2007年09月22日

「アチャーガム・ジャパン」創刊!(しませんて)

当方でここ数日人気なのは例の畠山鈴香さんなんですね。
http://worstblog.seesaa.net/article/19190603.html
次点が寺山久美さん。
http://worstblog.seesaa.net/article/42932946.html
大きめの図版が功を奏したようです。一方バカ殿やらハゲやら本村さんの出てくるエントリは人気ないんですよ。やっぱり野郎じゃダメだ。よくわかった。ちなみに鈴香さんの人気の程は次に見る通りです。

「極刑望む」と団地住民 畠山鈴香被告の第2回公判

 秋田県藤里町で昨年発生した連続児童殺人事件で、殺人と死体遺棄の罪に問われた無職畠山鈴香被告(34)の第2回公判が21日、秋田地裁(藤井俊郎裁判長)で開かれ、検察側証人として被告と同じ団地に住む男性が出廷、「周囲の住民は声をそろえて極刑を望んでいる」と述べた。
 男性は、殺害された長女彩香ちゃん=当時(9)=について「いつも同じ汚れた服を着ていて、髪もぼさぼさで風呂に入っていない様子だった。かわいがっていないなと思った」と述べた。
 また、殺害された米山豪憲君=当時(7)=と同級生だった男性の二男が、昨年のクリスマスで「今年はゲームもおもちゃもいらない。サンタに魔法をお願いし、豪憲君を生き返らせたい」と話したことを明かし、涙ぐんだ。
 畠山被告は初公判で、彩香ちゃん殺害について殺意を否認。豪憲君の殺害、死体遺棄は認めたが「その時の精神状態が正常だったかどうかは分かりません」と述べた。


「社会に戻ってほしくない」=住民証言、連続児童殺害公判−秋田地裁

 秋田県藤里町で昨年起きた連続児童殺害事件で、殺人などの罪に問われた畠山鈴香被告(34)の第2回公判は21日午後も、秋田地裁(藤井俊郎裁判長)で検察側証人尋問が行われ、出廷した近隣住民は「(被告には)二度と社会に戻ってほしくない」と述べた。
 午後は4人の証人が出廷。畠山被告の自宅隣の女性は、休日などに被告が「起こすなって言ったべ!」などと怒鳴る声や、長女彩香ちゃん=当時(9つ)=が「ごめんなさい。ごめんなさい」と泣く声を、週に1、2度は聞いたと証言した。
 冬の吹雪の日に彩香ちゃんが家の外で寂しそうに立っている姿を見たといい、「邪険にしているようにしか思えない」と非難。「二度と社会に戻って来てほしくない」と述べた。

2007年9月21日 共同


どうですたいしたもんでしょう。このくらい嫌われなければホンモノではありません。いったい何の「ホンモノ」なのかはさておき、この記事で赤の他人の悪口を言っている様を報道されてしまった人たちは、被害者でもなければ遺族でもありません。単に近所の人です。「同じ団地に住む男性」などは、「周囲の住民は声をそろえて極刑を望んでいる」と言っています。「周囲」の範囲が明らかではないので何人くらいの人が「極刑を望んでいる」のかわからないのですが、あながちウソでもないのかも知れません。なにしろここの「住民」の皆さんは、この忙しいのに「事の大きさを本気で考えているなら集まれるはずだ」などと「語気を強める」ような人に集まらされているんですから、「声をそろえる」くらいのことはありそうなことです。もっとも頭の中では何を考えているかわかったもんじゃありません。

隣の家の人も「二度と社会に戻って来てほしくない」んだそうです。この人が「社会」というものをどう考えているか知りませんが、もしかすると向こう三軒両隣くらいのことかもしれないし、「塀の外」という意味かも知れません。この人も「極刑を望む」仲間に入っているのだったら、てゆうか先に出てきた男性の言葉を信じる限り仲間に入っているはずなんですが、この人の考える「社会」というものには死者は含まれないということなのかも知れません。それはそれで大いに結構なことです。だいぶすっきりします。死んだ奴のことなんか忘れて生きている者同士で上手くやれば良いのです。彩香ちゃんだの豪憲君だのという連中も「社会」の外ですから。

「語気の強い」人に押しまくられたり、被告人の心証を悪くするために検察に命じられて他人の悪口を言わなきゃいけなかったり、田舎暮らしも苦労の多いものです。去年は「深い人間関係がなかった」のを反省していたようですが、こうして喋らせてみれば悪口のネタぐらい持っていたりするんですから、お互い油断出来ません。しかしながら鈴香さんの悪口を言っている間は他の人に矛先が向かない、という利点があります。この事件が忘れられると朝日ヶ丘団地には陰にこもった険悪な雰囲気が残ってしまいます。いじめられやすい人は早めに引っ越した方がいいでしょう。

ところで、このような近所の住民や本村さんのような遺族の意見が判決に影響を及ぼすものなのでしょうか。例えばこの場合は近所の人たちは検察側証人として出廷しているので、検察側としては連中の言い分が判決に影響することを期待していると考えられます。しかし証言の目的は、鈴香さんが彩香ちゃんの世話をあまり見ていなかったり怒鳴りつけたりしていたことをもって、鈴香さんが彩香ちゃんに殺意を持っていたという心証を強めることにあります。もっとも親に邪険にされて生きている餓鬼は沢山いますから、これだけでは何の証明にもなりません。ただ疑問なのは、その証言の中で「極刑を望む」だの「社会に戻ってきてほしくない」だのと、量刑に関する意見を述べさせるというところです。この人たちはそういう意見を述べることが出来る程度に訴訟資料を検討する機会が与えられていたのでしょうか。

「被害者遺族」の場合はまた別種の問題があります。例えば世の中には配偶者を殺してしまったり、殺そうとする人がけっこういますから、場合によっては犯人は「遺族」の意志を知らずして代行してしまうこともあり得ないことではありません。そういう場合にちょっとアタマの緩い「遺族」が、「いやあ良かったよかった。助かったよ。なるべく軽く済むようにしたいものだね」などと言い出したらどうしたものか。裁判所としてはそんなアホの「遺族感情」を「尊重」しやしないでしょうが、仮に「遺族感情」を考慮に入れるとするならば、被害者と遺族との関係のあり方によって変動する「遺族感情」に左右されて同じ犯罪を別様に裁くということになるでしょう。

さて、今のところはこういうことがニューズヴァリューがあるんだかないんだか、報道されているわけですが、今後もこういうこと続いて、「遺族」や「関係者」や「無関係者」が出てきちゃ「声をそろえて」判で押したように「極刑を望む」と言う、ということであれば、早晩飽きられてしまうことは目に見えています。飽きられるってのは、たとえば一般の人の日常の会話の中で「遺族」に関して不謹慎なことを言って笑うことが普通のことになるとかそういうことです。

死刑存置派にとっては、制度として死刑を存置しても現実に死刑判決がなく刑の執行が行われないのでは事実上死刑を廃止してしまったのと同様であります。死刑はしょっちゅう行われる必要があり、なるべく多くの死刑判決が下される必要があり、死刑を支持する世論をあおり続ける必要が出てきます。そのためには刺激的な素材がなくてはなりません。今のところまだ「遺族」が珍重されているところですからいいのですが、これが飽きられて笑われるようになってきたら更なる刺激が要請されます。というところで、みんな大好きな「死体写真」がお茶の間に登場する日も近いでしょう。被害者の遺体の凄惨な様子は、見る者に被害者への同情と犯人への憎悪を喚起するに違いありません。当分の間は。そのうちこれにも飽きられると、死刑の公開も考慮されるようになるでしょう。しかしそれでは江戸時代あたりと何も変わらない。21世紀の死刑執行はひと味違います。刑は被害者が殺害されたのと同じように行われます。つまり犯行の再現の生中継、アナウンサーによる中継と「遺族」による解説もつけなければなりますまい。DVDも無料で配布しちゃう太っ腹。それでもダメなら、いつ何時身に降りかかるかもしれない犯罪の恐怖を教えなければなりません。実際の「殺人事件」を、至る所で発生させましょう。先進国アメリカではイラクあたりで実施していますが、日本でも例えば警官がいきなり市民を撃ち殺すなどの先鋭的な試みが始まっているようです。
posted by 珍風 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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