2010年02月07日

死刑学未来編

死刑制度の是非をめぐる内閣府の世論調査で「死刑存続派」が過去最高の85.6%に

死刑制度の是非をめぐる内閣府の世論調査で、「死刑存続派」が過去最高の85.6%にのぼることがわかった。
調査は、全国の有権者3,000人を対象に、面接で行われた。
死刑制度の存廃については、「場合によっては死刑もやむを得ない」が過去最高の85.6%で、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」の5.7%を大きく上回った。
存続の理由としては、「被害を受けた人やその家族の気持ちが収まらない」、「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」との意見が多くなっている。
「死刑賛成派」は、同じ質問の回答の推移を調べ始めた1994年の調査から毎回増加していて、法務省は、「死刑に対して肯定的な受け止め方が続いている」と見ている。
また、公訴時効制度に関しては、現在の時効は期間が「短すぎる」と考える人が半数を超えていて、時効制度の見直しを検討している法相の諮問機関「法制審議会」の議論に影響を与える可能性がある。

2010年2月6日(FNN)


FNNというのは米国の謀略機関「Fareast News Network」のことのようで、日本語がよく分からないようです。アメリカのためなら(他の人の)命を捨てることも厭わない日本人が大勢いる、ましてやちょっと文章の説明をしてくれるくらいの人は一人くらいいるのではないかと思われるのですが、これもアメリカがアジア政策の基軸を中国に移行しつつあるという話しの一環でありましょうか、「基本的法制度に関する世論調査」の解釈は極めていい加減です。

この調査においては「死刑存続派」というものは存在しません。他の日本の報道機関は全て「容認」という言葉を使っているのですが、それは、今回の調査が前回までと同様に行われていたとするのであれば、こういう聞き方をしているからです。

死刑制度に関して、このような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか

(ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである
(イ)場合によっては死刑もやむを得ない
わからない・一概に言えない


極東ニュースネットの記事においても「「場合によっては死刑もやむを得ない」が過去最高の85.6%」ということになっていますから、ガイジン共にも文面は認識されているようです。この調査では「どんな場合でも」という絶対的かつ全面的な死刑廃止の意見を持った人以外は(イ)を選択するようになっているのですから、(イ)には積極的な死刑支持者から現状維持で良いんじゃないの人まで、多様な意見が含まれることになっています。

例えば、死刑廃止論の中には通常の刑事犯に対する死刑適用は廃するとしても国事犯に対するそれは存続する、という意見もあるのですが、この調査ではこのような意見も(イ)に入ってしまいます。実際にこのような政策をとっている国家が存在しますし、そういう意見を持っている人もいると思いますが、この調査ではその辺のところは分りません。

まあ、日本政府としては死刑の廃止どころかその縮小すら望んでいないようなので、こういう選択肢になるんでしょうが、これでは(イ)はかなり例外的な事例をも想定した上での、せいぜい「やむを得ない」という程度の「容認」を含むものであって、死刑制度を現状のまま「存続」させるという意味での「死刑存続派」とは相当違う、ということが、日本語を解する人には分るようになっています。

ところでいろんな報道によると、調査の結果は以下のようであった模様です。

死刑制度に関して、このような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか
(括弧内は前回調査結果と増減)

(ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである
  5.7%(6.0% ; −0.3)
(イ)場合によっては死刑もやむを得ない
  85.6%(81.4% ; +4.2)
わからない・一概に言えない
  8.6%(12.5% ; −3.9)


つまり「わからない・一概に言えない」が減って、(イ)が増えたわけですが、さっきも書いたように(イ)を選択した人が実際のところどういうことを考えているのかは「わからない・一概に言えない」のですから、要するに何だかわかりません。主観的な「わからない」が客観的な「わからない」に移ったようですが、これはこの問題に対して何らかの意見を持つ人が増加したことを表すものでしょう。

例によって(イ)を選んだ人には将来のことも尋ねたようです。

将来も死刑を廃止しない方がよいと思いますか、それとも、状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよいと思いますか。
(括弧内は前回調査結果と増減)

(ア)将来も死刑を廃止しない
  60.8%(61.7% ; −0.9)
(イ)状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい
  34.2%(31.8% : +2.4)
わからない
  5.0%(6.5% ; −1.5)


ここでも「わからない」人が減っているのであり、多くの人が自分の意見を明確にしつつあるところであります。そして「容認」が増加した分、その内容は薄くなっているようで、「将来も死刑を廃止しない」人の割合が減少しています。今もし仮に最初の設問で(イ)、次の設問で(ア)を選択した人を「強硬派」とでも名付けるとすれば、それは全体の52%であり、前回に比べて2ポイント上昇しています。また、2番目の設問で「わからない」の人はあまり将来のことを考えていないのかもしれませんが、わからないとか言ってると現状が維持されますので「現状維持派」です。

また、この後の方の設問で(イ)を選択した人は、将来的な死刑廃止を容認するものであって、広義の「死刑廃止派」に含めることも可能でしょう。従って先の設問で(ア)を選択した人と、同じ設問で(イ)を選択しかつ次の設問で(イ)を選択した人を広い意味での死刑廃止の意見を持った人であるとして、それは全体の約35%となります。前回の調査結果によれば同じ群が約32%でしたので、3ポイントの増加となります。

したがって今回の調査結果を整理すると、「強硬派」と「現状維持派」を広い意味で「死刑存置派」とし、絶対死刑廃止論者と将来死刑廃止容認者を広い意味で「死刑廃止派」とすると

広義の死刑存置派 56.3%(55.5% ; +0.8)
広義の死刑廃止派 35.0%(31.9% ; +3.1)
死刑わかりません  8.6%(12.5% ; −3.9)


絶対的全面的死刑廃止の意見が微減する一方で広義の死刑廃止への志向が増加していること、これは「強硬派」の増分を上回ります。そして何よりも死刑について何らかの意見を持つ人の増加、という傾向が伺えます。これは死刑廃止の議論を行ないたいのであればその条件が整いつつあることを意味するでしょう。

それにしても政府の質問の設定が悪いので、詳しい分析は不可能ですが、多様な意見を1つの選択肢に誘導することによって「死刑容認派」を何としても多数派にしようという目論見の一方で、その内容は波乱に富んでおります。あえて政府の立場からいえば、死刑容認派は荒廃しつつある。

それに1つの選択肢が85%以上を占めるようでは、アンケートが破綻しているのであって「東京・秋葉原の無差別殺傷事件などの発生を踏まえ、凶悪犯罪に厳しい対処を求める世論の広がりがうかがえる。」(共同)などと暢気なことを言っている場合ではありません。マスゴミがバカなのは仕方ありませんが、さすがに法務省は「死刑に対して肯定的な受け止め方が続いている」と冷静な見方をしているんですが、これは政府自身が国民に提示してみせる派手な数字とは別の認識を持っているものと思われます。それは上に示した「広義の死刑存置派」が程よい過半数で安定傾向、静かに広がる将来廃止、未来は無限の先送り、というようなのに近いところかも知れません。


posted by 珍風 at 10:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
(イ)状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい。って答えた方にはどう状況が変われば死刑廃止しても良いのか突っ込んで聞いていただきたかったですね。例えば終身刑制度新設なんかに期待されているのだとすると、そもそも今の無期懲役もほぼ終身刑みたいなもんだ。とモノの本で読んだ記憶があるんですが、そこら辺を知っていただいた上でアンケートを取ればどんな結果になるんでしょうか。ま、全然違う「状況」を想定していらっしゃる方も当然おられるでしょうから、やはりどんな状況なのか是非知りたいものであります。
話変わってそんなに死刑存続を望む方が多いのなら裁判員制度に続いて死刑執行員制度を導入すればいかがでしょうかね。死刑は賛成だけどそれは誰かがソイツを殺してくれるから、だって人を殺したくないもん。なんて方も多いんじゃないかと。だとするとそれはちと無責任なんじゃないかと思わなくもないわけで。まぁ国家公認の殺人が出来るなら是非やってみたいって方もおられるでしょうが。
Posted by ika at 2010年02月09日 10:23
前の設問で(イ)を選択した人にその理由を聞いていていて、「被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」が54.1%で前回より3.4ポイント増。「命をもって償うべきだ」、「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」は微減ですって。したがって「状況」とは要するに「遺族」のケアの問題かも知れません。一方では「遺族」の権利を保護するために死刑を、なんて論調もあるみたいですが、「権利のための殺人」を認めることになるとそれはそれで難点があるような気も。「遺族」は化けの皮を剥いで「国家とは殺人である」と言い切った方がよろしいのではないかと。どうせ産經新聞にしか相手にされてないし。

もっとも、仮に国内外の死刑廃止論が完全に制圧されて、死刑存置を特に正当化する必要がなくなったら、永遠に満たされない「遺族」の心理的必要は何処へ向かうのだろう、という興味はありますね。一度連中に圧倒的な勝利を与えて、行く末を見てみたいものです。

話変わって「死刑執行員制度」ですが、現状の執行方法であれば喜んで参加する人の方が多いと思います。だって、自分が殺したっていう感じがしないようになってますから。国家が公認しようがしまいが、複数の中に埋もれてしまえるのです。この「複数」こそが国家であって、脳天気に国家に同一化できるのであればともかく、実際にはそこでは殺人の自覚を持ってその責任を問われている死刑囚の方が優位に立つのであり、その前で「死刑執行員」は死刑囚と国家の間で「無」でしかない自分に直面しなければなりません。
Posted by 左から2番目の押しボタンは珍風 at 2010年02月09日 21:45
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