2010年03月02日

あらゆる犯罪により多くの死刑をいつでもどこでも

社長ら2人強盗殺人で無期懲役 鳥取地裁の裁判員裁判

 鳥取県米子市で会計事務所社長ら2人を殺害したとして、強盗殺人などの罪に問われた元同事務所役員影山博司被告(55)の裁判員裁判で、鳥取地裁は2日「同情の余地が大きいが、重大かつ悪質な犯行で、生涯を掛けて償うべきだ」として求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。
 強盗殺人罪の法定刑は死刑か無期懲役。強盗目的の殺害かどうかや情状面が争点だった。
 小倉哲浩裁判長は判決理由で、犯行当時、資金繰りに窮していた点を挙げ「被害者の預金を引き出すために殺害した」として強盗目的を認定。遺体を長期間放置し、2人の生存を装っていた点を「悪質」とする一方で、事務所の借金を肩代わりし、社長から個人的な雑務を命じられていたことなどは「量刑上配慮せざるを得ない」と述べた。
 判決後には裁判員2人が記者会見。検察側の求刑が議論を狭めたことはなかったと強調し、重罪の審理に臨んだ点については「言葉ではうまく言えない」と戸惑いを口にした。

2010年3月2日 共同


裁判員が人殺し初体験か!?と、鳴り物入りの裁判でしたが、蓋を開けてみればとても死刑などと言い出せるような事案ではありませんでした。もっとも約1名、死刑にしろと言っている人がいましたが、それ以外の関係者が皆、あるいは減刑を嘆願し、あるいは被害者遺族の身で被告人に同情を口にするという有様で、まあ、血に飢えたマスゴミ的にはあまり面白い事件ではなかったようです。

実際には争点は「強盗殺人」であったのかどうか、という点なのですが、これは少し話がややこしくなります。強盗殺人、または強盗致死とは、「強盗が人を死亡させたとき」の話なんですが、影山さんは「強盗」であったのか。影山さんの行動はかなり行き当たりばったりに見えます。殺害後に現金やキャッシュカードを見つけたのも偶然に近いようですが、何よりも死体をそのままに放置しておくのがいい加減です。

多分、まとまったお金が出来たことから、当面資金繰りが安泰であると思った影山さんは、もうそれ以上のことは考えなかったようです。考えられなかったというのが近いでしょうし、もうどうでもいいと思ったのかも知れませんが、上手く死体を処理してどっかに逃げちゃえば、てゆーか当然そのようにするのが「強盗」というものです。

とはいえ、司法の現場ではどうやら「強盗殺人」の適用範囲は極めて広範囲であって、人を殺したついでに財布を頂くと、いつの間にか財布を盗むついでに命も頂いたことになってしまうようです。この事例は怨恨を動機とする殺人に続いて窃盗を行なったもので、本来であればこのような場合には「暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取」しようという「強盗」の故意は存在しませんので、「強盗致死」ではないはずです。「殺人」と「占有離脱物横領」になるのではないか。

しかしながら影山さんの場合は「怨恨」の内容が金銭的なものを含むとされますので、影山さんに借金があることを幸いとして、検察は「殺人」の目的を「怨恨」を媒介にして「強盗」に置いてしまいました。これは、状況による動機の推定であって、殺した時には金をとってやろうとは考えていなかったという影山さんの主観的事実とは食い違っているわけです。いずれにしても、その金銭的な問題も被害者の行為によって惹起されたものであることから、検察では飽くまで訴因を維持しつつ、求刑を軽い方にしておいたものでしょう。

しかしながら裁判員に対する記者会見の場において、マスゴミは「無期懲役の求刑で議論は狭まったか」と尋ねたようです。「強盗致死」に当たるか否かという争点においては、検察が強盗致死罪として無期懲役刑を求刑することは「議論を狭める」ことにはなりません。しかし裁判員が強盗致死罪の成立を認めるとすれば、その法定刑は死刑か無期懲役しかありませんから、無期懲役の求刑は「死刑を選択しにくくなる」という方向でのみ「議論を狭める」ことになるでしょう。

したがってこの質問は「死刑判決を出すことが出来ないことに不満を感じたか」という意味になります。さすがに今回の裁判員は比較的マトモで、てゆーか争点がはっきりしていますから「無期懲役と有期懲役の最高刑はどう違うのか」なんてことを話し合っており、「議論が狭まった」とは感じなかったと言います。しかしマスゴミの「争点」は裁判におけるそれとは異なり、「死刑かどうか」というものであったようです。

こんな質問をやらかしたのはどこの社か知りませんが、マスゴミは相変わらすのピンぼけぶりです。報道とは異なり、この裁判は「死刑」を巡って行なわれてはいません。辞退した裁判員候補者の中には死刑廃止論者もいたようですが、今回はそういう問題は関係ありませんでした。「強盗殺人」が成立しているかどうかが問題だったのですが、マスゴミは強殺で起訴されてるから強殺だと決めつけてしまい、だったら死刑もあり得る、2人殺してるから死刑だ、といとも簡単に期待してしまって、その勝手な思い込みは裁判の進行によっても全く動ずることなく、そのあげくには裁判員に、死刑に出来なくてさぞ残念でしょう、などと言ってしまったりするのです。

この事件は際立った特徴を持ち、しかしマスゴミがその特殊性をあまり了解していないことから、その「使命」がいかなるものであるかが推測されます。それは「死刑」の煽動であり、「死刑が行なわれるべき」だということを折に触れて喚き立てる、という事のようです。あらゆる機会を捉えてそうしなければならず、前後の見境もなくそうしなければならず、何も考えずにそうしなければならず、何かを考えるのにはそもそも向いていないのです。

もし何かを考えるとすれば、影山さんは裁かれるべきか、ということでしょう。あるいは石谷さんたちは如何にして裁かれるべきか。もちろん、人が2人も殺されていますし、殺したのは影山さんらしいのですから、裁かれるべきなんでしょうし、死んだ人を裁判にかけるわけにもいきませんが、それは法律の上での話です。僕はオマワリさんや裁判官ではないんで、別の考え方をすることが可能でしょう。しかし宗教的な話じゃないんですが。ちなみに裁判員制度とは、一般市民の皆さんもオマワリさんや健治さんや裁判官のように考えるべきだ、というものなのですが、それじゃブンヤあたりと全然変わんない。


posted by 珍風 at 23:29| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
えー、最近死刑廃止論に転じたとの話を聞かない検察側ですら「加害者に同情の余地が大きい」とおっしゃってるぐらいなんで、この事件の被害者のお二人は加害者に対して生前相当酷い行為をされていたんじゃないかと容易に推察されるわけですが、その辺りをお得意の検察リークを含めて当然情報収集していたであろうマスコミ記者諸氏が「裁判員裁判初の死刑判決が出るかも、ワーイワーイ祭りだ祭りだ」的なノリで報道されておられたのは既に報道とは言えず敢えて言うなら煽動ってところでしょうか。
で、この被害者のお二人がその様な行為を加害者の方になされなければ、当然加害者の方は殺人犯として世間の糾弾を受け、且つ長期受刑者になる必要は無かったわけで、そうなると被害者遺族が被害者から何がしかの相続を得ているのであれば被害者遺族に対して損害賠償を求める民事裁判を起こしても良いんじゃないのと思ったりするわけですが、その裁判に勝てるかどうかは全く予想がつきませんが、多くのマスコミ記者諸氏と多くの健全なる大衆の方々がそんな裁判を起こした加害者側をさんざん叩くであろうと言う予想だけは自信を持って言い切れます。
Posted by 死者に鞭打つ無知なika at 2010年03月04日 12:33
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