2012年07月05日

放射脳がとける奇病

事故調“規制当局は事業者の虜”


国会の事故調査委員会は、原子力安全・保安院など国の規制当局に対して、「専門性の欠如などから、事業者の虜(とりこ)となり、事業者の利益を図ると同時にみずからの責任を回避してきた」と厳しく批判しました。

国会の事故調査委員会は、規制当局が、原子力の安全を監督する立場にありながら、電力会社で作る電気事業連合会による働きかけによって、安全性に疑いが生じるような基準の採用を必要なものでも見送ってきたと指摘しています。


また、規制当局も事業者も「もともと原発の安全は確保されている」という立場に立っていて、安全性に疑いが生じるような内容について、非公開の場ですり合わせるなど、透明性が確保されていたとは言い難いとしました。


さらに規制当局の方が事業者に比べ専門性に乏しいことから、基準について事業者側の提案を受け入れるといった方法がとられることもあり、規制当局の独立性も疑わしいと指摘しました。


そのうえで、規制当局と事業者の関係は、必要な透明性と独立性が確保されることはなく、まさに「虜(とりこ)の構造」といえる不健全な関係だったと厳しく批判しました。


ほかにも国会の事故調査委員会は「規制当局は原子力の推進官庁からの独立性も形骸化し、その能力においても国民の安全を守るには程遠いレベルだった」と指摘しました。


そのうえで「規制当局は組織を変えるだけでなく、実態を抜本的に転換しないかぎり国民の安全は守られず、変化に対応し、継続的に自己改革を続けていく姿勢が必要である」と結論づけています。

2012年7月5日 NHK


「規制当局の方が事業者に比べ専門性に乏しいことから」という「専門性の欠如」の強調はいかにもNHKらしい歪曲であると言えるでしょう。「虜」になったのは、なにも規制当局がバカだったとか、知識がないとかいうことからばかりではありません。まあ確かにそれも事実の一半をなしてはいます。連中はバカだ。

報告書の要約版によれば

東電は、新たな知見に基づく規制が導入されると、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に関する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になるといった恐れを抱いており、それを回避したいという動機から、安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会(以下「電事連」という)を介して規制当局に働きかけていた。


わけですが、「規制当局」の方も「専門性の欠如」のみならず

過去に自ら安全と認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安院が原子力推進官庁である経産省の組織の一部であったこと等から、安全について積極的に制度化していくことに否定的であった。


のでした。「安全神話」を守るためには迷わず「安全」を犠牲にすることを選択することにしていたわけですが、それというのも「原子力」は「国策」だったんだから仕方がなかったわけです。これではいくら「規制当局」に高度な「専門性」が存在したとしても何にもなりません。

これは「虜の構造」てゆーか単なる「規制の不在」でしかありませんが、黒川さんによればこれはスティグラーの「捕獲理論」なんだそうです。スティグラーさんはこの理屈で、政府による規制は独占業界の利益に奉仕することになる、と主張しておられます。例えば床屋に流し台を付けろとか。それはそれで困ったことですが、ここでスティグラーさんは反対側の極端に振り切ってノーベル賞をかっさらいます。曰く規制より自由市場が有効である。

よく考えなくてもこれはまた別の「規制の不在」に他なりませんが、スティグラーさんが核技術にまで市場原理主義を押し通すつもりがあったのかどうかは不明です。いや、もしかしたらその辺は簡単に考えて取りあえず原則的な立場を押し通すのかも知れませんが、今頃になってそんなことを言い出したらやはりちょっとどうかしてると言われても仕方がありません。

東電が「安全対策の規制化に強く反対し」たのは市場での独占的地位を守るためではありません。そんなものは特に守る必要もないほど当たり前のことだったんです。それでも「稼働率に深刻な影響が生」じたり「訴訟などで不利になる」のがいやだったので規制の強化に反対したのでした。

ところが事故調の報告書では

本来原子力安全規制の対象となるべきであった東電は、市場原理が働かない中で、情報の優位性を武器に電事連等を通じて歴代の規制当局に規制の先送りあるいは基準の軟化等に向け強く圧力をかけて来た。


などと、まるで「市場原理が働かない」ことが「事故の原因」のように書いているのはアタマがどうかしているのか脳が軟化しているのかわかるません。核発電業界に「市場原理」が働いていたら、という仮定そのものが極めて空想的なんですが、「市場原理」が「安全性」を高めるという想定はそれ以上に非現実的です。おそらく競合する電気事業者は価格競争に陥った挙げ句「安全性」を犠牲にすることになるでしょう。あるいは技術格差によって独占が生じますが、独占企業自身が「安全性」のために犠牲を払うことを考えることは困難です。

国を挙げて間違った方向に突き進んでいるところに「市場原理」などに出る幕はありませんし、「市場」は業界と産業の利益のためにのみ機能します。市場は「公共」という言葉を知らないか、知っていても遥かか彼方で肯定されるだけの否定的要素でしかありません。いずれにしてもこんなところにもシカゴ学派の医師という世にも珍なるシロモノが忍び込んでいるんですから要注意ですが、しかしながら考えてみたら何だって連中の手にかかれば人殺しの道具になるわけで、その点では核発電などはむしろ優れた道具であることは間違いありませんから、別に矛盾したことを言っているわけではありません。
posted by 珍風 at 23:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by ゴールドビキニ at 2013年07月12日 04:15
夏だから脳が溶けますよね
Posted by 激安珍風 at 2013年07月17日 23:44
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