2011年08月06日

ヒロシマに原発を!

被曝者の低年齢化が叫ばれる狂このごの、

広島、6日原爆の日 核の平和利用疑問訴え


 広島は6日、被爆から66年の「原爆の日」を迎え、広島市中区の爆心地に近い平和記念公園で午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれる。東京電力福島第1原発の事故を受け、松井一実市長は平和宣言で「早急なエネルギー政策の見直し」を政府に求め、初めて核の平和利用に疑問を投げかける。

 被爆者や遺族らは犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓う。「脱原発」を表明した菅直人首相も参列、原子力政策にどんなメッセージを発するか注目される。

 原発事故を受け、松井市長は「原発に対する国民の信頼が失われた」と指摘。被爆者で反核哲学者の故森滝市郎氏の「核と人類は共存できない」という言葉を引用して、「脱原発を主張する人々がいる」と言及する。同時に「原子力の厳格な管理を求める人々」もいると併記し、原発の是非については「国の政策だ」という主張から賛否を明示しない。

 初めての被爆2世の市長として今年4月に就任した松井市長は、高齢化する被爆者の体験の継承を重視。体験談を初めて公募し、被爆者や有識者を迎えた委員会の意見も踏まえ、被爆者2人の言葉を平和宣言に盛り込んだ。原爆の悲惨さと核兵器廃絶に向けた思いを強く訴える。

 式典には、過去最多だった昨年の74カ国を下回る66カ国の代表が出席。昨年参列した国連の潘基文(バン・キムン)事務総長と米国のルース駐日大使は欠席し、それぞれ代理の出席者が参列する。

 長崎も含めた被爆者は今年3月現在、21万9410人で昨年より約8千人減少。広島市内に住む被爆者6万8886人の平均年齢は77歳で、昨年より0.7歳上がり高齢化が進んだ。

2011年8月5日 共同


「国の政策だ」から「賛否を明示しない」というのは、これはまた単なる言い訳にしても最悪の言い訳を用意して来たものです。「国の政策」には「賛否」を言ってはいけないんだそうですが、今どきどんな偏屈ジジイでもそんな事は言いません。石原さんですら「国の政策」を「否定」して「核武装」を主張する「勇気」を持っているようです。ヒロシマは石原以下に転落しました。右にふらつかず左によろけず、中央突破のメルトダウンを演じたと言って良いでしょう。

まあ、色々あるんで、世の中には核禁会議なんていうものもウィキペディアによれば「反核・平和運動団体」なんだそうですから世界は広く宇宙は人知では計り知れません。原水協も「あらためてすべての原発の点検にただちに着手するよう」という、「あらためて」「すべての」「ただちに」という勇ましい修飾語を除けば単に「原発の点検をしましょう」といういささか軟弱に過ぎる主張を「強く要求」してみたりするだけです。もっとも、「点検」に「ただちに着手」し、そしていつまでたっても「点検」が終わらないのであればそれはそれで面白いかも知れませんが。

そういう中で何故か『朝日新聞』が比較的明快なことを書いていたりします。

原爆投下と原発事故−核との共存から決別へ


 人類は核と共存できるか。
 広島に原爆が投下されて66年の夏、私たちは改めてこの重く難しい問いに向き合っている。
 被爆体験をもとに核兵器廃絶を世界に訴えながら、核の平和利用を推し進める−−。
 核を善悪に使い分けて、日本は半世紀の間、原子力発電所の建設に邁進(まいしん)してきた。そして福島第一原発で制御不能の事態に陥り、とてつもない被曝(ひばく)事故を起こしてしまった。

(長いので中略)

 核エネルギーは20世紀の科学の発達を象徴する存在である。
 私たちは、一度に大量の人間を殺害し、長期にわたって被爆者を苦しめてきた核兵器の廃絶を繰り返し訴えてきた。
 世界各国に広がった原発も、同じ燃料と技術を使い、危険を内包する。ひとたび制御を失えば、人間社会と環境を脅かし続ける。その安全性のもろさが明白になった以上、原発から脱却する道も同時に考えていかなければならない。
 世界には推定で約2万3千発の核弾頭がある。原発の原子炉の数は約440基だ。
 道のりは長く、平坦(へいたん)ではないだろう。核被害の歴史と現在に向き合う日本が、核兵器廃絶を訴えるだけではなく、原発の安全性を徹底検証し、将来的にゼロにしていく道を模索する。それは広島、長崎の犠牲者や福島の被災者、そして次の世代に対する私たちの責任である。
 核との共存ではなく、決別への一歩を先頭を切って踏み出すことが、ヒバクの体験を重ねた日本の針路だと考える。

2011年8月6日 朝日新聞社説


もっとも、原発を「将来的にゼロにしていく」「長い道のり」を「模索する」という大変にのんびりした話でありまして、何百年かかるか分からない話ですが、それでも半減期よりも短いというのがこの分野の強みといえば強みです。人間的な時間スケールは通用しないのです。一方その頃我等が『産經新聞』も極めて明白な立場を表明しているでしょう。

エネルギー政策 世界一安全な原発めざせ 今のままでは最貧国に転落だ


(間違っているので前略)

「原発」と「原爆」を結びつけ、国民の忌避感や不安感をあおる行為も禁物だ。まして、一国の最高責任者が行うべきことではない。あらかじめくぎを刺しておきたい。

(イイカゲンなので後略)

2011年8月6日 産經新聞「主張」


やたらと「くぎを刺しておき」たがる人ですが、良い鉄は釘にならない、まともな人間は兵隊にならないそうです。もっとも良いウランも悪いウランも放射能を持っていることに変わりはありません。したがって「原発」と「原爆」とが「結びつ」かないという言い分は世にも珍にして奇なるものです。原爆の製造過程でついでにお湯を沸かしてみたのが原発ですが、見方を変えれば「原発」とは「原爆」の遅いやつのことだと言ってしまっていいでしょう。そしてもしかすると『毎日新聞』は『産經新聞』の遅いやつなのかも知れません。

社説:原爆の日 経験を原発にも生かせ


(くだくだしければ前略)

 運動は一枚岩ではない。「平和運動と日本のエネルギー政策にからむ原発の是非は分けて考えるべきだ」という主張があるのも事実だ。
 すさまじい破壊力で一瞬にして大量の放射線を放出した原爆と、低線量の放射性物質の影響が広範囲で続く原発事故の違いは大きい。だが、人々が放射線被ばくによる不安に長年苦しめられる点は共通する。
 原発事故の場合、低線量被ばくの影響に未解明の部分があることが不安を大きくしている。原爆との違いも考慮したうえで、広島と長崎の被爆者を対象に放射線の影響を調査している放射線影響研究所など、専門研究機関が蓄積してきた専門知識やチェルノブイリ事故の経験を住民の健康管理に積極的に活用したい。
 核兵器と原発はこれまで切り離して考えられてきた。近年は原子力に対する「安全神話」も浸透していた。しかし、福島の事故は原発の危険性に改めて目を向けさせた。唯一の被爆国としての経験を原発対策にも生かしながら、従来にも増して核廃絶のメッセージを発信し続けるのが私たちの責務である。

2011年8月6日 毎日新聞社説


「「平和運動と日本のエネルギー政策にからむ原発の是非は分けて考えるべきだ」という主張」を紹介することにはあまり意味はありませんが、結論にはもっと意味がありません。「唯一の被爆国としての経験を原発対策にも生か」すというのは、「広島と長崎の被爆者を対象に放射線の影響を調査している放射線影響研究所など、専門研究機関が蓄積してきた専門知識」を「住民の健康管理に積極的に活用」することでしかありませんので注意が必要です。したがって「核廃絶のメッセージ」というのも何のことやら分かりませんが、「原爆との違い」を強調する以上は「「平和運動と日本のエネルギー政策にからむ原発の是非は分けて考えるべきだ」という主張」は『毎日新聞』自身のそれとほとんど同じであると言って良いでしょう。

こういう人たちは「平和」が「国の政策」にからんでくると「分けて考える」に違いありません。つまり政府が戦争を始めるとそれについての「是非」は論じないことになるでしょう。「平和運動」も国が認めている間、国に許される範囲でのことで、本当にそれが必要なときにはそれは存在しません。夏の間だけ借りて来たストーブのようなもので、最初からないのと同じこと、いやむしろ邪魔なので山林等に不法投棄されてしまいます。

そこで「国の政策」に対して「賛否」を言い表さない平和記念公園には「平和運動」も「反核運動」も存在しません。それは「運動」ではないからです。ことによるとそれは一種の「スポーツ」のようなものでしょう。日本語では同じような意味に使いますが、本来の意味は思いっきり違います。しかしあるいは一部に「運動」の存在が認められうるのかも知れませんが、TVの中継には映らないことになっていますので、もっとも僕んちは地デジ未対応で、そしていつまでたっても未対応であればそれはそれで面白いかも知れませんが。


posted by 珍風 at 07:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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