いま、時代はエコからエシカルへ
“エシカル”という言葉を耳にしたことがあるだろうか。エシカル(ethical)とは、直訳すれば「倫理的」「道徳上」ということだが、エコやリサイクル、フェアトレードなどといった言葉で馴染みがある姿勢、つまり「環境保全や社会貢献への配慮」を表す言葉で、これからの時代のキーワードとして経済メディアを中心に語られることが増えてきた。
「エシカル」は、まだまだ一般のブロガーによってブログ上で使われることは少ない。しかしながら、実は「エシカル的行動」はここにきて急速に増えている。
・これからも福島産や茨城産のものをどんどん食べて、生産者の方を応援したい
・最近スーパーでは被災地応援コーナーがあり、茨城産のレタスやキャベツを迷わず購入!
・茨城産の野菜づくしサラダ♪マルマルモリモリ、みんな食べるよ〜♪
そう、こういった被災地支援のための消費行動こそが、「エシカル消費」なのだ。
今の日本では被災地の物産や生産物を積極的に買おう、という“国内版フェアトレード”がいつのまにか一般的になってきたともいえる。フェアトレードとは、途上国と適正価格でビジネスをすることで彼らの自立支援や生活改善を支えていこうという仕組みなのだが、その国内版と言える消費行動を多くの人がとっていて、いつのまにか「エシカル」な行動パターンが定着しているということ。
もっとも被災地支援のための買い物をしている人たちは「フェアトレードをしよう」「エシカルだから」と意識していないだろうが、逆にそれこそが大切なことかもしれない。今回の大震災で甚大な被害に苦しむ被災地の人や風評被害に悩む生産者の様子を見た消費者が、自分の買い物が被災地の人々の役に立つことをイメージしながら自然発生したエシカルな行為。自分の頭で考え、成果や手ごたえをすぐに感じられた「エシカル」こそ必ず習慣化・定着するはず。
・消費者だけでなく企業も含めてエシカル消費に対して同じ思いを抱く方が増えて来た
・倫理観に従って買い物をするエシカルな消費行動はすすんでいくと思う
・いかなる時にもぶれないエシカルなサステイナブルなライフスタイルを
エシカルという言葉・考え方が、未曾有の大震災に見舞われた日本において独自の浸透・進化を遂げ、東北地方の復興と共に社会が成熟する原動力になることを期待したい。
(夏目昌)
https://blog.seesaa.jp/contents/provide/kizasi/detail/2187.html
「「エシカル」は、まだまだ一般のブロガーによってブログ上で使われることは少ない」そうです。それは大変に残念なことなので「一般のブロガー」が「ブログ上」で使ってあげるので有り難いことです。
「ethical」というのは通常、医家向けの医薬品のことであります。要処方薬っていいますか、対概念は「コンシューマー向け」、市販薬のことになります。どうして医家向けが「倫理的」なのか分からない人は、「市販薬」は「非倫理的」なんだよ、ということを知れば何となくわけが分かったような気になれるかも知れません。
もっとも、社会保険制度が未整備のアメリカあたりでは何が「倫理的」なのか今ひとつ分かりにくいものですから、英語を使う人たちがどういうつもりで何を考えているのかサッパリですが、まあそういうわけで、どういうわけなのかちっともわかりません。
とはいえ、「わからない」ことがあまり問題にならないような世界というものがあるわけで、その代表的なものが「経済メディア」で語られる「これからの時代のキーワード」であることは間違いないでしょう。ここでは同じような「キーワード」として「エコ」「リサイクル」「フェアトレード」などというものが挙げられていますが、「エロ」や「リサイタル」あたりが「キーワード」しては限界であります。「フェア」はちょっと言いにくいです。「ヘアヌード」であれば何とかなったんですが。
ちなみに「ロハス」は、どっかの間抜けのせいで「キーワード」としての地位を失ってしまった模様です。今では「野菜スープ」なんかと一緒に「紅茶キノコ」の国で永遠のお茶会にはまっていることでしょう。
そこで「直訳すれば「倫理的」「道徳上」ということ」であっても、直訳しなければどういうことなのかサッパリわけのアンポンタンになる、とはいってもこのような純然たる自殺行為を「倫理的」と呼んでみるのも核環境での気晴らしにはなるかも知れません。
てゆーか「自殺」という行為そのものがすぐれて文化的もしくは「倫理的」な行為であるとも言えるわけですから、わざわざ「直訳」がどうしたとか「意訳」がこうしたとか「超訳」が跳躍してもしなくても、「自殺」は「倫理的」なのです。
もちろんここで、原発と核戦争のためのあらゆる宣伝とゴマカシが「地球温暖化」や「禁煙」などといった、いわば他者への「気遣い」として喧伝されるのと同じことが、今度は「エシカル」という「キーワード」になった、ということを指摘してみたりするのも悪くはありません。
ついでに、このような「気遣い」が「他者」にとっての利得の増進を図ることよりも、相手の思い込みに奉仕することになってしまっていることも興味深い点であるかも知れません。あまり興味深くないかも知れませんが、ここでは「他者」にとっての真の利得とは何か、ということはほとんど問題にもならないのです。
そもそも「真の利得」とやらを評価する「知」が存在しないのです。そのような「知」は「科学」によって代表されるかも知れませんが、その「科学」の信憑は失われています。そして「科学」の信憑の喪失の中心には、もちろん中心ですから当たり前ですが、「核」が存在しているのです。
このような事情によって「エシカル」の構造はシニカルです。そのせいか、その「実践」は「迷わず購入!」したり、「みんな食べるよ〜♪」などと気も狂わんばかりのアッケラカンとした明るさを装わずにはいられないのですが、とりあえずこれが「社会が成熟する」こととは縁もゆかりもないような気がするのは別として、「原動力」にはならずとも「原子力」の役には立つ点ではウランの次くらいなのが惜しいところですが、売らんかなには資するところ大でありますので「経済メディア」では大人気なのです、多分、よく知らんが。
しかしこのテンションの高さこそ「ヒステリー」と呼ぶに相応しいと思うのですが、父子馬鹿にもマルマルモリモリ食って欲しいもんです。もちろん千葉の元気モリモリにも食わせましょう。