2011年08月10日

木片の音楽

一転して「まき散らす」ことになった京都の夏、緊張の夏、日本の夏。

近事片々:いたたまれぬ一事…


 いたたまれぬ一事。

 希望の象徴、陸前高田の松。震災遺族の祈りや伝言を記したまきを京都「五山送り火」の大文字に使用予定中止に。放射性物質の心配→検査→「問題なし」、しかし「それでも」と。

 私たちメディアも何を報じてきたのか。木片が問う。

    ◇    ◇

 私たちは何か大事な物を忘れていないか。忘れ物。「母さん、僕のあの帽子……」。ジョー山中さんの訃報に「人間の証明」のキーワードを思いおこす。

    ◇    ◇

 いよっ、大統領、とかかる声はありやなしや、憂国のゴルバチョフ節久々に。

    ◇    ◇

 <風鈴の鳴らねば淋し鳴れば憂し> 赤星水竹居(すいちくきょ)

2011年8月8日 毎日新聞


いたたまれぬ文章ではありますが、この人は「木片」から何か質問を受けているようです。言うまでもありませんが、「木片」というものは滅多に人に向かって何かを問いかけたり、主張したりしないものです。「それでも」と言うのであれば、むしろ「問われた人」の方に問題があります。「阿片」の影響とか。

まあどうせ僕たち下々の皆さんは「木偶」どころか「木片」ですよどうせ。てめえら「メディア」が「何を報じてきたのか」というと、例えばこんな「専門家」の御言葉でございます。

被災地の松、「送り火」使用断念…専門家は批判


 東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪を、「京都五山送り火」(16日)で燃やす計画について、大文字保存会(京都市)は断念することを決めた。

 保存会と京都市が行った薪の検査では放射性セシウムは検出されなかったが、放射能汚染を懸念する意見が相次いだためだという。
 送り火は、故人の名前などを書いた護摩木を燃やす、お盆の伝統行事。今年は、被災者らが薪に犠牲者の名前や復興への願いを書き込み、五山のひとつ「大文字」に奉納する計画だった。薪は計画の倍の約400本が集まったが、放射能汚染を不安視する声がインターネット掲示板や京都市などに寄せられ、保存会内でも「見送るべきだ」との意見があったという。
 保存会の松原公太郎理事長は6日、陸前高田市を訪れ、経緯を説明。薪に記された願いは写真に記録し、京都で護摩木に書き写して送り火に使うことにした。薪は8日夜、陸前高田市で「迎え火」としてたき、法要をする。松原理事長は「申し訳ない。被災地の思いにできる限り応えたい」と話している。

 放射線影響に詳しい松原純子・元原子力安全委員会委員長代理の話「原発から遠く離れた岩手県陸前高田市で、幹の内部にまで放射性物質が蓄積することはなく、誇大な不安だ。根拠のない不安をもとに計画を中止することは、むしろ不安をいたずらにあおることになる」

2011年ん8月7日 讀賣新聞


松原純子さんといえば枝野さんの師匠にあたる方でありまして、「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」の本家本元です。

1都7県の空中で放射性ヨウ素など検出


 松原純子・元原子力安全委員会委員長代理は「チェルノブイリ原発事故が周辺の国や地域に及ぼした汚染レベルの1000分の1以下と言え、直ちに健康に影響を及ぼすものではないが、環境中や、野菜、牛乳などの放射能レベルを継続して観察していくことが重要だ」と話している。

2011年3月20日 讀賣新聞


てゆーか実はLNT仮説をなんとかしてやっつけようと頑張っておられるようですが、その一方では「健康に良い影響がある」仮説にも加担してみたりもするようで、例の放射線ホルミシスでおなじみ稲恭宏さんとも仕事をしていますから、健康に影響があるのかないのかよく分からないわけですが、要するに原発による健康被害を否定出来ればどっちでも良いようです。

「木片」はこんな「専門家」の有り難いお話を頂いていますから、今更セシウムが検出されていないとか聞かされても眉が唾でベトベトであります。少し汚いようですが、その「検査」ってのはどこがやったのか、「メディア」はなかなか教えてくれないようです。

まあみんなどうせ「木片」ですから、しょうがない喰っちゃってるようですが、「検出されず」というような「検査結果」を誰も信用していません。「メディア」もそのことはよく御存知ですので、最近では「風評被害」に加えて「いわれなき差別」を糾弾する方向で、「専門家」様の御託宣を信仰しない「木片」どもに日夜鉄槌を加えているところであります。

望ましくない事態が存在することを指摘すること、あるいはある出来事が望ましくないことであると言うことは、そのような事態に見舞われ出来事に遭遇した人を「差別」することとは違うようですが、「木片」は価値判断と人格評価を混同しがちであります。つまり犯罪を犯した人は「悪人」であって、もう根っからどうしようもない反価値の物質化だからその存在を否定するしかない、という風に思ってしまうようなのです。

そう考えると死刑を容認するような人々は、「差別」をも行なうに違いないことになりますが、それ故に「差別」が行なわれる構造そのものを保存しつつ「差別」が行なわれないようにするのが政府の方針となります。したがって「望ましくない事態は何も起こっていない」という「専門家」の御言葉がどうしても必要である、という望ましくない事態が存在するのです。世界の皆さん日本人を差別しないで下さい。


posted by 珍風 at 06:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Posted by ika at 2011年08月10日 16:30
「木片」でも「木くず」でも全部「埋めちまえ」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110811-OYT1T00089.htm
Posted by 中華珍風 at 2011年08月11日 05:20
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