2009年12月31日

中国に追いつき追い越し殺しにいけ

英首相、中国の死刑執行非難…恩赦要請27回

 【ロンドン=大内佐紀】中国当局が、英国人アクマル・シャイフ死刑囚の死刑を執行したことについて、ブラウン英首相は29日、「寛大な措置を求める我々の度重なる要請が認められなかったことに驚き、失望している。最も強い言葉で非難する」との声明を発表した。

 BBC放送によれば、英政府は過去2年間で27回にわたり、精神疾患があるとされるシャイフ死刑囚の恩赦を中国政府に求めてきた。28日夜も、英外務省高官が駐英中国大使を呼び出し、刑を執行しないように求めたばかりだった。
 人権団体や精神疾患患者を支援する団体関係者は28日から夜通し、在英中国大使館を囲み、恩赦を求める運動を展開。シャイフ死刑囚の命運は英国で高い関心を集めていた。英国では死刑が廃止されており、死刑に対する忌避感が強い。

2009年12月29日 読売新聞


可哀想な大内さんのために申し添えれば、「死刑に対する忌避感が強い」のはイギリスに限ったことではありません。「EUは死刑制度のない世界を求めています」。EUは中国のような文明国におけるEU市民の生命だけではなく、日本のような野蛮国の猿のような住民の生命にも強い関心を示しています。

2009年7月28日に日本で3人の死刑が執行されたことに関する欧州連合を代表する議長国声明

EU News 216/2009
2009/07/30
欧州連合理事会
ブリュッセル
12502/09 (Presse 237)
P 88

<日本語仮訳>
欧州連合(EU)は、2009年7月28日に、山地悠紀夫、陳徳通、前上博の3氏に絞首刑が執行されたことに対して、深い遺憾の意を表する。
欧州連合は、いかなる場合においても、またいかなる環境下でも、極刑の使用に反対しており、全世界的廃止を一貫して求めている。我々は、死刑の廃止は、人間の尊厳を守るために、また人権の漸進的発展に不可欠であると確信している。欧州連合は、この刑は残酷かつ非人道的であると考える。死刑に抑止力があると証明されておらず、どの司法制度においても不可避である司法の誤りは、取り返しのつかないものである。よって、欧州連合全域において死刑を廃止している。
また、欧州連合は、2008年12月18日に、国際連合総会が死刑に関する決議を採択したことを想起する。これは、2007年12月に採択された決議を再確認するものであり、死刑の使用を続けているすべての国に対し、同制度の廃止を目的として、執行の停止を決定するよう要求している。
欧州連合は、世界各地における広範な人権問題に関する日本との協力を歓迎し、重要視している。欧州連合は、この機会において、死刑を法的に完全に廃止するまでの間、その適用を停止するよう日本政府にあらためて要求する。
欧州連合は、総選挙後に発足する日本の新政府を訪問し、日本における極刑の使用に関する欧州連合の見解を表明する意向である。

駐日欧州連合代表部


同様の声明は2008年にも2回出されています。ちなみにこの声明を出すのは大内さんによって「死刑に対する忌避感が強い」とされるイギリスではなく、EUの議長国であるスウェーデンであることは、讀賣新聞さえ読まなければ誰にでも分ることです。

そればかりではありません。中国外務省によれば、当の中国ではなんと驚くべきことに死刑制度を廃止する条件を探っているところです。

中国で英国人死刑執行 麻薬密輸罪

 【北京=朝田憲祐】新華社通信によると、中国新疆ウイグル自治区ウルムチ市で二十九日、麻薬密輸罪で死刑判決が確定していた英国人アクマル・シャイフ死刑囚(53)に対し、注射による死刑が執行された。
 欧州メディアによると、中国で欧州の市民に死刑が執行されたのは一九五一年以来でほぼ半世紀ぶり。また国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの発表では、二〇〇八年の中国の死刑執行は少なくとも千七百十八人に上り世界最多。今回の執行で国際社会からの非難があらためて高まりそうだ。
 中国外務省の姜瑜副報道局長は二十九日の会見で、英国政府が反発していることに対し「麻薬犯罪撲滅は全世界の人たちの心の声で、いわれない非難だ」と強い不満を表明。「中英関係を損なわないよう誤りを正すべきだ」と述べた。
 また、死刑制度を維持していることについて「制度廃止の条件が整っていないためだ」と強調。死刑問題では抑制的で慎重な取り扱いをしているとした。
 シャイフ死刑囚は〇七年九月、タジキスタン発の航空機でウルムチに到着した際、空港でヘロイン約四キロを所持しているのが見つかり逮捕された。死刑判決は今年十月に確定。北京の英国大使館や人権団体などは、同死刑囚に精神疾患があるとして精神鑑定を申請したが、中国の最高人民法院(最高裁)は「精神状態に疑いを抱く理由はない」と却下。「死刑適用は麻薬犯罪防止に有益だ」としていた。
 中国では、日本人男性四人も麻薬密輸罪で死刑判決が確定しているが、いずれも最高人民法院が審査中で執行されていない。

2009年12月30日 東京新聞


一般的に政府機関の発言は慎重に取り扱うべきであって、あまり信用してはならないのですが、とにかく姜瑜さんによれば、どうして中国では未だに死刑をやっているかというと、それは「制度廃止の条件が整っていないため」なんだそうです。つまり条件さえ整えば死刑制度は廃止されるというわけです。

だからといって廃止するつもりがあるわけではないでしょう。「条件」のなかで最も影響力の大きいものは、おそらく中国政府における死刑廃止の意志であり、それは当面存在しないようですから近い将来に「条件が整う」ことは全く期待できません。にもかかわらず、この発言によって中国政府は、ついうっかりとして、死刑制度は廃止されるべきであるという認識を示してしまったわけです。

中国は2008年の2月に日本や北朝鮮その他と一緒になって国連に死刑存置の「口上書」を提出したりしていたものですが、実際には死刑制度に積極的な意味を見いだしていないようです。日本では、いわゆる「世論」と、昔森山さんが言ってた「死んでお詫びをする」、という、これは要するに西洋から観た「ハラキリ」文化をそのまま言っちゃっただけなんですが、そんなテキトーな「文化論」でもって死刑制度を維持したいわけですが、「世論」や「文化」が「正しい」とする説得力を持ちません。中国は死刑は廃止されるのが「正しい」という認識を示していますから、中国が日本に対して優勢なのは、なにも数をこなしているからというだけでもないようです。また来年こいばいいからなー。


posted by 珍風 at 10:20| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
死刑制度にゃ反対ですが、コイズミ・タケナカ・ミャーウチ・ミタライ辺りの諸氏には市中引き回しの上打ち首獄門の刑が相当かと思われます。これは日本の伝統・文化なので白人どもにとやかく言われる筋合いはございませんが船団組んでヨソの海にまでクジラ殺しに行くのは日本の伝統・文化じゃないのでそこは素直に従いましょう。
Posted by ika@身勝手千万 at 2009年12月31日 13:37
あけおめ。
俺は死刑廃止には反対だが、慎重に運用された結果として事実上死刑が起こらない、ぐらいはいいと思うな。
だいたい無期懲役や終身刑だって、犯罪者の残り少ない人生を国家が奪いとるのは死刑と同じなわけじゃん。
死刑だけが特別いけないとはどうしても思えんのよね。
Posted by gen at 2010年01月01日 13:02
多分、白人どもに死刑制度の必要性について説明することが大切なんでしょうが、中国は、要するにそれは不可能であると言ったわけなんでしょう。一口に「白人」といっても、欧州人が全員死刑に反対だというわけではありません。「白人」というのは意見の地域的な分布の偏りなのであって、その意味では中国の中にも「白人」が存在するでしょう。大変残念なことに国民の全てが「文化・伝統」に同一化しているわけではありません。てゆーか同一化していないので文化や伝統の大切さが盛んに説かれているというのが現状です。そこで「白人」を説得できないということは国民の統合の失敗を認めることになってしまうわけですが、考えてみればそんなことは当たり前のことです。そこで意見の対立が存在する場合はお互いに丸くなって、あまり激烈なことはしないようにすることになるでしょう。逆に死刑制度のような過激な制度を持つ国家では、あたかも内部に意見の対立が存在しないかのように振る舞うことになります。この場合は国民の意見が普遍的妥当性を持つ考え方にまとまっており、国家はそれに従っているというフリをすることになるのですが、その普遍妥当性というものは他者たる「白人」どもによって承認されなければならないのです。そして中国においては死刑制度についてはこのような立場を維持することが困難であることが認識されたようですが、日本では普遍だかなんだか知らないけど八割がたイケてるから大丈夫、という相当にいい加減などんぶり勘定が世界に通用すると思っているみたいなのですから笑われても仕方ありません。

不定期刑や終身刑については刑務所の処遇、てゆーか刑務所内でどのような生き方が許されるのかによって評価は異なると思います。場合によっては死刑同然であることも当然考えられますが、少なくとも「再犯」を問題視する程に教育刑思想が行き届いた体系の中では死刑の存在する余地はないんじゃないか。
Posted by 珍年快楽! at 2010年01月01日 21:55
なるほど。
つまり死刑廃止というのは、実は教育刑の延長なんだな。
何が何でも更正させるという決意が死刑廃止というわけだ。
たとえ犯罪者が寿命で獄死しようとも、国家がお前を「人間らしく」させてやろうとしているのだからありがたく思えと。
そういう考えもあるんだなぁ。
確かに、その考えでいけば死刑は更正の試みを放棄するものだから許されないわな。
Posted by gen at 2010年01月01日 22:43
「教育刑」というのは面白いもので、「「人間らしく」させてやろうとしている」ことが、「ありがたい」どころか実は同時にペナルティとして、権利の侵害としての「罰」として捉えられているんですね。要するにそれは「損」であるわけで、これは捕まらない程度に「人間らしくなく」やっちゃっていいや、という「道徳」と結びつきます。

死刑は「教育刑」が目標とする「正しさ」が「損」である限りにおいて、刑罰の目的を「矯正」に置く体系の中に位置を占めることが出来ます。それは「損」の程度の激しいものなのであって、損害を与えるものとしての「教育」の最大のものである、というわけです。

損害を与えることが教育効果を持つという教育刑論の誤謬の中に、死刑は存在しているのです。
Posted by 悔い改めないものは幸いである珍風 at 2010年01月02日 21:12
>損害を与えることが教育効果を持つという教育刑論の誤謬の中に、死刑は存在しているのです。

じゃあ結局、死刑廃止論者っていうのは一体何を求めてるんだろうね?
終身刑だって他の刑罰だって、損害を与えることが教育効果を持つという点でまったく同じ誤謬があるんじゃ。
Posted by gen at 2010年01月03日 01:42
教育刑思想は結局、法定刑の廃棄して刑罰を治療過程に置き換えることになるでしょう。対象を殺すことは「治療」ではありませんから、死刑廃止論はここを目指すものになるのではないか。

「犯罪」は「疾病」による行為とされることになりますが、この場合でも特定の行為を「治療」なり「矯正」を必要とする「問題」として措定する権力そのものが問題になる点において現状とあまり変わらない。むしろ精神医学の導入によって「治療」対象が際限もなく拡張される危険すら存在します。

それに対して刑罰は、極端な場合自らの死をいう損害を覚悟すれば何をしても良いという「自由」を与えることになるかもしれません。この場合「刑罰」は「価格」であり、誰でも買い物をするように犯罪を犯すことが出来るのです。それは全く正常な経済行為です。もっともここでも、メニュも値段も寿司屋のように親爺が勝手に決めてしまうのですが
Posted by 鮨 珍念 at 2010年01月03日 15:10
教育刑=治療なら、もはや治療しても見込みのない末期患者はどうなるんだろうね。
現代医学でも治療できない難病はまだまだいっぱいあるし、不治の病にかかったら諦める他ない。これはわかりやすい。
だが、人間の精神の治療はどうなんだろう。
どうしてたって治らない病気があるの同様、人間の精神だってどうしても更正の見込みがない場合があるんじゃないの。
国家が治療して更正させるのが教育刑の本旨だとしたら、教育の見込みがない人間には死を与えるしかない、という考えだって成り立っちゃうぜ。
ひょっとしたら、死刑廃止論者にはそういうどうしようもない人間だって国家によって更正させることができるに違いない、という思い込みがあるのかもしれない。
これは結局、「国家が国民の生死をも自由にできる」という死刑許容論とコインの裏表だろう。
いや、「国家が人間の精神を操作できるに違いない」という点で、さらに一歩踏み込んでるな。
Posted by gen at 2010年01月03日 16:25
「教育の見込みが無い人間」について、治療プロセスにおいてはおそらく「回復経過が超長期にわたる例」ということになるんじゃないですかね。この場合は事実上終身にわたって「治療」が続けられるであろうと考えられますが、身体的拘束が伴うものであるかどうかは不明です。

てゆーか、この場合何をもって「治癒」とみなすか、というのが問題でして。血液検査やるわけにもいきませんし、面接調査の結果「犯罪性向」が見いだされない程度に、いわば飼い馴らされれば「治った」ことになるのか。その場合「以前の彼(彼女)」は殺されてしまったと言うことも可能です。これは「regeneration」という概念に当たるんでしょう。

もっとも、「犯罪」が犯罪者の「精神」に宿る何物かであるのかどうかは分ったものではありません。たしかに「犯罪」は行為であり、この「行為」には当該行為の結果に対する期待が含まれているようですが、行為者にその責任の全てを負わせることが妥当であるかどうかは議論の余地があるでしょう。てゆーか実際の司法では「情状」によって行為者の責任を減軽しているところです。しかし「刑罰」でも「治療」でも、「犯罪」への対処を「犯罪者」において行なおうとしている点においては変わるところが無かったりします。
Posted by 未来性器珍風 at 2010年01月03日 19:01
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