2012年05月23日

安さ核爆発 男の大安売り

【主張】
NHK経営委員長 「番組に口挟むな」なのか



 NHKの数土文夫経営委員長が東京電力の社外取締役に内定したことが一部で「公共放送の中立性や公平性に反する」と批判されている。

 報道機関であるNHKの最高意思決定機関のトップが重要な取材対象の一つである東電の経営にタッチすれば、「今後の報道が色眼鏡で見られかねない」ということのようだ。

 経営委員が電力会社の役員を兼ねることは、放送法で禁じられていない。数土氏自身も、原発の再稼働をはじめ世論を二分する問題に直接言及したことはない。

 気になるのは、問題が兼職の是非を超え、「経営委員はNHKの報道には一切、口を差し挟んではならぬ」との論理にすり替えられつつあるように見えることだ。

 反対論の根拠は、経営委員は「個別の番組内容」への発言や意見を述べることができないとした放送法の規定である。

 そもそも、東電役員との兼職が直ちに番組への“干渉”になるとの考え方には飛躍がある。兼職と、求められる「公正な報道」が維持されているかどうかのチェックは別の問題だ。

 公共財である電波の割り当てを受ける放送事業者は、外部の干渉を排除するためにも、公正な番組作りを心がける責務がある。

 とりわけNHKは、公共放送として、より高い公正さの維持を求められる。国会の同意人事で選ばれる経営委メンバーは、国民代表として内部からその役割を果たすよう期待されている。

 NHKの番組ではかつて、歴史的事実の歪曲(わいきょく)などが問題にされた例が少なからずあった。

 最近では、平成21年4月に放送された日本の台湾統治に関するNHKスペシャル「アジアの“一等国”」がある。取材に協力した台湾の元医師らから「日本の功績も話したのにカットされた」として抗議を受けるなど、一方的な編集が内外から強い批判を浴びた。

 13年には「問われる戦時性暴力」と題した番組が教育テレビ(Eテレ)で放送された。昭和天皇といわゆる「A級戦犯」を「強姦(ごうかん)と性奴隷制」の責任で裁いた民間法廷の模様を報じた。番組として適切だったかどうか、検証はいまだに行われていない。

 今回の兼職問題が、経営委の“口封じ”に使われるなら、NHK自身にとっても国民の信頼を損なう結果につながりかねない。

2012年5月23日 産經新聞


困った文章です。これは「新聞」の「社説」に当たるものであるとのことですが、どこの国の新聞だか知りません。愛国者の端くれとしてはこれが日本の新聞ではないことを祈るばかりですが、僕がいつ「愛国者の端くれ」になったのかよく分からないのと同様、この文章も何を言いたいのかサッパリ分からないのです。

普通に考えると數土さんが東電の社外取締役とNHKの経営委員長を兼務することは放送法の上では問題がない、何故ならば「経営委員は「個別の番組内容」への発言や意見を述べることができないとした放送法の規定」が存在するからである、ということになるでしょう。「番組に口挟むな」という「制度」であるからこそ「制度上の問題はない」ことになるわけです。

ところが、そこは『産經新聞』です。普通で済むわけはありません。數土さんの「兼任」が「放送法で禁じられていない」とする一方で、數土さんに「放送法の規定」に反する役割を要求してしまっています。これでは數土さんも困ってしまうでしょう。『産經新聞』が求めているようなことをするのであれば、それを行なうための根拠を失うことになってしまうのです。

これは「ダブスタ」とか言うよりは、『産經新聞』にはありがちなことですが、自分が何を書いているのか分からなくなってしまったものと思われます。『産經新聞』に「公正」を期待する人もいないでしょうが、もはや「校正」すら期待出来ません。したがってこんな短い文章であるとはいえ、「構成」がメチャクチャになってしまうのも致し方のないことです。

ここで日本語教室ですが、正しい日本語は『産經新聞』から学ぶことが出来ます。今日は肯定的否定について教えてもらいましょう。日本語ではある名詞にその名詞が意味するところを強めるような形容詞を付けることによって、その意味するところを否定するという用法があります。例えば「優しさ」という言葉に「本当の」という形容詞がつくことがありますが、こういう言葉を使う人が女の人を殴らないことは極めて稀です。優しくないようなことをするのが「本当の優しさ」であるわけですが、同様に『産經新聞』では、「公正さ」という言葉を「より高い」という形容詞で修飾することによって、「公正さ」の意味を否定していることがわかります。

この例では、數土さんがNHK経営委員長と東京電力社外取締役を兼務することによって「維持」される「より高い」「公正さ」とは以下のようなものです。

特に原子力政策には、より積極的な国民の理解と支援が必要であると強調したい。原子力抜きに日本のエネルギー政策は成り立たない。原子力に対する国民の信頼回復と安全確保は大前提であるが、今後も原子力政策を推進していくためには、電気事業者だけに負担を背負わせるのではなく、国民一人ひとりが重要性を十分認識して、国全体で支援していく環境づくりが求められる。


これは2008年1月21日付けで経済同友会の「地球環境・エネルギー委員会」が出した「真に実効性ある政策でリーダーシップを -ポスト京都議定書の国際的枠組みを含む環境エネルギー政策への提言- 」という文書の「要旨」の一部です。
http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2007/pdf/080121a.pdf

この「地球環境・エネルギー委員会」の委員長が數土文夫さんに他ならないわけですが、どうも当時から「原子力に対する国民の信頼」というものは「回復」しなければならないものだった様です。要するにテンで「信頼」されていなかったわけですが、にも拘らず「今後も原子力政策を推進していく」ことが当然のように語られています。どうやら「信頼」や「安全」よりも「重要性」が大切なようです。つまり「信頼」も出来なければ「安全」でもないのに、「重要」だからやるんだよ、ということなんですが、事故があろうとなかろうと核ヤクザの言うことは同じだということが分かります。

これが「より高い公正さ」というものでありまして、その実「公正さ」とは正反対のものであることは明らかでしょう。これが日本語における肯定的否定用法の機能です。それは別にどうでも良いのですが、問題はこの數土さんがNHK経営委員長と東京電力社外取締役を兼務することではありません。むしろ數土さんがNHK経営委員長であることの方が問題なのではないでしょうか。どこに出しても恥ずかしい核ヤクザである數土さんは東電の関係者であることの方が自然に見えます。

『産經新聞』が混乱し切った文章で言っているのは、核ヤクザが東電とマスゴミを仕切ることになれば都合が良い、ということだと思われます。そうならそうとはっきり書いたところでどうせ『産經新聞』ですから今更誰も驚きません。この「主張」の失敗は、あまり関係のない個人的な趣味の「歴史問題」を書きたくなってしまったことに由来するんでしょう。それで核ヤクザもヤクザの一種なんだから「問われる戦時性暴力」におけるバカ殿や死んだ酔っぱらいと同じようなヤクザ者として働いてくれることを期待してしまったわけですが、よく考えてみなくてもこの番組に「圧力」をかけたのは「経営委員」ではありません。

しかしそれはその時の与党の政治家であったわけです。そしてNHKの経営委員も、国会の議決によって指名されるわけですから、やはり時の政治権力と切り離すことの出来ないものなのです。それは最初から「公正さ」ではなくて「より高い公正さ」のために存在するに決まっていたのでした。つまりNHKも東電もこの国を支配するシステムの一部なんですから、「兼務」して当然なのであり、「国民一人ひとり」に「原子力」の「重要性を十分認識」させるためにはむしろこれ以上望ましい人事はない、と言って良いくらいのものでしょう。おそらく、民放にCMを出すよりも數土さんは安上がりなのです。それだけの理由です。


posted by 珍風 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【マスコミ】 「中立性?問題ない」 NHKの経営トップ、東電の社外取締役に…兼職に波紋広がる
Excerpt: 1 :☆ばぐ太☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ば ぐ 太☆ Mkつーφ ★:2012/05/23(水) 10:19:18.35 ID:???0 ・NHKの数土文夫経営委員長が東京電力の社外取締役に就く..
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Tracked: 2012-05-24 00:04
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