2012年07月25日

落体の法則

26日から生徒聴取開始=保護者同伴で配慮も−いじめ自殺問題・滋賀県警


 大津市で市立中学2年の男子生徒=当時(13)=がいじめを受け自殺した問題で、滋賀県警は26日から同級生を中心に生徒の事情聴取を始める。県警はすでに当時の担任など教員の聴取をしており、8月中にも聴取を終える。

 県警はいじめの実態を解明し、加害者とされる少年3人の暴行や恐喝容疑などでの立件の可否について判断する方針。

 県警は生徒の聴取について、保護者の同席を求める。場合によっては、聴取場所を自宅にしたり、いじめ相談や心のケアなどを扱う「少年サポートセンター」の女性職員らを派遣したりして、生徒の心情に配慮する。

2012年7月25日 時事


加害者の家庭環境が周知されているわけですから、比較的そういう「環境」に敏感な「保護者」が同席することによる「配慮」ってのはどんなもんなんだか、大体想像がつくというものです。「聴取場所を自宅にしたり」したら、何時誰が「聴取」されたか丸分かりなワケですよね。なるほど「配慮」が行き届いております。

ところで、

死後も続いた“いじめ” 大津の自殺生徒の机でトランプ


 大津市の中2男子自殺では、男子生徒が死亡した後も、加害者とされる3人の生徒たちが嫌がらせのように男子生徒の机でトランプ遊びをするなど“いじめ”はやむことがなかったと、同級生が取材に明らかにした。

 自殺した翌日の20分間の昼休みも「ぎゃははは」と甲高い笑い声が教室に響き、男子生徒の机を囲み、3人がトランプを始めた。6時間目の授業が終わり、帰りの会が始まるまでの空き時間には、3人のうち2人が笑いながら、掲示板の体育祭で撮った男子生徒の写真に画びょうを刺していたという。

 担任や学年の教員がトランプ遊びに気付いていたのかどうかは不明。

2012年7月25日 スポニチ


なもんですから、世間ではこの加害者連中のことを取り分けヒドく悪い人のように受け取っている様です。しかしながら、他人を虐める人なんて大体こんなもんです。この件は取材量が多いからこんな話しも出て来たというだけのことでしょう。

とはいえここにはいわば純粋な悪、絶対的な悪が垣間見えるかの様です。それは人を傷つけることの純粋な喜び、無償の享楽です。これはかなり危険なもんですから、世の中にはこういう連中を死刑にしてしまえみたいな話もあるようです。確かにこういう人たちの「更生」は難しいような気がしないでもありません。

とはいえ彼等も悪の純粋性の中に生き続けるわけにはいかないでしょう。大人になったら悪はそれ自体のためではなく、何か別のものの手段に成り下がってしまいます。それは醜悪ではありますが、もはや輝ける悪そのものではありません。それは悪よりももっと悪いのかも知れませんが、実際、こんな連中の多くがそのようにして「更生」し、しかも以前と同じようなことをしながら幸せな生活を送っているのでした。

そこで「更生」したとしてもせいぜい渡邉美樹さんの様になるのがオチだとしても、じゃあやっぱり死刑にすべきなのか。しかしながら、「死刑」とは元より彼等の様な加害者たちの所有に属します。それは加害者の一部の親戚に警察官がいるからというだけではありません。それは彼等の基本動作に関わっています。

皇中の連中は被害者を落としたわけです。直接落としたとか間接的に落としたとかに関わらずそうしたわけですが、渡邉美樹さんも人を高い所から落としたがります。直接落とすわけではない様ですが、よく知りません。そして死刑も、人を落とすことに他なりません。

取り分け日本の処刑は、あれは絞首刑と称していますが、正確には落下させることによる殺害です。首を絞めて殺しているわけではありません。ガロットなんかとは違うわけです。本当はもっと高い所から落とさないと死なないわけですが、首縄によって高低差の不足を補い、身体の生死に関わる部分を、ほぼ確実に破壊することを狙っています。

銃殺などは「一人の命は地球より重い」という格言を良く表現しています。それは見方を変えれば、文字通り「一人の命より軽い」ところの「地球」に、人体がすばらしい速度で激突しているのです。しかし何もそんな無理なことを言わなくても、古代の断崖に始まり現代の高層ビルの窓から会議テーブルを滑り台にして行なわれる非公式のそれに至るまで、「落とすこと」は死刑の一般的な形式であると言うことが出来るでしょう。

連中がどうして「人を落とすこと」に拘るのかは不明であります。例えば「高さ」を測るためには何かを落としてみる必要があるでしょう。崖の上から谷底に向かって小石を投げてみる、なんていうのは手軽な、しかしよく考えてみると相当に危険で迷惑な手段です。しかし、だったらその代わりにそこらにいる誰かを落としてみるのでも構わないのではないでしょうか。

もしかするとそれは「人を蹴落とす」という意味の象徴的行為なのかも知れませんが、実際に断崖の上で誰かを落とすんだということになった場合に、自分が落ちないということは少しは慎重に扱うことが望ましい程度には重要なことです。しかしここで自分が落とされる心配をするよりも他人を落とす喜びに今から震えている人もいたりします。その人は多分「言い出しっぺ」ですが、もう誰かを落とすことばかり考えています。そうなったが最後、周りの人たちは自分の代わりに誰か別の奴を落とす心配をしなければならなくなるのです。なにしろガリレイによれば、それは太った奴でも痩せた奴でもどっちでも同じことで、誰でも良いんですから。

そこで自分を落とそうとしている奴を、誰でもいいからとにかく落とそうとしている奴に生け贄として捧げてしまうのは良い思いつきだと思えるかも知れません。例えば「死刑」ということで、取りあえず自分以外の人を落とす、てゆーか落とさせておけば、当面は安心です。その当座は、とにもかくにも落とされる方ではなく落とす方になったんですから幸福に満ちた憩いのひとときですからお茶でも飲んで、しかし人の死なんてものは、特に転落死なんてものは、殊に落とす側に取っては、誠にあっけないもので、直ぐに次が欲しくなりますからあまり安心もしていられないんですが。


posted by 珍風 at 22:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は、1970年2月生まれで、大阪府池田市在住です。

私も、 池田市立細河中学校に通っていた時、 小柄だというだけで 、担任の江藤ますみと、複数の部落民である北古江(地名)の奴らに、いじめられていました。

江藤ますみからのいじめは、毎月、席替えがあったのですが、私だけが、教卓の前の席と、決められていて、席替えに、参加させてもらえませんでした。

部落民の奴らからは、毎日、「 小児麻痺 」と言われ続け、筆箱を、何回も壊されました。

私は、小柄ですが、勿論、小児麻痺ではなく、身体にも知的にもなんの障害もありませんし、私の母も、障害児を産む様な、卑劣で冷酷な女性ではありません。

江藤ますみも、 部落民の奴らに 遠慮し、「 小柄なあんたが 悪い 」と言い、全く 、注意もしてくれませんでした。

部落差別とかいうけど、池田市は、全く逆です。

今思えば、私の筆箱を壊した部落民の奴らを、器物破損罪で、刑事告訴して、少年院にぶち込んでいればよかったと、後悔しています。

私を、いじめた部落民の奴らと、席替え差別をして 私を、いじめた部落民の奴らを、全く注意をしなかった、江藤ますみを、一生許せない。

私は、部落民の奴らにいじめられた為、埼玉県狭山市で、女子高生を誘拐して殺した、人殺しの部落民の石川一雄を、真犯人だと、中学生時代から信じ続けています。

私は、一生、日本全国の部落民を嫌うことで、復讐します。
Posted by 大阪府池田市在住の女性 at 2012年07月26日 00:47
末尾の「復讐する。」が「復讐します。」に変わったのは今月の20日前後でしょうか、漫然とコピペに留まらず、日々推敲の熱心なお姿には頭が下がります。ようこそ!ご趣旨としては、石川さんは冤罪である、ということで、僕もそう思います。
Posted by 卑劣で冷酷な珍風 at 2012年07月26日 06:32
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