2013年07月07日

頭がグルグルお腹もグルグル

 安倍氏 立憲主義には確かに、憲法は権力を縛るという側面がある。しかし、権力をすべて縛るものであるという考え方は王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方だ。いまは民主主義の国家だ。民主主義国家である以上、権力を縛るものであると同時に、国の姿について書き込んでいるものだと私たちは考えている。(自民党案は)国民主権、基本的人権、平和主義は現行憲法、昭和憲法とかわっていない。(自民党案では)いくらでも基本的人権を制限できる、というのは明らかに間違った読み方だ。
 私たちは案を示しているが、ただちにこれを次の国会で発議しようということにはなっていない。3分の2を勝ち得るためにどういう知恵が必要か考えるのは当然だ。一般の法律でも、お互いに修正しあったりするのは当たり前だ。私たちは第一歩として自民党の草案を示した。憲法改正がリアリティーをもって議論された意味では、第一の目標は達成することができた。

 海江田氏 (首相は)憲法96条について当初の言っていることと違ってきているのではないか。(民主党は)96条から改正に入っていくのは反対だ。憲法9条をはじめとした他の項目は過去に何度も議論して集約する作業に入っている。9条についていえば、私たちは平和主義とか専守防衛、徴兵制はやらないという考え方、国会がしっかりと統制しないといけないという考え方の柱を決めたから、そのなかで議論をしていく。

 小沢氏 基本的人権は永久の権利として与えられたものだ、と規定されている憲法97条が自民党案では削除となっている。これはどういう考えのもとに、どういう憲法、日本にしようとしているのか。

 福島氏 憲法は国家権力を縛るものだ。立憲主義だ。総理はこれに同意するか。同意するなら、自民党の憲法改正案はこれにのっとったものか。自民党の憲法改正草案は基本的人権を公益、および公の秩序によっていくらでも制限できるというものになっている。表現の自由を公益で制限すれば、権利がなくなってしまう、あやうくなる。

 谷岡氏 いまの私たちの憲法は「日本国民は」という言葉から始まる。あきらかに憲法は日本国民のものと規定されている。それに対して、自民党案は「日本国は」ということから始められている。なぜ「日本国民は」という言葉を「日本国は」としたのか。この違いはなんなのか。

2013年7月4日 朝日新聞デジタル


ひどい書き方もあったもので、発言の順序がバラバラなので意味が分かりません。よく読めば「安倍氏」がよせば良いのに「立憲主義」について一知半解の「所説」を述べた発言は、「福島氏」の「立憲主義に同意するか」「自民党の憲法改正草案は基本的人権を公益、および公の秩序によっていくらでも制限できるというものになっている」という指摘を受けたものですから、その後に持って来ないとオカシイわけです。

これが「立憲主義からの離脱」だということですが、あまり良く知らないものから「離脱」したりするのはそんなに簡単なことではありません。これはむしろ「離脱」というよりは「誤解」とか「無知」とかいうものでしょう。「安倍氏」は「立憲主義」について、もし何かを考えているのであるとすれば混乱した考えを抱いています。何が混乱しているかというとこれは元々漢字がよく分からないことに起因するものと思われますが、「憲」の字と「権」の字との間で混乱、てゆーか「僕わかんなくなっちゃった」が生じているようです。

「福島氏」によるサルでもわかる立憲主義の説明は極めて簡潔なものであり、「憲法は国家権力を縛るものだ」という必要にして充分なものであります。ところが「安倍氏」は、憲法で何を縛るのか分からなくなっています。なるほど「権力を縛る」ことは分かっているようなのですが、下手に「ウィキペディア」とかを読んで覚えて来ちゃったせいで「王権」が出て来るともう混乱します。「民主主義の国家」になると国民主権なもんですからどうしたら良いのか分からない。

要は「権力」と「主権」の区別がついていないのです。「主権」を縛ることが出来ると思っちゃったんで頭がグルグルお腹もグルグルです。そんな人が立憲主義から「離脱」するなど烏滸がましい話で、単にものを知らないだけです。ちなみに「国の姿について書き込んでいるものだと私たちは考えている」というのはウィキペディアの「固有の意味の憲法」を読んできたんだろうと思いますが、この意味で「国の姿」と言いたいのであればそれは国家権力のあり方や組織構造を定めるという意味になるのであって、「安倍氏」が考えているような「国民のあり方」を定めるということにはなりません。

こういう人がやろうとしている以上、その「案」の内容に関わらずその行為自体が「壊憲」とか「潰憲」と呼ばれるしかありません。おまけに「安倍氏」は法律一般についても認識が甘く、後世の人が「間違った読み方」をする可能性については考えてもいません、てな顔をして澄ましていますが、まあ、ただのバカです。

もっとも「安倍氏」が本当に「ただのバカ」なのかどうかは注意を要するところです。もちろん、実際にそうである可能性は否定できませんが、憲法についてはバカのフリをして逃げ切るつもりなのかも知れません。しかしそれを言うなら経済もバカのフリをして逃げている様ですし、核発電もTPPも全部バカのフリをしていると言えないこともありません。そして政策が全部バカのフリなのであれば、それはやっぱりただのバカです。

とはいえ、核発電の推進もTPPへの参加も嘘と秘密と隠蔽をもって進めるしかないものです。どこの国でもそういうことは国民が知らないうちにやってしまわなければならないのであって、それらは正に国民主権の否定に他なりません。その意味で「谷岡氏」が指摘する憲法における主語の変更は重要な点です。いわば大手を振って虚偽と悪徳が支配する国を産み出す、そのような「国の姿」において自民党の政策は矛盾のない体系をなしているのです。「3分の2を勝ち得るためにどういう」悪「知恵」を使って誤魔化すつもりか知りませんが、このおぞましき「出産」を支持するかどうかが文春のアンケートじゃなかった参院選だった。
posted by 珍風 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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