極刑求める署名、30万人に=女性拉致殺害事件で母ら−名古屋
名古屋市千種区で昨年8月、会社員磯谷利恵さん=当時(31)=が拉致、殺害された事件で、母富美子さん(57)ら遺族が、強盗殺人罪などに問われた元新聞販売員神田司被告(37)ら3人への死刑適用を求めている活動に対し、目標としていた30万人分の署名が寄せられたことが23日、分かった。
署名は18日に30万人を超え、20日までの分で30万799人となっている。 富美子さんは「署名からはいつも元気と勇気をもらっている。一時は目標に届かないのではないかとあきらめかけたこともあったが、これを支えに頑張りたい」と話した。
これまでに26万人余の署名を名古屋地検に提出したが、名古屋地裁の公判では被告側が不同意としたため、証拠として採用されていない。来月20日には3人に対する論告求刑公判が予定されている。
2008年12月23日 時事
2007年8月28日の「産経抄」で鬼の首でも取ったかのように大喜びで扱われた事件ですから、死刑廃止論者やそうでない方々もご存知でしょう。なにしろ被害者は「囲碁が趣味で、読書や料理も好きだった。「母のために家を建てたい」と将来の夢を語り、結婚話が進んでいた」「親孝行に励む知的でまじめな娘さん」だったんだそうで、マスゴミ的な「瑕疵」がないというわけです。
あのように強調されちゃうと、じゃあ「親不孝でバカで不真面目な娘さん」が殺された場合はどうなんだ、と思わざるを得なかったんですが、「産経抄」は歓喜のあまりツッコまれることも忘れていたようで。挙げ句の果てに、3人組の1人が「死刑が怖かった」からという理由で自首したことをもって、「その後も繰り返されたかもしれない凶行を、「死刑」が抑止したともいえる」などという迂遠な理屈で「死刑廃止論者たち」に一矢報いたつもりになっていたものです。
筆者が肝心の利恵さんの殺害が「抑止」されなかったことについてはどう考えているのか知りませんが、被害者側からすれば相当に失礼なコラムであったといって良いでしょう。これはつまり利恵さんが殺されたことで結果として他の人が殺されなくて良かった、これも死刑制度があるおかげだ、ということを言っているわけで、まるでもう利恵さんは誰かに殺されて他の人が殺されないようにするためだけに生まれてきたような扱いであります。
まあマスゴミというものは酷薄なものだそうですし、死刑存置論者は人の命を道具のように扱うそうですから、そんなことも普通なんでしょう。被害者の母親である富美子さんはそんなことに文句をつけたりせずに、被告人に「極刑」を求めて活動しているところであります。この「署名」というのは、誰か他の「善意の」第三者が集めているものではなく、富美子さん自身が自分のHPで募集しているものです。
http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/
「産経抄」じゃありませんが、富美子さんも利恵さんのことを「何の落ち度も関係もない」と言っています。この事件では被害者と加害者に面識も利害関係もなかったこと、これが大きな特徴となっています。多くの殺人が顔見知り同士の間で行われているのですから、これはこの事件において特筆されるべき重要な要素なのです。
だからといってどうというわけではないのですが、「何の落ち度もない」人が「関係ない」人に殺されたことに憤りを感じる場合には、じゃあ何か「落ち度」があれば殺されても仕方がないのか、ということを考えないといけません。これはつまり仮に利恵さんが誰かに対して何か「落ち度」があったとして、その誰かが利恵さんを殺した場合にはどう考えれば良いのかということです。
記事によれば、「利恵さんを殺した」という「落ち度」のある3人を殺しても良い、殺せ、殺してくれ、という人が30万799人います。富美子さんのHPによれば12月24日現在で301,339人と増えています。この人たちは「落ち度」のある人を殺すことに賛成の人ですから、利恵さんに何らかの「落ち度」があった場合には利恵さんを殺していたはずの人ということになります。
裁判では「殺意」が問題になったりしますが、30万人以上の人が「犯罪」を実行してはいないものの明白な「殺意」を表明しています。勿論「殺意」を抱くこと自体は罪でもなんでもありませんが、それを「署名」までして明らかな形で表現するのは、その「殺意」の対象に「落ち度」がある故でしょう。「何の落ち度もない」人を殺すのは良くないことだ、しかし「何らかの落ち度がある」人は殺してもよいのです。
僕としてはこの30万人だかの人たちが、是非とも殺意の表明だけに留めていただき、「何らかの落ち度のある」人を殺し始めないことを祈るばかりです。なんたって僕なんか「落ち度」が服を着て歩いているようなもので、場合によっては服を着ないで歩くこともないわけではないというくらいなものなんで。
ところで富美子さんはこの署名を裁判における「証拠」として提出しようとしたようです。一体何の「証拠」なのか、署名した人は気が気ではないかもしれませんが、どうも不採用となったらしいので大丈夫です。しかしこれが「こんだけ沢山集まったんだから、死刑にしろ」ということであるとすれば、これは問題です。
つまり裁判官としてはそのような「署名」に判断を左右されてはならないことから死刑判決を出せなくなります。しかし一方では死刑判決を出さなければ「世論との乖離」を問題にされかねません。二進も三進もいかなくなってしまいます。このような「署名」は裁判官を窮地に立たせる可能性があります。
もっとも「世論」といっても30万人というのは人口の0.26%くらいのものですが、これがたとえ3000万人であっても、どういうわけか3億人であっても、裁判官は「その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」のであって、「署名」などに拘束されるいわれはありません。それは彼らの義務であり、彼らにはそのようにあることが要求されます。
しかしこれが裁判員だと話しが違ってきます。このような「署名」は裁判員を動揺させ、判決に多大な影響を及ぼすものと思われます。「署名」が直接に判決に影響を及ぼす可能性があります。ところがこのような「署名」は、刑事裁判においては裁判員に比べても当の「事件」に対して余りにも無知であるか偏った情報しか持たない人々によって行われているのです。したがってこのような「署名」は、ただでさえ危殆に瀕している裁判の公正を維持するにあたって大きな障害となる虞れがあります。
もちろんこのような「署名」に参加することによって、仮に当該裁判の裁判員の候補となった場合は裁判員の辞退理由とすることも出来ます。てゆうか辞退しなければなりません。裁判開始後であっても、署名をしてしまった場合には正直に申し出ることが必要でしょう。しかしながらこのような目的を持って何でもかんでも闇雲に署名してしまうのも考えものです。世の中には極刑を求める「署名」もあれば、減刑を求める「署名」もあるかも知れません。どうでもいいから両方に署名してしまえばいいのです。
ところで自首した川岸さんは「死刑でいい」と言っています。死刑が恐くて自首したんじゃなかったのかな。裁判では自首した理由について「被害者が命乞いをする場面が頭を巡った」から、ということになっています。こうなると死刑による「次の」犯罪の抑止、という屁理屈も成り立たないので死刑存置論者の方には御愁傷様であります。
あとは専ら「遺族感情」が頼みの綱ですが、ここで被害者の特性が問題になってくるのです。「親孝行に励む知的でまじめな娘さん」。これは娘さんの行状によっては「遺族」が「極刑」を求めない可能性を示唆します。富美子さんはたとえ利恵さんが「悪い子」でも「極刑」を求めたかもしれませんが、世の中には色々の人がいますから、わかったものではありません。周りの人家族親族とは仲良くしておいた方が、殺された後で役に立ちます。実際には殺された後では何の役にも立ちませんが。


