2008年10月28日

日本の皆さん、僕を殺さないで下さい

10月の15日と16日に国連の国際人権規約B規約委員会で日本の人権状況について審査が行なわれ、報告が遅れるなど日本の態度が悪いというので不合格になるような神奈川県とは違うんでしょうが、委員会では何人かの委員から批判が続出したところですが、今月末には「最終見解」が出ることになっています。日本政府ではこれに対して先ずは2人ほど血祭りに上げました。

飯塚女児殺害事件の久間死刑囚、福岡拘置所で死刑執行

 法務省は28日、女児2人を殺害したとして殺人罪などに問われ、死刑が確定した久間(くま)三千年(みちとし)死刑囚(70)ら2人の刑を、同日午前に福岡拘置所と仙台拘置支所で執行したと発表した。
 死刑執行は、9月11日に3人が執行されて以来で、今年に入って計15人。森法相の就任後は初めてとなる。同省によると、この日の執行で死刑確定者は103人から101人になった。
 死刑が執行されたのは、久間死刑囚(福岡拘置所)と、強盗殺人罪が確定した高塩正裕死刑囚(55)(仙台拘置支所)。
 確定判決によると、久間死刑囚は1992年2月、福岡県飯塚市の小学校の通学路で、登校中の小学1年の女児2人(いずれも当時7歳)をわいせつ目的でワゴン車に誘い込み、2人の首を絞めて殺害。遺体を同県甘木市(現・朝倉市)の山中に遺棄した。
 久間死刑囚は捜査段階から一貫して無罪を主張。犯行を直接裏付ける物証や自白がなく、裁判は遺体周辺から採取された血痕のDNA鑑定や、目撃証言などの状況証拠の評価が争点になった。
 1、2審とも鑑定の信用性を認めて死刑とし、最高裁は06年9月、「性的欲望を遂げようとした卑劣な犯行。女児の首を締め付けて窒息死させた態様も冷酷かつ非情」と判断。被告側の上告を棄却し、確定した。

2008年10月28日 読売新聞


百歩も千歩も譲って、それはわかる、「人権」とゆーもんが気に入らない、日本には「人権」とかゆーもんはねーんだ、だから今日あえて死刑を執行してやる、どーだ毛唐めくやしーか、それはあり得るとしてもいいでしょう。しかしそれが何故久間さんだったのか、そのあたりに禍々しいまでの悪意を感じさせます。

高塩さんについては、これはいつもながらの「殺意」の認定、高潮さんは司法による「殺意」を認めないまま、すなわち死刑判決のよって立つところを否認しつつ死刑判決を受け入れることによって矛盾を露呈させてしまいました。高潮さん自身の気持ちは別として、今日の死刑執行によって不当判決が不当なまま、不当なものとして固定されることになったのです。これは一つの皮肉です。しかし久間さんはそれとはまた違います。

久間さんは最後まで無実を訴えて来たのです。物証も自白も一切ありません。動機も不明です。あるのは目撃証言と、「ほぼ一致」するというDNA鑑定です。そもそも「久間さんがやったに違いない」という世評が余りにも多すぎるので、目撃証言の信憑性はそんなに高いものではありません。「ザリガニおじさん」はもともと偏見に晒されていたようです。目撃証言がそのような偏見によるバイアスがかかっていなかったと考える根拠はありません。

DNAについては、科警研の鑑定と帝京大の鑑定が対立しているほか、久間さんの車から発見された血痕についても被害女児のうち1人のものと一致するだけであり、もう1人の分がどうなっているのか、疑問とせざるを得ません。というのもDNA鑑定については「犯人が1人と仮定すれば」久間さんと一致する、としているのです。車から発見された血痕からは被害者のうち1人のものしか特定できていませんから、もう1人の被害者はどこへ行ったのでしょうか。もう1人の被害女児の痕跡が発見されない以上は「犯人が1人」という「仮定」は決定的ではありません。しかし「犯人」と久間さんを結びつけるのは「犯人が1人」という「仮定」以外には存在しないのです。

したがって久間さんは冤罪であるか、すくなくとも共犯が存在することが考えられます。久間さんは不正確な事実認定によって死刑判決を受け、それが執行されてしまったものであります。素人目に冤罪っぽいと思われるのには、このほかにこんな話題もあるせいかも知れません。

本事件の4年前に、やはり同じ小学校の当時1年生の女児が行方不明となることがあり、この女児が最後に目撃されたのが久間さんの自宅で遊んでいたところだったのです。当時久間さんも当然調べられましたが、決定的な証拠は出ませんでした。ところが久間さんが逮捕されてから、つまりこの女児が行方不明になってから6年後になってから急にこの女の子のジャンパーとトレーナーが山道で発見されたのです。

これは本事件の傍証でしかありませんが、以前よく探したのに見つからなかった物証が急に出て来たりするのは、冤罪の世界ではわりとよくあることなのです。ましてやこれは本事件の物証ではありません。以前の事件のものです。本事件の捜査過程で出て来ても不思議ではない、いや、出てこなければならないはずのものなのですが、何故か、久間さんが逮捕されてから出て来たのです。

にもかかわらず福岡地裁陶山博生裁判長は死刑判決、福岡高裁小出享一裁判長も死刑判決支持、最高裁の滝井繁男裁判長にいたるまで一貫して久間さんの殺害を支持しました。これは大変に不自然です。久間さんは無実の罪で殺された可能性があります。あるいは久間さんの死刑執行によって共犯者が明らかになる可能性がなくなったのかも知れません。何があったのか、もはや知る術はないのです。

なお今日の2人で今年の死刑執行は15人であり、これは1975年以来の高水準です。しかも、おそらく今年中にもう1回あります。政府の方針では2ヶ月に1回の執行を理想としているようであり、9月の執行は8月の分であるとお思われます。今年中、おそらく12月にまだやるとおもっていいでしょう。そうなると今年の死刑執行者数は17人くらいになることになり、1975年の記録と並びますが、日本政府のここ数年の傾向のなかでも目立った躍進が達せられたと思われます。

このところ日本の死刑執行数は倍々ゲームになっています。すなわち2003年に1人なら2004年には2人、2005年は1人だったんですが2004年には2人、2006年がその倍の4人なら2007年はそのまた倍の9人、そして2008年は現時点で15です。もしかするとまた昨年の倍になろうかという勢いです。日本政府による「理由なき殺人」は狂気の如く加速しています。

アホ太郎によれば「テロとの戦い」という殺戮行為に協力するのは「国際社会の一員として当然」なんだそうです。しかし国家による死刑は「国際社会」から非難されています。したがって給油活動と死刑は矛盾しています。給油をやりたかったら死刑を止めねばならず、死刑を続けたいのであれば給油を止めなければなりません。飲んだら乗るな、乗るなら飲むな、というようなものです。ちょっと違いますが。給油も死刑も、ということであれば実は「国際社会」のことなど全然考えていないのです。そこにあるのはただ単に誰かを殺したいという、力の誇示でしかありません。すなわち日本という国家は殺戮において存在するということです。人殺しをやめてしまえば日本は日本ではありません。そこで日本人の皆さんは日本人として何をすべきか薄々分かってくると思いますが、どうかひとつ、僕を巻き添えにしないでいただきたい。


posted by 珍風 at 23:26| Comment(1) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 こんにちは。いつも堅牢なエントリ、学ばせていただいています。ありがとう、です。久間さんのことから給油活動と死刑のことまで、他では見られない内容で、しかも愉しく書いていらっしゃいますね。申し訳ありませんが、私の拙いブログ http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/c9c701c42d6297ebbe9f1fab95d4205b を補完して戴きたく、TBをお願いできませんでしょうか。

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Posted by ゆうこ at 2008年10月29日 12:29
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