2008年10月16日

江戸っ子関西編

集中警戒日、被害ゼロならず=警察官配置の場所でも−振り込め詐欺・警察庁

 全国の現金自動預払機(ATM)で警察官が集中警戒に当たった15日に発生し、認知された振り込め詐欺の被害は、午後4時までの警察庁まとめで3件あったことが分かった。警察官がいたATMでも1件、200万円の被害が出た。
 8月までの1日平均の約63件、約8800万円を大幅に下回ったが、目標のゼロにはならなかった。発覚や届け出に数週間かかることもあり、被害は今後さらに増える可能性がある。
 3件の被害はすべて、身内などを装う「おれおれ詐欺」。埼玉県では、警察官2人が固定配置されていた有人ATMで、男性(84)が200万円を振り込んだ。警察官や銀行員から声を掛けられなかったという。

2008年10月16日 時事


15日にはほとんど全国の警察が銀行やらATMやらに張り付いて「振り込め詐欺」の被害の防止に努めていたようですが、当日に分かっただけでも3件の被害があった、ということです。この日は年金の支給日であり、被害者が一番お金を持っていそうな日であるというのがその理由のようであります。

もちろん当日は警察の警戒ぶりが報道されていましたから、ちょっとでもものを考えることの出来る人はこの日の詐欺行為は見送ったものと思われます。他の日にやれば良いのです。警察としても15日だけ被害がなければいいわけです。しかるに一部の不心得者があたかも警察に挑戦するかのように詐欺行為に及び、あまつさえ3件の被害が出たというのですからたいしたものです。あたかも警察の警戒などはこの種の犯罪に対しては無力であることを詐欺師と被害者と警察が皆で証明したようなものです。

もっとも、最近では銀行を使わずに直接現金を手交するような事例もあるとのことですから、今回の警察の対応には最初からたいした意味などなかったのかも知れません。もしかするとワザと意味のないことを大々的にやってみせて、被害の発生という「失敗」をことさらに高唱する理由があるのかも知れません。てゆうかそもそも「振り込め詐欺」においては警察官によるこれ見よがしの「警戒」には全く無意味なのではないか。

というのは、「振り込め詐欺」においては被害者はある意味で「共犯」関係にあるのです。詐欺のシナリオにおいてはしばしば「警察」や「弁護士」、あるいは「会社」関係を詐称することが行なわれ、被害者の近親者が何らかの「問題」に巻き込まれ、さらにそのことが「その筋」に把握されるに至ったことが物語られます。そしてこの「問題」が正規の手続によって処理されると近親者に多大な不利益が及ぶであろうことが暗示され、しかしてそれを回避するための「裏取引」が提案されるのです。つまり「被害者」は、騙されている限りは「裏取引」において「共犯」関係にある、あるいはそのような意識を持つことになるのです。銀行員の制止を振り切って振り込んでしまう人がいるのも当然で、そもそもこの振込自体が「被害者」にとっても「後ろ暗い」ことであり、とても人様に説明できるようなことではないのですから仕方がありません。

石原都知事はこの詐欺を「日本的」であると評していましたが、もしかするとそうなのかも知れませんがそれは石原さんが言うような意味においてではありません。石原さんは被害者が近親者を気遣うことから被害に遭うことを捕えて、これを「家族に対する価値観」の表れであると解釈しているようですが、日本だけではなく多くの社会で「家族」や「近親者」のために力を尽くしている人は沢山いるようです。「家族」を気遣うことはなにも特殊日本的なことではないと思われます。

石原さんが自分の「家族」のことが気になる気持ちは分かりますが、「振り込め詐欺」が「日本的」であり得るとすれば、それはそういうことではないでしょう。むしろこの詐欺が「警察」などの「権力」を騙ることによって行なわれ、その「権力」がこともあろうに「裏取引」をもちかけるというストーリーが、かくまで有効であるというところが「日本的」であると考えることも出来るでしょう。

ここには先ず「権力」に対する「信頼」があります。「警察だ」とか「裁判所だ」とか名乗ると、それは概ね信用されてしまうようです。そしてその「権力」が「裏取引」を言い出したとしても、この「信頼」は揺るがないようです。それは「温情」をもって与えられた「チャンス」であり、「非公式」であるが故に明るみに出してはならず、また急がなくてはならないのは当然のことでしかありません。このような「チャンス」が与えられること自体「公平」ではないのですが、そもそも「権力」が「公平」に作用することなど全く期待されていないことが、被害件数の多さからも推定されます。「被害者」は「権力」が「不公正」なものであると考えているのです。

また同時に、この「チャンス」を拒否したり、疑念を差し挟んだりすれば「チャンス」は永久に失われ、そうなれば明らかに「公正」さを欠いた「制裁」が、あらゆる形で近親者に加えられるであろうことも「被害者」に受け入れられています。「問題」に巻き込まれた人が「正規の」手続によって処理される場合、その法的ないし社会的「制裁」は、「行き過ぎた」ものと考えられており、人はそのような過程において過度に酷い目にあうものであると想像されているようです。つまり法的「権力」や「社会」はいったん「問題」に巻き込まれたものに対して極めて「敵対的」であるという了解が「被害者」の側において存在します。

そしてこの「権力」の「敵対的」な作用は絶対的であり、避けようのない力であって、言うなりになるしかないものである、というふうに「被害者」が観念していることをもって「被害」が完成します。しかしこれは「非公式」のものであって、近親者を救出できるという確実な見込みはないのですが、その一方では疾しいことであり、まあ要するに「悪いこと」」なのであって、一旦この金員の授受が明らかになるやその抗力が失われてしまいかねないものであり、ましてやそこらに立っているお巡りさんが分かってくれるような話しではないのです。つまり「被害者」は警戒に当たっている警察官を意図的に避けるようになるはずです。

このような「権力」のありかた、あるいは「公正」でもなく「公平」でもなくいわば恣意的に行使される「敵対的」な力としての「権力」の表象が、まあ「日本的」といえば言えなくもないものなのであって、その意味では「振り込め詐欺」はきわめて「日本的」であると言えなくもないでしょう。これは日本の「権力」がそのようなものであるという意味ではなく、国民一般にそのように受け取られているという意味です。また、世界の一部ではまさにそのように「権力」が行使されていると言われても仕方のないような社会も存在するようです。これは公権力が法的根拠抜きで直ちに物理的暴力の行使に及ぶような社会、人々が「権力」に対して抗弁できないような社会において見受けれられると思われている現象です。

「振り込め詐欺」などという手口が通用する限りにおいて日本における一般人の「権力」の表象はそのような社会と変るところがありません。しかし一方では、「権力」がそのようなもんだと思われていることが「治安」の良さというものに繋がっている可能性も否定できません。そんな「権力」のもとでは、犯罪はおろか「権力」が望まないような行動をとるにもおおいなる勇気か自暴自棄が必要となります。すなわち「振り込め詐欺」が多発すればするほど日本は治安が良い、ということになるのです。

もっとも、この種の犯罪の被害は大阪なんかでは少ないようです。大阪というのがどういう社会であるか詳しく知っているわけではありませんが、直ぐにツッコミを入れたり、文句を付けたり、ちょっと目を離すと勝手なことをやっていたりするような印象があります。「日本中が大阪になる」と困る、というのは何も「振り込め詐欺」をナリワイとしている人達だけではないようですが、詐欺の被害に遭わないためにはみんなで「大阪人」になってしまうのも一つの手です。ちょっと気がすすみませんが。わてそんなんいやや。わいは江戸っ子やさかい。


posted by 珍風 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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