2011年12月29日

遺族に死刑執行

死刑執行 19年ぶりになし

ことし1年間に死刑が確定した被告は21人に上った一方で、19年ぶりに死刑の執行は行われず、全国の拘置所にいる死刑囚は129人と、これまでで最も多くなりました。

ことし1年間に死刑が確定したのは、オウム真理教の中川智正死刑囚や、愛知県などで若い男性4人を次々に殺害した元少年3人など、21人に上りました。その一方で、死刑の執行は19年ぶりに1件も行われず、全国の拘置所にいる死刑囚は、これまでで最も多い129人になりました。裁判員裁判では、すでに12件の死刑判決が言い渡され、一般の市民が死刑と向き合わざるをえない場面も増えており、法務省は去年8月、国民的な議論を喚起したいとして、死刑制度の在り方を検討する勉強会を設置しました。しかし、有識者などから意見を聞くだけにとどまり、社会では議論は深まっていません。こうしたなか、有識者のグループが今月13日、死刑に関して国会で議論するべきだと訴えるアピールを発表したほか、日本弁護士連合会も委員会を設置して、来月から死刑制度の廃止に向けた具体的な議論を始めることにしています。死刑を巡っては、執行する死刑囚の順番や時期を決める基準など、詳しい情報は一切明らかにされておらず、一般の市民に死刑の判断を求めるなかで、情報の公開をどう進めるかも課題となっています。

2011年12月29日 NHK


「社会では議論は深まってい」ないそうですから、ここで僕なんかが出てきて徒に議論を浅めたりするのも考えものではあります。もっとも、死刑拡張派の論調によると、この「勉強会」が諸悪の根源であるということのようなんですが

法相、死刑執行ゼロ説明避ける…遺族は憤りの声


 19年ぶりの「死刑執行ゼロ」が確定した28日、平岡法相は記者会見で、年内に執行しなかった理由について明言を避けた。

 法務省の勉強会で議論が続く中、裁判員裁判では今年も死刑判決が相次ぎ、確定死刑囚の数は戦後最多の129人にまで膨らんだ。被害者遺族からは「執行を進めないのは責任放棄だ」と憤りの声が上がっている。

 「私から申し上げるわけにはいかない」。平岡法相は28日午前の記者会見で、年内の執行を命じなかった理由を繰り返し問われたが、「様々な要因がある」などと、具体的な説明を避けた。

 省内では平岡法相について「死刑廃止論者ではなく、執行に踏み切る可能性はある」との見方がある。それでも年内の執行に踏み切らなかった理由に挙げられるのは、死刑制度の存廃を巡る省内の勉強会の存在だ。

2011年12月29日 讀賣新聞


『讀賣新聞』さんは相変わらずの健筆ぶりでして、見出しに出て来る「遺族」は、記事の中ではたった1センテンスだけに登場するという、「カメオ出演」のような状態に甘んじているわけですが、どうもこれは讀賣記者さんが夕べ見た夢の登場人物か何かでしょう。

とにかく「勉強会の存在」が「執行」の邪魔になっている、「勉強」なんかいいからとにかく殺せ、というのがこの記事の趣旨であります。趣旨は趣旨なんですが、いくらなんでも乱暴極まる御意見でありまして、そんな趣旨を見出しに付けるとまるでバカみたいに見えるというわけで「遺族」に登場願った次第です。

この点、『産經新聞』には「アスの会」の岡村さんという、押しも押されぬ「遺族」、どこに出しても恥ずかしくない一点の曇りもない正真正銘の折り紙付きの「遺族」が登場していますので、幾分か良心的であるといえるでしょう。

まあどちらにしても「遺族」が「ダシ」に使われていることには変わりありません。『讀賣新聞』はいささか人様の扱いに礼を失するところなきにしもあらずというわけですが、それは「主筆」を始めとした全社的な現象でありますから今更どうしようもありません。

ここで「遺族」は例によって重要な役割を担うものとして現れているようです。死刑制度について「議論」を深めようとすると、そこに水をさすのが「遺族」というものなのです。「遺族」が新たな殺人を求めているのです。下手な同情は「遺族」を傷つけてしまうかも知れませんが、ましてその意に反することを主張することによって「遺族」の「心」を「傷つけ」てはいけないのです。したがって彼等の望むようにさせてやるしかあるまい。

これは「モンスターなんとか」を作り出す構造と同じなので、死刑拡張活動に従事する「遺族」を「モンスター遺族」と申しますが、ペアレントでも何でも自分がその相手をしなくても良いのであれば誰か他人、例えば死刑囚諸君の命などどうなっても構わない、というのも「社会」というものの偽らざる実態でもありましょう。

そこで「社会」で「議論」が「深まっていない」原因の一半を「モンスター遺族」の存在に求めることが出来るでしょう。この点、NHKと『讀賣新聞』や『産經新聞』の論調は好対照をなしているようです。もっとも、「遺族」さえいなければ「議論」が「深まる」と限ったものではありません。「遺族」のおかげで「議論」の対象としてフォーカスされるという点も否定できないものではあります。

出来れば「遺族」は切っ掛けに出てきてもらって、その後で「社会」のみんながそれを忘れる、というのが望ましいかと思われますが、それには「遺族」に対して、忘れられてしまっても構わないようなケアが与えられることが必要とされます。そして「遺族運動」というものは本来そうしたものだったわけで、「遺族」という立場を利用して何かエラそうなことを言ったり、「モンスター遺族」はおろか「スター遺族」となって法律を改正しろとか主張することではなかったのでした。

とりあえず現時点では「社会」における「議論」が「深まる」まで「勉強会」を継続することが望ましいと考えられますし、その間は刑の執行は当然に凍結されるべきでしょう。「未執行」の死刑囚が多いとか書いてありますが、それは司法の問題であり、増えるのがイヤだったら死刑判決を出さなければ良いだけの話です。共同通信によれば地裁、高裁、最高裁における2011年の死刑判決は前年比プラス20人とのことであります。例によって司法の腐敗ぶりが伺われるところであります。

そして「議論」が「深まる」ための要請として、残念ながら「遺族」にはご退場頂くしかありません。確かにそれは興味深い存在ではありますが、彼等は理性的な議論の妨げになるからです。「遺族」が「議論」に登場すればそれだけ「議論」は不可能になってきます。つまり「遺族」が活躍すればするほど「執行」が遠のくようになるわけですから、「遺族」は自然と目立たなくなって行くでしょう。このようにして始めて一般的な「議論」を開始することが出来るようになるのではないか。まあどうしても出て来たいという「遺族」の方もいらっしゃるかと思いますが、そういうときは


posted by 珍風 at 23:57| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
悪いお年をお迎え下さい。

o(^o^)o
Posted by はなゆー at 2011年12月30日 17:29
実際のところ既に「年」は相当に「悪い」んですが、今年が悪かったのかと思ったら来年以降もっと悪くなるてぇんですから明後日のことを申し上げても仕方ないような気もしますが、そういえば一説によれば再来年以降「年」というものはなくなるってな話しもございまして、そういうことですと僕なんかにとっては大変に好都合なわけで、もうこれ以上「歳」が「悪く」ならずに済むというもんですから、オカルトにハマる人の藁にも縋る思いというものを些かなりとも察することが出来たというのもどうでもいいことではございますが、はなゆー様にもどうか酔いお通しを迎え酒、なんてことを申し上げるにはまだ早い、そんな今日この頃です。
Posted by そういえばうちのカレンダーも明日までしか書いてないから世界は明日で終わるはずだ珍風 at 2011年12月30日 22:11
なんでぇ、今年は一人も吊れなかったぜ。by執行官。来年はいいことあるよ。きっと
Posted by ika at 2011年12月31日 00:59
良いチンコをお迎えくさい
Posted by ika at 2011年12月31日 02:30
今年は縄がひとつも売れなかっただ。しょうことなく注連飾りに作り直して売ったけど売れ残っちまっただ。もうこうなったら自分で使うしかねえだ。
Posted by 法務省御用達縄職人珍風 at 2011年12月31日 06:31
皆さん良いお年をお迎えください。悪いお年寄りにはお迎えが来ますように。
Posted by 普通の落し穴珍風 at 2011年12月31日 06:34
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