2012年04月09日

あなたは何もする必要はありません。復讐を依頼するだけです。

セカイに死刑は必要だ!

日本では2年ぶりに3名の死刑が執行された。国際人権保護団体「アムネスティ・インターナショナル」は、日本政府の行動を非難し、死刑は人権の侵害であるとの考えを示している。一方の日本国内では86%におよぶ人びとが死刑を支持している。小川敏夫・法務相は、将来にわたっても死刑執行は継続されるとしている。

すでに先進国の大多数では死刑は存在しておらず、日本と米国だけが例外となっている。ロシアの東洋大学で教鞭をとり、日本研究センターの所長でもあるアナトリー・コシキン教授は、そのような状況が日本人の精神文化に由来するものだと指摘している。

―日本やいくつかの民族の伝統では、いまだにヴェンデッタ、つまり血の復讐という考えが残っています。日本人にとって、他人を意識的に殺した者が、最も厳しい刑罰を受けるというのは自然なことなのです。死刑については、最終的に執行の判断をする法務大臣が誰なのかによっても左右されます。2010年から最近の交代までの間、死刑はひとつも執行されませんでした。しかし新しい小川法相は、この問題においてはっきりとした態度をもって臨んでいます。死刑の執行後、小川法相は、大臣として日本の世論を無視することはできないという趣旨のことを述べています。

2012年4月6日  The Voice of Russia


てゆーか、「先進国」の問題については、「日本と米国」を「先進国」から除外すれば解決するでしょう。「先進国」という概念に西欧キ印教国中心主義的なバイアスがかかっているとすれば、「欧州研究センターのウラジスラフ・ベロフ所長は、キリスト教道徳そのもののなかに、死刑が存在できない理由があると指摘している」んだそうですから、死刑制度を有する国家を「先進国」から外すことに不自然はありません。

もっともロシア人の言うこともいい加減なもので、日本の伝統はイタリアっぽいものなんだそうです。「vendetta」というのはイタリア語で「復讐」とか「敵討ち」のことで、『Vフォー・ヴェンデッタ』のヴェンデッタですが、コルシカ島なんかで、ある一族が今ひとつの一族と代々にわたって血で血を洗う抗争が行なわれているとき、一方から他方に行なわれる攻撃が、攻撃する側においては先に自らが相手から受けた攻撃への復讐として自覚されているようなのを指すようです。もはや起源の明らかではない復讐への復讐の終わりのない連鎖です。

たしかに、ロシアとイタリアと日本はいずれもヤクザが支配する国であるという共通点をもっているようですが、日本でもそんな物騒な復讐合戦が行なわれているかどうかは定かではありません。時々ヤクザが射殺されたりしているようですから「抗争」も「復讐」も存在するもと思われますが、イタリアのように何世代にもわたる粘り強い取組みが行なわれているのかどうか分ったものではありませんし、「日本人」一般にそういう「考え」が残っているのかどうか、はなはだ怪しいもんでしょう。

もしそうだとすれば、死刑に処された者の一族は死刑判決を出した裁判員や裁判官を許さないでしょうし、仮に死刑判決に当たって「遺族」が活躍したとなれば、当然に「遺族」が「復讐」のターゲットにされることになるわけですが、今のところそういう事情で殺された「遺族」はいないようです。コシキン教授はヤクザ三国同盟の一員であるとはいえ、まだまだ東洋の神秘の国への理解が足りない様であります。

もっとも、「復讐」に着目したあたりは慧眼であるといってあげても良いかもしれません。確かにそれは「復讐」である可能性があります。しかしながらそれはかなり特殊な形式の「復讐」であると思われるのです。「日本人」が「復讐」の形式として「死刑」を「支持」しているのであるとすれば、それはむしろヤクザ風のものではなく、水戸黄門的なものであると思われます。イタリアとかマフィアとかの血湧き肉踊るお話はあまり関係ありません。

そこでは「復讐」が直接行なわれるような華々しさはありません。「日本人」は自分で「復讐」しないのであり、それは「復讐」を必要としている者が「弱者」だからなのです。日本では「犯罪被害者」は何よりも「弱い」から「被害者」になったものであると考えられています。強かったら逆に相手を殺していたはずなのですが、弱かったので殺される方に回ってしまった、というのが「犯罪被害者」です。この点で、「被害者」はもう死んでしまったので何を考えているか分かりませんが、「被害者遺族」も自らを「弱者」として規定します。

なにしろ「弱者」なもんですから、この場合「復讐」は「強者」たる加害者の力を凌ぐ強大な力に頼って、いわば代行してもらうことを願う、ということになります。また「被害者」や「遺族」でなくても、一般の日本人は自分が「弱者」であることを思い知らされる機会に恵まれていますから、「復讐」を代行してくれる力が益々強くなることを常日頃から願っています。そこで日本では死刑制度存続を支持する「世論」が多数を占めることになるでしょう。

給料を沢山もらっている「強者」たる公務員を懲らしめてくれる人が人気を得たりしているのも同じような現象でしょう。労働者が雇用者からの不当な取り扱いに遭っても直接戦うようなことはせずに労基署に相談に行くのも、もしかすると同様なのかもしれません。もちろん違法行為を行なう企業の方がどうかしているんですが、すっかり「弱者」になった労働者はもはや国家権力に依存するしかありません。当然のことながらそこからは何一つ新しい要求など出て来ませんし、法律が変わればそれまでで、後退を余儀なくされしかないのですが。

もちろん国家権力は「強者」だから強いわけで、その強化は「弱者」をしてますます「弱化」させることになりますが、日本人が「復讐」を意識すると前後の見境のないあたりが、もしかするとイタリア風です。彼等はいわば、自らはますます「弱化」することによって「復讐」を遂げるのです。肉を斬らせて骨を斬っているつもりでしょうが、そんな「復讐」の仕方ですから相手を殺さなければ成る程意味がないわけです。

日本の映画に登場するヤクザはカッコいいかもしれませんが、一般の日本人はこのように大変慎み深い、大人しい人たちですから、あなたが日本を訪れても近所の街角で「血の復讐」の実演は行なわれていません。しかしながら「強者」が吊るされるのを切望している日本人も、たまには自分で人を殺すこともあるでしょう。死刑の存続を支持している人も死刑判決を受けることがあるのですが、それは彼にとって容易に受け入れられるものであるようです。ほんの一瞬でも「強者」として他者を圧倒した経験は、彼にとって得難いものであり、それさえ手に入れば文字通り「死んでもいい」ほどのものなのでしょう。

かどうかは分ったものではありませんが、小川法相は「はっきりした態度」を示されたとのことです。人が3人も死んでるんですから、そりゃ「はっきり」しているわけですが、他の人たちも「はっきり」ぶりでは引けを取っていない様です。

「死刑制度の存廃、検討を」 平岡前法相が在任時に提案したのがマズかった

 死刑制度の存続・廃止をめぐり、今年1月に退任した平岡秀夫前法相が在任中、制度の廃止も含めた検討を法制審議会に諮問しようと法務省内で提案していたことが関係者への取材でわかった。省内から慎重な意見が出て見送られた後も、有識者による議論を始めようとしていたという。

 後任の小川敏夫・現法相は存廃をめぐる議論に消極的で、先月には1年8カ月ぶりに3人の死刑を執行した。廃止を含む議論の機運が法相の交代により大きく後退したことになる。

2012年4月7日 朝日


前の平岡さんは「制度の廃止も含めた検討」を提案していたようですが、だからといって「はっきり」していたわけではありません。「はっきり」しているのは法務省でして、「慎重な意見」でこれを封じ込め、どうでもいいような「スキャンダル」で平岡さん本人もさっさと片付けてしまいました。小川法相はこの「はっきり」した要求に応じそれに励まされて生まれたのです。80日足らずで3人執行とはいささか期待に応えすぎた感もありますが、立派にその「職責」を果たされていますからこんなところにお願いしなくても大丈夫です。左斜め下

参考: http://noroiya.dousetsu.com/


posted by 珍風 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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