2012年03月31日

捏造リスト 「『除染』は文部省の指示」

政治家には自らの責任なんてない

 反省はするが、お詫びはしない――。文部科学省の元嘱託職員が捏造(ねつぞう)した放射線量調査のリストを基に、村議会で帰村を追求した飯館維新の会村議団の30日の記者会見。議会で質問に立った菅野典雄村長は、会見開始から約1時間後、ようやく「お騒がせしてしまい、大成建設に申し訳ない」と謝罪の言葉を口にしたが、村民に対しては最後まで、「謝罪するつもりはない」と強硬姿勢を貫いた。

 嘱託職員から提供を受けたリストについて、菅野村長は「元々、捏造の可能性があると思ったが、(気づかなかったのは)私の不徳の致すところ」と釈明。ただ、「(帰村推進は)独断でやっているのではなく、国の指示に従ったまでだ。嘘つき権は国民にある。私個人の責任は発生しない」と強調した。

 文部科学省から放射線量低減の相談を受けた大成建設は「ヘンな言い掛かりは止めてもらいたい。我々は要するに『除染』をしただけでしょう」。文部科学省は「『除染後の数値』として発表すべきだった。除染しても毎時1マイクロシーベルトを超えていたのでちょっと具合が悪かった」と述べ、でっち上げた数値を反省した。

 一方で、菅野村長は、「大成建設を犯人扱いしたことは一度もない」とし、謝罪は拒否。文部科学省側には真偽を確かめないままリストを公表したが、菅野村長は「文部科学省に聞いたら誠実な答えが返ってくるのか」と語った。

2012年3月31日 塵売新聞
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2012年03月30日

追悼の期間は終わり殺しの日々が始まった

昨年の死刑執行676人、がんばれ日本=人権団体

 
[ロンドン 27日 ロイター] 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは27日、2011年の世界の死刑執行数が少なくとも676人に上り、前年の527人を上回ったと発表した。ただ、この数字には死刑執行が幅広く行われているとされる中国は含まれていない。

アムネスティによると、11年には20カ国で死刑が執行され、前年の23カ国から減少した。大半は中東地域で行われ、特にイラン、サウジアラビア、イラクで増加。イランでは少なくとも360人(前年は252人)、サウジアラビアでは82人(同27人)、イラクでは68人(同1人)に死刑が執行された。

一方、日本は19年ぶりに執行数がゼロとなった。主要8カ国(G8)の中で死刑を行ったのは米国のみで、43人(同46人)が処刑された。

ただアムネスティは、世界で最も死刑執行数が多かったのは、国家機密を理由に執行数を公表していない中国だとの見方を示し、11年には推定で数千人が処刑されたとしている。

2012年3月27日 ロイター


今となっては笑うしかないわけですが、29日の日本政府の行為は27日のこの発表を知っての狼藉でしょう。まあ、こんな発表をされてしまうと、日本があたかも事実上死刑を廃止したとか、死刑廃止に向かっているかのように「誤解」されてしまう虞れがあるわけです。殺人が法によって認められている国家として、日本はその国際的な地位を再確立する必要があったものと思われます。てゆーか、実は去年は地震で大変だったんで吊るす暇がなかっただけですが。

「国民が悪い。国民のせいだ」―小川法相


 民主党政権下で2度目となる29日の死刑執行後、小川敏夫法相はやや緊張した表情で記者会見に臨み、「法務大臣としての職責を果たすべきと考えた」と繰り返し強調した。

 小川法相は冒頭、「犯罪に対する刑罰は国民が決めることで、刑罰権は国民にある。世論調査でも大半の国民が支持している」と死刑執行に踏み切った理由を説明。裁判員裁判で相次いで死刑判決が出されていることを、重要な要素として挙げた。

 3人が選ばれた理由や、この時期に執行した理由については、「死刑が執行できない客観的状況にある人を除いた」とだけ述べ、明確な説明を避けた。政治的配慮があったのかという問いにも、「純粋に法務大臣の職責として執行した」と述べるにとどめた。 

2012年3月29日 時事


そんなわけですからこの際誰を殺すんでもよかったようで、「3人が選ばれた理由」などありません。強いていえば「4人やるのは大変だから」といった程度でしょう。小川さんはテキトーなもんだから「死刑が執行できない客観的状況にある人を除いた」とか言っていますが、松田康敏さんが再審請求中だったことを忘れていたようです。

しかしもしかするとそんな事は本当に知らなかったのかもしれません。小川さんのテキトーぶりは異常です。「犯罪に対する刑罰は国民が決めることで、刑罰権は国民にある」んだそうです。なるほどこれは「責任転嫁」とも取れますが、かなりヒドい議論です。この行論によれば、例えば「国民」には「戦争権」でも何でもアリということになるでしょう。つまりこのような「国民の権利」を背景にして政府は何をやっても良い、というのが小川さんの主張するところです。

実際には「犯罪に対する刑罰」として死刑が制定されていることについても、ある特定の犯罪についてそれに対してどのような刑罰を適用するかという判断についても、「国民」は一切関与していません。立法や司法といった権力機構を「国民」と同一視するのが、かなり無茶な議論であることは言うまでもありません。

もっとも小川さんは「世論調査でも大半の国民が支持している」ことを指摘しています。しかしこれは小川さんに限っては人を殺す理由にはなり得ません。小川さんは「死刑の在り方についての勉強会」を打ち切るにあたって「国民の議論があることと死刑を執行するかは直接関係しない」とする報告書を出しています。「国民の議論」が、たとえ「世論調査での支持」という形で存在するにしても、それは「死刑の執行」には「直接関係しない」とされているわけです。

「勉強会」を打ち切ったのがほんの3週間くらい前のことですから、小川さんの記憶は1カ月も保持出来ないようです。そんな事で今までどうやって生きて来たのかよくわからない、てゆーか、だからこそ政治家になるしかなかったのかもしれませんが、アタマがどーかしていることに変わりはありません。

ついでに小川さんは裁判員裁判で死刑判決が出されていることをもって殺人を正当化しているようですが、よく考えなくても今回殺された3人については裁判員裁判によって「国民の声が反映」されているわけでもありません。むしろこれらの場合については、死刑判決が確定するまでの過程で「国民の声が反映」される機会はこれっぽちも一切微塵もなかったというべきでありましょう。

このような、どれを取っても薄弱でなければ完全に間違っている「理由」で殺される人は可哀想な気もしますが、それが「死刑」というものです。小川さんは「ちょっとツライんだ」とかヌカしているそうですが、気が咎めるのであれば止めておくべきでしょう。たとえそれが「職責」であってもです。「仕事」であれば何をやっても良いというもんではないでしょう。やんなきゃクビになって路頭に迷うわけじゃあるまいし、「辛い職責」とやらに同情の余地はありません。

ちなみに「正義」というものもアテになりません。古沢友幸さんは妻の不貞を糾そうという、一種の「正義」に基づいています。妻が浮気したってんですから、悪いのはアッチだ、というわけです。上部康明さんの犯罪は「社会」に対する一種の裁定でした。確かに最低の裁定ではありますが、打ち続く不運に「社会」からの「冷遇」を感じた上部さんに何らかの意味での「正義」の観念が存在していたことは間違いないでしょう。その意味では松田さんも同じように「不正義」に見舞われて来た、と言うことが出来るかも知れません。

この意味で「死刑」は完全に「応報的」、てゆーか「釣り合う」ものです。「ワルい奴等は殺しちゃえ」という彼等の「正義」と死刑の「正義」とは同じものであるということが出来るでしょう。違いは単に、「国民の刑罰権」とか「職務」の陰に隠れることが出来るか、それとも自分で身体を張ってやるしかないのか、という「立場」の違いでしかありません。そして残念ながら多くの「国民」は自分の身を守りながら「ワルいヤツ」を殺す手だてなど持ち合わせていないんですから小川さんは今日も良い朝を迎えるのでした。
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2012年03月29日

涙声で「子供に影響あるなんて…」  妊娠中に核発電使用の東電に懲役2万4千年6月求刑

 生後間もない乳児の尿からセシウムが検出され、妊娠中に核発電を使用したとして東電が逮捕された事件で、放射性物質取締法違反(使用、営利目的所持)などの罪に問われた神奈川県横浜市神奈川区栗田谷、元会社社長、清水正孝被告(67)の論告求刑公判が22日、東京都地裁(小倉優子裁判長)で開かれた。検察側は「職業的に核発電を行っており、刑事責任は重い」として懲役24000年6月、罰金2.71京円を求刑、結審した。判決は3月28日。

 論告に先立ち被告人質問が行われ、清水被告は「地震のときにも使った。子供に(放射線の)影響があるなんて知らなかった」と涙声で供述。事故時、奈良観光に逃走し、再び戻った際にハーキュリーズに乗ろうとした経緯について「撃墜されるかもしれないと思ったが、一時危険な状態だった原子炉が頑張ってメルトダウンしていたので、覚悟を決めた」と語った。

 検察側は論告で「子供の成長のことを一切考えず、妊娠中に核発電を使用したことは言語道断」と指摘。一方、弁護側は最終弁論で「子供のことを思い、6億円の退職金を貰ったうえに社長退任後も個室付きの待遇で反省の態度を顕著に示している」として寛大な判決を求めた。

2012年2月23日 AKB産婦waist
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2012年03月24日

収奪プリースト

「ケイマンを使う運用会社には預けない」では何も解決しない
規制より自衛。企業と個人は最低限の知識を身に付けるべき
島 義夫  


規制強化よりもファイナンス教育による自衛が必要

 AIJ事件が起きてから、金融庁などは投資顧問会社や運用会社に対して矢継ぎ早にいろいろな報告を求めているようです。今後、特に独立系の投資顧問会社などが規制強化の対象になる可能性があります。投資家の中にも独立系運用会社を避ける動きがあるようで、中には「ケイマンを使う運用会社に資金は預けない」と言う投資家もいるそうです。

 こういう事件が起こるとどうしてもこのような反応が出てきます。ケイマンは問題の本質ではないので、たとえケイマンを排除しても似たような事件は続くでしょう。

 規制強化はある程度必要です。しかし、規制強化には「いたちごっこ」という面があります。また、せっかくの独立系投資顧問会社の創意工夫や独自性を抑え込む結果にもなりかねません。

 日経新聞の電子版2012年3月8日記事「AIJ運用資産、関連会社が評価改ざんか」によれば、AIJは身内の会社に資産評価をやらせて、これで顧客にウソの運用成果を伝えていたようです。こういう利益相反問題については規制強化に意味があるでしょう。今後は、投資顧問会社が運用する資産評価は外部の第三者に行わせることを徹底させるべきでしょう。

 しかし、往々にして規制強化は「○○をやってはならない」など一律の行動を求めることが多く、それは資産運用の柔軟性を損なうことになります。また、監督当局が運用会社に対して、あれこれ文書や報告書を提出させると運用コストが高くなる弊害もあります。

 こういう問題では、もっと本質的な点に注意を払うべきでしょう。多くの金融に関するトラブルを防ぐ最良の方法は、エンドユーザーがファイナンスについて知識を深めてだまされないようになることではないでしょうか。

2012年3月23日 日経ビジネスオンライン


果たして「ケイマンを使わない運用会社」があるのかどうか、てゆーか無理にケイマン諸島を使わなくても「島」は他にも色々ありますから、「ケイマンは問題の本質ではない」という島さんの指摘は正にその通りであります。

とはいえ島さんは「ケイマン」という単語で実際の「島」を指しているわけではありません。ワニがいたりゴルフ場が狭い「ケイマン諸島」に代表されるタックスヘイブンが「問題の本質ではない」とおっしゃっているわけです。こうなると果たしてどうかな、という気もして来るというものです。

実際のところケイマン諸島の御陰でお金の流れがかなり分かり難くなっていることは事実であります。食品では産地からの流れが追跡可能であることが重視されています。この点については最近の核事故によって様々な問題点が指摘されている折柄でありまして、牛乳なんかは「産地混合」が問題になっていることは周知の通りであります。

ところで「ケイマン」のような所ではお金は文字通り「溶かされ」てしまいます。溶かされて「他の」お金と有耶無耶になってしまうわけですから、自分のお金がどこでどうなっているのかちゃんとトレースしたいと思う「投資家」にとっては、「ケイマン」はメグミルクの工場のようなものに思えるのも無理はありません。

てゆーか牛乳は放射性物質が含まれていようがいまいが混合されて食卓にのぼり僕たちの口に入ってくるわけですが、お金はそういうワケにはいかないのです。それは「消えて」しまう、あるいはもっと分かり易く言えばもちろん誰かさんに取られてしまっているんでしょうけど、「ケイマン」で大切なことは、取られちゃった「顧客」は「完敗」する、というところでしょう。

この場合「顧客」とは企業年金などですが、実際には年金の掛け金を払っている労働者です。掛け金は取られてしまったわけですが、取った方はその収益に対する税金を払わなくていいのが「ケイマン」の「ケイマン」たる所以でありますから、労働者の「損」はいかなる形でも、どこの国の同志にも払戻しのない、100%全くもってケツの毛まで抜かれる徹頭徹尾息の根まで止められる「完敗」であると言うことが出来るでしょう。

このようにして「ケイマン」は政府の「財政危機」をもたらしたり、消費税が増税されたりする上で重要な役割を演じていると言われていますが、ビンボー人からの収奪もここに極まれりといった観があるこの事件の、ある種の「本質」をなしていると言うことも出来そうです。いわば「ケイマン」に代表される収奪スキームの、これは乱暴な形態なのです。

どこが「乱暴」かというと「生け贄の子羊」が存在する点がいささかスマートではない、といったところですが、まあ、浅川さんも覚悟の上でしょう。役割上充分な報酬は受け取っていたようです。数年間を面白可笑しく暮らしたんだから良いではないか。

さて島さんはタックスヘイブンを擁護した後では当然のように「規制強化」にも反対しています。実際には日本の「規制」も相当「緩い」そうですから、一種の「規制回避地」のようなものですが、租税と規制を回避出来れば島さんには何一つ文句はない、ということでしょう。気持ちは分かります。

気持ちは分かりますが、島さんが「対策」として打ち出しているのが「エンドユーザーがファイナンスについて知識を深めてだまされないようになること」なんですから感心してしまいます。流石は島さんです。AIJ投資顧問などというものは、島さんにとっては素人同然なのでありましょう。「エンドユーザー」が少しばかり「知識を深め」るならば、AIJの如きにだまされるはずなどない、というのです。

しかしながら、いくら島さんのレベルにはほど遠いものであるとしても、「ケイマン」やらヴァージン諸島やらを駆使する「素人同然」の「投資顧問」に太刀打ち出来る「エンドユーザー」が、そう沢山いるとは考えにくいものです。考えられるとすれば、元野村証券の営業マンとかそういう人でしょう。実際にはそんな人たちが「専門家」として活動し、いわば牧師のようにして「ラテン語」でけむに巻くわけですが、そういう「占い師」を企業で雇ってオセロゲームをすることになるでしょう。

まあ、余裕のある企業の方は浅川さんの同類を雇って資産運用を見てもらうのも良いかもしれませんが、ここに困った問題があります。実は一部では浅川さんはマジメに「素人同然」に思われているのです。背後に「黒幕」がいる可能性が指摘されています。「仮に“黒幕”がAIJとまったく正反対のポジションを取っていれば、そこは確実に利益を出すことができるわけだ……」(SAPIO2012年4月4日号)

したがって、あなたの企業の「投資のプロ」が、企業を裏切る可能性が常に存在するのです。これを予防するには、企業は「黒幕」が提供する以上の報酬を彼に与えなければなりません。しかもそれを「正当な」投資活動によって得た利益から支払わなければならないのですが、考えてみればその利益を出したのは彼に他なりません。彼は自分の報酬を自分で稼いだというわけですが、更に考えてみれば彼はそれをどのように稼ぎ出しても良いわけです。そして何らかの「不正」を行なった方が報酬が高くなる可能性は極めて高いものです。

そういうわけで島さんも、続く記述の中で「エンドユーザー」を結局は個人投資家にターゲットした書き方になってしまうのも無理はありません。他人は信用出来ません。企業としては従業員を信用出来ませんし、資産運用を他社に委託するのも信用出来ません。自衛では何も解決しないようですが、こういう問題では、もっと本質的な点に注意を払うべきでしょう。お金があって規制のない世界では当然そういうことになるのです。
posted by 珍風 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月21日

人生には「苦労」が付き物

震災瓦礫の処分を全国の自治体で分かち合おうとするのを 受け入れ声明した地元民...

震災瓦礫の処分を全国の自治体で分かち合おうとするのを
受け入れ声明した地元民が反対しているのって沖縄の
基地負担軽減に名乗りを上げない都道府県と
似てると思うのは私だけでしょうかね?

補足 沖縄県知事が瓦礫受け入れの表明をしたことは驚きましたね、
あれほど基地負担を強いられている県のトップが・・懐が広いですね。
また基地移転に関しての私的意見ですが国内に50近くあって使ってない
地方空港をもっと活用させる方法として米軍の招致は出来ないのですかね?

http://chiebukuro.toremaga.com/dir/detail/q1382674663/


いやいや、あなただけではありません。それにこの意見はとても深いものです。実際のところ、「震災瓦礫」の受け入れは米軍基地の受け入れと同じように害がありますから、「似ている」どころの騒ぎではありません。それはほとんど同じようなものだと言って良いでしょう。

例えば千葉県の匝瑳市では、「震災瓦礫」には「苦労」がくっついていることをきちんと指摘しています。

匝瑳市議会 震災がれき受け入れ決議

 東北地方で復旧・復興の妨げとなっている震災がれきについて、同じ被災地でもある匝瑳市の市議会が、市長に受け入れを求める決議を採択しました。

 決議は議会最終日の21日、全会一致で採択されたもので、匝瑳市によりますと、がれきの受け入れに関する決議は県内では初めてということです。決議では、東北地方の震災がれきについて「同じ日本国民として、その苦労を分かち合うことが必要」としたうえで、放射線量の測定などを条件に、通常の廃棄物相当と判断されるものについて受け入れ態勢を整えるよう市長に求めています。

 匝瑳市は東日本大震災で特定被災区域の指定を受けた被災地でもあり、匝瑳市議会の苅谷進一議長は「被災地が手を挙げることで、全国的に受け入れの機運が高まれば」と話しています。 匝瑳市では多古町・横芝光町との事務組合による清掃工場と最終処分場が市内にあり、今回の決議を受け、地元住民や近隣2町の了解を得たうえで、県を通じたがれきの受け入れに取り組んでいく方針です。

2012年3月21日 ちばテレ


「がれき」を受け入れることは、単に焼却するごみの量が増えるだけのことではないでしょう。それは市の担当者にとっては大問題かもしれませんが、住民にとってはあまり「苦労」とは感じられないものです。一体全体どんな「苦労」があるというのでしょうか。単にごみを焼くというだけの話しなのではないのでしょうか。しかし仮に何らかの「苦労」があるのだとすれば、それは「震災がれき」が「通常の廃棄物相当」ではないところに由来するものであるでしょう。

その「苦労」とは癌や心筋梗塞、何世代にもわたる畸形や知能低下を意味します。これが放射線環境における「苦労」なのであり、匝瑳市議会ではそういうことを「分かち合おう」としています。もっとも、「分かち合」ったところで、「東北」におけるそれらの「苦労」が減少するわけではありません。それは「分かち合う」というだけの一定の限られた量を確定出来ていません。むしろそれは拡散することによって増加するでしょう。

その「苦労」は病気であり、死です。また、千葉県の人々は最近、東金市で知的障害者が少女を殺害するという「事実」を受け入れました。知的障害者の増加も「苦労」の一部ですから、そのような事件もまた、「分かち合う」べきものなのでしょう。もっとも、その手の事件を「知的障害者」に押し付けることが出来れば、それは「苦労」でも何でもないという人もいるかも知れませんし、そのような人にとってこれからの世の中は良いことばっかりですが。

とはいえ、この「苦労」はあなたの子どもや孫に降り掛かる可能性があるでしょう。もちろん、あなたのお子さんやお孫さんは少女を殺したりしないと思いますが、だからといって殺したことにされないというわけではありません。なにしろ知的障害者ですから、どのような形で「世の中のお役に立つ」のか分かったものではないのです。そういうわけであなたは人殺しのヘンタイバカの親であったり祖父母であるという「苦労」を受け入れなければならないのです。

もっとも、そのような不幸なことにならないように、あなたは別の「苦労」を「受け入れ」る準備をしているかもしれません。あなたは自分の子どもや孫がトンデモナイことをしでかさないように監視されることを「受け入れ」ます。あなた自身も監視されることになるでしょう。あなたは身内の「犯行」を隠匿する虞れがあるからです。もしかすると幸いにしてあなたの親族にはそのような事態が起こらないかもしれませんが、隣の家の餓鬼はどうもアヤシいようです。そこであなたは隣の家を監視し、なにか「異常」があったら通報する、という「苦労」を喜んで「受け入れ」ることでしょう。

それに監視されることはあなたの生存の役に立つかも知れません。あなたは癌を発症するかもしれませんし、もっと恐ろしいことにイキナリ心臓がオカシクなって倒れて死ぬかもしれないのです。若いからといって安心はしていられないのですから、煙草とかそういう公に認められた危険から身を遠ざけつつも、突然襲いかかる死に抗すべくもありません。誰かに見張っていてもらえれば助かる可能性もあるというものです。しかしまあ、AEDにも寿命というものがあるそうですし、しょっちゅう使っていてはバッテリがなくなっていることもあるでしょう。そういうことはよくあることです。今はそうでもありませんが、これからよく使うようになりますから練習しておくべきでしょう。そしてあなたの番にはちゃんと使える人が近くにいることを祈ることです。それしかありません。
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2012年03月18日

日本を取り巻く危機 米仏の核攻撃を警戒せよ

核は色あせたか 「日本人は全員苦しんで死ぬべきだ」鎌倉在住の元米紙特派員語る


 「日本の絆の精神は色あせた」と10日付の米紙ワシントン・ポストに寄稿した元同紙東京特派員でブルッキングス研究所フェロー、ポール・ブルースティン氏(60)=神奈川県鎌倉市在住=が産経新聞のインタビューに応じ、「私たちは被災地の苦しみをともに分かち合わなければならない」と“絆の復旧”を願っていることを語った。

 ブルースティン氏は東日本大震災から1年の節目に「昨年の悲劇は日本を停滞から目覚めさせるのに失敗した」と題する記事を寄稿。自治体のがれき受け入れ拒否問題に触れ、日本国民の連帯意識が失われかけていると警鐘を鳴らした。

 インタビューでは、寄稿したきっかけとして、「震災直後、国全体が団結するはずだと楽観的だったが、震災前と同じく政治は争いを続け、人々が放射能問題に過度に反応していることに気がめいった」と強調した。

 同氏は震災後、多くの外国人が離日し、友人からも「脱出した方がいい」と助言されたにもかかわらず、放射能問題を徹底的に勉強し、「放射性物質はごくごく微量なもので問題ない」と理解。家族とともに日本にとどまった。今も福島県産の野菜や米を買い続けており、「自分ができることで被災地をサポートしている」という。

 自身が読んだ新聞記事の中で、被災した高齢者が「ボランティアの人からおにぎりなどをもらって感謝しているが、私は与えられるよりも社会に貢献したい」と話したことに感動、「これが日本精神だ」と思ったという。

 一方で、「被災地に協力したいと言いながら自分たちに直接影響があると拒否した。それががれきの広域処理に表れた」と残念がった。さらに「被災地の苦しみを分かち合わなければならない。もし自分たちの地域の首長や議員ががれき処理の協力を断るなら、次の選挙で落とせばいい」と断じた。

 その上で、「日本は必ず困難を乗り越えると確信している。多くの日本人は、東北の人たちが家族を亡くした痛みや家を流された苦しみを理解している。絆はそのうち戻ってくる」と期待を込めた。

 ブルースティン氏は世界経済が専門で、1987年からワシントン・ポスト紙に勤務。90年から5年間特派員として東京で暮らし、その後退職。2年前に鎌倉市に移り住んだ。


「『核』はどこに?」 シャネル日本法人社長が小説で中傷

 シャネル日本法人社長のリシャール・コラス氏(58)が今月、東日本大震災を題材にした小説「田んぼの中の海」を母国フランスで出版した。

 欧州の人々に津波被害の実態を伝えるとともに、日本社会が抱える問題を描きたいと筆を執った。同氏は、多くの自治体が、がれきの受け入れを拒否していることについて「どこに『絆』があるのか」と述べ、震災から1年を経て連帯意識が失われた日本に警鐘を鳴らしている。

 コラス氏は震災後、避難所や仮設住宅にメークアップアーティストを派遣して被災者にメークをするなどのボランティア活動に取り組んできた。その中で、震災を忘れたかのような東京の「日常」と、困難な生活を強いられている被災地との差に「日本が2つの世界に分かれてしまった」と感じた。欧米で東京電力福島第1原発事故ばかりが注目されることも執筆の動機になった。

 小説は、津波で家族全員を失った漁村の少年と、東京で無目的な人生を送ってきた若者が主人公。2人の対比を通じ、失われつつある「伝統的な日本の価値観」への思いも込めたという。

 コラス氏は日本在住歴35年以上の知日家。震災直後の日本社会の連帯を評価する一方、がれきの受け入れ拒否や福島県から避難した児童へのいじめには憤りを隠さない。「日本人に助け合いの気持ちがなくなっている。それを外国人(の自分)から指摘されるのは、さみしいことです」

 小説の印税は、被災地の育英基金に全額寄付するという。

2012年3月18日 産經新聞


本日は有り難いことに外国から「絆」の贈り物です。アメリカとフランス、この世界の2大核大国からの、まさに文字通りの核攻撃が敢行されました。あ、外国の方には分かり難いかもしれませんが、日本では昨年から「絆」と書いて「核」とか「放射線」なんかのことを表します。日本ではそれは半ば「糸」のようなものだと思われているのです。とても固くて、とても細い糸が体を貫いて内部から切り刻むような、そんな漢字の感じです。お二人はそんな「糸」を立派に日本人に投げつけられました。

ですからコラスさんにお答えするとすれば、「絆」はどこにあるかというと、それはコラスさんのおっしゃるとおり、まさに「がれき」にあります。ブルースティンさんがそんなものの「復旧」を願うのは勝手ですが、多くの日本人が痛いことは嫌いであることを覚えておかれると後々役に立つことでしょう。それに「絆」はそんなに早く「色あせた」りしません。「復旧」の心配はご無用ですし、それが「そのうち戻ってくる」ものであるとすれば、それは既に戻って来ていることを僕たちは知っています。実際、それは未だに身近にあり、身近にない人の所にも広がろうとしています。

それも全くの話しブルースティンさんやコラスさんの御陰さまあってのことのようです。といってもブルースティンさんはアメリカの新聞に作文を載せただけですし、コラスさんの本もフランスで出たようですから、お二人の「絆攻撃」というか、ガイジンどもにも分かり易く書けば「核攻撃」ですが、それはむしろ各々の自国内に向けられたもののようでもあります。要するに日本をダシにして兵器産業にささやかな貢献をなさる、という愛国的行為に出たわけでしょう。

何といっても日本は東洋の神秘の国ですから、エキゾティックな魅力に事欠きません。得体の知れない料理にヤリマン、曖昧な微笑で外人の無作法を見のがしてくれる寛大な人々、そのうえにお金までくれる「思いやり」の心に溢れたこの国の政治。そんな謎の国にはまた、「日本精神」や「伝統的な日本の価値観」という、西洋の人々から見れば一見不可解な、しかしよく知ってみれば利用価値が満載の、経済的な魅力も存在することを、世界経済の専門家やビジネスマンはよく御存知のようです。

アメリカとフランスにバラまかれた、この汚濁に満ちて危険な魅力をたたえた「絆汚染物質」を輸入したのは『産經新聞』さんのお手柄です。御陰で日本人はガイジンが日本人を愚弄した文章を直接読んで腹を立てる必要もないわけです。コラスさんの本は集英社あたりで翻訳出版されてしまう可能性がありますが、なにしろ日本では日本人が外国から汚染物質を輸入して日本人を攻撃しているのです。人々は「争いを続け」、「2つの世界に分かれて」います。

「2つの世界」はアメリカにもフランスにもあるでしょう。他人の命と引き換えに金を儲けようとする「世界」と殺されまいとする「世界」があるわけで、日本ではお二人とも前者の陣営で参戦されました。しかしその手に持っている「絆」という兵器が日本人を殺すのに最適だというのは、実は日本人に教えてもらったのではないでしょうか。最近では「絆」という字は、そのように機能すべく自覚的に使用されているのです。まったくとんだ人殺しですが、それを日本人(の自分)から指摘されるのは、きっと楽しいことでしょう。
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2012年03月14日

それで君はいつ死んでくれるんだ?

橋下市長 がれき処理「法で拘束を」


 大阪市の橋下徹市長は13日、政府のがれき処理方針に関し「単なる文書のお願いではだめだ。国が自治体を拘束するようなルールを作るべきだ」と述べ、自治体への強制力がない政府の方針は不十分との認識を示した。市役所で記者団に語った。

 橋下市長は大阪府知事時代にがれき受け入れ方針を表明。市長としても大阪湾の最終処分場での処分を想定し、海面に焼却灰を埋め立てる際の安全基準を示すよう政府に求めている。

 橋下氏は「法的拘束力があるもの(仕組み)をつくらないと国の責任を果たしたことにはならない」と強調。「海面埋め立ての基準がクリアされれば大阪市はしっかり受け入れる」と述べた。

2012年3月13日 共同


瓦礫処理問題に関する最も透徹した見解は橋下さんから出ていたわけですから、彼の意見を無視するわけにはいきません。橋下さんによればそれは「戦争」と同じなのです。「情けない」てゆーか「情無用」の御意見ではありますが、事実として確かにそれはそうに違いないとしか言いようがありません。どちらも金儲けのために人が死にます。

この点で渡邉美樹さんと仲良しの橋下さんの立場は一貫しているわけですが、汚染と被曝の拡散は「死刑・戦争・過労死」の「死の政治経済」の当然の帰結です。とはいえ何といっても人を殺そうというわけですから、「お願いではだめ」なのは当然です。何らかの強制力がなければ他人というものは中々死んでくれないものです。もっとも、「強制」と「拘束」によってあらかじめ殺しておくのであれば仕事は大分楽になります。

「拘束」されるのは「自治体」かも知れませんが、死ぬのは「自治体」ではなくて住民です。役人の間で「拘束」プレイを楽しむ、というだけ話しではないのですから剣呑ですが、逆に言えば公務員を「ルール」によって「拘束」するだけで、実に恐るべき効果を上げることが出来ましょう。瓦礫の受け入れに関して住民がいくら反対しても自治体はそれに拘束されませんが、議会を含む自治体は自らの意志で瓦礫を受け入れたり受け入れなかったりすることが出来ます。この場合に自治体は住民の声を参考にしたりしなかったりするわけです。しかしながら国により自治体が「法的拘束力」を受けた場合、住民は既に死んだも同然であります。

橋下さんの言う「地方分権」というのはこういうことらしいのですから字面に騙されてはいけません。いわゆる「記号の恣意性」というものが最大限に活用されたデタラメですが、彼の「脱原発依存」も同様で、それは原子力村に奉仕するためには何でもする、というようなことを指しているようです。

橋下さんを使っている人々にとって現在の最大の問題は、荒廃した列島とそこの住民から限られた時間の中でどれだけ搾り取れるかということですが、考えてみれば荒廃していなくてもどれだけ搾り取るかが問題なんですから何も変わっていません。とはいえこの放射線環境において、国はとにかく全ての人に放射性物質を受け入れさせることを目標にしています。馴れてもらう、てゆーか体が馴化するのはムリですから気持ちの上で慣れてもらうことが大切です。

まずは瓦礫から始め、その次は再稼動であり、遂には新たな核発電所の建設を実現させるでしょう。今回の事故をむしろ好機として、住民に放射線環境を受け入れさせなければなりません。それに放射線汚染による損失と言っても大したものではありません。誰かが死ぬかもしれませんし、多くの人が死ぬかもしれませんし、病気で苦しむ人も沢山出るかも知れません。ところが人間なんてものはいくらでもいますから、何の価値もありません。気にしろというのが無理な話しです。しかしながら役立たずも殺すことによって金になるのであれば生かしておいた価値があったということになるんです。
posted by 珍風 at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月12日

絶体絶命黙示録

日本人の国民性を試している…広域汚染で首相


 野田首相は11日、東日本大震災1年を受けて首相官邸で記者会見し、震災で生じたがれきの広域処理を推進するため、岩手、宮城、福島3県を除く都道府県に、昨年8月に成立した災害廃棄物処理特別措置法に基づき、文書で協力を要請する考えを表明した。

 同法6条は、国が災害廃棄物処理で地方公共団体に協力要請できると定めている。

 首相は「広域処理で国は一歩も二歩も前に出て行かなければならない。日本人の国民性が試されている」と強調。週内に関係閣僚会議を設置し、がれきを原材料として活用できるセメント、製紙業界などにも協力拡大を要請する方針も示した。

 復興交付金配分などを巡り、被災地から復興庁への批判が出ていることについては、見直すべき点を整理して対応するよう平野復興相に指示する考えを示した。

2012年3月11日 讀賣新聞


「日本人の国民性」としては「文書」はヤバい、というワケかもしれませんが、よく考えたら別に何人だって「文書」が出て来ると厄介なものです。無視するわけにはいかず、潰したニキビのように痕が残って困ります。ロゼット洗顔パスタでも治りません。

おそらくこの「文書」は、都道府県庁なんかには届くのでしょうけれど「日本人の国民性」を慮って住民には届きません。とはいえ「文書」には「宛名」があって、おまけに「回答期限」なんてもんもあるかも知れないのです。そして役人の世界はミニスカと違って下からみるとよく見えませんが上から見ればよく見えるもんですから、「宛名」の人が上に向かっての「責任」を感じてしまうのが「日本人の国民性」であろう、というのが野田さんの想定であります。

「上」には弱いという「日本人の国民性」からして「文書」には抵抗出来ません。逆に「文書」とは便利なものです。力も入れないで梃も使わずに地球を動かし、目に見えない鬼神に涙させ、男女の仲をとりもち、狂暴な兵隊さんの心を慰めるのは「文書」です。いかなる盾をも突き通しどんな矛も防ぐもの、横車を滑らせる潤滑剤、それが「文書」なのです。

それどころかセメントや紙も汚染させるようなのですから「文書」の力恐るべしであります。汚染されていない最後の紙が「文書」なのかも知れませんが、「文書」を貰えなかった下々の愚民どもの周りにも「セメント」や「紙」が存在します。字が読めない人もケツぐらいは拭くのです。危機は肛門からやって来ます。「日本人」に逃げ場はありません。「外国人」でも日本にいる限りはこの環境に曝露されますからもはや「日本人」のようなものだと思って頂くしかありません。

もっとも、放射性物質がどっか他所へ飛んで行ってしまったりするのは避けられないので、この放射線環境を保持するための備えを怠るわけにはいきません。

震災1年 野田首相会見の要旨


 【原発再稼働】最新の知見を踏まえ、ストレステスト(耐性調査)の妥当性を原子力安全委員会が確認する。私と枝野幸男経産相、藤村修官房長官、細野豪志原発相の4人で安全性を確認し、政府を挙げて地元を説得する。私がその先頭に立つ。

2012年3月11日 日本経済新聞


1年経ったらすっかり「封印」が解かれてしまったようで、お待ちかね災厄をもたらす四騎士の登場です。1枠白い馬は消費税を弓で飛ばして来る野田騎士、2枠赤い馬は剣を振り回して他人の首をなくしてしまおうとしている首なし騎士の枝野さん、3枠藤村騎士は黒い馬に乗ってお金をはかる秤を持ち、4枠に控えしは蒼ざめた馬に乗る興ざめた細野騎士、世に悪名高き「ホースメン会議」があなたの「地元」に襲来します。

どうもクスリでもヤって幻覚を見ているような話ですが、これが1年目の日本の現実なんですからやっぱり字というものは読んでおくべきものです。続く第五の封印が解かれると、公表されていない「原子力」の「殉教者」が現れて何か文句を言うことになっているようですが、第六の封印が解かれるとよせばいいのにまた地震が起こるんだといいます。おそらく癌の多発が隠し切れなくなった頃には次の地震が来るとか、そういう意味なのかもしれませんが、言われなくても日本のことですから地震くらい起こります。その時には「想定外」などとは言えないわけですが。
posted by 珍風 at 06:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月10日

隠喩としての野菜

常備しておきたい、カラフル野菜のお総菜(放射線に負けない!

 赤色や黄色、橙色などの、食卓に彩りを添えるカラフルな野菜は、栄養面でも優れもの。色素成分である「カロテノイド」をはじめ、ビタミンCやビタミンEなど、「活性酸素」の害から身を守ってくれる成分が含まれています。活性酸素とは、放射線の影響などによって体内に発生し、がんなどの病気や老化を引き起こす一因になるもの。毎日、緑黄色野菜をたっぷりととり入れて、健康な体を作る支えにしましょう。
 
 「ミニトマトとにんじんのドレッシングあえ」は、時間をおくと野菜に味がよくなじみます。2〜3回分まとめて作っておいて、軽食や突き出しなどにしてもおすすめ。シンプルなドレッシングがトマトの甘みを引き立ててくれます。

作り方
(1) にんじんはピーラーで薄く削る。なべに湯を沸かし、ミニトマトを入れて皮がはじけたら水にとり、皮をむく。続けてにんじんを1〜2分ゆでてざるにあげ、水けをきる。
(2) ボールにa を合わせて(1)とパセリを加え、あえる。
 ※ ふたつきの容器に入れ、2〜3日で食べきる。

■女子栄養大学出版部からひと言
『栄養と料理』(毎月9日発売)は、おかげさまで創刊77年になります。今号の特集は、「放射線に負けない! 3・11からの食べ方入門」。東日本大震災以降、原発の事故によって放射能汚染が広がり、野菜や魚など食べ物の安全性に不安を感じているかたも多いことでしょう。さまざまな情報が行き交っていますが、毎日を健康に生きるために基本なのは、栄養バランスのとれた食生活であると本誌では考えております。4月号は、そのためのヒントをご紹介させていただきます。インターネット上で立ち読みもできますので、当出版部のホームページhttp://www.eiyo21.com をご覧ください。(編集担当 / 林)

2012年3月9日 讀賣新聞


「負けない」つもりでやるんでしたら別に構いませんが、はっきり言って勝ち目はありません。「緑黄色野菜」ごときを過信して「放射線」に立ち向かうなど、自殺行為に等しい愚挙であると申し上げることが出来ましょう。なるほど確かに「毎日を健康に生きるために基本なのは、栄養バランスのとれた食生活である」のかも知れませんが、その「毎日」が「東日本大震災以降」と「以前」とではまるで違っていることを認めたくない『讀賣』なのでした。

そんな『讀賣新聞』ですから、この日の日本テレビでは『ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]』を放送するという暴挙に出たりもするわけです。この『宇宙忍者ゴームズ』の実写版の主人公たちは、こともあろうに放射線に曝露されて様々な超能力を身につけるに至った人たちであり、その能力を利用して「悪」と戦うスーパーヒーローなのです。

もっともアメコミの世界ではこの手の「放射線に負けない」連中が幅を利かせておりまして、ハルクであろうがデアデビルであろうがみんなこぞって「放射線を浴びて」スーパーヒーローになってしまうのです。こういうのを「平和利用」というのかどうか知りませんが、かなりテキトーな放射線の「利用」がまかり通る世界であると言えるでしょう。

いずれにしても彼等がいわゆる「悪」と戦う限りにおいて、「放射線」は「善」なる力であり、アメリカのような野蛮国において、それは「奇跡」をもたらす「神」の力の隠喩となっているものと思われます。同じ放射線でもゴジラが浴びたやつとは、どうも違うようです。それはたとえば旧約聖書のサムソンのお話の語り直しのようなのであり、その証拠にセクシーなおねぇさんが必ず出てくることになっています。

とはいえ、ことはそう単純でもないわけで、実際『ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]』においてはヴィランである「ドクター・ドゥーム」もまた被曝者なのです。これは原作との重要な変更です。原作では単に顔に大怪我をして気が変になった人だったのですが、映画の方では破産して気が変になったベンチャー野郎が「放射線」によって「超能力」を身につけ、女のことで大袈裟な騒ぎを演じるのでした。

この作品では被曝は「災厄」として解釈されており、映画の中盤は「超能力」を「症状」と位置付けてその「治療法」を開発する過程を描いています。その「災厄」としての性格は身体が変容したまま元に戻らないので奥さんに逃げられる登場人物において顕著ですが、映画は「治療装置」として『ザ・フライ』の「ポッド」を引用することによって、身体の崩壊としての「ハエ化」という蠅男のテーマを引き継いでいます。当時あれは「エイズのメタファー」とか言われたもんですが、現在ではそれがメタファーでもなんでもなく被曝は被曝に他ならないという、そんな「毎日」です。

したがってこのヒーローチームも、行く行くはどんどんお加減が悪くなっていって、ついには頭をショットガンで吹っ飛ばしてもらわなければならないような事態に立ち至ることが予想されていますから、『銀河の危機』とかいう続編を製作したところで何の慰めにもなりません。その先はもう見られたものではないのに決まっているのです。見たい人は、もうすぐ近所で始まることになっていますからお楽しみに。「緑黄色野菜」なんか喰ってると自分がそうなりますから「毎日」楽しいです。
posted by 珍風 at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月06日

僕の人気商品

皆さんランジェリーちゃんにお困りのご様子ですが、例えばこんなふうに見えればいいな、と思ったわけです。

http://worstblog.up.seesaa.net/image/hinomaru.png

はなゆーさんとこみたいにアマゾンでアソシエイトしてもいいんですがね。なんか審査があるみたいですよ。
posted by 珍風 at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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