2013年02月24日

あとの祭りのあと

TPP共同声明の全文


 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に関する日米共同声明の全文は次の通り。

 両政府は、日本がTPP交渉に参加する場合には、全ての物品が交渉の対象とされること、および、日本が他の交渉参加国とともに、2011年11月12日にTPP首脳によって表明された「TPPの輪郭(アウトライン)」において示された包括的で高い水準の協定を達成していくことになることを確認する。
 日本には一定の農産品、米国には一定の工業製品というように、両国ともに2国間貿易上のセンシティビティーが存在することを認識しつつ、両政府は、最終的な結果は交渉の中で決まっていくものであることから、TPP交渉参加に際し、一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する。
 両政府は、TPP参加への日本のあり得べき関心についての2国間協議を継続する。これらの協議は進展を見せているが、自動車部門や保険部門に関する残された懸案事項に対処し、その他の非関税措置に対処し、およびTPPの高い水準を満たすことについて作業を完了することを含め、なされるべきさらなる作業が残されている。(ワシントン阿比留瑠比)

2013年2月23日 産経ニュース


第1パラグラフでは「包括的で高い水準の協定を達成していくことになることを確認」しています。これが大前提です。第3パラグラフでも御丁寧に「TPPの高い水準を満たすことについて作業を完了」しなければならないことが強調されています。その間に、何か交渉の余地でもあるかの様なことが書いてありますが、これは交渉に入る前から「全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではない」と言っているだけです。「あらかじめ」は約束させられることはない、しかし「交渉の中で」約束させられることになります。何故なら、交渉は「包括的で高い水準の協定を達成していく」という方向でのみ行なわれるからです。

つまりどういうことかというと、「TPP交渉参加に際し、一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではない」んですが、一旦交渉に入ってしまったら「包括的で高い水準の協定を達成していくことになる」わけです。

これは悪質ななんたら商法と同様でして、最初のうちはあなたには何かを買ったりする義務はないので安心して下さいという話しなんですが、帰る時にはちゃんとオカシナものをつかまされてローンを組まされたりしているもんです。というのも2人組の売り子におだてられたりおどかされたりしているうちにそうなってしまうんですが、後になって騙されたことに気がついても後の祭りなのでした。

祭りのあとの淋しさを、たとえば女でまぎらわす、そんな情けない男は御免被りますが、まあ実際のところ「交渉の余地」というものが全くないわけではありません。といってもそれは多分、何年か時間を稼ぐだけのことだと思われますが、これからいよいよケチな「交渉の余地」を巡ってロビー活動とか金髪の美女とか札束とかが飛び交ったり、ビルの窓から放り出される人まで飛び交ったりする予定ですが、そんなことをしたところで、結局のところ昨日の夢は冗談だったということになります。

しかしそうなると、例えば農業に何年かの猶予を与える代わりに「その他の非関税措置」が「高い水準を満たす」べく「対処」されてしまったりします。それは例えば日本語なんかはとんでもない非関税障壁ですから、全ての契約書は英語で書かないといけなくなったりということが直ちに発生します。たとえ日本人同士の契約であってもです。割って入ろうとするグローバル、てゆーか要するにアメリカの会社の人が盗み読む時の便宜を図らなければなりません。

逆に「保険部門」や労働部門は、日米両国の政府及び企業にとってその「撤廃」は共通の利益となりますので、日本は喜んでそれを売り渡すことでしょう。社会保険はなくなって、みんな民間の保険に入ることになります。ちなみに民間の医療保険だと、患者は一旦医療費を病院に100%払ってから、保険会社に請求を出すとお金が戻って来る仕組みになりますから定義からしてお金に余裕のないビンボー人は病院に行けません。俗に「病気になれない」とか申しますが、病気にならないわけにもいかないので、病気になったら自然治癒かそのまま病死です。てゆーか自宅なんかで病死されると変死扱いですからオマワリさんは忙しくなりますが。

労働者諸君はそうでなくても健康への脅威が待ち構えています。労働基準法こそ非関税障壁の最たるものです。ホワイトカラー・エグゼンプションの逆襲ですが、ブルーカラーだろうがメタルカラーだろうが全部エグゼキューションです。例えば日本ではアメリカ人はこんな文句を言う必要もないのです。労働者が長大な実働でわずかな賃金しか得られない国で事業を行うのは素晴らしい事なのではないでしょうか。

米CEO、仏労働者の働きぶりを批判
By GABRIELE PARUSSINI

 【パリ】フランス北部のタイヤ工場の買収を検討していた米企業の最高経営責任者(CEO)が仏労働者の働きぶりを痛烈に批判。労働者がわずかな実働で多額の賃金を得ている国で事業を行うのは「ばかげている」と、同国の担当閣僚に書簡を送った。

 米タイヤメーカー、タイタン・インターナショナルのモーリス・テーラーCEOは、「フランスの労組と政府はおしゃべりしかしていない」と同国の労働文化を批判した。仏経済紙レゼコーが20日掲載した同CEOの書簡は、生産が鈍った場合に企業は従業員と賃金を削減できることなどを盛り込んだオランド大統領の労働改革計画が外国の投資家にとってはあまりにもゆっくりとした改革になる恐れがある、と指摘した。

 タイタンは、米グッドイヤー・タイヤ・アンド・ラバーが売りに出した不採算工場の買収に関心を示していたが、共産党系の労働総同盟(CGT)が雇用を守るための労働時間延長を拒否したのを受けて、交渉から撤退した。

 テーラーCEOは、モントブール生産回復相の交渉再開の要請に対する2月8日付の書簡で、「あなたの書簡はタイタンが交渉を行うことを求めているが、あなたはわれわれがそれほど愚かだと考えているのだろうか」と答えた。テイラー氏からのコメントは得られていない。

 モントブール氏は20日、この批判をはねつけ、「あなたの言い様はひどい侮辱であり、われわれの国フランスに対する完全な無知を示している」と反論した。同氏は、フランスには2万に上る外国企業があり、約200万のフランス人を雇用し、フランスの輸出の3分の1を担っていると指摘した。

 同氏と外国企業との間の舌戦はこれまでにもあった。同氏は昨年末、仏東部フロランジュにある高炉2基の閉鎖計画をめぐり鉄鋼大手のアルセロール・ミッタルのラクシュミ・ミッタル会長と衝突。高炉を国有化すると警告するとともに、フランスはもはや歓迎しないと同会長に伝えた。

 テーラー氏の批判 − 多くの企業の考えよりも厳しいのだが − は、フランス産業界の競争力に関する広範な懸念を反映したものだ。経済協力開発機構(OECD)の2011年の統計によると、同国の生産性はドイツよりも高く、米国に迫るものだが、労働法規が障害となって正規従業員を解雇するのは高くつく。工場閉鎖は大規模な政治的反発を招くことがある。

 フランス政府は、柔軟な労働条件で労組と合意するよう経営側に求めている。政府は3月、状況が厳しい時には企業が労働時間と賃金を削減し、レイオフに関する若干の法的不透明さを排除し、余剰人員削減措置に従業員が提訴できる期間の制限を盛り込んだ法案を議会に提出する予定だ。

 テーラー氏は書簡で、フランスは全ての産業ビジネスを失う恐れがあるとし、仏北部のアミアンのタイヤ工場を買収しようとした際の厳しい状況を紹介した。同氏は「フランスの労働者は高い賃金を得ているが、働くのは1日にわずか3時間だ。休憩と昼食が1時間、おしゃべりが3時間、労働が3時間だ」とし、「私はこの事実を労組加盟の労働者に突きつけたが、彼らはこれがフランス流だと言った」と書いている。

 この書簡はフランスで強い反発を招いた。CGTの次期委員長であるティエリ・レパオン氏は「我慢にもほどがある」とし、「必要なのは閣僚ではなく共和国大統領の対応だ。大統領は仏国民への敬意を要求しなければならない」と強調した。

 グッドイヤーのタイヤ工場をめぐるトラブルは、アミアンの二つの生産施設の再編を決めた2007年に始まった。同社は、農業機器と乗用車向けのタイヤを24時間生産できるように勤務シフトを変更することを従業員に求めた。しかし従業員がこの提案を拒否したため、同社は402人を解雇する計画を明らかにした。従業員側は解雇は違法だとして提訴した。

 グッドイヤーの広報担当者Catherine Dumoutier氏によると、09年に自動車市場が世界的に落ち込むと、グッドイヤーは解雇計画を撤回し、タイタンとの間で、アミアン・ノール工場を含む欧州の農機用タイヤ生産工場の売却交渉を開始した。グッドイヤーは817人の解雇など新たなリストラ計画を提示したが、裁判所の承認を得ることはできなかった。

 テーラー氏はアミアン工場を2回訪れ、半分の従業員を2年間維持すると提案した。しかし、CGT加盟労働者はこれを拒否。7年間の職場確保を要求した。工場のCGT代表であるミシェル・ワーマン氏は「われわれはテーラー氏の計画には信頼が置けず、反発している」と述べた。

 モントブール氏の報道官によれば、タイタンは昨年9月、フランスの「厳しい社会風土」を理由に工場買収交渉から撤退した。同氏はタイタンの提案を受け入れるよう何カ月もCGTを説得し、年末には、状況は改善し、交渉のテーブルに戻れる、とテーラー氏に伝えた。

 一方で、グッドイヤーは工場閉鎖を決めた。操業が段階的に縮小される中で、乗用車向けタイヤの生産は1日約2000本にまで減少した。同工場は同2万1000本の生産能力があった。それにもかかわらず、フランスの法律は全ての従業員の雇用を続けることを同社に義務付けている。これは1日に2時間だけ働いて、賃金をフルにもらえることを意味する。これがテーラー氏を激怒させたようだ。

 同氏は書簡の中で、日本のブリヂストンに次ぐ世界第2位のタイヤメーカー、仏ミシュランは5年後には「フランスで生産できなくなるだろう」と書いている。これに対してモントブール氏は「タイタンの規模はミシュランの20分の1、利益も35分の1にすぎないことを思い起こしてほしい」とし、「これはタイタンがフランスで地歩を固めればどれだけ多くのことを学び、どれだけ多くの利益を得られたかということを示している」と強調した。

2013年2月21日 ウォールストリートジャーナル


アメリカにとって日本との「交渉」がいかに重要であるかがよく理解できる例です。モントブールさんはなかなか頑張っている様です。奥床しい日本の政治家にはとてもこんな事は言えません。たとえブリジストンがあってもです。

2010年度の世界ランキング   ※単位:百万ドル

 1位 ブリヂストン(日本) 24.425
 2位 ミシュラン(フランス) 22.515
 3位 グッドイヤー(アメリカ) 16.950
 4位 コンチネンタル(ドイツ) 8.100
 5位 ピレリ(イタリア) 6.320
 6位 住友ゴム(日本) 5.850
 7位 横浜ゴム(日本) 4.750
 8位 ハンコック(韓国) 4.513
 9位 クーパー(アメリカ) 3.361
10位 正新/マキシス(台湾) 3.356
11位 杭州中策ラバー(中国) 3.226
12位 クムホ(韓国) 3.025
13位 東洋ゴム(日本) 2.500
14位 三角グループ(中国) 2.258
15位 GITIタイヤ(シンガポール) 2.207
16位 アポロタイヤ(インド) 1.943
17位 MRF(インド) 1.739
18位 山東リンロン(中国) 1.428
19位 J・Kインダストリーズ(インド) 1.303
20位 ノキアンタイヤ(フィンランド) 1.261
21位 青島双星(中国) 1.233
22位 ダブルコイン(中国) 1.222
23位 アイオラスタイヤ(中国) 1.199
24位 ネクセンタイヤ(韓国) 1.157
25位 星苑タイヤ(中国) 1.040


タイタンは?そんなものは出て来ません。代わりにこんなものを見つけました。

米タイタンの超大型タイヤ、予想耐用時間の100分の1で使用不能に


8月24日(ブルームバーグ):タイヤメーカーの米タイタン・インターナショナル が目指していた超大型タイヤ市場参入が壁に突き当たっている。カナダのオイルサンド開発事業で利用されているトラックに装備されたタイヤが予想耐用時間のわずか100分の1で故障するケースが発生したからだ。

タイタンのモーリス・テイラー最高経営責任者(CEO)は電話インタビューで、圧力監視機器を設置するためのダンプトラックに装着される直径13フィート(約4メートル)のタイヤの生産を同社が一時停止したことを明らかにした。

同CEOによれば、英蘭系ロイヤル・ダッチ・シェルなどのエネルギー会社が加アルバータ州で進めるオイルサンド事業で利用されているトラック(積載重量400トン)のタイヤ4本が100時間利用後に使用不能となった。予想されていた耐用時間は最低で1万時間だった。

この超大型タイヤの価格は一本4万2000ドルで、シェル のムスケグリバー鉱山などに投入されたキャタピラー 製の797Bトラックに装着されていた。テイラーCEOは3月、超大型タイヤ市場への参入により売上高が5年以内に3倍に拡大するとの見通しを示していた。同CEOは、地元のディーラーが、利用開始時の空気圧を低くし過ぎたため内部の温度が上昇した結果、スチールベルトが分離したと説明した。

テイラーCEOは「地元のディーラーが7−10%のリベート(販売払戻金)を要求したが、その支払いを拒否した。支払わなければ彼らはタイヤから少し空気を抜くかもしれない。だれも見てはいない」と語った。ディーラー名は特定しなかった。

同社は改良した新タイヤを試験するため、オハイオ州ブライアン工場でのタイヤ生産ラインを8月第2週に停止した。テイラーCEOによると、生産は今月末までに再開する。

ニューヨーク市場でのタイタン株の24日終値は0.68ドル(7%)安の9.07ドルだった。

2009年8月25日 ブルームバーグ


「特定」もされず、「だれも見てはいない」ところの「地元のディーラー」なるものが空気を抜いたそうです。かなりヒドい言い掛かりですが、タイタンがミシュランに取って代わったらかなり恐ろしい事態になることが予想されます。なにしろ「地元のディーラー」なんてものはどこにでもいるんですから、タイタンのタイヤは空気が抜けっぱなしになる事請け合いであります。出来る事であれば、そのような影の如く暗躍し疾風のように現れて空気を抜いて去っていく「地元のディーラー」に付け狙われていないメーカーのタイヤを履きたいものですが、そんな事は許されません。安全基準も非関税障壁なのです。かわりに、死ぬと祭りのあとの淋しさがもれなく貰えることになっています。
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2013年02月22日

殺してみんなで忘れて明るい社会

3人死刑執行 凶悪犯罪の抑止につなげたい


 3人の死刑囚に対する刑が21日、執行された。昨年12月に発足した安倍政権の下で、初めての執行である。

 就任2か月で執行を命じた谷垣法相は、執行後の記者会見で「法の精神を無視するわけにはいかない」と述べた。死刑確定から6か月以内に刑を執行しなければならないと定めた刑事訴訟法を重視した発言だ。

 法相に課せられた重い職責を、粛々と遂行していく姿勢を示したと言える。

 民主党政権では、死刑の執行が少なく、約1年8か月にわたり途絶えた時期もあった。死刑制度に批判的な法相の就任が続いたためだ。その結果、確定死刑囚は今回の執行前で、戦後最多の137人に上っていた。

 死刑制度については、国際的には維持する国より、廃止か停止した国の方が多い。

 一方、日本では、内閣府の世論調査で死刑容認が85%を占めている。谷垣法相が「制度を現時点で見直す必要はない」と語ったのも国民感情を踏まえたものだ。

 国民が参加する裁判員裁判で死刑判決が出されるようになり、既に3人の死刑が確定している。そんな現状も考慮すれば、確定判決を精査した上で、厳正に制度を運用していくことが求められる。

 今回、刑が執行されたのは、2004年に奈良県で女児を誘拐し殺害した男や、08年に茨城県のJR常磐線荒川沖駅などで9人を殺傷した男らだ。

 いずれも、社会を震撼させた、卑劣かつ残虐な犯罪だ。被害者・遺族が受けた傷は大きく、処罰感情も厳しいものがある。

 奈良の誘拐殺人事件では、帰宅途中の小学1年の女児をわいせつ目的で連れ去り、遺体の写真を女児の母親にメール送信するなど、悪質性が際立っていた。

 殺害した被害者が1人であっても、凶悪な性犯罪では極刑を免れないという厳罰化の流れが明確に示されたケースだろう。

 奈良の事件は、死刑囚に性犯罪歴があったことから、再犯対策の検討を迫る契機となった。

 法務省は、子供に対する性犯罪の前歴者について、出所後の居住地情報を警察庁に提供するようになった。刑務所では性犯罪者に再犯防止プログラムを受講させ、感情をコントロールする方法を身に着けさせている。

 しかし、性犯罪の被害は後を絶たない。死刑執行は、凶悪犯罪の抑止が目的の一つであることを改めて考えたい。

2013年2月22日 黄泉売新聞瀉説


なんか滅茶苦茶な「社説」ですが、読売新聞社の説ですから仕方ありません。概ねいつもこんなもんだと思われますが、しかし、「性犯罪」と「凶悪犯罪」がいつのまにかゴッチャになって、しかもそのまま「結論」てゆーか、ある意味投げっぱなしの「結語」になだれ込んでいく辺りが混沌に向かって書き飛ばす勢いというものを感じさせます。

ここでひとつ捕捉しなければならないのは、あまり面白い事件ではないというので言及されなかった加納恵喜さんの件です。実際のところこれは面白くない、というのが不謹慎であれば言及するに相応しくない処刑であったと言えるでしょう。一審の無期懲役判決をわざわざ死刑にしたのは名古屋高裁の小出ロ一さんですが、その理由たるや

本件において通常の強盗殺人と異なる重要な事情としては,被告人が,原判示のとおり,女性が一人で経営する旅館に宿泊した上,その女性を本件と同様に電気コードで絞殺し,押入れに死体を隠匿し,遺棄するとともに,旅館内を物色して現金等を窃取したという本件と極めて類似した事犯を犯し,昭和58年に殺人,死体遺棄,詐欺,窃盗の罪により懲役15年に処せられ,満期近くまで服役しているという点を挙げなければならない。このように,かつて類似事犯による殺人等を犯し,服役して改善の機会を与えられているにもかかわらず,今回の強盗殺人の犯行に及んでいるのであって,故意により人命を奪ったのは2度目であることに留意せざるを得ない。被告人は,今回,強盗殺人という重罪を犯したにとどまらず,過去に貴重な人命を奪っているのであるから,その刑責は強盗殺人罪の中でも誠に重いというほかはない。


というもので、要するに前にもやったから、ということなんですが、既に処理済の案件を持ち出して来て乗っける、というやり方が果たして正当なものであったのかどうか、はなはだ疑問であります。それはむしろ被告人の「刑事責任」というよりは、懲役刑がその目的を果たせなかったという行刑の責任が問われるべきところでしょう。もっとも最高裁の才口千晴さんは、「重大」なる「刑事責任」について極めてアッサリと「是認」してしまったようです。まあ裁判官にとっては判決を出してしまった後のことなど知ったことではありません。

これについて言及を避けた『讀賣新聞』も、この点について疑義があるものと想像されますが、想像されません。実際には加納さんの事件は平凡なので「社会を震撼」させなかった、金川真大さんや小林薫さんの方が単に事件として面白い、ということだと思われます。そもそも殺害する死刑囚の選択が「話題性」とかによるものではないかと疑われるところですから、いわばそれを補ったと言うことが出来るでしょう。ということでまず第一段階で切り離されたのが加納さんでした。第二段階では金川さんが捨てられます。

というのも金川さんは「自殺は痛い。人にギロチンのボタンを押してもらう方が楽だから死刑を利用する」という人ですから、死刑があるから凶悪犯罪をすることになったんで、これでは死刑を「凶悪犯罪の抑止につなげたい」という『讀賣新聞』にとっては困るわけです。ですから詳しいことは書かないことにしました。あとは読者の無知に期待するしかありません。日頃から『讀賣新聞』を熟読している忠実な読者であれば、多分大丈夫でしょう。

大新聞の社説に取り上げてもらう基準はかくも厳しいものなのです。お眼鏡にかない、最後まで生き残ったのは小林さんです。別に生き残ってはいませんので「死に残った」とか言うのかも知れませんが、『讀賣新聞』が取り上げるに足ると評価したのは小林さんだけなんですから、誇りを持って良いと思います。もっとも、その取り上げ方はかなり「身勝手」なものです。なにしろ小林さんの件は、「厳罰化の流れが明確に示されたケース」ではありません。

一審判決で何かが「明確に示された」はどうかと思いますが、元はと言えば小林さんが自分で控訴を取り下げてしまったんで確定しちゃったわけです。小林さんは後になって控訴取下げ無効とか主張し出したわけですが、そうは問屋が卸さない。もっとも、上級審で判断したのは控訴取り下げの有効性であって、一審の死刑判決自体に対する判断を行なったわけではありません。死刑判決を是認したから控訴取り下げを有効と判断したとか、判決が不当であると思ったら控訴取り下げを無効にしちゃうとか言う話ではないのです。

そんな問題を孕みつつ、「社説」は小林さんにちなんで「性犯罪」の話題に飛びます。3人殺しておいて行きつく先は「性犯罪」の「再犯対策」なんですから竜頭蛇尾の感は免れませんが、最後には「性犯罪の被害は後を絶たない」と書いてしまいました。「後を絶たない」ところの「性犯罪の被害」が、「再犯」によるものなのかどうか、ここまで来ては全く不明、というかもはやどうでも良いことなんでしょう。とにかく今日も電車やオフィスや道場や道場や道場で「性犯罪の被害」が「後を絶たない」のです。それは間違いありません。だからやっぱり死刑なのです。

考えてみれば「性犯罪」に限らず、ちょっとした窃盗や暴行であっても、被害者にとっては「凶悪犯罪」に違いありません。新聞の社説なんですからもうちょっと客観性というか、落ち着いて書いた方が良いと思いますが、しかし、そんな細かいことを言っていては最後のパラグラフの意味が通りません。全ての犯罪は凶悪である、したがってあらゆる犯罪に死刑を、というのが『讀賣新聞』の結論であるらしく思われます。

もっとも、ここでひとつの問題があります。「死刑執行は、凶悪犯罪の抑止が目的の一つであることを改めて考えたい」わけですが、「凶悪」極まる「性犯罪の被害は後を絶たない」のです。つまり死刑はその目的を果たしていないんですが、そのことを「改めて考えたい」んだそうです。どうしてこんなことを書いてしまったのか理解に苦しみますが、まあ多分軽く書き飛ばしただけでしょう。そんな心の隙に、無視された加納さんの呪いが侵入します。切って捨てたはずの「行刑責任」の問題が回帰してしまったのです。被害者の命が加害者の命に取り憑いているように、あえて無視した論点は消えずに残っているのでした。そこで書かれていない結論は、死刑ってのは無責任じゃないか、ということになるんですが、これは別に谷垣さんのせいではありません。
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2013年02月18日

パンツがパリパリ、変人たちの二日間

社会調査:働き盛りで「孤立無業」162万人に


 20〜59歳の働き盛りで未婚、無職の男女のうち、社会と接点がない「孤立無業者」が2011年時点で162万人に上るとの調査結果を、玄田有史・東大教授のグループが17日までにまとめた。景気低迷に伴う就職難やリストラなどが響き、06年(112万人)と比べて4割強増えた。

 職探し中の孤立無業者は半数にとどまり、事態改善に向けた動きは鈍い。玄田教授は「孤立に陥ると職探しへの意欲が失われがちだ。今は家族が支えても将来、経済的に厳しい状況に陥る」と指摘。生活保護費など社会保障費の増加を抑えるためにも、訪問支援など政府や自治体による対策が急務だと訴えている。

2013年2月17日 共同


「ニート」はもう古い、これからは「スネップ」だ!と言ってみたところで今更誰が乗ってくるのか知りませんが、玄田さんによればとにかくそういうことなんで、まあこういった些末な情報でも知っておいた方が良いのかどうなのかよく分かりません。

分かりませんが、これも2012年の6月頃に提出された「新概念」です。玄田さんが自分で言っているんですから、これが「新概念」であることは間違いないんですが、そのころ雇用政策の辺りで何かあったらしい模様です。特に新ったらしいわけでもない何かが。

孤立無業(SNEP)について
―総務省『社会生活基本調査』匿名データによる分析―


【要約】

孤立無業(Solitary Non-Employed Persons: SNEPスネップ)とは「20歳以上59歳以下の在学中を除く未婚者で、ふだんの就業状態が無業のうち、一緒にいた人が家族以外に連続2日間いなかった人々」を指す新概念である。総務省統計局『社会生活基本調査』匿名データを用いて集計したところ、孤立無業は2006年時点で100万人を超え、過去10年間に45万人の増加をみせている。スネップは、テレビの視聴時間等や睡眠時間が他の無業者に比べて長く、家族を含めた誰とも一緒にいない一人型の孤立無業ほどその傾向は強い。他者と交流のない分、家事時間が長くなるのは、家族と一緒にいる家族型の孤立無業のうち、女性のみである。スネップは電子メールなどインターネットの利用も少なく、パソコンゲームやテレビゲームの利用頻度も特別に多いとはいえない。過去一年にスポーツ、旅行、ボランティアなどを一切経験していないことも多く、孤立無業は総じて社会から距離を置いた生活を行っている。スネップは求職活動、就業希望、仕事につくための学習のいずれにも消極的であり、家族型の孤立無業ほどその傾向は顕著である。孤立無業の増加は、生活保護受給者の更なる増加など、社会の不安定化と財政負担の要因となり得るものであり、アウトリーチ活動の充実や福祉から就労への移行支援など、早急な政策対応が求められる。

(問い合わせ先)
〒113−033
東京都文京区本郷7−3−1
東京大学社会科学研究所
玄田 有史
e-mail: genda@iss.u-tokyo.ac.jp


「連続2日間」というのも、考えてみればスゴい定義づけでして、風邪でもひいて寝ていれば「2日間」くらいは簡単に過ぎてしまうんですから「スネップ」に入れてもらえるかどうかは時の運というものでしょう。まあしかし、これは一種の誠実さというものです。これは総務省の『社会生活基本調査』のデータを分析して「新概念」を探し当てたものなんですし、その『社会生活基本調査』というのは「2日間」分しかやっていないのです。

具体的にはこれは2006年の調査結果を使用していて、そこでは「同年10月14日から22日のうち、指定された連続する2日間の生活時間についての回答が求めら」ていたわけです。で、今回の報道は2011年の調査結果を使って「新概念」を応用してみました、という話です。「連続する2日間」というのは「指定された」もんですから、その頃たまたまヒマだった人も相変わらず算入の栄に浴しています。

1日くらいはうっかり過ごしても良いんですが、2日となると社会的な問題になるようなので注意が必要です。そしてその「運命の2日間」の過ごし方の結果、誠に斬新きわまる「新概念」が僕たちに共有されるに至ったというのも、いかなる前世の罪によるものなのか、どうでもいい話しではあります。

もっとも、「スネップ」という、いささかキャッチー過ぎるネーミングが新聞紙上を賑わすには至らなかったのは残念至極であります。実際のところ、「スネップ」には、狙い過ぎの感がなきにしもあらずです。これは「背の低い音痴の集団」という芳しくない連想をもたらすものでもあり、ジャイアンの子分の様な登場人物をも思い起こさせる可能性もあります。「臑齧り」なんて言葉も安易に連想されます。「スネップ」は、いわば「国民的な」負の烙印を押されていると言うこともできるでしょう。

「ニート」の続編なんですからそれで良いのかも知れませんが、狙いすぎた続編が概ね駄作とされるのは世の常でありまして、玄田さんの「続編」も甚だ残念ながらその選に漏れないようです。特に「生活保護受給者の更なる増加など、社会の不安定化と財政負担の要因となり得るものであり、アウトリーチ活動の充実や福祉から就労への移行支援など、早急な政策対応が求められる。」などという「提言」は同音異曲の誹りを免れ得るものではなく、「新味のなさ」において凡百の「続編」の規範となりうるのではないかと疑わせるほど、魅力に欠けているのは如何ともしがたいものがあります。

とはいうものの、ここには図らずも滲み出るヘンなところがないわけではありません。実際、この「スネップ」の特徴たるや、かなり「特殊」なものであると言わざるを得ません。

スネップは電子メールなどインターネットの利用も少なく、パソコンゲームやテレビゲームの利用頻度も特別に多いとはいえない。過去一年にスポーツ、旅行、ボランティアなどを一切経験していないことも多く、孤立無業は総じて社会から距離を置いた生活を行っている。


しかしながら、「過去一年にスポーツ、旅行、ボランティアなどを一切経験していない」労働者などはザラにいるでしょう。仕事関係の人を除けば「一緒にいた人が家族以外に連続2日間いなかった」なんてことも珍しくないのではないでしょうか。ビンボー人は「社会から距離を置いた生活を行」わざるを得ないのです。

要するにこれはまるでそこら辺に沢山いる人々の生活に過ぎません。よほど大企業にお務めで高給と休暇に恵まれ、カヌーで強風に荒れ狂う海に乗り出したりする人ならともかく、大多数の労働者の「生活」はこんなもんでしょう。

それで、「スネップ」がビンボー労働者諸君と何か変わったところがあるとすれば、それは「無業」ということです。言い換えれば、「スネップ」とは労働者から就労を差し引いたものです。差し引かれた分の時間は労働者が渇望しているもの、即ち「テレビの視聴時間等や睡眠時間」に充てられています。「スネップ」は僕たちと違うところがあまりにも少なすぎます。ほとんど「フツーの人」と言って良いくらいです。

実際のところ、これでは「スネップ」の悪口を言おうにも言うことができませんので、「ニート」ほど金にならない可能性があります。なにしろ、あの「特別な2日間」だけを取り上げれば、それは「連休を取った労働者」の姿と区別することができないのです。もっとも、連休を取るなんて夢のようだ、という労働者諸君も多いことでしょうが、それもそのはずです。そうでなければ「スネップ」などというものは存在しないのです。
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2013年02月15日

人を入れるとキチガイになって出てくる箱にキチガイを入れてみる

精神障害者の雇用義務化へ 厚労省、改正案概要提示


 厚生労働省は13日、企業に精神障害者の雇用を義務付けることを柱とした障害者雇用促進法改正案の概要を自民党厚生労働部会に示した。4月上旬にも今国会に改正案を提出、成立させ、2018年4月からの実施を目指す。

 現在、企業に対する雇用義務の対象は身体障害者と知的障害者に限られている。しかし精神障害者の新規求職者数は11年度に約4万9千人に達し、02年度の7・8倍に急増。就労意欲が高まっていることを踏まえ、制度改革に乗り出す。

 民間企業で働く障害者数は12年度まで9年連続で過去最高を更新しているが、雇用義務の対象を精神障害者にも広げることで障害者の社会進出が一段と進みそうだ。

2013年2月13日 共同


これは厚生労働省が去年の6月頃から言い出してるんですが、まず第一に国は福祉を放棄して企業に押し付けます。しかし第二に、「義務化」といったところで不履行に対する責任追及もついでに放棄してますから、結論としては単に「精神障害者」本人が社会から放棄されるだけなんですが。

まあそういうわけで、「精神障害者」の中には障害を隠して働いている人も多いようですから、企業の人事担当者はまず社内で対象者を捜すことから始めると良いでしょう。まあ、障害者である社員が今まで隠していたものを開示してくれるかどうかは分かりません。常に存在するクビ対象者リストの順位が上がることは必定であります。

てゆーか企業では「精神障害者を雇用」するどころか、「雇用して精神障害者にする」という形でこの問題に答えていますが、一カ月前の『東京新聞』の社説がどうかしています。

障害者雇用 超氷河期どころでない

 
 超氷河期と予想される大学生の就活が本格化したが、それ以上に厳しいのが障害者の雇用だ。法定雇用率を守らない企業は半数を超える。障害者もいきいきと働く場を提供するのは企業の責務だ。

 国内の障害者の人数や雇用の現状がどのくらい理解されているだろうか。障害者手帳の発行数によると、身体障害者が約三百七十万人、知的障害者が約五十五万人、精神障害者が三百二十五万人の計七百五十万人。国民のおよそ6%にあたる。

 これに対し、働く障害者は約三十八万人(従業員五十六人以上の企業、厚生労働省調べ)しかいない。手帳交付者数のたった5%だ。障害者が通う特別支援学級を卒業しても、就職できるのは三割にすぎず、七割は自宅に引きこもってしまったりグループホームで集団生活を送る場合が多い。職業訓練を受け企業で十分働ける人も多いのに、雇用が進まないのは企業の理解や知識不足のためだ。

 障害者の雇用促進法は現在、従業員五十六人以上の企業に対し、障害者を1・8%以上雇うよう義務づけている。しかし、達成した企業は約47%と半数に満たない。四月からは義務が強化され、「従業員五十人以上の企業に雇用率2・0%以上」になる。

 未達成企業のうち、たび重なる指導でも改善しない場合は企業名を公表されるが、公表企業数は毎年一ケタ台だ。これは「改善を約束して公表を免れ、実際は未達成なまま」の企業が多数存在するということだ。このような「法律違反」を放置している現状は明らかにおかしい。

 法定雇用率を未達成の企業(同二百人以上)から、不足分に応じ一人につき月五万円を徴収する「障害者雇用納付金」制度がある。このため、お金(納付金)で解決できると理解する企業も多い。障害者受け入れ企業には同納付金を原資とした助成金や報奨金制度もある。厚労省は企業側へ一段の説明や指導を尽くすべきだ。

 企業に望みたいのは、発想を根本から見直すべきだとの点だ。形だけの社会貢献事業など見透かされる時代である。

 これまでの健常者、障害者と区別するのではなく、共生する存在、互いに高め合う存在ととらえる。障害者がいきいきとして働く姿を見て、周りの社員がやさしくなったり、さらに頑張るといった好循環が生まれる。取引先や消費者へと、支援の輪も広まっていくはずである。  

2013年1月16日 東京新聞社説


「障害者もいきいきと働く場」では、きっと「障害者でない人」も「いきいきと働」いているんでしょうけど、そんなところはどこにも存在しません。確かにそれは「企業の責務」かも知れませんが、雇用や労働の分野では「法律違反」がいささか過剰なまでに「放置」され続けていることを知らない人はいないでしょう。この点ではほとんどの企業は「反社会的勢力」です。そして困ったことに自らが「反社会的勢力」であるという自覚がありませんので、ヤクザよりも「社会貢献事業」とは縁遠いものです。「形だけの社会貢献事業など見透かされる時代である」ことは分かっていますが、企業はもはや「社会貢献」などはしていません。企業が社会貢献をしなければならないとか言われていたのは遠い昔の話です。今では「形だけ」どころか「影も形もない」という状態でしょう。

ここで特に馬鹿げていると思われるのが、「厚労省は企業側へ一段の説明や指導を尽くすべきだ」とされている「助成金や報奨金制度」です。これは何と障害者を雇用しない企業から徴収する「障害者雇用納付金」を、障害者を雇用する企業に配る、ということの様で、その仕組み自体も何だかヘンなんですが、これが「一人につき月五万円」だというわけです。一人雇用すれば賃金や保険で月50万くらいかかるんですが、雇わないと10分の1で済むという大変耳寄りな情報です。ナント月に45万円くらいお得。全くもってこれを利用しない手はありません。

「企業に望みたい」ことが何かある様ですが、言うだけなら別にタダですから言っておれば良いでしょう。どうせ聞いていやしませんし、「フォーミュラがあり、それに沿った形で決まってしまう」のです。言い換えれば、何もしません。と、ゆーよーなことは、この「社説」書いた人にはもちろん分かっている

 これまでの健常者、障害者と区別するのではなく、共生する存在、互いに高め合う存在ととらえる。障害者がいきいきとして働く姿を見て、周りの社員がやさしくなったり、さらに頑張るといった好循環が生まれる。取引先や消費者へと、支援の輪も広まっていくはずである。


はずです。脳天気なまでに絶望的です。
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2013年02月12日

30年後に野生化完了

自民・小泉 進次郎議員らが福島県視察 復興に取り組む姿勢強調


自民党の小泉 進次郎青年局長は、2012年の衆議院選挙で当選した新人議員らとともに福島県を訪れ、復興に取り組む姿勢を強調した。

自民党の小泉青年局長は「皆さんが戻れる状況を1日も早くつくらなけらばいけません」、「全国から集まったこの青年世代が、皆さんの真に喜ぶ復興の日まで、必ず責任をもって見届けます」と述べた。

小泉氏は、自民党青年局に所属する国会議員や地方議員ら、およそ150人とともに、福島県を訪れた。

楢葉町の「Jヴィレッジ」では、東京電力から、原発の現状や廃炉に向けた取り組みの説明を受け、作業員らを激励した。

また、小泉氏らは地元NPO(民間非営利団体)法人の活動に参加して、楢葉町の国道に復興への願いを込め、桜の苗木を植えた。

小泉氏「30年後、還暦を迎えたら、花見に来ますよ」
NPO法人「ハッピーロードネット」の西本 由美子理事長「もう還暦なんだけど、わたし」
小泉氏「僕、30年後、還暦だから...」
西本理事長「わかった! その時、わたしがぼけてないかぎり、一緒にここで酒を飲もう」
小泉氏「じゃあ、90歳と60歳で飲みましょうね」

小泉氏らはこのあと、浪江町の警戒区域内に入り、地震によって倒壊した伝統工芸品の焼窯の現場や、野生化した牛を飼っている牧場などを視察した。

小泉氏は「3度目の正月を、希望なくして、過ごさせるようなことはしないと、その決意を強くしたところです」と述べた。

小泉氏は、東日本大震災を風化させないとして、今後も毎月11日に被災地を訪れる方針。

2013年2月11日 FNNニュース


「野生化した牛」を「飼っている」って何のことなのか、飼われているんなら野生化ではないでしょう。正確に言ってこれは「被曝した牛」です。被曝すると野生化するというのなら、僕らはみんな野生人。殴る蹴るの暴力沙汰もなるほど当たり前の話です。

被曝牛を飼育している「希望の牧場・ふくしま」というプロジェクトがあるわけです。これには吉沢さんちのエム牧場の他いくつかの牧場が協力していて、小泉餓鬼は浪江和牛改良友の会代表山本さんの牧場に行った様です。

ところで、小泉餓鬼が一緒でない場合、てゆーか「牧場を訪れる小泉餓鬼」を取材するのではなくて「牧場」そのものを取材しようとする場合、なかなか難しい問題があるようで

東日本大震災:福島第1原発事故 まもなく2年 警戒区域の取材、明文化されず規制−−現状報告


 吉沢さんと弁護団によると、吉沢さんは昨年5月31日、ジャーナリスト数人をトラックに乗せ、浪江町など警戒区域に立ち入り取材させた。取材を終えた午後3時ごろ、同町と南相馬市の境の国道6号上の検問所で、警察官に約2時間職務質問された。その後、南相馬署に移動し、さらに4時間、事情聴取されたという。同行のジャーナリストは許可を得ておらず、警察官から「(車への)同乗が違法行為にあたる」と警告された。その後、吉沢さんらは3度、南相馬署で任意に事情聴取され、ジャーナリストの取材先も事情を聴かれた。

 ジャーナリストや吉沢さんに「許可が必要」との認識はあったが、許可申請には時間がかかり、吉沢さんらは「緊急性のある取材だった」と主張している。

 一方、町は吉沢さんらに対し「マスコミ等の取材は一切同行させない」「作業内容をインターネットなどで広報する場合は町の許可を得る」など、他の立ち入り許可者とは明らかに異なる特別な同意書の提出を要求。吉沢さん側から公開質問を受け、町が昨年5月31日付で撤回する一幕もあった。吉沢さん側はこうした町のやり方を「妨害行為だ」と反発してきた。

 今回捜査対象となったジャーナリストはフリーの数人だった。取材許可がなかなか下りないことに業を煮やした吉沢さんは、これまでもテレビ局や新聞社を含む多くの記者を無許可で同行させたこともあるという。その結果、無人となり荒廃する警戒区域の様子が多数発信されたのも事実だ。

2013年2月9日 毎日新聞


で、原子力災害対策本部によれば「一時立入許可」を出すのは
(1)立ち入りができなければ著しく公益を損なうことが見込まれる者
(2)警戒区域に居住する者であって当面の生活上の理由により一時立ち入りを希望する者
なんだそうですが、この「公益」というのが例によって意味不明でして、「地元業者のため」と解釈されるそうなんですが、それはしかしどう考えても「私益」でしょう。何だかわかりませんが、例えば自民党の宣伝をすることは「公益」だったりしますが、これだって「私益」です。

『毎日新聞』の泉谷由梨子さんによれば「「報道は公益」との解釈が政府、自治体間で統一見解となりつつある」んだそうですが、それでも「現在も自治体への許可申請は必要だが、自治体職員の立ち会いの下での取材や一時立ち入りの町民への同行取材は可能」という状態なんだそうです。

「自治体職員の立ち会いの下での取材」が「取材」だと思っているんですからオメデタイ人ですが、オメデタイのはそればかりではありません。「報道は公益」との解釈が政府、自治体間で統一見解となっているかと言うと大間違いだったりします。何が「現状報告」だかわかりません。

気になる点をふたつ忘備録まで、、

法律をみると、警戒区域への立ち入り許可は自治体の長が認可するとあるが、
実質は、オフサイトセンターの同意がなければ、自治体単独で発行できないのが現状だ
「オフサイトセンターの審査が通らないと発行できない」
「許可を出しているのはオフサイトセンター」
「オフサイトセンターが警戒区域をしきっている」
これはどれも自治体の職員の言葉
オフサイトセンターの不当なルールが、法律を超えて、警戒区域の立ち入り許可に重大な影響力を及ぼしていることは確かだ
わたしたちが今回提出した立ち入り申請内容についても、浪江町は当初から、
「問題ありません。ですがオフサイトセンターの同意がなければ発行できません」と明言している
きょうのオフサイトセンター職員からは
オフサイトセンターの同意なしに馬場浪江町長が立ち入りを許可することは認めれない
ともとれる発言があった

ふたつめ、、

オフサイトセンターは、希望の牧場のメンバー数名の職業がジャーナリストだという理由で
立ち入りを認めない、と言ってきた
ある新聞社記者も職業を理由に立ち入りが認められなかったという
いずれの場合も職業について自己申告はしていない(立ち入り者名簿に職業欄はない)
オフサイトセンターはどのような方法で立ち入り者の職業を特定し、いかなる理由でジャーナリストを排除しているのか
排除リストでもあるのか

2013年1月23日 希望の牧場〜ふくしま〜Official BLOG
http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/blog/2013/01/post_0e12.html#more


「職業がジャーナリストだという理由で立ち入りを認めない」んだそうですから、オフサイトセンターでは「報道は公益」だとは思っていないようですし、そればかりか誰が「ジャーナリスト」であるかヒソカに調査して、テッテ的に排除することにしているようですから、忠良な国民は牧場のことを知ってはなりません。もっとも小泉餓鬼が牧場に行ったことは知っても良いんですが、その場合は「被曝」は「野生化」と言い換えられることになります。ということはつまり、小泉餓鬼はそのうち「野生化」するということです。そういえばサルみたいな顔になってきた。
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2013年02月11日

カステラ一発 電話で二発 三発殴れば無抵抗

乱暴な人もいればいるもんですが、そんな人の親の顔が見たい様な気がしないでもありません。思えば皮肉な名前です。いや、むしろ深いと言うべきか。

「体罰全否定して教育はできない」伊吹衆院議長


 伊吹文明衆院議長は9日、自民党岐阜県連主催の政治塾で、スポーツ指導や教育現場の体罰に関し「体罰を全く否定して教育なんかはできない。この頃は少しそんなことをやると、父親、母親が学校に怒鳴り込んでくるというが、父母がどの程度の愛情を子に持っているのか」と述べた。出席者の質問に答えた。

 伊吹氏は「何のために体罰を加えるのかという原点がしっかりしていない。立派な人になってほしいという愛情をもって体罰を加えているのか、判然としない人が多い」と指摘した。

2013年2月9日 産經ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130209/stt13020918470007-n1.htm


例によって「自民党岐阜県連主催の政治塾」という内輪の場所ですから、それはもう文明でも何でもついつい好きなことを口走ってしまう野蛮な場所です。それは良いのですが、「文明」さんによると、「体罰を全く否定して教育なんかはできない」んだそうです。暴力を振るわないと「教育」が出来ないということなわけですが、その脈絡に、「文明」さんは「愛情」というコンセプトを導入しています。

「愛情」と「教育」との間にどんな関係があるのか定かではありませんが、産經ニュースさんはこの記事に「「愛のムチ$M頼関係は一方的な思い込み」理不尽が再生産」という記事へのリンクを張っています。それはこんなもんで、

【「体罰」を考える】
(15)「愛のムチ$M頼関係は一方的な思い込み」理不尽が再生産
(1/2ページ)[体罰問題]

 小欄に寄せられたお便りでは、スポーツ指導での体罰について、否定的な意見が圧倒的に多い。肯定派には「体罰をバネに部活動を乗り越え、社会に出ても折れない気持ちを得ることができた」といった声が少なくないが、大阪市浪速区の福祉施設職員の男性(34)は「確かに社会に出れば耐えなければならないこともある。しかし、体罰を受けなくても強い気持ちを持っている人はたくさんいる」と指摘していた。

 横浜市の女性会社員(32)は「社会が理不尽だからといって子供に肉体的苦痛を与えていいという理由にはならない。理不尽が再生産されるだけだ」とし、体罰を“愛のムチ”ととらえる意見について「信頼関係の有無は、当事者の片方の一方的な思い込みの可能性がある」と反論する。

 信頼関係をめぐる問題は、柔道女子日本代表選手らに対する暴力・暴言でも浮き彫りとなった。

 「信頼関係ができていると、自分自身が一方的に解釈していた」。そう語った園田隆二前監督に対し、問題を告発した15選手は、4日の声明文で「指導の名の下に、または指導とは程遠い形で行われた暴力行為やハラスメントにより、私たちは心身とも深く傷つきました」と告白。「選手、監督・コーチ、(全日本柔道連盟の)役員間でのコミュニケーションや信頼関係が決定的に崩壊していた原因と責任が問われなければならない」と訴えていた。

2013年2月8日 産經ニュース
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130208/wlf13020811140009-n1.htm


「愛情」が「一方的な思い込み」である様な事態は、「社会に出」なくてもイヤという程思い知らされるわけですが、まあ人にもよるんでしょうが、ただしイケメンに限るというわけで、確かにこの点について納得のいかない人は世の中に沢山いる様でして、

伯母の元交際相手が自殺 長野、19歳男性殺害


 長野県飯田市の住宅で住人の鹿島田淳さん(19)が殺害されていた事件で、同県泰阜村の林道に止まっていた乗用車内から、鹿島田さんと同居する伯母の元交際相手の遺体が見つかっていたことが11日、捜査関係者への取材で分かった。

 車内に練炭が残されていたことから、飯田署捜査本部は自殺とみている。元交際相手の男は30代で、伯母はストーカー被害を受けていると飯田署に相談しており、捜査本部は殺人事件との関連を調べる。

 捜査本部によると、10日午前に「変なところに車が止まっている」と通行人から通報があり、警察官が乗用車の後部座席で横たわっている遺体を見つけた。

 鹿島田さんの遺体は9日午後6時45分ごろ、警察官が発見。死因は頭部打撲による頭蓋内損傷だった。伯母が午後3時ごろ、「元交際相手から暴行され、子どもと一緒に車で連れ回された」と通報し、保護されていた。

2013年2月11日 産經ニュース


どうもこの「伯母さん」は「元交際相手」の「暴行」が他ならぬ「愛情」であるという、「文明」さんにとっては自明の理屈が理解できなかった様で、オマワリさんなどに相談していた様ですが、どうやら「元交際相手」の「愛情」の犠牲になったのは甥っ子だったということのようです。どんな「愛情」だか見当もつきませんが、「産經ニュース」的に言えば、要するにこの「伯母さん」が「元交際相手」の「愛情」に答えて殺されていれば良かったわけです。

というのも、「産經ニュース」によれば、問題は「当事者の片方の一方的な思い込み」なんですが、実はこの書き方では問題の所在がハッキリしません。問題があるのは当事者のうち「思い込」んだ方なのか、それとも「思い込み」に答えることによって「信頼関係」を築く事を拒否したもう一方の当事者なのか。

ここでは暴力に「愛情」という正価値を導入することによって、被害/加害関係を逆転し得る可能性が示されています。学校の先生や園田さんは「愛情」をもって相手に接するという、紛れもなく正しいことをやっているのです。「元交際相手」にしてもこの点では同じでしょう。だとすれば、問題はむしろ「愛情」に答えず、自殺してしまったり「問題を告発」してしまったりした方にあるのではないか。「伯母サン」が黙って「元交際相手」の「愛情」を受けていたら、淳さんは殺されずに済んだのではないか。

これが「産經ニュース」ならではの論点でして、要するに「信頼関係が決定的に崩壊して」いなければ暴力をふるって構わないではないか、「父母がどの程度の愛情を子に持っているのか」、「愛情をもって体罰を加えている」ことが「判然と」すれば暴行を加えようが、殺してしまっても良い、というわけなのです。

どうも日本では「愛情」というのはこういったSM以外の何ものでもない様なのですが、そういった意味では、自慢じゃありませんが僕は誰にも「愛情」を持ったことはありません。むしろ壁や床下に何が隠されているか「判然」としない「文明」さんの身辺を洗った方がいいかも知れませんが、しかし、そんなヤバい「愛情」をもってなされる「教育」なるものについては、「産經ニュース」はかなり明解に説明していません。

「体罰をバネに部活動を乗り越え、社会に出ても折れない気持ちを得ることができた」という「肯定派」の「声」に対して、ここでは充分な反論がなされていません。なるほど「体罰を受けなくても強い気持ちを持っている人はたくさんいる」という「大阪市浪速区の福祉施設職員の男性(34)」の「指摘」を伝えているものの、これはむしろ逆でしょう。暴力に馴らされていないからこそ暴力による侵害に対して「強い気持ち」を持てるのではないでしょうか。

あるいは、「社会が理不尽だからといって子供に肉体的苦痛を与えていいという理由にはならない。理不尽が再生産されるだけだ」という「横浜市の女性会社員(32)」の御意見についてはどうでしょうか。これも残念としか言いようがありません。なにしろ、実際の話、「社会」は別に「理不尽」ではありません。

「理不尽」とは「デジタル大辞泉」によって「道理をつくさないこと。道理に合わない こと。また、そのさま。」と定義されます。ちなみに「道理」とは「物事の正しいすじみち。」ということになっています。しかし「社会」は32歳の女性会社員を「理不尽」に扱ってはいないのではないでしょうか。確かに何かヒドい目に遭っているのかも知れませんが、それは何らかの目的に沿って、「正しいすじみち」にしたがって行なわれているのではないか。

同様に、学校の先生は何の理由もなく「子供に肉体的苦痛を与えて」いるわけではありません。まあ大抵はそうでしょう。そうでない人もいるかも知れませんが、そういう人も実際にはオリジナル過ぎる「道理」に従って行動している場合が多いものです。しかし多くの場合は、「体罰」は「道理」を尽くして、目的合理的に行なわれます。その「目的」とは、言うまでもありませんが、おそらく「教育」でしょう。

「教育」とは何だか知りませんが、とにかく何か良いものであるということなので、それを与えることは「愛情」に満ちた行いであり得ます。ここで「子供に肉体的苦痛を与え」ることが「愛情をもって」行なわれるためには、暴力による抑圧によって対象の服従的態度を引き出すことが「教育」の目的と矛盾しないことが必要となります。

つまり「愛情」をもった「体罰」が「教育」に必要とされる場合、その「教育」は教育対象を暴圧することを目的とする、ということが「産經ニュース」によって明らかとされているわけです。「文明」さんが暴力抜きで「教育なんかはできない」というのは正に「道理」に適ったことであり、「理不尽」でも何でもありません。それどころか暴力は「教育」の本質である、と言うことも出来るでしょう。残る問題は「教育なんかはできな」くなったとして、だからどうなんだ?という点ですが、そんなことは「文明」さんにとっては自明でしょう。すくなくとも「教育」される側にとっては何の問題もありません。
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2013年02月06日

武士道でごめんなさい

AKB峯岸さん丸刈り謝罪 欧米メディア仰天 CNN「武士道、軍隊の一面」 BBC「全体主義、戦時下?」


 【ワシントン宮崎昌治】アイドルグループAKB48の峯岸みなみさん(20)が動画サイト「ユーチューブ」に丸刈り姿で登場し、男女関係を謝罪したことを、欧米の主要メディアが次々と取り上げている。「丸刈りは悔悟の念を示す日本の伝統的な方式」と説明しながら、武士道と結び付けたり、「全体主義の国家のようだ」と批判する声を紹介したりしている。

 「若いポップスターが武士道のおきてを破ったら」−。米CNNテレビは4日、東京発で「丸刈り騒動」を報道。冒頭、泣きながら謝罪する峯岸さんの動画を流し、「この丸刈りと謝罪は、サムライが名誉を取り戻そうとしているように見えるかもしれない」と紹介。

 AKB48という「アイドル帝国」は中国、台湾、インドネシアなどに進出する領土的野心も持っているとし、「彼女が破った恋愛禁止という武士道精神は、軍隊のような一面をのぞかせた」と報じた。

 英BBC(電子版)も、AKB48が「日本語で『カワイイ』というキュートさを演出し、日本やアジア各国で大ブレークを起こしている」と紹介。「ファンの幻想を壊さないために男性とのデートを禁じている」とし、峯岸さんが今回の件の罰として降格処分を受けたことも報道。「彼女には恋愛する権利がある」「戦時下や全体主義国家のようだ」という日本国内の批判的な声を取り上げた。

 英紙ガーディアン(電子版)は「丸刈りが悔恨の念を示す日本の伝統的な方法だとしても、20歳の女性がボーイフレンドと一晩過ごしたというだけの“罪”で取る行動としては行き過ぎだ」と疑問視している。

2013年2月6日 西日本新聞朝刊


武士が頭を坊主にして謝罪したなど聞いたことはなく、どうもガイジンは無知で困ります。もっとも、それほど言葉の正確な用法に目くじらを立てる必要もないのかも知れません。アチラでは「武士道」という言葉で、極東の野蛮国の奇妙奇天烈な風習の理解し難い側面を表現しているのかも知れません。たしかに、そう言われてみればそんなモンかも知れません。実際、「武士道」は日本国内ですらエキゾチックです。

そうすると秋元さんの「領土的野心」はアメリカやイギリスの方まで射程に入れることが出来そうです。「Samourai」はもはやアラン・ドロンだけのものではありません。キュートでキンキーな「サムライ・ガールズ」がヨーロッパで切腹ショーのツアーを行うのもそんなに遠い日ではないことと思われます。

この日本特産品は次に柏木由紀さんを用意しているんだそうで、なんでも峯岸みなみさんや明日花キララさんと一緒になってセレッソ大阪の人と合コンをやっていたという話ですが、しかし坊主の次はどうしたら良いのか。とりあえず四肢切断だな。

森美術館館長
  南條史生殿
  謹啓
 私たちは貴館において現在開催されている「会田誠展 天才でごめんなさい」に関して、以下の抗議文を提出するとともに、今回の展覧会に関して、貴館のご意見を直接おうかがいしたく話し合いの場を持っていただくよう強く申し入れします。

森美術館への抗議文

 貴美術館が現在公開している会田誠展において展示されている「犬」シリーズなどの一連の作品に対して、またそれらを公開している森美術館に対して、私たちは以下の強い抗議の意志を表明します。
 この「犬」シリーズで描かれている少女たちは、全裸で四肢を切断され(両手は手首より先が、両足は膝より先が切断されている)、その切断部分に包帯が巻かれた状態で、首輪をつけられ、四つんばいなどの姿勢をとらされ、作品名もずばり「犬」となっています。さらに、これらの作品の中で少女は微笑んでおり、このような性的拷問を楽しんでいるように、あたかもそれが自分にふさわしい扱いであるかのように描かれています。またこの「犬」シリーズ以外でも、少女が食べ物として体を開かれ、焼かれているもの、大量の少女ないし女性がジューサーの中でつぶされているもの、などが多数展示されています。
 これらはまず第一に、作画によるあからさまな児童ポルノであり、少女に対する性的虐待、商業的性搾取です。日本の児童ポルノ禁止法においては現在、実写ではない児童ポルノは違法とされていませんが、カナダ、EU諸国、オーストラリアなどの主要先進国においてはすべて、これらは違法な児童ポルノとして処罰の対象になっています。日本でもやがて違法とされるでしょう。このようなものを貴美術館は堂々と公開しており、これは少女に対する性的搾取に積極的に関与するものです。
 これらは第二に、少女=女性を全裸にしたうえで四肢を切断し首輪をつけて犬扱いしており、女性を最も露骨かつ暴力的な形で性的に従属させ、人間以下の性的玩弄物、性的動物として扱うものです。これは、描写を通じた性暴力の一形態であるとともに、すべての女性の尊厳を著しく傷つける下劣な性差別行為です。作者あるいは貴美術館はこのような表現を通じて社会の常識や権威に挑戦しているつもりかもしれませんが、実際にはそれは、少女および女性一般を性的に従属的な存在として扱っている社会の支配的価値観に全面的に迎合し、それをいっそう推進するものに他なりません。それは反権力どころか、権力の露骨な行使そのものです。
 第三に、これらの作品は、四肢欠損などの身体障がい者に対する差別と侮蔑の行為です。先天的であれ後天的であれ四肢ないしその一部を失っている人々を全裸にして犬扱いすることが許されるでしょうか? これのどこが反権威や反権力なのでしょうか? あなた方は、これらの作品を当事者が目にすることで、どれほどの深い衝撃と精神的ダメージを受けるかを想像したことがあるのでしょうか?
 第四に、このような二重三重に差別的で暴力的である諸作品を、森美術館のような、公共性をもった施設が堂々と公開し、宣伝し、多数の入場者に公開していることは、このような差別と暴力を社会的に公認し、それを積極的に正当化することであり、社会における少女の性的搾取、女性に対する暴力と差別、障がい者に対する侮蔑と差別を積極的に推進することです。たとえば、アメリカやヨーロッパの美術館で、四肢を切断された黒人が奴隷服を着て犬扱いされ、それを肯定するように微笑んでいる「作品」が堂々と公開されることなどありうるでしょうか? あなた方がやっているのはそういうことです。
 第五に、作品の中には、少女の局部をあからさまに描写しているものもあり、これは刑法のわいせつ物頒布罪ないしわいせつ物陳列罪にあたる可能性があります。これらの作品は18禁部屋として特設コーナーに入ってはいますが、広く公開されていることに何ら変わりはありません。また18禁コーナー以外でもキングギドラの頭部が女性の局部に挿入されている作品などがあり、子どもでも鑑賞することのできる状態で展示されており、これは青少年健全育成条例違反にあたる可能性があります。また、「犬」シリーズを含む諸作品は、森美術館の正式のホームページに掲載されており、それは何らゾーニングされておらず、子どもでも簡単にアクセスできるものです。
 私たちは、以上の観点から、森美術館による今回の展示に強く抗議するとともに、女性の尊厳を著しく傷つける諸作品の撤去を申し入れます。また、私たちは、森美術館の児童ポルノ推進的立場、その性差別性と性暴力肯定的姿勢、障がい者に対する差別推進の姿勢について、今後も広く世間に問題提起していく所存です。
 つきましては、森美術館としての考え方を直接おうかがいしたいので、1月下旬から2月上旬にかけてのいずれかの日に2時間ほどの時間をとっていただいて、話し合いの場をご設定ください。場所と時間帯はそちらにお任せします。ご連絡をお待ちしています。
2013年1月25日
         ポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)世話人

                横田千代子(婦人保護施設施設長)

                森田成也(駒沢大学非常勤講師)

                宮本節子(フリーソーシャルワーカー)

                湯澤直美(立教大学教員)


合田さんは東洋の奇妙な風習を過激に表現したようですが、曲がりなりにも「アイドル」ということになっている芸能人が頭髪とはいえ身体の一部を切断されて衆目に晒されるという事態はその「天才」をわりと手軽に凌駕してしまった模様です。これほど「芸術」の無力を感じさせる事態もないわけですが、芸術家よりももっと無力で圧力に屈しやすいのが美術館なわけで、無力な対象を選んで活動している「ポルノ被害と性暴力を考える会」のおかげで、箔がつくのは合田さんの方なんですから有り難い話です。

まあ、プロの柔術家が「性暴力」を行使しようが20歳のお嬢さんの頭が坊主になろうが関係ない「ポルノ被害と性暴力を考える会」は、このような抗議を通じて社会の常識や権威に挑戦しているつもりかもしれませんが、実際にはそれは、少女および女性一般を性的に従属的な存在として扱っている社会の支配的価値観に全面的に迎合し、それをいっそう推進するものに他なりません。それは反権力どころか、権力の露骨な行使そのものです。

しかし考えてみれば抗議されているのは合田さんではなくて森美術館の方で、つまり「展示」することが「問題」だと言っているわけです。展示して公開することが良くない。逆に言えばアジアの東の端の土人共の間で何が行なわれていようとも、隠蔽されていれば問題ない、というのがこういう人たちの立場です。

これはAKBのポルノ商品としての構造と同じで、「恋愛禁止」ったって人間だものヤルことはヤルに違いないわけですが、隠蔽されていれば問題ないのです。しかしそこでは「恋愛禁止」という「掟」が、AKBをあからさまな性的対象として提示することになっています。それは「ヤレない性対象」であって、誰とも性行為を行なわないことによって全ての人の性的対象となっているわけです。ところが、「恋愛」はやって見せることが出来ますが「恋愛禁止」はそれ自体として提示することが出来ません。そこで仕方がないので時々誰かが「恋愛」をする必要が出てくるのです。つまり隠蔽されていれば問題はないんですが、隠蔽されていては意味がない。昔の「アイドル」では本当に隠蔽されていたんですが、そこでは「禁止」すら明示化されていなかった。今では「禁止」が明示されなければならないわけで、禁止は侵犯によって表現されることになります。「仕事らしい仕事といえばスキャンダルしかない」と書いたのはその意味で、決してバカにしているわけではありません。

バカにされているとはいえ、しかし考えてみれば大変な仕事です。カメラが停まれば明日花キララさんの仕事は終わりますが、明日花キララさんが余暇にやっていることもAKBにとっては大切な仕事の一部なんですから休む暇がありません。むしろ「余暇」の活動の方がポルノ商品としての価値を作り出しているんですから、「従属」「搾取」は絵に描かれた女の子の比ではありません。もっとも、かの「武士道」の国の「芸能界」では、そんなことは比較的当たり前のこととされているのです。24時間ベッドの中でも業務に勤しむ彼女たちは、奴隷労働者の慰めとなっているに違いありません。オカズとかそういう意味ではありませんが。
posted by 珍風 at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

あこがれのKCS

「パワハラ、いじめ、体罰のたぐいでは」 AKB峯岸の「坊主頭」に各界から批判噴出


スキャンダル報道を受けてのAKB48・峯岸みなみさん(20)の「けじめの坊主頭」は、ファンだけでなく多くの人に衝撃を与えた。

テレビのコメンテーターから評論家、大学教授まで、峯岸さんの行動に対する意見を表明しているが、その多くは批判的なものだ。

加藤浩次「恋愛して坊主になって謝罪するっていう状況が異常」

2013年2月1日放送の各局の情報番組が、峯岸さんの謝罪動画について取り上げた。やはり話題の中心は「坊主頭」だ。

「とくダネ!」(フジテレビ系)では、MCの笠井信輔さんが「体を痛めつけることは何か失敗があったら仕方がないんだという、これまでの体罰問題と根底では似てる部分があるかもしれないなということは感じます」とコメント。

さらにコメンテーターの深澤真紀さんが、「自分でやったんでしょうけど、これしか自分の残る道はないって思いつめちゃったと思うんですね。ルール違反は謹慎とかはっきりしてあげないと、これからもやっぱり若いからこういうこと起こるし、どんどん追い詰められたら、次本当に若い子たちなんだからかわいそうなことになりますよ」と、自虐的な行動がいつかエスカレートするのでは、との心配も表している。

このほか、「スッキリ!」(日本テレビ系)で司会の加藤浩次さんが「20歳の子が、恋愛して、デートして、YouTubeで坊主にして涙ながらに謝罪してるっていう状況が僕は異常だと思う」、「モーニングバード!」(テレビ朝日系)で長嶋一茂さんが「もし僕が親だったら、もうやめちゃえそんなとこって言う」、「知りたがり!」(フジテレビ系)で田村淳さんが「丸刈りにしなきゃいけないぐらいの厳しい掟なんだってことを表してるんだと思うんですけど、でもまあ丸刈りまでは僕はしなくてもいいんじゃないかなと思うんですよ」とそれぞれコメントしている。

「体育会系的な文化が社会に残っていること自体に批判的です」

インターネット上では、多くの文化人らが「坊主頭」を批判するコメントを残している。

北海道大学教授の町村泰貴氏はブログで、「YouTubeの公式チャンネルに彼女が独断でビデオを公開することができるはずもなく、AKB48としてこの映像を晒し者にしていると評価できる」「このビデオで見られることはセクハラ、パワハラ、いじめ、リンチ、そして体罰と呼ぶべき行為だ。例えてみれば、小学生とか中学生とかが、仲間内で気に入らない逸脱行動(仲間内のルール違反も含む)をしたメンバーに対して、制裁だといって性的に屈辱的な格好をさせて謝罪させ、それをビデオにとってネットにアップするという、いわゆるサイバーブーリングと全く同じである」と厳しく糾弾している。

ツイッターでは、以下のような意見がツイートされている。

「峯岸みなみの姿に好悪を超えて本能的に戦慄が走った。醜聞の是非以前にこの姿を見せてしまったことで、AKBは取り返しのつかないほど大きな代償を払うことになるだろう」「真っ先に浮かんだのが、あのアウシュビッツの認証写真です」(アニメーション監督・山本寛さん)

「僕は『坊主で謝る』という体育会系的な文化が社会に残っていること自体に批判的です」(AKB48ファンの評論家・宇野常寛さん)

「峯岸が自分から坊主にしたというのは本当に危険だと思う。彼女はそこまで追い込まれていたということだ。もし自殺者がでたりしたらどうするんだ」(映像コレクター・コンバットRECさん)

峯岸さんの「坊主頭」を、世間の人々は気味が悪いと受け止めているようだ。恋愛発覚に対する処分も含め、これからAKB48はどのような舵取りをしていくのだろうか。

なお、AKB48総支配人の戸賀崎智信さんは、2月1日に更新したブログで、坊主頭への批判に対し「そばにいたスタッフは止めたようですが、馬鹿だと思われるかもしれないけど、今、自分にできる反省を形にしたいと取り乱すことなくハサミを前髪に入れたと聞いています」と、あくまで峯岸さんの意思だと説明。処分の基準を統一すべきでは、という声には「できれば、共通の規則を作れればいいのですが、メンバーによって状況が違うので、統一することが難しいというジレンマがあります。(中略)様々な状況の中で判断しなければいけないことをご理解ください」と弁明した。

2013年2月1日 J-CASTニュース


テレビ見てネット見て、それをまとめて記事書いてお金貰えるんだから気楽な稼業ときたもんですが、しかし、そんなことを言うもんではありません。例えば、「本能的に戦慄が走った」「真っ先に浮かんだのが、あのアウシュビッツの認証写真です」とか「もし自殺者がでたりしたらどうするんだ」というかなり深刻な書き方をしている「意見」を、さらりと「世間の人々は気味が悪いと受け止めているようだ」とまとめてしまうあたり、単に「お座なり」という以上の余りにもいい加減な書き方をしている点で、これはこれで一種の「意図」の様なものを感じさせるものがありますから、プロの仕事であると言えないこともない様です。

それにしても連日のように日本人のバカっぷりが世界中に配信されているもんですから同国人としては笑っちゃうしかありません。まあ、秋元さんとしてはAKBというものがちょっと大きくなりすぎて、これに寄っかかって生きている人たちが大勢いる状況ですから、何か話題づくりでもしないと殺されて埋められちゃうかもしれないのですから大変なんでしょう。まあ実際バカなことを始めたもので、仕事らしい仕事といえばスキャンダルしかないように、僕なんかには見えます。AKBの人とか知らないし、知らないのでCMとかに出ていてもそれがAKBの人だとは分からないもんですから、「AKB」といえば「スキャンダル」の時にしか出てこない文字列だと思っていたりする。

しかし「スキャンダル」、てゆーか単なる「恋愛発覚」ですが、いつまでも同じことを繰り返していても飽きられてしまいます。これはどうしてもエスカレートさせざるを得ません。したがって「もし自殺者がでたりしたらどうするんだ」という御心配には、「その際にはしっかり稼がせて頂く」という答えしかないように思われます。てゆーか「自殺者」を出さなければならない程に秋元さんを「追い込」んでしまって良いものかどうか、ここはひとつ真剣に考えてみたいものです。もちろん当人が自殺する分には問題はないんですが。

そこで「処分」ではなくて「スキャンダル」の方をエスカレートさせる、という方向も考えられます。例えば3Pとか4Pとか5Pとか。あるいは本当に悪いことをさせてしまう。自転車で人を轢く、なんてのもオマワリとのコラボが可能なので有望ではないでしょうか。思い切ってメンバーから人殺しを出す、なんてのも将来的にはアリかも知れません。メンバー同士で殺し合いをさせるとか。刃物を持たせて保育園に乱入させるとか。

そもそも現状では「スキャンダル」といっても、どっかで誰かとオマンコしました、などという別に悪くもなんともない話なんですから、あとはその「相手」をどうするかということで、それなりのビジネスではありますが、これをいつまでもやっていると、AKBってのは要するにヤリマン集団なんだな、で終わってしまいますから考えものではあります。田村淳さんは「丸刈りにしなきゃいけないぐらいの厳しい掟なんだってことを表してる」と言っていますが、「掟」そのものが一般的な社会規範とかけ離れた奇妙なローカルルールのようでもあり、絶海の孤島の奇習のような、一般の共感を得るのが難しいシロモノであったりもしますんで、AKB自らが定義するところの所謂「スキャンダル」に、世間がいつまでつき合ってくれるのか分ったものではありません。

「これまでの体罰問題と根底では似てる部分がある」のは、おそらくこの意味でしょう。「体罰」というのは、なんでこんなことで殴られなきゃいけないのか部外者には全く理解できない一方、部内者にとってはそれは極めて当然のことであったりするので堂々と人前でやってしまったりするようなものなのです。そこには部外者にはチンプンカンプンな「厳しい掟」が存在します。でもって「体育」とかヤリたい若者は、この「厳しい掟」が通用する奇妙な世界の住人になることが要請されるわけです。

その「厳しい掟」の中には「坊主で謝る」という「文化」があるそうなのですが、このような「体育会系的」は日本の近代そのものであるのかも知れません。おそらく「サムライ」であれば、髷を落とすくらいであれば腹を切ることを選ぶはずです。「坊主」は近代の軍隊と刑務所の「文化」であって、それは人格の否定、名前のない客体として存在するという意味です。真っ先だろうが後で気がついたらだろうが、それは「アウシュビッツ」に他なりません。そうであればこそ、映画の舞台挨拶のついでに「謝罪」するAKBが「北朝鮮の性奴隷」に見えてしまうというわけですが、しかしAKB自体、例の「喜び組」にヒントを得ているんじゃないかと思います。あそこも「恋愛禁止」でした。何だ、シュミは同じじゃん。いつかきっとみんな仲良くなれる。いつかきっとそんな世界が来るさ。差別も偏見も国境も無くなるさ。
posted by 珍風 at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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