2008年09月28日

苦労がねえ秋の風鈴成彬にケリ

というわけで中山さん辞めちゃいましたねー。トーゼンのムクイとはいえ残念ですね。筋金入りのノータリンと匿名ネット工作員などの「単純民族」の絶大な支持を受けてるんですから、これからもどんどん「自分さえよければ」という気持ちで面白い発言をしてもらうとパンのない国民にくれてやるサーカスとしては比較的安上がりで宜しいのではないかと思ったんですが。「公(明党と自民党)のためにはある程度自分を犠牲に」させられちゃうようです。まあゆっくり休んでもらって、ニコニコしているようですが念のためにCT撮っといた方がいいでしょう。本人ショック受けるとアレだから橋下さんに盗撮してもらって、奥さん大変ですけど頑張って、もうどうでもいいやなんて言わないでね。

「もうどうでもいいやと犯行」 福岡・男児殺害容疑の母

 社会に大きな衝撃を与えた福岡市の小学1年富石弘輝(こうき)君(6)の殺害事件。殺人などの疑いで福岡県警に逮捕された母親の薫容疑者(35)が、弁護人の接見に、事件前後の心の動きを語り始めている。子どもへの負い目、自殺未遂、殺害後の混乱……。弁護人の説明からは、病気と育児に悩む母親の素顔が垣間見える。
 弁護人によると、薫容疑者は夫と弘輝君の3人暮らし。薫容疑者は数年前から全身に激しい痛みが生じる病気を患い、トイレの際は夫や弘輝君に手伝いを頼んでいた。1人でいる時は極力水分をとらないようにしていたという。
 厚生労働省によると、この病気は原因が不明だ。治療法も確立されていない。現在の薫容疑者は警察署内で階段を歩くことも難しいという。
 一方、弘輝君には軽度の発達障害があり、小学校では特別支援学級に通っていた。薫容疑者は「手がかかる」と感じていたという。
 自らの病気で主治医に入院を勧められたが、「弘輝と夫を2人だけにするわけにいかない」と断った。ただ、授業参観などに満足に参加できず、不満を募らせる弘輝君に負い目を感じていたという。
 病状は最近、悪くなった。何度か自殺を考え、今月上旬には大量の睡眠薬をのんだという。薫容疑者が薬を流し台にはき、弘輝君が水を流してもう一度のむのを防いだこともあった。事件の10日ほど前からは、自殺に使うために細長いホースを持ち歩くようになっていた。7月の夏祭りですくった金魚を飼うためのものだった。
 今年の夏休み、薫容疑者は弘輝君とほとんど遊んであげられず、事件直前の2、3日は寝たきりだった。「たまには遊ぼう」と2人で向かったのが小戸公園だった。
 公園で弘輝君に「一緒に遊ぼう」と誘われたが、体調が悪く、応えられなかった。弘輝君にトイレの介助を頼むと、弘輝君の不満が爆発した。「1人でできないの」。薫容疑者はホースで弘輝君の首を絞めたという。「絶望的になり、もうどうでもいいやと思った」
 薫容疑者は混乱した状態で夫に電話をした。死亡したことが伝わらなかったのか、夫からは、周りに聞いたり、携帯電話の全地球測位システム(GPS)を使ったりして捜すように言われ、その通りの行動を取ったらしい。その後は家族から慰められ、殺害を明かせなかったという。
 薫容疑者は弁護人に、家族3人で昨年、沖縄に旅行した思い出などを語った。「弘輝の声が聞こえる。弘輝のところにいかないと」

■計画性の有無、慎重に捜査

 県警も、薫容疑者が弁護人に話した内容をほぼ調べで把握している。が、薫容疑者の供述にはあいまいな点もあるという。公園に行って間もないうちに殺害したとみられることから、計画性の有無について慎重に調べている。

 また、弘輝君が見つかったのが、トイレの外壁と柱のすき間の人目につかない場所だったことや、携帯電話を離れた林に捨てて周囲の人と捜したことなどは、第三者の犯行を装った可能性もあるとして、さらに薫容疑者から詳しく事情を聴く。

2008年9月27日 asahi.com


もう10日になりますが、凶器が途中で変わっているのが妙です。最初は携帯のストラップで頸を絞めたらしいということだったのですが、後になって観賞魚用の酸素をブクブクするホースだということになりました。携帯のストラップてのは糸を編んだ紐みたいのでしょう。表面はザラザラしているですよね。一方でビニールのホースはツルツルで、しかも滑りにくいんですから、絞めた後に皮膚に残る痕が全然違うんじゃないかと思うんですが。間違いようがないでしょう。

警察や裁判所はよく言うんですが、犯行後にバタバタと工作をしたからといって最初から「計画的」だというのはいかがなもんでしょう。事前に事後のことまで考えておくのが「計画」というもので、世間一般では行き当たりばったりの弥縫策を「計画」のうちに入れてくれません。もっとも警察の人達が何かを企んだ時の目を覆うばかりの無計画性とそれをカバーする裁判官の苦労をしばしば目にするとき、「計画性」について要求されるレベルが著しく低次元に留まるのも無理もないようです。そういえば警察官が個人的に犯罪に走る場合、かなり無計画なことが多いような気もします。ずいぶん頼りない人達です。

一方その頃25日には畠山鈴香さんの控訴審初公判だったわけで、鈴香ちゃんは当ブログのスターのひとりですから放っとけないんですが、検察の描く「絵」があんまりなので検察も頼りないことがわかります。検察によると鈴香さんは彩香ちゃんを殺害後、その記憶を自分で抑圧し、どういうワケだか娘が死んでしまったことを恨んで米山豪憲君を殺害したという名推理を展開するわけですが、まるで小栗蟲太郎のように強引な力技には感嘆を禁じ得ません。

検察は抑圧したことの責任まで問おうとしています。しかるに責任を問うならばそれは「故意」すなわち意識的な行為であるということになります。したがってまず始めに殺害の記憶を忘れてしまうことが決意され、記憶の抑圧が意識的に行なわれ、次いで抑圧したという記憶も抑圧し、その次に抑圧したという記憶を抑圧したという記憶を抑圧し、以下このように永遠に続きます。脳の大半がこの無限の作業に費やされ、1サイクルごとに抑圧された精神過程が膨らんでいきますから、とても他人の餓鬼まで殺しているヒマなどありません。

最初に「故意」を持ってくるとこのようにヒサンなことになってしまうのですが、これは検察が誰でも思いつく「乖離」という概念を回避したがっているのでこうなっちゃいます。乖離は病名ではなくてよくある心の働きで、必ずしも同一性障害もしくは多重人格などを意味しませんが、どちらかの犯行について限定責任能力となる可能性があります。検察では彩香ちゃんの殺害について記憶の抑圧があったとしていますが、例の鈴香さんの「日記」における豪憲君の死に対する福田元総理以上に冷淡な、まるで「他人事」な記述をみると、そっちの殺害についてもアヤシイもんだという気もします。

福岡の薫さんについては同情的な報道が多いようです。確かに自分は難病を抱えて子供にも障害があるのですから大変ですが、鈴香さんも何らかの病を抱えているようです。「性的乱脈」を云々したがる報道もあったようですが、これなど自殺の代理行為として見ることも出来ますから、鈴香さんについて薫さんのように同情的な記事を書こうと思えば出来たはずだと思います。

もっとも鈴香さんは他人の餓鬼を殺したところが薫さんとは違うところだとはいえ、だからといって鈴香さんばかり極悪人のような扱いをするということになると、自分の餓鬼を殺すことはたいして悪いことではないということになりますから、親を持つ餓鬼の皆さんは直ちに厳戒態勢に入りましょう。ヤラれる前にヤッチマイナ。

逆に言えば薫さんの事件が昨年にでも起こっていれば、薫さんも何を書かれていたか分かったものではありません。秋田県と福岡県の間に何があったのか。山口県だ。光市母子殺害事件で示された、積極的かつ大量に死刑判決を乱発するという日本政府の方針があり、これは今回の控訴審においても検察側の死刑求刑の根拠となっているところですが、この判断基準の確立によって、マスゴミとしては犯罪者を必要以上に非難しなくてもよくなったのかも知れません。ミッションコンプリートです。

そして最近の死刑執行の連発と、中でも「死に神」問題を巡る政府とそのサポーターである「アスの会」などが繰り広げたおバカな騒動は、すっかり潮を引かせてしまったようです。単純民族は騒ぐだけ騒いでイザ本当に人が殺されるとシラケてしまうのでした。検察が引用した「被害者遺族」米山勝弘さんの「判決を聞くまで、死刑を確信していた。被告人は死刑になっても足りるものではない。2人を殺して生きられるなら日本の司法はおかしい」とか「被告人は土下座までしておきながら控訴した。反省をしているふりだ」という御言葉も、なんだか秋の風鈴、てゆうか冬の風鈴のように聞こえてきます。特に秋田の手鞠風鈴は鞠が派手であるだけに仕舞い忘れると取り返しがつきません。

あ、そういえば麻生入歯「チャレンジ!おおいた国体」は昨日が開会式でしたよ。種目によっては会期前から競技をやっていたりするので分かりにくいのですが、今日から本番です。日教組が強いかどうか知りませんが開催県では学校教員が急にスポーツに強くなって天皇杯を貰えることになっていますから、先生方の活躍が楽しみですね。


posted by 珍風 at 10:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 面白く拝見しています。偽悪的で軽妙な語り口でいらっしゃるので、入り口では、ついつい侮ってしまいますが、奥まで乱入しますと、どうしてどうして、大したブログですね!内容豊富で、読みきれませんが。印象的な箇所がいっぱいです。

>2人を殺して生きられるなら日本の司法はおかしい
 先日名古屋で、ネットによる闇殺人事件の初公判がありました。被害者の母親が死刑を求めて署名集めをし鳩山死神に嘆願したアレです。その報道でTVワイドショーのゴメンテーターが「(量刑を)相場で決めるな」と言ってました。「相場」っていう感覚なんだ〜、と薄ら寒くなりました。

>「被告人は土下座までしておきながら控訴した。反省をしているふりだ」
 光市事件でも、楢崎さんが判決文で「弁護団が大勢付いたために被告人の反省が妨げられた」というようなことを書きましたね。事実審理(「控訴」)と反省とは、別問題ですのに。いや、真実を解明し提出する作業をなおざりに本当の反省悔悟なんてありえないんですが。世間も、それから質の悪い裁判官ほど、情状を判断の基準にしますね。そんななら裁判なんて要りませんよ。
Posted by ゆうこ at 2008年09月28日 11:40
「反省」といえば、例の「アスの会」の「被告人の「反省」による減刑について(2002.4.25)」というのがふるっています。
http://www.navs.jp/victim/mistake/mistake-11.html

(以下引用)
刑事事件の判決を聞くと、量刑の事情の中で「被告人が反省している」ということが引用され、これを根拠に減刑されることがよくあります。しかし、これは2つの意味でおかしなことではないでしょうか。
■1つは、
 そもそも後から反省したからといってどうして減刑される大きな理由になるのでしょうか。もちろん反省もしていない者に比べれば反省している方がいいに決まっています。しかし、被害者から見れば、被告人が反省しても被害が回復されるわけはありません。このことは殺人事件を考えてみれば容易に分かることでしょう。いくら被告人が反省しても被害者は戻ってこないのです。むしろ、反省していないということが刑の加重事由になってもいいのではないでしょうか。
■もう1つは、
 単に被告人が「反省している」と言っているだけで(あるいは若干の付加事情があるだけで)、被告人が反省している、という認定がなされていると思われることが多い点です。これなどは、被害者から見れば納得できないはなしです。ただ、最近注目された裁判の中で、裁判長が判決を言渡した後で、さだまさしの「つぐない」という歌に言及しながら、この歌を聴けば、君たち(2名の被告人のこと)の反省の弁がいかに人の心を打たないかが分かるだろう、と説諭したことがありました。これなどは、本当に反省しているかどうか裁判所がきちんと見極めようとしているものであると思います。
(引用終わり)

つまり「反省」していても「反省」していないとみなして刑を加重する、というのが「反省」の正しい使い方なんですね。このようにして「相場」を上回る量刑を科すことが可能です。これは裁判官の「情状」にも見えますが、ワザとやっているようです。
Posted by 珍風 at 2008年09月28日 12:35
あすの会のHP.URLを教えてくださって、大変感謝です。行ってみました。「おかしいと思いませんか(釈放通知)」というカテゴリー、「犯人には精神的問題もあるので、釈放されたら逆恨みをして」と書かれています。たまたま今、私は芹沢一也さんの『狂気と犯罪』という本を半分ほど読んだところなのですが http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/f8e34696479e6102f701185428f424d3 、あすの会の方たちの精神風土といいますか、この本で差し出されている明治(「今」もかも?)の国家の行き方と酷似していると感じました。「精神的問題」とおっしゃりながら、疾病・病人とは扱わない。治療・看護するのではなく、監護・監置・隔離です。「あすの会」のHPは構成上読みづらいし、所謂「信・望・愛」がうかがわれず殺伐としていますが、折にふれ読ませて戴こうと思います。芹沢一也さんの『狂気と犯罪』は、いずれHPに収録する予定です。珍風さんに情報提供していただくことで、考えを広げることができます。ありがとう。
Posted by ゆうこ at 2008年09月30日 12:18
「釈放通知」の「精神的問題」というのが精神病を意味するのかどうか、あれを読んだだけでは分からないんですが、被害者が「何の理由もなく」殺されたのだとすれば、加害者には被害者に対する怨恨などはなかったものと推定されますので、むしろ遺族に危害が及ぶ可能性は比較的低いのではないでしょうか。「被害者の安全」てか「遺族の安全」のことだろうけど、これが必ずしも「加害者のプライバシー」よりも優先されるわけではなく、遺族に差し迫った具体的な危険があるなどの合理的な根拠があるのならともかく、いくら「加害者」とはいえ「犯罪者ってのはそもそもアタマがどーかしてるんだから」というような理由でその権利をむやみに制限することは許されません。 ちなみに精神病が疑われる場合にただ釈放してしまうのは大いに問題アリです。そのへんどうなってんのか、僕も『狂気と犯罪』読んでみましょう。
Posted by 珍風 at 2008年10月01日 20:50
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