2011年07月21日

閑処のない豪邸について

欧米先進国ではその昔「トイレ」というものを持たなかったそうです。もちろん排泄をする場所が決められていた場合もありまして、例えば建物の上層階の一部が街路の上に張り出している場合がありますが、アレが実にとんでもない機能を果たしていることもあります。

そうでなくても概ね排泄物は環境中にバラまく、というのが処理の基本でした。多くの人は「おまる」を使用して、そこに一時保管しますが、使わないこともあったようで、アメリカ合衆国第三騎兵隊隊長ジョン・グレゴリー・ボークによれば、15世紀のスコットランドでは召使いが一日一回、「家中の椅子に載っているもの」を樽に集めて回っていたそうであります。

いずれにしてもそれらは収集され、処理されます。処理には厳格な決まりがあり、直接被曝の防止が図られています。すなわち街路に面した窓際に立って処理工程に入る前に、公衆に対して警告を行なわなければなりません。

この警告は「ガルディ・ルー」と呼ばれ、フランス語の「Gare de l'eau」に由来するとされます。これは「水に気をつけろ」を意味しますが、ヨーロッパのどこでもこの叫び声が聞かれたようですから、有害廃棄物の処理について一種の国際的合意が存在したことを伺わせます。

この処理手続は厳しく律されており、14世紀のロンドンでは警告なしに処理を行なった者には罰金が科せられましたし、ポーランドでは禁固刑にすら処されたと言います。ニュルンベルクでは午後10時以降の処理が禁止されています。

このようなことから、当時のヨーロッパにおける街路環境は極めて危険なものであったことが容易に想像されます。道路上は有害極まる廃棄物で溢れ、そのうえ馬車が通っていきますから、このエンジンが今日のガソリンエンジンとは比較にならないような有形の廃棄物をところ構わず排出するのです。「ハイヒール」の靴は、このような環境における防護服だったのです。

「豪邸」のみならず宮廷においても事情は同様であって、排便はどっか隅の方や庭先で行なわれるというレジームでした。女性が穿いていたあの大きく膨らんだスカートは立位での排泄の便が考慮されているそうです。

このような状況が改善され始めたのは19世紀中葉からのことに過ぎません。これは1830年のコレラの流行と、「病原体」研究の進展の「タイミング」が合った、という、ほとんど偶然のような幸運によるものです。

大昔は病気は「天罰」でした。「同性愛者」などに神様が罰を下すのです。疫病は「ユダヤ人」(英語で朝鮮人のこと)が井戸に毒を入れたのに違いありませんでした。もうちょっと真面目にものを考える人は、病気の原因は「瘴気」という「悪い空気」であると思っていました。「空気を読む」ことが大切です。

もう少し時代が下ると、何らかの病原との「接触」が問題にされましたが、顕微鏡なんかなかったので何の証拠もない予言的なアイデアに留まっていました。顕微鏡で微生物を見ることが出来るようになったのは17世紀、パスツールがカイコか何かの病気の病原体を発見したのが1865年のことです。

一方その頃「トイレの父」「下水の父」「近代衛生学の父」と呼ばれたマックス・フォン・ペッテンコーファーという人がいて、この人は下水道の整備によって疫病の拡大を食い止めるという、便所問題について多大な功績を上げた人ですが、この人はパスツールが見つけたような細菌にはもともと病原性はなく、病人から外部環境に排泄された細菌が環境を汚染して腐敗物質を作り出し、その腐敗物質がとどのつまり例の「瘴気」を作り出す、という一種の折衷的リバイバルのような「環境説」を考えていました。

コッホがゼラチンで培地を作って微生物の純粋培養に成功し、炭疽菌を確定したのがやっと1876年ですからほんの135年前ですが、さっきのペッテンコーファーさんはコレラの原因がコレラ菌だというのが気に入らず、あろうことかコレラ菌を飲むというプルト君なみの暴挙に出ました。頑固な人の考えることはどこでも同様ですが、実際にやるのとやらないのとでは大違いです。大橋弘忠さんはいつになったらプルトニウムを飲んで見せてくれるのでしょうか。

このように、今日ほとんどのマンションにトイレが設置されているのは、実は誤った知見によるものであったりします。それは「病原体」の発見によるものではなく、「病原環境」の除去というアイデアによるものでした。しかしそれは結果的に間違っていたとは言っても同時代の知見の中で科学的に成立した説であり、蒙昧なものではありません。実際、コレラ菌を飲むにあたってはコッホの協力を得た厳密な医学実験として実施され、ペッテンコーファーはこれで「近代実験医学の父」と呼ばれることになったのですから、大橋弘忠さんはいつになったらプルトニウムを飲んで見せてくれるのでしょうか。

最近では石原慎太郎さんが地震の「天罰」説を唱えたりしていますし、「原発」はまるで中世の『聖書』のように高度に専門的なものとされ一般の民衆には「安全」の信仰が求められています。その一方では万病に効く「聖水」の類いが流行している現在は新たな蒙昧の時代であり、今ほど科学的精神の振興が求められている時はありません。殊に最高学府たる東京大学の責任は重大であります。というわけでしつこいようですが大橋弘忠さんはいつになったらプルトニウムを飲んで見せてくれるのでしょうか。鼻つまんでやろうか。Vana Hに混ぜてもいいですよ。死なないかも。死ぬけど。


posted by 珍風 at 06:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ナラバヤシセンセーと二人並んで手に腰当ててゴクゴクと。よろしく
http://p.tl/eoV1
そいやナラバヤシって性の研究学者さん居たなぁ。元気してんのかなぁ。と思ったらとっくにお亡くなりになってた。だからどうした。だが。
Posted by ika at 2011年07月22日 13:42
親戚らしいですね。

奈良林祥さんにはお世話になりました、と言っておきましょう。もっとも本文の方ではなく写真の方に、ですが。奈良林さんが写真を撮ったわけでもないしモデルでもないわけですから、本当は何一つお世話になっていませんでした。
Posted by カリフォルニア珍風 at 2011年07月25日 07:48
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