2012年03月14日

それで君はいつ死んでくれるんだ?

橋下市長 がれき処理「法で拘束を」


 大阪市の橋下徹市長は13日、政府のがれき処理方針に関し「単なる文書のお願いではだめだ。国が自治体を拘束するようなルールを作るべきだ」と述べ、自治体への強制力がない政府の方針は不十分との認識を示した。市役所で記者団に語った。

 橋下市長は大阪府知事時代にがれき受け入れ方針を表明。市長としても大阪湾の最終処分場での処分を想定し、海面に焼却灰を埋め立てる際の安全基準を示すよう政府に求めている。

 橋下氏は「法的拘束力があるもの(仕組み)をつくらないと国の責任を果たしたことにはならない」と強調。「海面埋め立ての基準がクリアされれば大阪市はしっかり受け入れる」と述べた。

2012年3月13日 共同


瓦礫処理問題に関する最も透徹した見解は橋下さんから出ていたわけですから、彼の意見を無視するわけにはいきません。橋下さんによればそれは「戦争」と同じなのです。「情けない」てゆーか「情無用」の御意見ではありますが、事実として確かにそれはそうに違いないとしか言いようがありません。どちらも金儲けのために人が死にます。

この点で渡邉美樹さんと仲良しの橋下さんの立場は一貫しているわけですが、汚染と被曝の拡散は「死刑・戦争・過労死」の「死の政治経済」の当然の帰結です。とはいえ何といっても人を殺そうというわけですから、「お願いではだめ」なのは当然です。何らかの強制力がなければ他人というものは中々死んでくれないものです。もっとも、「強制」と「拘束」によってあらかじめ殺しておくのであれば仕事は大分楽になります。

「拘束」されるのは「自治体」かも知れませんが、死ぬのは「自治体」ではなくて住民です。役人の間で「拘束」プレイを楽しむ、というだけ話しではないのですから剣呑ですが、逆に言えば公務員を「ルール」によって「拘束」するだけで、実に恐るべき効果を上げることが出来ましょう。瓦礫の受け入れに関して住民がいくら反対しても自治体はそれに拘束されませんが、議会を含む自治体は自らの意志で瓦礫を受け入れたり受け入れなかったりすることが出来ます。この場合に自治体は住民の声を参考にしたりしなかったりするわけです。しかしながら国により自治体が「法的拘束力」を受けた場合、住民は既に死んだも同然であります。

橋下さんの言う「地方分権」というのはこういうことらしいのですから字面に騙されてはいけません。いわゆる「記号の恣意性」というものが最大限に活用されたデタラメですが、彼の「脱原発依存」も同様で、それは原子力村に奉仕するためには何でもする、というようなことを指しているようです。

橋下さんを使っている人々にとって現在の最大の問題は、荒廃した列島とそこの住民から限られた時間の中でどれだけ搾り取れるかということですが、考えてみれば荒廃していなくてもどれだけ搾り取るかが問題なんですから何も変わっていません。とはいえこの放射線環境において、国はとにかく全ての人に放射性物質を受け入れさせることを目標にしています。馴れてもらう、てゆーか体が馴化するのはムリですから気持ちの上で慣れてもらうことが大切です。

まずは瓦礫から始め、その次は再稼動であり、遂には新たな核発電所の建設を実現させるでしょう。今回の事故をむしろ好機として、住民に放射線環境を受け入れさせなければなりません。それに放射線汚染による損失と言っても大したものではありません。誰かが死ぬかもしれませんし、多くの人が死ぬかもしれませんし、病気で苦しむ人も沢山出るかも知れません。ところが人間なんてものはいくらでもいますから、何の価値もありません。気にしろというのが無理な話しです。しかしながら役立たずも殺すことによって金になるのであれば生かしておいた価値があったということになるんです。


posted by 珍風 at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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