2011年04月11日

性本能と原発選挙

<統一地方選>原発4道県は現職 安全対策や見直し約束


 福島第1原発事故を受け、原発が立地する北海道と福井、島根、佐賀の各県の知事選は、原発問題も選挙戦の大きな争点となったが、いずれも現職が当選した。新人候補が「脱原発」を訴える中、現職候補も急きょ「万全の対策を行う」とマニフェストを書き換えるといった対応を迫られたり、将来的なエネルギー政策の見直しに言及するなど、今後の対応や政策が有権者の注目を集めそうだ。

 国内初のプルサーマル発電を実施した九州電力玄海原発を抱え、原発問題が重要争点に急浮上した佐賀県知事選。3選を果たした無所属の古川康氏(52)はマニフェストの筆頭を急きょ「安全・安心」に替え、選挙戦では「同様の事故が県内で起きないよう強い決意で対策を取る」とアピール。「原発の必要性を説いてきたので逃げずにしっかり取り組む」と宣言した。

 共産新人の平林正勝氏(63)は、九州電力が3月、定期検査で停止中の玄海原発2、3号機の運転再開延期を発表したことを追い風に「プルサーマル即時停止を」と攻勢を強め、原発に絞る戦略をとったが及ばなかった。

 北海道知事選で3選を果たした無所属の高橋はるみ氏(57)は、今後の原子力政策について「原子力エネルギーは過渡期的なもの。ただし、現実問題として道民の生活の4割をまかなう現状もあり、安全対策を最大限やっていく」と強調。「北海道は新しいエネルギーの宝庫なので、他地域以上に高めていく。原子力の防災計画は抜本見直しを進める」と話した。

 国内最多の原発14基が立地する福井県知事選で3選を果たした無所属の西川一誠氏(66)は、原子力産業と県の40年以上の共存共栄路線を踏襲。国や原発事業者に確実な安全対策を求めていくと訴え、当選を確実にした後のあいさつでも「県民の皆さんが納得する形で、安全対策を進めたい」と話した。

 県庁所在地の松江市に原発がある島根県知事選で再選を果たした無所属の溝口善兵衛氏(65)は「原発や安全対策のあり方、国全体のエネルギー政策の抜本的な見直しを国に求めていきたい」と強調し、「中国電力には国の対応を待たずに津波対策などを申し入れている」と話した。【竹花周、久野華代、安藤大介、御園生枝里】

2011年4月11日 毎日新聞


確かに原発事故で沢山の人がバタバタ死んだというわけではないのですが、有権者のほとんどが勝間さん並みの無知蒙昧であると考える根拠は無いようです。しかし「危機感」が逆に作用する可能性もあるでしょう。

大震災で困った所といえば、それがたまにしか起きないということでしょう。しょっちゅう発生していればまた違うんでしょうが、またもう少しすると素敵な浜辺のリゾートに別荘を買ったりするのが狂気の沙汰であるとは思えなくなってくるものです。阪神淡路大震災は16年も前の出来事です。

ということはつまり、当分大きな地震はなさそうだ、と思えない事もありません。「地震国」とはいえ地震も休み休み発生するという事実は、ひとつの希望ですらあります。その間はあたかも地震などというものが地球上に存在しないかのように暮らして行く事が出来るのです。

身近に震災による原発事故が発生するというのは結構恐ろしいことです。それはあまりに恐ろしいので、直視するものは石に変ずるとも言われているわけですが、大地震から1カ月目の選挙では、有権者はコワいので、これを「無視」することに決めたようです。地震は「もう起きてしまった事」であり、「終わったこと」なんですから、これは大変に心の休まる事には違いありません。

もっとも、「日本」がいくら「ひとつ」になろうとしても、東日本は北米プレート、西日本はユーラシアプレートに乗っており、それぞれが太平洋プレート及びフィリピン海プレートに押され、しかも太平洋プレートはフィリピン海プレートにも遠慮のないプレッシャーを与えているところですから、地震の方で「ひとつ」の「日本」を襲っているわけではありません。「日本」各地の地下にそれぞれの事情があって地震が起きるわけでし、プレート同士で話し合って手加減をしてくれることもないようですから、今回の地震があったおかげで他の地域の危機が去ったというわけではないのです。

むしろだからこそ敢えて地震の危険は「無視」する必要があるでしょう。原発に反対するなどはもってのほかであります。それは目の前に存在する危険を直視させるだけなのです。それは正確な話であるかも知れませんし、必要な話であるかも知れませんが、耳を傾けるには恐ろしすぎるようです。

これは長崎大の山下俊一さんが言うような「正確な知識」とやらを越えています。基準値の百万倍譲って放射能の健康被害がないものと仮定しても、広範囲に渡る避難の必要や、いわゆる「風評被害」のことを考えると、地元にとっては「脱原発」が最も現実的な選択肢であり、無ければ無いに越した事はないはずなのですが、有権者の選択は「正しく」だか「正しくなく」だか知りませんが、ただなんとなく「怖がらない」というものであったと言えるでしょう。

したがってこれは山下さんたちの流布する流言飛語やデマが奏効したというわけではないようなのですが、それでも「恐怖から目を逸らす」こと自体の恐怖を山下さんたちが和らげてくれていたかも知れませんから、ナンボか役に立ったとは言えるかも知れません。てゆーかそれは正にそのように役立つものなのであり、「正しく怖がる」というのは恐怖を抑圧することに他ならないのですが、そういう事も例えば癌などの原因になりかねないという説もありますので、そうなれば一石二鳥です。


posted by 珍風 at 22:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「こわがりません死ぬまでは」
Posted by ika at 2011年04月12日 10:28
どうせ私をだますなら
死ぬまでだまして欲しかった
黄色いウランの指輪に秘めた
あの日の夢もぽぽぽぽん
割れて砕けてレベル7
Posted by 西ダサ珍風 at 2011年04月13日 05:49
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