2013年02月11日

カステラ一発 電話で二発 三発殴れば無抵抗

乱暴な人もいればいるもんですが、そんな人の親の顔が見たい様な気がしないでもありません。思えば皮肉な名前です。いや、むしろ深いと言うべきか。

「体罰全否定して教育はできない」伊吹衆院議長


 伊吹文明衆院議長は9日、自民党岐阜県連主催の政治塾で、スポーツ指導や教育現場の体罰に関し「体罰を全く否定して教育なんかはできない。この頃は少しそんなことをやると、父親、母親が学校に怒鳴り込んでくるというが、父母がどの程度の愛情を子に持っているのか」と述べた。出席者の質問に答えた。

 伊吹氏は「何のために体罰を加えるのかという原点がしっかりしていない。立派な人になってほしいという愛情をもって体罰を加えているのか、判然としない人が多い」と指摘した。

2013年2月9日 産經ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130209/stt13020918470007-n1.htm


例によって「自民党岐阜県連主催の政治塾」という内輪の場所ですから、それはもう文明でも何でもついつい好きなことを口走ってしまう野蛮な場所です。それは良いのですが、「文明」さんによると、「体罰を全く否定して教育なんかはできない」んだそうです。暴力を振るわないと「教育」が出来ないということなわけですが、その脈絡に、「文明」さんは「愛情」というコンセプトを導入しています。

「愛情」と「教育」との間にどんな関係があるのか定かではありませんが、産經ニュースさんはこの記事に「「愛のムチ$M頼関係は一方的な思い込み」理不尽が再生産」という記事へのリンクを張っています。それはこんなもんで、

【「体罰」を考える】
(15)「愛のムチ$M頼関係は一方的な思い込み」理不尽が再生産
(1/2ページ)[体罰問題]

 小欄に寄せられたお便りでは、スポーツ指導での体罰について、否定的な意見が圧倒的に多い。肯定派には「体罰をバネに部活動を乗り越え、社会に出ても折れない気持ちを得ることができた」といった声が少なくないが、大阪市浪速区の福祉施設職員の男性(34)は「確かに社会に出れば耐えなければならないこともある。しかし、体罰を受けなくても強い気持ちを持っている人はたくさんいる」と指摘していた。

 横浜市の女性会社員(32)は「社会が理不尽だからといって子供に肉体的苦痛を与えていいという理由にはならない。理不尽が再生産されるだけだ」とし、体罰を“愛のムチ”ととらえる意見について「信頼関係の有無は、当事者の片方の一方的な思い込みの可能性がある」と反論する。

 信頼関係をめぐる問題は、柔道女子日本代表選手らに対する暴力・暴言でも浮き彫りとなった。

 「信頼関係ができていると、自分自身が一方的に解釈していた」。そう語った園田隆二前監督に対し、問題を告発した15選手は、4日の声明文で「指導の名の下に、または指導とは程遠い形で行われた暴力行為やハラスメントにより、私たちは心身とも深く傷つきました」と告白。「選手、監督・コーチ、(全日本柔道連盟の)役員間でのコミュニケーションや信頼関係が決定的に崩壊していた原因と責任が問われなければならない」と訴えていた。

2013年2月8日 産經ニュース
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130208/wlf13020811140009-n1.htm


「愛情」が「一方的な思い込み」である様な事態は、「社会に出」なくてもイヤという程思い知らされるわけですが、まあ人にもよるんでしょうが、ただしイケメンに限るというわけで、確かにこの点について納得のいかない人は世の中に沢山いる様でして、

伯母の元交際相手が自殺 長野、19歳男性殺害


 長野県飯田市の住宅で住人の鹿島田淳さん(19)が殺害されていた事件で、同県泰阜村の林道に止まっていた乗用車内から、鹿島田さんと同居する伯母の元交際相手の遺体が見つかっていたことが11日、捜査関係者への取材で分かった。

 車内に練炭が残されていたことから、飯田署捜査本部は自殺とみている。元交際相手の男は30代で、伯母はストーカー被害を受けていると飯田署に相談しており、捜査本部は殺人事件との関連を調べる。

 捜査本部によると、10日午前に「変なところに車が止まっている」と通行人から通報があり、警察官が乗用車の後部座席で横たわっている遺体を見つけた。

 鹿島田さんの遺体は9日午後6時45分ごろ、警察官が発見。死因は頭部打撲による頭蓋内損傷だった。伯母が午後3時ごろ、「元交際相手から暴行され、子どもと一緒に車で連れ回された」と通報し、保護されていた。

2013年2月11日 産經ニュース


どうもこの「伯母さん」は「元交際相手」の「暴行」が他ならぬ「愛情」であるという、「文明」さんにとっては自明の理屈が理解できなかった様で、オマワリさんなどに相談していた様ですが、どうやら「元交際相手」の「愛情」の犠牲になったのは甥っ子だったということのようです。どんな「愛情」だか見当もつきませんが、「産經ニュース」的に言えば、要するにこの「伯母さん」が「元交際相手」の「愛情」に答えて殺されていれば良かったわけです。

というのも、「産經ニュース」によれば、問題は「当事者の片方の一方的な思い込み」なんですが、実はこの書き方では問題の所在がハッキリしません。問題があるのは当事者のうち「思い込」んだ方なのか、それとも「思い込み」に答えることによって「信頼関係」を築く事を拒否したもう一方の当事者なのか。

ここでは暴力に「愛情」という正価値を導入することによって、被害/加害関係を逆転し得る可能性が示されています。学校の先生や園田さんは「愛情」をもって相手に接するという、紛れもなく正しいことをやっているのです。「元交際相手」にしてもこの点では同じでしょう。だとすれば、問題はむしろ「愛情」に答えず、自殺してしまったり「問題を告発」してしまったりした方にあるのではないか。「伯母サン」が黙って「元交際相手」の「愛情」を受けていたら、淳さんは殺されずに済んだのではないか。

これが「産經ニュース」ならではの論点でして、要するに「信頼関係が決定的に崩壊して」いなければ暴力をふるって構わないではないか、「父母がどの程度の愛情を子に持っているのか」、「愛情をもって体罰を加えている」ことが「判然と」すれば暴行を加えようが、殺してしまっても良い、というわけなのです。

どうも日本では「愛情」というのはこういったSM以外の何ものでもない様なのですが、そういった意味では、自慢じゃありませんが僕は誰にも「愛情」を持ったことはありません。むしろ壁や床下に何が隠されているか「判然」としない「文明」さんの身辺を洗った方がいいかも知れませんが、しかし、そんなヤバい「愛情」をもってなされる「教育」なるものについては、「産經ニュース」はかなり明解に説明していません。

「体罰をバネに部活動を乗り越え、社会に出ても折れない気持ちを得ることができた」という「肯定派」の「声」に対して、ここでは充分な反論がなされていません。なるほど「体罰を受けなくても強い気持ちを持っている人はたくさんいる」という「大阪市浪速区の福祉施設職員の男性(34)」の「指摘」を伝えているものの、これはむしろ逆でしょう。暴力に馴らされていないからこそ暴力による侵害に対して「強い気持ち」を持てるのではないでしょうか。

あるいは、「社会が理不尽だからといって子供に肉体的苦痛を与えていいという理由にはならない。理不尽が再生産されるだけだ」という「横浜市の女性会社員(32)」の御意見についてはどうでしょうか。これも残念としか言いようがありません。なにしろ、実際の話、「社会」は別に「理不尽」ではありません。

「理不尽」とは「デジタル大辞泉」によって「道理をつくさないこと。道理に合わない こと。また、そのさま。」と定義されます。ちなみに「道理」とは「物事の正しいすじみち。」ということになっています。しかし「社会」は32歳の女性会社員を「理不尽」に扱ってはいないのではないでしょうか。確かに何かヒドい目に遭っているのかも知れませんが、それは何らかの目的に沿って、「正しいすじみち」にしたがって行なわれているのではないか。

同様に、学校の先生は何の理由もなく「子供に肉体的苦痛を与えて」いるわけではありません。まあ大抵はそうでしょう。そうでない人もいるかも知れませんが、そういう人も実際にはオリジナル過ぎる「道理」に従って行動している場合が多いものです。しかし多くの場合は、「体罰」は「道理」を尽くして、目的合理的に行なわれます。その「目的」とは、言うまでもありませんが、おそらく「教育」でしょう。

「教育」とは何だか知りませんが、とにかく何か良いものであるということなので、それを与えることは「愛情」に満ちた行いであり得ます。ここで「子供に肉体的苦痛を与え」ることが「愛情をもって」行なわれるためには、暴力による抑圧によって対象の服従的態度を引き出すことが「教育」の目的と矛盾しないことが必要となります。

つまり「愛情」をもった「体罰」が「教育」に必要とされる場合、その「教育」は教育対象を暴圧することを目的とする、ということが「産經ニュース」によって明らかとされているわけです。「文明」さんが暴力抜きで「教育なんかはできない」というのは正に「道理」に適ったことであり、「理不尽」でも何でもありません。それどころか暴力は「教育」の本質である、と言うことも出来るでしょう。残る問題は「教育なんかはできな」くなったとして、だからどうなんだ?という点ですが、そんなことは「文明」さんにとっては自明でしょう。すくなくとも「教育」される側にとっては何の問題もありません。


posted by 珍風 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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