2011年09月27日

思い込み思いやり

元秘書全員有罪、「司法は真剣にやれ」


 「大変残念だ。無罪を信じている」。小沢一郎・元民主党代表の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、元秘書3人が有罪判決を受けたことに、小沢氏の地元岩手で波紋が広がった。小沢氏頼みの「民主王国」に影響を与えそうだ。

 判決言い渡しの午後1時半、県議会は本会議の最中だった。主文を知った民主党県連の佐々木順一幹事長は驚いた表情を隠せなかった。「今後控訴されると思うので、無罪を信じて県連の活動を行っていきたい」と語った。

 公判では石川知裕被告が特捜部の取り調べの「隠し録音」が示され、検察側の調書が証拠採用されなかった。無罪判決の期待も高まっていたが、判決では検察側の主張をおおむね認める結果に。党への影響については「最小限にとどめる努力をしていかなければならない」と話した。

 小沢氏に近い達増拓也知事は記者団に「驚いている。(無罪を)信じているというか、客観的事実から有罪にならないケースだと思っている」と語った。その上で「司法関係のみなさんは真剣に、しっかりした根拠に基づいた事実関係を認定して結論を出して欲しい」と注文を付けた。

 一方、野党は有罪判決を好機と受け止める。自民党県連の千葉伝幹事長は「小沢さんへの県民の目が厳しくなる」と勢いづく。地域政党いわての飯沢匡代表は「有罪判決は県政界に大きな汚点を残した。今後、説明責任はもとより政治家の責任をしっかり果たすべきだ」と指摘した。

2011年9月27日 asahi.com


飯沢匡さんは中々珍しいお名前ですが、劇作家の人ではありません。こっちは「ただし」と読みます。大東貨物自動車株式会社という「家族の「きずな」を大事に」している会社の、「家族」、てゆーか要するに二代目にして「地域政党いわて」の代表さんであります。

「地域政党」というものが去年あたりから一斉に出来てきたわけですが、この「いわて」さんも結党は2010年の4月16日です。ちなみに例の「京都党」は同じ年の8月26日。両党は今年の震災を機に、6月15日に連携協定を結んでおります。「地域政党運動の先駆けとして全国にネットワーク化を働きかける」んだそうです。

「全国にネットワーク」された「地域政党」がはたして「地域政党」なのかどうか分かりませんが、飯沢さんの御意見は全国平均並みの凡庸なものですから、国政進出も夢ではありません。まあ大したことを言っているわけでもないんですが、「汚点」が残ったとすれば「県政界」ではなくて日本の司法にでしょう。

多くの人が言ったり書いたりしていることですから繰り返しませんが、東京地裁登石郁朗裁判長の判決は

 岩手県や秋田県では、公共工事の談合で小沢事務所の了解がなければ本命業者にはなれない状況。小沢事務所の秘書から発せられる本命業者とすることの了解はゼネコン各社にとって「天の声」と受け止められていた。元公設第1秘書の大久保隆規被告は2002〜03年ごろから天の声を発出する役割を担うようになった。

共同通信「判決要旨」


という認識を「大状況証拠」としています。しかしこれはいわば良くいえば「社会通念」、悪くいえば登石さんの「思い込み」のようなものでしかありません。特に何か証拠があるとかそういうものではないようなのですが、これが極めて重要であり、全てはここから導かれることになっています。

この基礎の上に、登石さんは更に無理な相談を積み重ねます。

 西松建設は公共工事の談合による受注獲得のために寄付しているのだから、同社としては西松建設による献金と小沢事務所に理解してもらわなければ意味がない。献金の受け入れ窓口だった大久保被告が理解していなかったとは到底考えられない。

共同通信「判決要旨」


なるほど、西松建設としては、これは西松建設からの献金だよと小沢事務所に分かってもらわなければ意味がないかもしれません。相互理解は大切です。分かって欲しい。どうして分かってくれないんだ。分かってくれよ。

で、分かってもらうのに一番良いのははっきり口に出して言ってしまうことですが、ちゃんと言ったんでしょうか。多分言ってませんよ、言うに言えないこの気持ち。近くて遠きは男女の仲でありますが、登石さんは言わなくても分かれ、と言うのです。てゆーか言わなくても分かってるはずだ、と言っています。

つまり分かってくれなきゃ西松建設に取って意味がない、故に大久保さんは分かっていたのである、というのが登石さんの、いわゆる行論でありますが、これは完全にストーカーの言い分、というよりはむしろ妄想でしょう。どうして大久保さんは西松建設の意志を忖度してあげなければならないのか。

てゆーか、大久保さんがここまで寛容なる「理解」を示すためには、その前提として全ての政治献金にはそのような「意味」があるのでなければならないでしょう。これでは登石さんが擁護して止まない「政治資金規正法の趣旨」に疑問を付すことになりかねませんが、登石さんの気がつくところではない模様です。

登石さんの判決では「全ての政治献金は賄賂である」という前提が密かに導入されており、この前提に合致する状況として「天の声」が挙げられ、この前提から被告人が献金を隠蔽する必要が「推認」される、という仕組みになっています。

そして大久保さんと西松建設の間にほとんでテレパシー的とも言える超自然的コミュニケーションの回路を見いだす登石さんは、もちろん石川さんと大久保さんの間にも

 明示的にせよ黙示的にせよ、石川、大久保両被告が意思を通じていたことが強く推認され、そうでなくても石川被告が大久保被告に登記の繰り延べ交渉を依頼した際、隠蔽の一環として、その必要性と対応を説明し、認識を共有したとみるのが自然かつ合理的。

共同通信「判決要旨」


「黙示的」というのがいわゆるテレパシーでありますが、「強く推認され」るそうです。「強く」と書いたからといってもそれは登石さんの都合でしかなかったりするので何も「強く」はなりませんが。ちなみに「自然かつ合理的」というのも「推認」を「強く」しようとして書いてあるだけで、いずれにしても登石さんがそう思っただけであります。

もっとも池田さんに至っては仕事の引き継ぎを受けたというだけで有罪です。

 池田被告も石川被告から引き継ぎを受けるなどし、4億円を報告書に記載しないこと、仮装のため設定した定期預金担保融資にかかる借入金4億円や転貸金4億円は返済も含め記載しても構わないことなど、隠蔽について石川被告の意図と方法の説明を受け、認識を共通にしたことが認められる。大久保被告は池田被告との間でも意思を通じ合ったといえる。

共同通信「判決要旨」


「4億円を報告書に記載しないこと」や「定期預金担保融資にかかる借入金4億円や転貸金4億円は返済も含め記載しても構わないこと」については被告人においてそれぞれ理由があり、当然池田さんも知っているわけですが、「隠蔽」の「意図」は登石さんの「推認」によらずしてその存在を認められないのですからとばっちりもいいところであります。

もっとも、実は登石さん自身がテレパスなんですから僕たちのような旧人類とは考え方が違います。新政治問題研究会や未来産業研究会が献金してきたら、それは西松建設からの、いわば「賄賂」のようなものであることを大久保さんは認識している。何故なら認識してくれなきゃ西松建設にとって「意味がない」からである。

隠れた「意図」が超自然かつ非合理的に伝達されるこの関係は、登石さんにとってはおなじみのものです。これは彼のところに起訴された案件が来たら、これを有罪としなければ検察にとって「意味がない」ことを登石さんが「理解」している、という関係とパラレルなのです。

そして登石さん自身としては常に相手の気持ちを慮って行動しているのですから、他の人もそうしていると思ってしまうのです。こんな判決が許されるなら誰でも有罪に出来るという批判はもっともですが、登石さんにとっては起訴されたものを無罪にするということがなんとしても「理解」出来ないのです。そしてそのためには裁判官が「法の趣旨を踏みにじ」ることになっても、それはそれで致し方のないことなんでしょう。


posted by 珍風 at 14:01| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「推認」という言葉を初めて知りましたが、イッパツで変換されるところを見ると、まあ実在する日本語なのでしょう。史上マレに見る情緒的かつ前衛的な判決作文の問題点は見えないフリで、自民党がキャンキャン吠え出しましたが、検察も司法もマスコミも自民党も全部グルであると見るのが自然かつ合理的と推認される。
Posted by やきとりはチ◯コ3年シッコ猶予5年 at 2011年09月28日 08:13
「推認」って『大辞泉』には載っているようですが『大辞林』には載っていないので、日本語の中での地位は曖昧です。まあ登石さんが使っているようですから、そのような語が存在すると推認されます。

誰かが使っていたらそのような言葉が存在するのだ、という、このいい加減さが「推認」の真骨頂であります。つまり「何でもあり」ということになりますが、登石さんくらいになると大したもので、ひとつの推認の結果が次の推認を導き出して、ニュートリノ的な世界に到達してしまうのです。

まあ、素面で「推認」につき合うことは大層なことです。この判決は田母神さんの「論文」と同程度であって、現代日本文の白眉と言うべきものです。こんなのやあんなのが今の「日本語」なんですよ。
Posted by 酔認珍風 at 2011年09月29日 07:01
日本人は、本当に礼儀正しいのか。
我々の礼儀作法は、序列差法である。序列なきところに礼儀なし。
日本語には階称 (言葉遣い) がある。
言葉遣いの意味を身振りで表わせば、序列差法になる。

日本人は、なぜ察し (勝手な解釈) を使うのか。
意思は、未来時制の内容である。
日本語には、時制がない。だから、未来時制もない。
日本人には、意思がない。
それで、勝手な解釈を利用する。

日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
恣意は、文章に表わせない。アニマル・子供に共通である。
恣意は、相手により察しにより文章化される。
本人には、その内容に責任がないが、それは本人の意向とされることが多い。

日本語には階称 (言葉遣い) があるので、日本人は序列人間 (縦社会の人間) になる。
義理 (序列関係) がすたれば、この世は闇だ。
意思はなくても、恣意があるので、アニマル風に行動する。

意思のない日本人は、天の声により行動が定まる。自分自身で考える力はない。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力は持っている。
だから、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ必要に迫られることになる。
これは、昔からある浪花節でしょうね。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
Posted by noga at 2011年09月29日 21:03
なるほど登石さんに「天の声」が下ったわけですね。あの人にはしょっちゅう下るみたいで、下らないヤツだ。
Posted by 珍風天の声地の声人の肥え at 2011年10月04日 06:44
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