2007年05月26日

美少女 淫らな徳育

道徳に検定教科書 教育再生会議提言へ

 政府の教育再生会議(野依良治座長)は二十五日、近く取りまとめる第二次報告案の柱となる道徳教育の充実に関し、「徳育」という名称で「特別教科」とし、国の検定教科書使用を求める方針を固めた。検定教科書使用は「国の価値観の押し付けにつながる」として賛否が分かれていたが、安倍晋三首相サイドが道徳教育の実効性を上げるため、検定教科書が不可欠と判断した。
 同会議は二十八日の合同分科会で第二次報告案の最終調整に入り、六月一日の総会で正式決定する方針。徳育の新設は、安倍首相が目指す規範意識向上の「目玉」となるが、国の押し付けに対する懸念が強まりそうだ。
 現在、学習指導要領で定める正式教科の要件としては《1》数値による成績評価《2》検定教科書の使用《3》中学以上は専門の教員免許を設ける−などが原則となっている。
 同会議では数値による成績評価や専門免許新設には否定的な声が強く、第二次報告案では、成績を記述式の評価とし、専門免許も設けない方向だ。ただ、「道徳教育充実へのメッセージが弱い」(同会議関係者)として、徳育を特別教科と位置付け、検定教科書の使用を提言することにした。

2007年5月26日 北海道新聞


この記事中の「国の押しつけ」というのは、「徳育」による「国の価値観の押しつけ」のことではありません。教育再生会議の議論が国、というかこの場合「国」が「バカ殿」のことなのが誠にオソロシイわけですが、朕は国家なりと来れば狆も国家だし珍も国家であります。そのいわゆる「国」から押し付けられたことを指しています。検定教科書については「賛否が分かれていた」のではなく、16日の報道によれば「「画一的な教科書内容で上から価値観を押し付けるべきではない」などの意見が大半を占め」ていたはずなので、会議では検定教科書の使用には否定的であったわけですが、どうもバカ殿のウルウルの「目玉」ということで「メッセージが弱い」のはダメなんだそうです。「首相サイド」とか「同会議関係者」と称する山谷えり子の発想は「メッセージ」の表明のためにどっかを爆破する人たちと同じですが、こんな「派手にぶちかませ」式の浅薄なやり方がもたらす被害は、そこらの「テロ」などとは比較にならないほど大規模であります。

それにしても感心するのはこの教育再生会議の面々です。いくら門外漢とモッブと素人の集団であるにしても、バカ殿の結論ありきでは「やってられねえ」と思うのが普通です。まあそのためにわざわざ教育の専門ではない連中を集めてあるわけですが。それにしても「詰まんねえからもう辞める」という人が出ないところをみると、よほど辛抱強い人の集まりなのか、よほどバカな人たちの集まりなのか、全員シャブ漬けにされているのか、えり子がキーキーうるさいのでちょっとお手当をもらえることに満足してすっかり諦めているのかというところでしょうか。教育再生会議は「価値観の押しつけ」が無気力をもたらすという好見本なのかも知れません。

上から価値観を押し付ける、といっても、もちろん人の思考は国家が掌握しきれるわけではありません。国家として可能なのはその価値観に基づくシステムを構築し、その保守のために社会の硬直性を高めることです。強制には反発がつきものですから、これを抑圧する必要上、硬直性は累進的に高度になってゆくでしょう。こういう社会は各個人から発するバラバラな変化の兆候を許容出来ませんから、いわゆる「創造性」のようなものは極端に萎縮せざるをえません。

ここで先日バカ殿が「創造性のある人を育てたい」などとほざいたのと矛盾するのではないか、という疑義が生じますが、よく考えないといけません。「目玉」は「徳育」の方なのであって、「創造性」は意味も分からず聞こえの良いような言葉を放り出しただけです。バカ殿は矛盾だの整合だのといった細かいことは気にしないか、理解出来ません。それにこれは答弁を聞いて書かれたことですから、聞き違い、ということも当然起こります。本当に「創造性のある人」なんて言ったんでしょうか。「騒々しいナルシス」とか言ったのではないでしょうか。そういう人だったらいますよ。権力の尻馬に乗って騒ぎ立てる自己愛人間みたいなもんが。よく怒るんですよけどね、キレ芸人には愛嬌が必要です。しかし自己愛が愛嬌を阻害してしまっているので全く魅力がありません。ところが周囲が無気力なおとなしい奴ばっかりだと、目立つわけです。単に目立つだけで、能力があるとか魅力があるとかに見えることもありますから、バリエーションとしてそういう人を育てたいというのなら話しは分かります。バカ殿がいつから中田カウスばりに芸能人の育成に努めるようになったのか知りませんが、そういう人が沢山いても喧しくて困るんですけどね。

ところでやきとり氏によれば当ブログの一記事を道徳の教科書に採用してはどうかということであります。下手に教科書などに載ったりすると断筆などの騒動も起きかねませんが、そうでなくても断筆しろと思っている人もいるかも知れません。どっちにしろ検定を通らないと思いますので、参考書で我慢しておく方が分相応というものです。タイトルは『解放のテックニック』という身の程知らずなものに。当時お世話になったんです。もうひとり、僕がお世話になったのが寺山久美さんですが、これで参考書の話しもなかったことに。
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posted by 珍風 at 09:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うーむ残念ながら寺山久美さんは存じ上げません。渡瀬クミさんはお世話になりました。
ところで「艶歌」を教科書に載せるくらいなら、現在の昭和サブカルのルーツである
「艶本」を紹介する方がずっと青少年のためになるような気がします。
そうそう、こないだ南千住で飲んだのですが「山谷」と記した看板を「ヤマタニ」と読み違えて
だいぶ悪酔いしてしましました。
Posted by やきとり at 2007年05月27日 21:35
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