2012年04月21日

我が靴下にはこの世全ての悪臭が

そんな蜘蛛助さん、じゃなかった鬼蜘蛛おばさんという人によるとこんなことがあるそうで、

被ばく問題を取り上げないマスコミの罪
 先日、以下のツイッターを見つけた。

http://twitter.com/#!/kaori_sakai/status/191641397147877377
これは上杉さんも言おうか迷いながら仰っていたのですが・・・。実はおしどりマコ@makomelo さんが赤旗から執筆を依頼されたのだそうですが、被爆に関して書くのはNGなのだそうです。あの、赤旗でさえ、です。これはとても不気味な流れです。

 福一が爆発してからインターネットで喉の痛み、鼻血、下痢、紫斑などの症状を訴える人たちが大勢いる。体がだるいとか、脱毛というのもある。それらの症状のすべてが被曝によるものではないだろうが、原発事故以来、このような症状を訴える人たちが増えているのは明らかだ。

 「ぬまゆ」さんの症状も被ばくと関係しているとしか思えない。それにジャーナリストの岩上安身さんも被ばくと思われる症状が出ているという。

 それだけではない。ツイッターでは心筋梗塞などによる突然死の情報も頻繁に流れているし、東北や関東で葬儀場が混んでいて待たされるという話も複数流れていた。これらはチェルノブイリの原発事故のときにも人々を襲った症状と共通しているという。

 ところが、マスコミはこうした被ばくが関係していると思われる症状、話題はまず報じない。報じられているのは、甲状腺の検査をしたところ一部の子供たちに「しこり」や「のう胞」が見られた、というようなニュースくらいだろう。ICRPも放射性ヨウ素と甲状腺癌の因果関係は認めているので、国や自治体なども甲状腺の検査をしないということにならないだろうし、マスコミもそれについて報道しないことにはならない。ただし、甲状腺のしこりにしても「問題ない」という説明しかしない。子どもの甲状腺にしこりがあること自体が異常ではないのか?

 それ以外の被ばくに関する情報はまったくと言っていいほど報道していない。どうやらテレビや商業新聞だけではなく、赤旗も同じらしい。

 なぜマスコミは報道規制を敷いているのだろう? ひとつ考えられるのは、なんとしても過小評価をすることで責任を回避したい東電や国の意向を汲んでいるということだ。しかし、電力会社から広告をもらっている商業新聞はともかく、赤旗ならそんなことを考慮する必要がないのではないか・・・。

 もうひとつの理由として、健康被害は不安を煽りストレスになるから避ける、ということがあるだろう。赤旗とて、被ばくに関する記事を載せたなら、一部の読者から抗議や問い合わせなどがきて混乱することが懸念される。読者離れに繋がるかもしれない。

2012年04月18日 鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
http://onigumo.sapolog.com/e335025.htm
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元のツイッターの文脈だと「共産党はどうもオカシイ」という、特に「不気味」ではない「流れ」になっていく様ですが、松田さんはマスゴミ全体が甲状腺以外の被曝について報じていないことを指摘していらっしゃる。そしてどうもブル新聞ブル雑誌と『しんぶん赤旗』に共通するのは「ストレス」であるようです。

新聞はともかくとして、TVで気の重くなるような現実を見せられたくないという人は多いものです。そういう人はモノマネとか観ていればいいんですが、報道番組にも「心の明るくなるようなニュース」を求めたりし始めるようになると、大分疲れていらっしゃるということになります。そのうち天気予報でも、明日台風が来るなんて言うと抗議の電話が来るようになるかも知れない。しかしこの「ストレス」が、そのようにしてオーディエンスに関わるものを指しているのか、「抗議や問い合わせ」を受けるマスゴミの方が感じるものなのかは必ずしも明らかではありません。

とはいえ被曝の「健康被害」が、かなり「ストレス」を感じざるを得ない問題であることは言うまでもありません。ここで特に問題になるのは先天異常に関するものでしょう。放射線被曝は先天異常をもたらすのは分かってるんですが、どうもこの問題には上手く対処出来ないわけで、なるべく触れないようにしたくなるのも無理はありません。これは差別を引き起こすことがあるわけで、事実、結婚が破談になったりしているようなのです。

現在、先天異常児の誕生を防止するには「危険」な結婚を避けるということの他、出生前診断によって異常が発見された場合に中絶するという方法があります。もっとも、このような場合の中絶は、当事者にとってはほとんど選択の余地のない状況で「自由な選択」を迫られることになりますから、そういう罠にはまるのはなるべく避けたいと考える人が多いのも当然でありまして、そうなると少しでも異常の発生する可能性のある妊娠は避けることになるでしょう。

しかしながらここで逆に、先天異常児の誕生を避けようとする行為は先天異常児の差別に繋がる態度なのではないか、という問いが立てられています。これは先天異常児が差別されないためには、それが「差別の対象」=「悪」であると考えるべきでなく、したがってそれは「回避すべき対象」=「悪」であると考えるべきではない、と言っているようですが、ここで厄介なのは、先天異常児を差別することを望まない人は自分も先天異常児の親となることを受け入れる「べき」だという話になっちゃうことでして、更に言えば差別に反対するという立場で筋を通すためには先天異常児が我が家にも1人必要だ、ということになるんですが、これは明らかにちょっとオカシイようです。そんなに簡単に都合のつくものではありません。逆に言えば先天異常児の親になることを避けるためには先天異常児を差別する立場に立つことになりますが、そういう立場に立ったからといってご当人が困るわけではありません。困るのはむしろ差別をなくしたい人たちでしょう。

いずれにしてもここで無視されているのは異常児自身にとっての「異常」です。それは差別したりしなかったり回避したりしなかったり出来るものではありません。「異常」を価値的に中和したところで不便であることに変わりはありません。そして、「差別」に対するスタンスの選択という問題は、当事者にとってはほぼどうでも良いことなのではないか。

むしろここでは先天異常を何らかの「悪」と考えることを躊躇うべきではありません。「異常」を中和することによってそれをもたらした核発電の価値を曖昧にしようとする罠に注意すべきでしょう。しかし「差別」とは「悪」に対する対処の仕方に他ならないのではないか。「悪」が目の前に存在している、あるいは正に存在しようとしている「悪」に、どのように対処したら良いのか。

仮に「差別」をすべきではないと考えるなら、僕たちは「悪」と共存する道を探らなければならないでしょう。それは「悪」を「差別」によって排除しないことを意味します。「悪」を排除し、追い出し、殺してしまって身の回りを綺麗にしようという誘惑には抗わなければなりません。「浄化」には抵抗しなければならないのであって、それは「悪」が、それを回避出来なかった結果責任として存在するからです。「社会が悪い」のであれば、その「社会」をどうにか出来なかった「責任」がある一方、「社会」が「悪くない」のであれば、その結果を喜んで引き受けなければなりません。つまりいずれにしても、回避し、そして受容しなければならないことになるのです。


posted by 珍風 at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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