2013年04月29日

屈辱だけが本物だ

沖縄は「屈辱の日」 「主権回復」政府が式典


 政府の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が二十八日、国会近くの憲政記念館で、天皇、皇后両陛下も出席して開かれた。サンフランシスコ講和条約の発効から六十一年の「祝典」になるはずだったが、安倍政権はこの日を日本から切り離された「屈辱の日」とする沖縄の反発を受けて方針を転換。一切の祝う要素をなくした。しかし、沖縄県宜野湾市では式典と同じ時間に、政府に抗議する一万人規模の集会があり、参加者らは怒りの声を上げた。

 政府の式典には安倍晋三首相や衆参両院議長、最高裁長官、各都道府県知事、副知事ら約三百九十人が出席。沖縄県の仲井真弘多(なかいまひろかず)知事は欠席し、代理として高良倉吉(たからくらよし)副知事が出席した。

 首相は式辞で、条約が発効した一九五二年四月二十八日を「主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日」と位置付け「本日を大切な節目とし、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたい」と述べた。

 首相は復帰が遅れた沖縄県、鹿児島県の奄美群島、東京都の小笠原諸島について「日本に主権が戻ってきたその日に、日本から切り離された」と述べた。特に沖縄に関し「沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に通り一遍の言葉は意味をなさない。沖縄が経てきた辛苦に思いを寄せる努力をなすべきだと訴えようと思う」と配慮を示した。

 一方で、沖縄を七二年まで施政権下に置き、いまも多くの基地を沖縄に持つ米国に対しても、東日本大震災での米軍の支援活動「トモダチ作戦」を取り上げて「かつて戦った者同士が心の通い合う関係になった例は古来まれだ」と評価した。

 両議長と最高裁長官はあいさつしたが、天皇陛下のお言葉はなかった。

 主権回復に関する政府主催の式典は五二年五月以来。

◆首相「希望と決意新たに」

 沖縄県の市民団体などは二十八日、政府主催の「主権回復の日」式典に抗議する「4・28『屈辱の日』沖縄大会」を、同県宜野湾市の宜野湾海浜公園で開いた。主催者発表で、参加者は一万人を超えた。

 一九五二年四月二十八日のサンフランシスコ講和条約発効で日本は主権を回復したが、沖縄は米国の施政権下に置かれたことから、沖縄では「屈辱の日」と呼ばれる。実行委員会は喜納昌春(きなまさはる)県議会議長や大学教授、市民団体関係者らが共同代表を務め、会場は平和で豊かな沖縄を表現する大会シンボルカラーの緑色を身に着けた人の姿も目立った。

 喜納議長は「頭越しの国策が米国の言いなりにまかり通っている。沖縄県の基地問題の解決なくして、日本が主権国家と言えるはずがない」と訴えた。参加した稲嶺進名護市長は「条約発効から六十一年たった今日でも、沖縄を切り離す式典が行われ、許されることではない。歴史に学ばずして、これからの沖縄、日本のビジョンを立てられるはずがない」と非難した。

    ◇

 沖縄県女性団体連絡協議会の伊志嶺雅子会長はあいさつで、米軍占領下に広大な基地が造られたことが、現在も多発する米兵の事件、事故につながっていると指摘。「沖縄戦を体験し、その後の苦難を強いられた県民として政府式典に断固抗議しよう」と訴えた。

 大会では「式典開催は県民の心を踏みにじり、再び沖縄を切り捨てるものであり、到底許されない」とする決議も採択。参加者は、沖縄の置かれた差別的な状況に抗議する歌「沖縄に返せ」を三線(さんしん)に合わせ、互いに腕を組んで歌った。

 那覇市役所では午前九時すぎ、沖縄が日本から切り離された悲しみ、失望を表現する紺色の旗が掲げられた。翁長雄志(おながたけし)市長は大会に参加しなかったが、記者団に「意思表示をしないと若い人たちに歴史的な意味は伝わらない」と述べた。

2013年4月29日 東京新聞


「一切の祝う要素をなくした」というのがまず公約違反です。「沖縄の反発」がどーのこーのとゆーことですが、そんな事は予想されていなければマトモな政党とは言えません。自民党は「屈辱の日」を「祝う」ことを国民に約束していたのであって、自民党に投票した人はみな同じ気持ちです。沖縄を切り捨てて占領軍を押し付けようという国民の尊い気持ちを踏みにじる「式典」を許すべきではありません。また来年もやるつもりでしたら是非とも盛大な「祝典」として頂きたいものであります。天皇は黙っていたそうですが、次回は是非とも沖縄の連中には「死ね、お国のために」と優しいお言葉を賜りたいものでございます。

仕方がないのでバカ殿が「沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に通り一遍の言葉は意味をなさない。沖縄が経てきた辛苦に思いを寄せる努力をなすべきだと訴えようと思う」などと「通り一遍の言葉」を喋ったそうで、これがまた「最大限の配慮」なんだそうですが、何を考えているのかよく分かりません。

いったい沖縄が「辛苦」を経ることが出来たのは誰のおかげだと思っているのでしょうか。それは全くもって天皇陛下の大御心に基づくものであるという話ですが、実際のところそれは「主権回復」の条件だったのであり、それなくしては「主権回復」は不可能であったと言っても過言ではないでしょう。要するに「主権回復」」とは沖縄を切り捨てる事だったのです。

この「最大限の配慮」は、それだけ取り出すとまるで台風か何かの話しをしているようにしか聞こえないわけですが、「辛苦」を押し付けたのが他ならぬ自分たちなもんですから全くの「他人事」です。「沖縄が経てきた辛苦に思いを寄せる努力をなすべき」なのは自民党なんじゃないかと思うのは普通の人の考え方で、自民党は誰か他の人にそうした「努力をなすべきだと訴え」るんだそうです。まあ「訴えようと思う」だけですから実際に訴えるのかどうかは分ったものではありません。

例えばあなたが自動車を運転していて誰かをはねとばしたとして、はねとばされた人に「あなたの辛苦に思いを寄せる努力をなすべきだと訴えようと思います」などと言ってしまったら、かなりマズいことになるでしょう。自民党の「配慮」というのはそのようなもので、確かに「通り一遍の言葉」ではありません。こんなことなら「通り一遍」のほうがマシだと思われる程度の、心のこもった美しい言葉であるといえるでしょう。とはいえ、これは「配慮」なんかじゃなくて「配虜」だったのかも知れません。難しい漢字ですから連中にちゃんと書けるはずはないんですが、「心」がこもっているのが「配慮」、「力」がこもっているのが「配虜」と覚えておくと良いでしょう。


posted by 珍風 at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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