2009年03月28日

なにが青春だ!

夢で寄付寄付寄付、寄付寄付寄付
いつでもいつまでも
キラめく様な甘い思いに
胸ときめいていたあの頃の様に

そんな「あの頃」のことを「青春」だとか言うもんですから、たしかに「青春」は3日やったらやめられません。もっとも日本における「青春」の歴史は浅く、それが始まったのは1965年のことでした。

忘れもしない憶えていないこの年の10月24日日曜日午後8時から、東宝とテアトルプロの共同制作による『青春とはなんだ』が日本テレビ系で放送されたのが日本における「青春」の始まりです。「青春」とは「なんだ」から始まったわけで、要するに何だかわからないうちから始まってしまったのですが、この責任はひとえに石原慎太郎にあります。

いわゆる「青春シリーズ」の第1作として知られている夏木陽介主演のドラマですが、これには原作があって、しかもその原作を書いたのが石原慎太郎であることはよく知られています。未だに石原慎太郎といえばその代表作として『青春とはなんだ』を挙げる人が少なくありません。もっともこれを読んだところで「青春」が「なん」なのか分るわけではありません。

石原さんは正直な男ですから、自分が分ったつもりになった時にはそういうタイトルを付けます。『これが恋愛だ』などがその例です。石原さんとしては「恋愛」というものが「なん」だか分っているのです。少なくとも当人はそのつもりです。それは「これ」なのであって、どの「これ」がそれなのかは、その本を読むと分る、という仕組みです。しかし「青春」というのは、これはどうもよく分からないので、ちょっと腹立ち紛れに投げ出してしまいました。

普通にはこれは年齢の区分であって、「青春」は16歳から35歳までの、学に志し身を立てるくらいまで。その次が「朱夏」で36歳から55歳、不惑にして天命を知っちゃう。56歳から65歳を「白秋」といい、ここまで来ると耳が従うようになりますが、それ以降を「玄冬」といいまして、逆に耳が従わなくなってくるばかりか心の欲するままに行って矩を超えず、といいますか、このくらいになるともう矩のほうで譲ってくれることになっています。

そんなことはどうでもいいのですが、石原さんの原作は2クール分しかなかったのに意外と好評であったので、あとの半年は「原案:石原慎太郎」で引っぱり、あろうことか1年以上、1966年の11月13日をもって放送を終了しました。

そうすると二匹目のドジョウを狙うのは人の世の常でありますから、次回作ということになります。これが石原さんの代わりに答えを出してあげたという『これが青春だ』。翌週の1966年11月20日から始まります。石原さんより利口なのは竜雷太です。竜雷太は調子に乗って態度がでかくなったようで、『これが』を1年やったのでは飽き足らず翌年からは『でっかい青春』が始まります。

問題はその次です。1968年の秋からは『進め!青春』が始まります。番組タイトルに「!」がついたのは、このシリーズではこれが最初です。しかも主演が浜畑賢吉です。誰だそれは、という人は『南京の真実』でも見て下さい。だからどうだというわけではありませんが、この番組は1968年の10月20日から始まって12月29日に終わってしまいます。11回しかありません。一説にはメキシコ・オリンピックのせいだともされていますが、オリンピックの会期と放映日が重なっていたのは第1回だけです。実際には1クールで終わったのは視聴率不振による打ち切りでした。

もっともこれは賢明な撤退であったともいえるでしょう。『すすめ!』の後のつなぎ番組としての『サンデースペシャル』3カ月の雌伏の後、日本テレビはこの枠で『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』を開始します。この「裏番組」とはNHKの大河ドラマ『天と地と』に他なりません。これは「青春シリーズ」の視聴率が結構良好であったこと、しかしその賞味期限が短く、3年で「青春」の泉は汲みつくされ、枯れ果ててしまったことを意味しています。浜畑賢吉と石坂浩二を比較することには意味がありませんし、あまりにも浜畑さんに気の毒です。

しかし「青春」の火は消えず。半年の後、不死鳥の如く、というか焼け木杭に火がついたかのように、シリーズは復活します。誰も知らない『炎の青春』、第1回放映は1969年の5月12日20時、しかしこれは月曜日です。元の日曜日20時は人気絶頂のコント55号が野球拳をやっているわけですから、思えば遠くへ来たもんだ。それにしても主演の東山敬司って誰ですか。

しかもこの年の8月からTBSでは恐怖の『水戸黄門』第1部を開始しています。そのせいかどうか『炎の青春』もあえなく7月に10回で打ち切り。夏の盛りに燃えつきた青春の炎東山敬司君は翌年公開の東宝映画『社長学ABC』で東野英治郎と共演するハメに。

これが日本の「青春」の尻すぼみな歴史です。一方その頃「青春の原作者」石原慎太郎はとっくに自民党の参議院議員となっていました。若い頃は作文をしたりなんかもしたものの、やっぱり向いてなかったようです。自分が向いていないものを知ることも「天命を知る」というのです。

ところがどっこい、世の中何が災いするか分りません。1970年の9月からTBSで『おくさまは18歳』が、同じく10月からは東京12チャンネルで『ハレンチ学園』が始まります。いずれも「学園」を舞台にしたセックスコメディですが、共に漫画を原作としているところに共通点があります。そしてその流れの中で現れるのが『おれは男だ!』なのです。

1971年2月から放映が開始された森田健作主演の『おれは男だ!』は津雲むつみの漫画を原作とする松竹制作の作品であり、石原慎太郎を起点として東宝が製作した「青春シリーズ」とは系譜を異にします。そのコンセプトは「男と女のユーモア学園」であり、「学園」を舞台にしたセックスコメディに他なりません。

暴力としての権力と性を表現した『ハレンチ学園』、そしてソフトな表現ながら「人妻」でありながら「女子高生」である主人公がモテて=いろんな人の性的対象となって困っちゃうな、という過激極まる『おくさまは18歳』に比べるとセックスを竹刀一本に象徴させてやたらと振り回す『おれは男だ!』はたしかにあんまり面白くもないのかも知れませんが、「ウーマンリブ」つーかツンデレ女に阻まれて性欲の発散を妨げられた主人公が海辺を走ったりしてこれ見よがしに性欲を発散する様は、ある意味十分に「ハレンチ」な表現たり得たと言えなくもありません。

しかしそれはあまりに出来損ないの「ハレンチ」であり、七生童貞の右翼方面のイコンとなってしまったのも遺恨ですが、ここから「青春」は甦ります。ただし森田健作とは全く無関係に。

『おれは男だ!』の後番組は再び東宝・テアトルプロ共同制作による『飛び出せ!青春』です。そうです。「Let's begin!」、八月の濡れた食いしん坊、村野武範のアレです。主題歌は青い三角定規の「太陽がくれた季節」、元祖であり本家本元であることの力強い宣言となりました。

その間森田健作が何をしていたかというと、『おれは男だ!』終了後の1972年4月から別枠で『青春をつっ走れ!』がつっ走りすぎて18回打ち切り、つなぎの『あしたに駈けろ!』が何と奇跡の8回。いやこれがバカにできません。何しろこのドラマでの森田さんの役名は「青木洋介」、でもってラグビーやってるんですから。いわゆるひとつの「原点回帰」というやつかも知れません。

しかし、最初は素晴らしかったものが堕落していったのであれば「原点回帰」にも意味はありますが、最初から下らないものであったのが飽きられたというだけのことであれば、「原点回帰」は最悪の反復でしかありません。まあ、どうでもいいですけど。つなぎですから。

んなことをやって周囲の期待を裏切りまくってから、森田さんには最後のチャンスが与えられます。『飛び出せ!青春』の後番組『おこれ!男だ』です。ただし、もはや森田さんだけでは危険なので、『アイアンキング』主演で実力を見せた石橋正次とダブル主演。何だか知りませんが1973年2月から半年ばかりやっていたようですが、森田さんの「青春」もこれを最後とします。

一方、本家本元のシリーズでは村野武則の後輩として中村雅俊が主演をはる『われら青春!』が気を取り直して1974年4月から2クール。これが東宝の「青春シリーズ」としては最終作になりますが、これの放映終了から1年後、中村雅俊主演の『俺たちの旅』がユニオン映画製作で開始され、これは中村雅俊を中心とした企画として「青春シリーズ」を後継するものであると考えられます。「オメダ」とか「カースケ」が出て来るアレです。

この番組は中村雅俊の他にも田中健、秋野大作、森川正太との競演が印象深く、ケーナを吹くようになった田中さんは別として秋野さんと森川さんは次回作の『俺たちの朝』にも出演。その次回作『俺たちの祭り』で「俺たちシリーズ」は修了しますが、その後番組の『青春ド真ん中!』、そして『ゆうひが丘の総理大臣』あたりまでこの流れは続くでしょう。

このシリーズでは『俺たちの朝』のみ勝野洋主演ですが、基本的に中村雅俊の主演企画となっています。実際に上記の諸作品のうち中村さん主演は14クールであり、次が竜雷太の8クール、森田健作も8クールですが、わけのわからない作品2クールを含みますので実質6クール(『おれは男だ!』と『おこれ!男だ』)となるでしょう。ということで「青春」とは中村雅俊のことであって森田健作のことではありません。

ちなみに中村さんの出世作でもある『われら青春!』の主演は松田優作に内定していたところ、松田さんは『太陽にほえろ!』に出演が決まったので、後輩の中村さんを推したということです。松田優作が演じていたらどうなっていたことやら、日本の「青春」もハードなもんになっていたでしょう。少なくとも主題歌が小椋佳というわけにはいかなかったような気もします。

一方で森田健作といえば、学園セックスコメディ路線の傍流から出て来た徒花であって、しかも暗く歪んだセックスを表現した変態的な俳優であるということになります。「青春」を歪曲したものが「森田健作」である、という事情を考えると、「青春」も奥が深いものであるとも何とでも言えます。

これがいつの間にか「青春の巨匠」を僭称しているのもひとつの問題ですが、森田健作のパロディが巻上公一であったり、そのまたパロディが劇団ひとりだったりするのも世間の誤解であるといい切ってしまって良いものなのかどうかよく分かりません。

しかし「青春」の次は「朱夏」なんだそうですが、たしかに竜雷太はやって来ては死んでゆく後輩刑事達を指導する「ゴリさん」となり、中村雅俊は「理想の父親」、はては「理想の祖父」のランキングの常連となっています。『朱夏の女たち』を書いた五木寛之さんによれば、30歳から40歳の時期をどう生きるかによってその後の人生が決定されるそうです。「その後の人生」ったって何十年もありませんが、例えば森田さんが30代の時に何をしていたかというと、よく分からないんだホント。何もしてない。


posted by 珍風 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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