2013年04月02日

行く!放射強化少女の自爆

八重山教科書:「政治介入に屈した」批判の声


 【八重山】中学公民教科書で石垣市・与那国町と竹富町の採択が分かれている八重山教科書問題で、県教育庁は両者に配慮した姿勢から一転。竹富町に対し、保守的な内容の「育鵬社」版に一本化する方針に切り替えた。文部科学省の「指導」圧力がかかる中、県が方針転換したことに、育鵬社採択に反対する住民から「政治介入に屈した」と批判の声が上がった。

 県教育庁の浜口茂樹統括監らは30日、石垣市新川の事務所で竹富町教委の5人の委員と約45分にわたって面談した。

 先に事務所を出た浜口統括監は「国から教科書無償措置法の需要冊数の報告を求められており、難しい問題。竹富の意向を聞きながら調整を進めたい」と述べるにとどめた。

 約20分後、竹富町教委のメンバーは困惑の表情を浮かべて事務所を出ると、「何も決まってない。ノーコメント」と繰り返し、車に乗り込んだ。

 参加した委員の1人によると、同庁側は「一本化」を示唆する一方、「指導ではない」とも述べ、文書はなく口頭での協議にとどまった。この委員は「県の具体的な意向は分からなかったが、今後、指導をしてくるのかどうか。こちらも対応を考えたい」と振り返った。

 「町の子どもに真理を教える教科書採択を求める町民の会」の仲村貞子世話人代表は、同庁の方針転換に「力ずくで保守教科書を押しつける政府に屈した」と批判。「(文科省の)国を賛美する雰囲気づくりや、思い通りに従わせようとするやり方は戦前そのものだ」と危機感を募らせた。

 一方、育鵬社を採択している与那国町の崎原用能教育長は「県が採択の違う両者に配慮したから問題が長引いている。今回も県のパフォーマンスの可能性もあり、注意深く見ていきたい」と述べた。

2013年3月31日 沖縄タイムス


よく言われる「教科書で教える」のか「教科書を教える」のかとか何とかどーたらこーたらというやつの出典は木田宏さんの『新教育と教科書制度』(1948)なんだそうでありまして
新教育にあっては、教育は、教科書を教えるのではなく、教科書で教えるのであるから、教科書は学習を行うための一つの手段である。

というんですが、最近の「新教育」にあっては、先生たちは「教科書で」勝手なことを「教えて」いると怒られるんだそうで、ちゃんと「教科書を教え」なければならないことになっている様です。

それが良いことのなのか悪いことなのか知りませんが、昨今の状況を観ていると、どうも「教科書」は「一つの手段」というよりはむしろ格好の「素材」となりつつある様です。その意味では育鵬社の「教科書」を採用することは、むしろ極めて有効な機会を提供することになるでしょう。

たとえば「八重山教科書問題」では、県教委は東京書籍で一本化しようとしていたところ、文部省が育鵬社で一本化しろと言ってきたわけです。それは何故か、育鵬社の「教科書を教える」ことによってその謎が明らかになってゆく公民の授業は、なかなか興味深いものになるのではないでしょうか。ちなみにこの件には「義家弘介」というおバカタレントも登場して生徒たちの興味を惹くようになっていることも見逃せません。

また、「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」も前景に出て来ます。確かに「無償」なわけですが、ここで「タダより高いものはない」という美しい日本語を伝えましょう。日本では「無償」は権利ではなく、むしろ権利とバーターになっていることを知っておくことは、これから「社会」に巣立とうとしている中学生にとってとても大事なことです。お金のない人には自由も権利もないことを学ぶのに、わざわざ小野市まで出掛けて行く必要はありません。

新教育にあっては、教育は、教科書を教えるのではなく、「教科書」を教えます。教科書の読み方を教えることはメディアリテラシーを高めることにも繋がります。実際、良いことばっかりなので、別に育鵬社を応援するわけではありませんが、その「教科書」自体への評価とは別に「学習を行うための一つの手段」としての並外れた優越性を見逃すわけにはいきません。それは「自虐的」ではないにしても「自爆的」です。


posted by 珍風 at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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