2009年05月25日

流血の大惨事 民主党内で激突!

裁判員制度の発足にともない、報道各社では事件報道の新たな指針を取り決めていることが「わかった」。

裁判員制度で大わらわ 新聞各社が「自主規制」を開始

 裁判員制度のスタートを5月に控え、大手新聞各紙は事件報道をガラリと変えることになった。「逮捕段階から、容疑者をまるで有罪のように報道されると、裁判員はあらかじめ偏見を持ってしまう」という注文が司法当局から出たため、各紙とも記事のスタイルを根本的に見直すことになったようだ。
 朝日新聞では、昨年中にすでにガイドラインをまとめている。その主な柱を5つ紹介しよう。
 * * *
(1)情報の出所を明らかにする
 これまで逮捕容疑は、「調べによると、殺害した疑い」などと情報の出所を隠し、まるで真実であるかのように書いてきた。これは、「警察の捜査は間違いない」という警察ベッタリの幻想にすぎず、裁判員に偏見を与えかねない。そこで、逮捕容疑は警察の見立てにすぎないことをハッキリさせるため、「警視庁赤坂署によると、殺害した疑いがある」と情報源を明示することにした。
(2)発表であることを強調する
「赤坂署は佐藤容疑者を逮捕した」といった警察の広報のようなスタイルを改め、「赤坂署は、佐藤容疑者を逮捕した、と発表した」と書き改め、警察と距離を置いていることを強調する。
(3)認否を書く
 容疑者が否認していても、これまで記事上に書かれることはなかった。これでは不公平なので、「捜査本部によると、容疑者は否認している(あるいは『認めている』)」などと書くことにした。
(4)「わかった」はできるだけ使わない
 新しい捜査状況を特ダネとして報じるとき、「容疑者が殺害を認めていることがわかった」などと断定調で書いてきた。この「わかった」スタイルは、警察の取り調べ内容を真実と決めつけているのでできるだけ使わず、「警視庁によると、容疑者は殺害を認めているという」などと書く。淡白な表現になるので、裁判員に強い偏見を持たせないで済む。
(5)容疑者の言い分を書く
 警察一辺倒だった取材を改め、弁護士も積極的に取材し、容疑者の言い分を書く。
 * * *
 読売新聞でも、ガイドラインを昨年からスタートさせている。朝日と違うのは、情報源の出所をよりハッキリさせるため、「赤坂署副署長によると、容疑を認めている」などと情報源をより特定した報道を心掛けている点。逮捕後、起訴されず釈放された場合は、「誤認逮捕」の疑いがあるから、名誉回復のためにも必ずその事実を報道することにした。また、前科前歴を報じる点は、朝日が「原則報じない」という立場に対し、読売は「裁判員に与える影響が強いので注意が必要」と指摘するにとどめ、前科前歴報道そのものはやめないようだ。
 一方、毎日新聞は今年1月から見直しを始めているが、先行する2紙ほど厳密なガイドラインではなさそうで、「毎日らしいアバウトさが特徴的」(社会部記者)という。
 こうした大手3紙の動きを追って、地方紙に記事を配信する共同通信も3月から同様のガイドライン運用を始めており、これで新聞メディアはおおむね事件報道の見直しに着手したといっていい。
 大手紙の社会部デスクはこうした報道の見直しの動きについて「『見てきたかのように書く』と言われてきた新聞のいい加減さを見直すいいチャンスなんです」と歓迎しており、「これほど事件報道が根本的に見直されるのは、えん罪事件を垂れ流した報道姿勢を改めようと、『呼び捨て』ではなく『容疑者』を付けるよう見直した20年前の改革以来の出来事」と語る。
 しかし、こうした動きはなにも新聞メディアの自覚から生まれたわけではない。裁判員制度を導入する最高裁は「事件報道は裁判員にとって百害あって一利なし」という考えから、公判が始まるまでは供述内容などを報道できないよう法的規制をかけるという立場を捨てていない。その対抗措置として「自主規制」のために生まれたのが、今回のガイドラインなのだ。
 これらの事件報道の見直しは緒に就いたばかり。紙面の変化をしっかりとウオッチしておきたい。

「サイゾー」4月号より


まあ事件報道というのはほとんどが警察発表をそのまま書いてあるんで、「情報源」はかなり「ハッキリ」しているんですが、あまりにもそのまま書いちゃうんで主語が「警察は」のままになっちゃってるわけです。事件記事の文章の動作の主体はほとんど「警察」です。「事件」の発生そのものすら、現象としては「警察がそれを発表した」という形でしか現れません。

ですから簡単に言えば、従来の記事の全体を括弧でくくって、その前に「○○警察署は、」と書いておいて、括弧を閉じてから最後に「と発表した。」とでも書いておけば良いようなものです。「オマワリが言うには、」「だそーだ。」でも構わないでしょう。なんだか「熱く」ない記事が書けそうで、そろそろ衣替えの季節ですが、省エネとか地球温暖化とかそういう意味でもクールなことは結構なことです。

読売新聞社は「容疑者や被告が真犯人であるとの予断を与えないよう、情報源の明確化を打ち出した」と得意気です。これは情報源が明確でない場合、記事の文章の主体が新聞自体ということになることから、読者に「予断」を与える虞れがある、という意味です。報道各社は読者が新聞屋の言い分をそのまま信用するものだと思っているのです。そして残念なことにそういう読者は多いのかもしれません。なんといっても新聞というものは熟慮の上、洗剤目当てに特定の銘柄を選択して比較的長期にわたって利用を継続するものですから、信用しなければ損をしたような気がするものです。

その点では、家にヤクザが来て契約させられて配達されて来る、という新聞の売り方にもある程度問題があるような気がします。そうは言っても、例えば読売新聞などはあまりにもオモシロいので読み続けたい、出来たら毎朝家にまで持って来てもらうと便利だ、という人もいるでしょう。例えばこんなオモシロい記事が載るんですからヤメられません。

鳩山民主、「開かれた党」に立ちはだかる黒い目隠し扉

 民主党本部(東京・永田町)の役員室入り口のガラス扉に張られた目隠し用の「黒いフィルム」が、にわかに注目を集めている。
 鳩山代表が「開かれた党運営」の象徴としてはがすよう指示したが、保安上の理由などで実現していないからだ。
 役員室には鳩山氏のほか、小沢代表代行、菅代表代行、岡田幹事長らの個室があり、担当職員が常駐している。フィルムが扉の大半を覆うように張られたのは、小沢代表時代の2008年1月。前年秋に自民党との大連立騒動が持ち上がり、報道各社がガラス越しに役員室内を撮影したことなどが理由だった。その後、小沢氏の党運営が不透明だという批判が強まるにつれ、「黒フィルムは小沢体制の象徴だ」とやゆする声が出ていた。
 鳩山氏はこうした小沢氏の「負のイメージ」を払拭(ふっしょく)しようと、記者団のぶら下がり取材に毎日応じるなど、風通しの良さをアピールしている。フィルムも就任直後にはがすよう指示したが、「セキュリティーの問題がある」などと反対されている。党内では「小沢氏の影響力を排除できるかどうか、鳩山氏の指導力の試金石になるかもしれない」という見方も出始めている。

2009年5月24日 読売


これは傑作ですから日本新聞協会はこの記事を書いた記者を表彰すべきです。「開かれた党」と聞くや否や入口の扉を見に行くところが何とも言えません。確かに短兵急ですが、なんだか微笑ましい情景のようにも思えます。混迷する政局に正に一服の清涼剤というか、記者の軽量材ぶりがうかがえます。

そこで彼は「黒いフィルム」を目にしたわけです。急いで見に行ってそれを注視したので「にわかに注目を集めている」のです。「集めている」のは記者の右の目と左の目の「注目」です。なぜそんなことになったのかといえば、彼はその扉に真正面から衝突したものと思われます。

したがってここまでは「情報源」はかなり明白です。「情報」を「取得」した「情景」を目の当たりにするかのように明らかなのです。そしてここまで分っていれば、記事全体の「情報源」も自ずと明らかではありませんか。それは強打した記者の頭部に他なりません。

「情報源」としてはかなり疑わしいWikipediaによれば讀賣新聞は「特に事件報道では裁判員制度を意識し、警察発表ではニュースソースを明らかにするなど、官の情報に頼らない記事を書いている」んだそうですが、政治記事でも「官」とか何とかの「情報」に頼らない記事を書いています。特にこの記事は何の「情報」にも頼っていません。全て記者の「見たこと」と「聞いたこと」で書かれています。

「「黒フィルムは小沢体制の象徴だ」とやゆする声が出ていた」というのはどっから出ていたのか。記者の頭の中です。アタマをぶつけたので耳鳴りがする、それが衝突の物理的ショックと心理的ショックと相まって、このような幻聴となって彼の頭の中に響き渡ったのです。彼が間違いなくそれを「聞いた」ことは確かです。他の人には聞こえませんが。

「党内では「小沢氏の影響力を排除できるかどうか、鳩山氏の指導力の試金石になるかもしれない」という見方も出始めている」ようなのですが、それが「党内」の誰だか分らない、というのはもっともな話しです。しかし「党内」というのは「党に属する誰か」であるとは限りません。それは「党の建物の内部」のことなのではないでしょうか。おそらくそうでしょう。全ては民主党本部内の役員室入口の扉の前で起こったのです。そこでひっくり返った読売記者が、そのような「見方」をすることにしたのです。ガラスに頭をぶつけて怪我をしたところから「試金石」なんて言葉を思いついたんでしょう。ガラスから石英を思い出し、黒石英は試金石ですから、黒いフィルムを貼ったガラス扉が「試金石」を連想させるのは全く自然なことです。記者さんの頭が「金」であったのかどうかは定かではありません。

もしかしたら「金玉」も打ってしまったのかもしれません。それは大変に辛いことです。けど、新聞屋さんは「偏見を持たせない」ための書き方を色々考えたようですが、何のことはありません。普段やっている「偏見を持たせる」ための書き方の逆をやれば良いだけのことですから簡単です。ちゃんと意識してそのように書いているんですから間違いありません。マスゴミの民主党に関する報道は特に見本となるようですから、引き続き讀賣新聞を取り続けると何かの参考にはなるでしょう。思うに社会部と政治部では全てが逆転しているのです。例えば普通の人は透明なガラス扉にぶつかってしまうことがありますが、政治部さんでは黒いフィルムを貼ったそれにぶつかってしまうのです。「常識」を超えたなんらかの「真実」というものがそこには確かに存在します。しません。


posted by 珍風 at 06:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「黒フィルム」の件、私もウェブで読んで、どうすればこういう記事が載るのかなと思いました。おそらく見過ごす人も多い記事でしょうが、見出しをちらと見るだけで刷り込まれるわけです。昨今のマスコミですから、見出しだけを批評の対象にするのが正解かもしれません。
Posted by jsds001 at 2009年05月26日 09:49
jsds001さんこんにちは。ああいう記事は記者の「体を張った」取材とか「血のにじむような」努力、まあ、そういったアレがどーのこーのして、載るみたいですよ。よく知りませんが。「見出しをちらと見るだけで刷り込まれる」というのは卓見ですね。確かにこの記事の「見出し」だけみれば、まさかこんな内容だとは想像もつかないような重々しいものが感じられたりもします。羊頭狗肉とは正にこのことでしょうが、苦肉の策とも思われます。

そういう意味では紙面上のレイアウトが問題になってきます。よく「紙面」とかいいますが、メッセージは記事ではなく「紙面」そのものにあるのかもしれません。ただ、そうなるとお金を払って「紙面」を見ないといけないんですが、某Y社の売上に貢献する気もないし。まあ「刷り込み」の被害者は「紙面」を見た人であって、そのほとんどはこの新聞を定期購読している人だけです。実際のところそのような人は、例えばこのような記事をお金を払って読んでいるんですから再考を促したいもんだ。
Posted by 珍風 at 2009年05月27日 15:05
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