘻に接続することによって大幅な改善が期待されるでしょう。

しかしそんなことをしてもちっとも面白くありません。

“胃ろう発言”尊厳重視からと釈明


自民党の石原幹事長は記者会見で、口から食べることができずチューブで胃に栄養を送る「胃ろう」を受けている患者の様子を「エイリアン」に例えたみずからの発言について、「しっかりとセンテンスを見ていただきたい」と述べ、人間の尊厳を重んじる観点からの発言だったと釈明しました。

自民党の石原幹事長は、6日のBS朝日の番組で、「胃ろう」を受けている患者の様子を視察した際の感想として、「意識が全くない人に管を入れて生かしている。何十人も寝ている部屋を見せてもらったとき、何を思ったかというと、『エイリアン』だ」と述べました。

この発言に閣僚や野党の一部から批判が出ていることについて、石原幹事長は7日の記者会見で、

「そんなダイレクトな言い方はしていないと思う。間違いだ。しっかりとセンテンスを見ていただきたい」と述べました。

そのうえで石原氏は「私は人間の尊厳を重んじていかなければならないということを絶えず言っていて、私自身も『胃ろう』のようなことは行わないと、夫婦の間で決めている」と述べ、人間の尊厳を重んじる観点からの発言だったと釈明しました。

「胃ろう」を巡っては、回復の見込みがない認知症の終末期の患者にも行うかどうか、学会などで議論が行われています。

2012年2月7日 NHK


要するに問題は「エイリアン」とは誰か、ということでしょう。報道されている「センテンス」のひとつは「意識が全くない人に管を入れて生かしている」というものでした。「管」を入れられているのは「人」だそうですから、これは「エイリアン」ではないようです。それではそんな「人」を「生かしている」のが「エイリアン」なのでしょうか。

しかしこの「センテンス」を、石原さんの言うとおりに「しっかりと見る」ならば、それは

「社会の最下層で身寄りもない人の末期医療を担っている所に行くと、意識が全くない人に管を入れて生かしている。何十人も寝ている部屋を見たとき何を思ったか。エイリアンだ」
(時事)


ということだったようですから、これが「社会の最下層で身寄りもない人」に関わる話であることが分かります。更に時事通信社によれば、こんな「センテンス」も存在します。

「映画で、寄生したエイリアンが人間を食べて生きているみたい」


「エイリアン」は「食べる」方の存在であるとされています。この「センテンス」においてある意味で「食べて」いるということが出来るのは、「管を入れ」られている患者に他なりません。「エイリアン」が患者を指していることは明らかでしょう。

しかしこの患者は、「社会の最下層で身寄りもない人」でした。したがって治療は公費で行なわれていると考えられます。そこで石原さんの発言は「社会の最下層の連中が政府に寄生して生きている」ことを「エイリアン」が「人間を食べて」いることに喩えたものであると解釈することが出来ます。なかなかどうも秀逸な比喩であると言えないこともありません。

このように解釈された発言は、いかにも石原さんが言いそうなことであります。たしかに石原さんは意識のない終末期の患者に対する胃瘻が「人間の尊厳」に反すると考えているかもしれませんが、そのような施術に対する反感が石原さんが普段から思っている「社会保障が財政を食い荒らしている」というビンボー人への蔑視と結びついた時に「エイリアン」というおぞましいイメージとして彼の意識にのぼったものと思われます。しかしそのまた深層には、「人の財布に手を突っ込んで」「寄生」するかのような「父親」について、その「終末医療」のことを息子として懸念していたりするのかも知れません。親子のことはともかくとして、僕としてはその「父親」が「意識の全くない」状態であれば、生きていようが死んでいようが胃に穴を開けようが開けまいがどうでもいいですが。


posted by 珍風 at 07:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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