2009年12月17日

その奥にある志や問題の本質

そうかと思うと西の横綱の周辺も最近賑やかであったりします。

阿久根市長の「障害者」ブログ、鹿児島県議会が非難決議

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が、自らのブログに「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている」などと記述したことに対し、同県議会は17日午前、竹原市長に障害者や県民への謝罪を求める非難決議案を可決した。
 決議文は、ブログの記述について「これまでに築き上げられてきた障害者の方々の生きる権利や幸福を追求する権利を否定し、人間の生命の尊さをあまりにも軽んじていると受け止められ、極めて遺憾」と抗議し、関係者への謝罪と障害者福祉の一層の増進のため適切な努力をするよう求めている。
 県議会事務局によると、県議会が市町村長の発言などに対し、非難決議案を出すのは初めて。金子万寿夫議長は「異例なことだけに、竹原市長にはこの決議を重く受け止めていただきたい」と話している。
 竹原市長は14日の市議会の答弁で「ブログの一部だけを取り上げた批判」と述べ、謝罪を拒否している。阿久根市議会も18日、市長に発言撤回と謝罪を求める決議案を可決する予定。

2009年12月17日 asahi.com


たしかに県議会が市町村の首長に非難決議を出すなどという話しはあまり聞いたことがありません。しかしながら竹原さんはブログの一部だけではなくて全部読んでほしいと、こういうわけであります。この点、ブログ書きとしては特段に反対しなければならない主張ではありません。そこで問題のエントリの全文をここに引用する事は竹原さんが特に慶賀するところであろう事は想像に難くありません。

医師不足の原因は医師会

 医師不足が全国的な問題になっている。特に勤務医の不足は深刻だ。
医師が金儲けに走っている為だが、この体質を後押ししてきたのが医師会だった。

以下 池田信夫blogから引用
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f65bacae249f66488dc8bfc3e9fbe384
----------------------
かつて「医師過剰」の是正を繰り返し求めたのは日本医師会出身の議員だった。たとえば1993年に参議院文教委員会で、宮崎秀樹議員(当時)は
次は、大学の医学部、医科大学の学生定員の問題でございます。これに関しましてはいろいろ定員削減という方向で文部省と厚生省との話し合いができておりまして、一〇%削減、こういう目標を立ててやっているのですが、実際にはそこまでいっていない。[・・・]例えば昭和六十三年には十万対百六十四人だった。これが平成三十七年には三百人になるんです。三百人というのはいかにも医師の数が多過ぎる。
と医学部の定員削減を求めている。宮崎氏は日本医師会の副会長を歴任した。
−−−−−−−−−−引用おわり

 勤務医師不足を解消する為に勤務医の給料を現在の1500万円程度から開業医(2500万円程度)に近づけるべきなどとの議論が出てきている。
しかしこんな事では問題は解決しない。医者業界の金持ちが増えるだけのこと。

医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全ての医者に最高度の技術を求める必要はない。できてもいない。例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。
「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない。
社会は志を掲げ、意志を持って悲しみを引き受けなければならない。未来を作るために。

2009年11月8日 住民至上主義


竹原さんは「医師不足」に対して極めて独創的な解決策を提示しているところです。それは要するに質を度外視すれば医師を大量に世に送り出す事が出来るというものです。医療の質が低下することによって患者等が死んでしまうかも知れませんが、そんなことは構わないようです。おそらく竹原さんが想定する「医師」とは、多くの人が考えるように医療に携わる人ではありません。それは要するに「死亡診断書」を発行する資格を持つ人のことです。

ここで数の増加が必然的に質の低下をもたらすものであるか、などというギロンは竹原さんの興味を惹くものではありません。実は竹原さんは「医療」というものをあまり信用していない、というか、あまり必要のないものだと考えているようです。11月8日のエントリだけを引用すると、また「ブログの一部だけ」とか言われかねませんので、翌11月9日のエントリも引用する事が竹原さんの意にかなうものであると思われます。

神の領域

頂いたメール
------引用はじめ
未来を作るために。には、違和感を覚えました。全体主義的、若しくは、神がこの世にお作りになった仕組み的(自然の摂理)には、正しいのかも知れまんが、高度医療のために機能障害を持った子を授かり、その子の成長に関わり、高い精神性を求められている方々にこの言葉はあんまりです。(私の娘達w)?「老鮠鐚圓任后・・・w:ぢ正直な気持ちとして、人間は神の領域に(覚悟は持ち得無いながらも)立ち入ったのですから、人故に手に入れた高度な社会性でこれを乗り切らねば成りません。少なくとも、この世に生を得た者に対して。。ブログは日記であると共に、自らの意志で公共に発信するもの。そして貴方が市長という皆の希望と誇り、志を背負って人故の社会を作られるリーダーでいらっしゃる立場から、これを書いてはいけないと思います。少なくとも機能障害を持った子の親に成られた方の心を支える魂を見せなければ成りません。始めての手紙で不躾であったこと、お詫びします。社会への働きかけ、いつも尊敬しています。
--------引用終わり

厳しい生活の中で喘いでいる方々には慎重さを欠く見解に見えたかもしれない。
高度医療が多くの人々に高い精神性を追求せざるを得ない機会を与えているのは現実だ。この世は生ばかりではなく死によっても支えられている。しかも人間は生と死の境目をコントロールする技術を手に入れつつある。
原子爆弾同様に、使い方を知らないままこれを乱用すれば多くの人々に高い精神性が必要な厳しい生活を強いる。これでは残酷な社会を作る事になる。

日本が人口減少で消滅しつつある過程でするべきことは、先ず人口を増やす事であって高度医療で儲ける医者と業界を増やす事ではない。精神的にも健康な子供達が増えれば障害を持った子供達、体の弱った高齢者をより良く支える社会を作ることができる。高度医療にかけるお金の一部で人口を増やす事ができる。先ずは健康な人々が多く居なければ心を支える社会作りもできはしない。社会作りは人工的に意図的にしなければならない。メディア等に煽られての情緒的、成り行き任せであってはいけない。理不尽さを神や悪魔のせいにもできない。社会作りの全てが神の領域に踏み込む技術を獲得した人類の責任だ。

2009年11月9日 住民至上主義


竹原さんの言う「高度医療」にはあまり具体的な意味はありません。何故なら竹原さんにとって「医療」とは全て「生と死の境目をコントロールする技術」に他ならないからです。つまり放っとけば死んじゃう奴が医者にかかると生き延びたりすることを「生と死の境目をコントロールする技術」とか「高度医療」などの言葉で言い表しているのです。それは要するに竹原さん以外の人が普通に「医療」だと思っている事なんですが、竹原さんの透徹した視線の元ではそれは高度に神秘的な神の領域を侵す行為に他ならないのです。

そういうわけですから「障害を持った子供達、体の弱った高齢者をより良く支える」のは「高度医療」の存在しない「社会」とやらなのです。つまり産婆と藪医者しかいない「社会」のことですが。こういう「社会」では、「より良く支える」ということは見殺しにすることを意味するように思えてなりませんが、それはやっぱりそうであるようです。そのような「社会」に可能なのは「悲しみを引き受け」ることなんだそうです。もちろん人を悲しませておいてから、それを「引き受ける」わけです。おそらくその「社会」では「悲しみを」キレイさっぱり忘れさせてくれるんでしょう。

竹原さんとしては、こんな安易な「悲しみ」の方が「高い精神性」を要求する「残酷」さよりも望ましい事であるようですが、まあ、竹原さんがだらしないのは仕方ないとしても、これは「そんな障害を持った餓鬼を育ててるよりも一思いに殺しちまった方が楽だぜ」と言っているように聞こえてしまうかも知れません、いや、いくら竹原さんだって目の前にそういう人がいなければそんな事は言わないでしょう。いれば言いかねませんが。それよりも竹原さんが言いたいのは、医者にかかっても良い事はありませんよ、という単純なメッセージなのではないか。

やはり竹原さんの言う通り、ブログというものは続けて読む事が極めて肝要です。竹原さんはいわゆる「神の領域」に属する、竹原さんにとっては「高度」な医療に対して、ちゃんと対案を用意しているのであり、11月8日に始まるエントリの連鎖は11月11日のエントリにおいて驚くべき「結論」に達するのです。

メール紹介 健康1〜2

阿久根市長 竹原信一様
はじめまして。竹原市長の主義主張に目を開かれ、考えされられることも多く、心から敬意を表します。
ブログに書かれたことでどうしても意見を申し述べたく不躾ながら市役所のメールに送らせて頂きます。
今年13歳になる長男が、生まれて2ヶ月目に酷いアトピー症状が発生し、数年間、色んな病院に通い、様々な処方を受けましたが、結果的に水分摂取と食材の改善でアレルギーを克服することが出来ました。そのなかでEMという微生物資材を知りそれが身体の免疫強化、体内の有害物排出に大きく寄与してくれました。
(農業資材としてもしかしたら名前くらいはお聞きになったことがあるかも知れませんし、眉つばモノだと非難されたことを耳にされたことがあるかも知れませんが)
子供のアレルギーに付き合った結果、私自身が体質改善を果たしました。10年近く風邪をひかず事故の後遺症で膝や腹部の痛みが十数年続いていたのがほぼ完治しました。熟睡できるようになり目覚ましも不要になりました。

EMを摂取したことでより効率的に体内の排毒が出来たことは確かですが、人間は本来、とても強い抵抗力というか免疫力があることを自覚します。長男以下3人の男の子を授かりましたが、健康体となった彼らを見ていても、熱や怪我に強く回復力の早さを感じます。また、食事や日常生活、顔色などから彼らの健康状態を把握出来るようになりました。病気は必ずどこかに原因があると思います。

EMを代替医療として取り入れている愛知県の小澤医師が自身の書籍で「現代人の多くが、病気になったとたん、「自分は何も悪いことはしていないのに、私は被害者だ」という顔をする。しかし実はそうではない。病気とは発病するまでの個人の生活様式や乱れた食生活に原因があったからこその結果である」と書かれています。

なりたくて病気になる人はいないが、なるべくして病気になっているということを日ごろ子どもたちに言い聞かせています。ただし竹原市長もブログで何度も書いておられるように、現代の医学・薬学いやそれよりもっと大きな組織による恣意的な行為が存在していて、新型インフルエンザなどを含めて単純に個人の責任だけではないのでしょうが。

私は医食同源しかないと考え、休日に専業農家の手伝いをしながら空いた畑で家族のための野菜を作っています。無農薬無化学肥料は当然ですが、有機でやれば虫食いは当たり前という概念も消し去らねばならないと考えています。土や野菜が健康体であれば虫食いのない香りが高く長持ちするものが出来ます。健康体でなければ枯れて早く種子を残し次世代に生まれ変わろうとしますがストレスがなければ花も強い香りで長く咲いています。
EMを活用すれば従来の10分の1以下の費用で日常生活や農業生産を行うことが出来、生命体の本来の凄さや何ともうまく出来上がった自然の摂理をまざまざと見せつけられます。開発した比嘉教授は自治体の規模が現在の半分以下で済むと言われていますが、私自身も全く同感です。もちろんこれは竹原市長に何かをお願いするものでなく、EMの売り込みでもありません。

何故障害をもつことになったのか、何故癌になったのかが、どこからかやってきた突然の不幸の種によるものではないことに早く気づく社会にならなければいけないと思います。勝手にまとまりのない長文を送りつけましたことお詫び申し上げます。今後のご活躍に期待をこめて。
--------------以上---引用おわり

参考までにEMXについてhttp://homepage3.nifty.com/skis/em/em-x_frame.htm

2009年11月11日 住民至上主義


なるほどこういう事情があって、医療をこき下ろす必要があったわけなのです。「ガン」「心臓病」「肝炎」「喘息」などに効果があるばかりかガソリン車の燃費を「向上」させ、あろうことか「コンピューターやテレビの画面、電子レンジのガラス面、照明器具などにEM−X GOLDを吹き付けると、人体への電子障害の改善の効果がある」とされる「EM−X」についての評価は、まあ、ともかくとして、随分な「精神性」だか「精神なんとか」の域に達しつつあるようです。

全くの話し、8日のエントリだけ読んだ人は、竹原さんの考えは間違っていると思ってしまうかも知れません。しかし実際には、これは気の毒にも偽薬にはまってしまった人が一般医療を攻撃してそんなもの要らねえと言うばかりか、「EM−X」が「効果」を現さない「機能障害」については、「それは本来生きているべきではないんだから効かなくても良いのだ」と少しばかり乱暴な開き直り方をしてしまっただけなのでした。それに例えば、ある種の障害を持った人でも「医療」のお世話にならなくても市長とかになれる、という実体験に基づく自信というものもあったりするのです。


posted by 珍風 at 22:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
えー、困った方ってぇのはそこら中におられる訳ですが、それが権力者となると迷惑を蒙る方が多くなるのでこれは相当困ったものです。
ただこの方のホンネであろう「役立たずの金喰い虫に存在理由など無い」ってのは今のこのクニでは結構賛同受けそうな考えなんでこりゃやっぱり国家社会主義の道一直線かなと。
Posted by ika at 2009年12月18日 14:44
「奇矯にして、かつ率直な言動が物議を呼んでいる阿久根市長、竹原信一氏。 氏のブログ「住民至上主義」の転載を中心にその奥にある志や問題の本質を見つめてみたい」
http://ossanndream.blog101.fc2.com/

というわけで、竹原さんのホンネはおそらく、「障害者の方は特別という感覚は私の中には全然ないんですね。人間の命というか「存在」というのは、一体だという感覚が本当にあります。」といったところでしょう。まあ疑似科学にはまった人が言いそうな事ではありますが、障害者だろうとなんだろうと個々人が「特別」に存在しているということを無視できることになるんでしょう。そこで「一体」とか言う一方ではコストを個人別に計算して管理する手法をとりますが、ここで個々人の個別性は無視されることから、存在を維持するために他の存在よりも過大なコストがかかる存在を是認する事は出来ないのです。

竹原さんはついに市民の課税情報を取得したようですが、全市民を対象に個人別のコスト管理を行なう事になったようです。おそらく納税額の低いくせに多くのサービスを受けていたり、その逆があったりするものと思われますが、税金というものはもとよりそういうものです。しかし竹原さんは相互扶助などということは「社会」がやれば良いと思っているようなのですから、税務資料なんてものは、てゆーか税制そのものが竹原さんの理解を超えるものである事が予想されます。そこでおそらく阿久根市は徴税を廃止するものと思われます。竹原さんの嫌いな市職員や市議会議員もいなくなりますからめでたしめでたし。
Posted by ぴょんやんふれんど珍風 at 2009年12月18日 22:01
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