2010年09月16日

1万364人の障害者

10364は19936の過半数(約52%)に当たります。これは阿久根市の竹原さんのリコール署名数が有権者数に対して占める割合ですが、本当は17日まで署名を集めていてよかったので、もっと増えたかもしれないのですが、早く辞めさせたいという人が多かったようで、15日には提出をしてしまいました。

竹原さん側では早くからこのような事態を見越して、署名の強要めいたことがあったとか言っていましたが、当日も仙波さんは「1人で3回書いたり市外の人が署名した例もあった、との声も聞いている」(毎日jp)と往生際の悪いところを見せておりますし、竹原さん自身も「『(署名を)断りきれず書いたけどごめんね』と、『投票のときはちゃんとやるから』という方が少なからずいるということも直接聞いております」(TBS)と苦しいことを言っています。

もっとも、署名というのは名前が書いてあるので、心ならずも署名した人もいるかも知れない一方では、署名はしたものの後でどっかの保育園みたいに嫌がらせをされると困るので言い訳をする必要を認める人もいるかも知れません。一方で投票は無記名ですから言い訳は不要かとも思われます。

実際、「市長派議員は「親類などに署名を頼まれれば、断れない人もいる。問題は住民投票だ」」と言っているのに対して「リコール委側は「名簿が縦覧されるため署名を断念した人も、(無記名の)住民投票では解職に賛成してくれる」」(讀賣新聞)としており、小さな町のことですからどちらの場合も考えられるのですが、小さな町だけにムード的には竹原さんは相当に「危機的状況」に陥った、と言えるでしょう。

そこで竹原/仙波さんは従来のリコール対策を強化し、10月には議会を開くと言ってみたり、「差別」ブログについて「謝罪」することにしました。

阿久根市長「私の不徳が原因」 リコール署名提出で会見


 市長解職を求める署名簿の提出を受けて、鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は15日、記者会見し「多くの市民が市政について判断する機会を得たのは望ましい。説明不足や私自身の不徳を原因とする部分があったのかも知れない。申し訳なく思っています」と述べた。一方、鹿児島県の伊藤祐一郎知事は取材に対し「手続きの動きを見守りたい。市民がどう判断するかに尽きる」と話した。

■ブログ「障害者差別のような誤解の原因」と謝罪

 竹原市長は会見で、昨年11月8日付で「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている」と記し、物議を醸した自身のブログについて「表現が、障害者を差別しているかのような誤解の原因になった。そのことで心配をおかけしたことを申し訳ないと思っている」と述べた。

 ただ、報道陣から「障害者を差別したことへの謝罪なのか」と問われると、「障害者を差別したものではありません。その意味では謝罪する理由はない」と否定。謝罪は「誤解を与えたことについてです」と強調した。

2010年9月15日 asahi.com


実はちっとも謝ってなかったりしますけど、かの「九州の『稲毛新聞』』、「データマックス」が、例によって例の手抜きを駆使して、竹原さんのブログをまるまる引用して「記事」にしてしまっています。何とも安直な「報道」ですが、それはともかく、竹原さんはブログの方でも「謝罪」、てゆーか「言い訳」を繰り返しているようです。

阿久根市長・竹原信一氏がブログ上の発言問題を謝罪


 15日、阿久根市長・竹原信一氏は、自身のブログ「さるさる日記‐住民至上主義」で、以前、問題になった同ブログにおける障害者に関する記述について、誤解を招いたことに対する謝罪を行なった。同内容は、「リコールの署名提出ついての見解」と題した記事に含まれていたもの。以下、同記事の全文を転載する。

「2010/09/15 (水) リコールの署名提出ついての見解」

 署名をしたにせよ、断ったにせよ、多くの市民の皆さんが市政について何らかの判断する機会を得た事はたいへん望ましいと考えています。

 市長や議員、そして公務員は市民の暮らしや願いに敏感でなければなりません。そのためにも有権者の方々には正義感と勇気そしてそのための体験も必要です。このリコール運動は市民の政治への意識を高め、有権者の正義感や勇気を問い、体験する最高の機会になっていると考えています。

 しかし、解職させるべきという署名が多数集まった点については、市政に関する説明不足や、私自身の不徳を原因とする部分があったかもしれない、と反省しています。説明不足については、現在、市内約30カ所で市民懇談会を予定し、実施しているところであります。

 私の不徳を原因とする部分と申しますのは、ブログでの障害者に関する記述です。

 私は、行政や社会の不正が社会的弱者を追い詰めている事を告発する、言わばオンブズマンとして政治にかかわってきました。市長としても弱者に対する気持ちはまったくかわりません。ご批判のある専決も、その多くが、苦しんでいる人々を一日も早く救いたいという 言わば慈悲の思いからしていることであります。

 私は市長になってから、生活保護を受ける方に対する説明会のあり方を改善したり、障害者の医療補助手続きの改善などもしました。たいへん厳しい状況にも関わらず保護を受けずに頑張っておられる多くの方のことも忘れたことはありません。

 障害者の問題には真摯に取り組んでいかなければならないと考えています。私は権利や義務で表現される権力関係などではなく、支える人と支えられる人が融合した社会が望ましいと考えています。ブログの記述は、社会全体のテーマとして取り組んでいかなければならないという意味で問題提起をしたわけであります。

 改めて申し上げますが、私には障害者差別の気持ちは全くありません。しかし、ブログの表現が障害者を差別しているかのごとき誤解の原因になったことは事実です。表現が誤解の原因になり心配おかけしたことを申し訳ないと思っています。今後は誤解につながらないように心がけたいと思っております。申し訳ありませんでした。

阿久根市長 竹原信一

▼関連リンク
「さるさる日記−住民至上主義」


2010年9月16日 ネットアイビーニュース(データマックス)


竹原さんの「弱者に対する気持ち」というのは、「いわば」「慈悲の思い」なんだそうで、なんだか大変に偉そうであります。竹原さんは「弱者」の「権利」とかはお嫌いだそうでありますから、阿久根市の「弱者」としては「権利」を認められることもなく、ただただ竹原さんのお「慈悲」におすがりするしかないようです。

どうしてなかなか立派な「差別の気持ち」であります。しかしまあ、お慈悲を垂れてくれるのであれば実害はないのかも知れません。ところが竹原さんの「社会全体のテーマ」は「差別」どころの騒ぎではなかったりします。問題になったエントリの翌日には

日本が人口減少で消滅しつつある過程でするべきことは、先ず人口を増やす事であって高度医療で儲ける医者と業界を増やす事ではない。精神的にも健康な子供達が増えれば障害を持った子供達、体の弱った高齢者をより良く支える社会を作ることができる。高度医療にかけるお金の一部で人口を増やす事ができる。先ずは健康な人々が多く居なければ心を支える社会作りもできはしない。社会作りは人工的に意図的にしなければならない。

2009年11月9日 住民至上主義


どうも竹原さんの「社会全体のテーマ」というのは、「人工的に意図的に」、「高度医療にかけるお金」で障害者を生存させるよりも、そのお金の「一部」で、したがってどのような規準で行なわれるのか分かりませんが一定の選別によって障害者の生存を「一部」犠牲にして、「健康な人々」の「人口を増やす」ことなんだそうです。

たしかに「障害者差別」というのは「誤解」かも知れません。そんな「ソフトな」言葉では足りないでしょう。竹原さんの「健康」というのがどういう意味か知りませんが、まあ多分署名をするような人は「健康」とは言えないんでしょう。ともあれ、いわゆる「健康な人々」以外の人は全員が「差別」の対象であり、竹原さんの「意図」によって抹殺されることになります。まあ、「一部」は竹原さんの「慈悲」によって生存を許されるんでしょうが、「社会」から「意図的に」消去しなければならない「障害者」が半分以上いるんじゃ、暴力の専門家の仙波さんもさぞお困りでしょう。


posted by 珍風 at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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