2007年09月30日

写真撮影でも下を向いたままの沢尻エリカ(無関係)

はキライなので今日は登場しません。

幼児の無断写真。母親の抗議は現代病なのか?=朝日新聞の投書より(上)

【PJ 2007年09月22日】− 朝日新聞の21日の朝刊、読者コーナー『声』に、「見知らぬ男が勝手に娘写す」という横浜市在住の母親(33)の投書があった。母親は警察まで通報しているのだ。PJとしてもイベント、地域行事、事件・事故の現場で撮影する機会が多い。無関心ではいられない投書だ。
 母親は15日の夜、3人の子どもを連れ、東京・世田谷の秋祭りに出かけたと書き出す。『私は親類らと話をしており、3歳の娘から目を離した。浴衣姿の娘は1分ほどで戻ってきたが、「ひげもじゃの人が写真を撮ってくれたよ」。そして、「下を向いて顔をあげなかった」という』(原文ママ)。写真を撮ってくれたよ、という文面から判断すれば、娘は恐怖心からの撮影拒絶ではない。ふだん着る機会が少ない、浴衣姿が恥ずかしくて下を向いたと思われる。
 秋祭りはコミュニティー(共同体)の行事だから、プロ、アマを問わずカメラを持ち込む人は多い。シャッターを切る光景は四方八方にある。全部が全部、許可を取った撮影とは思えない。他方で、それが犯罪に結びとも考えにくい。
 この母親は娘の写真を勝手に撮るとは許せないと、『地元警察に電話をした。「撮影だけでは犯罪にならない」という。その男の風体すら聞いてくれなかった。「人を見た目で判断しては行けない」からだそうだ』(原文ママ)。この内容からは、応対した警察官の顔が見えてくる。「ひげもじゃの人が写真を撮った」となると、プロカメラマンかジャーナリストの可能性がある。「人を見た目で判断してはいけない」という警察官の話には説得力がある。
 投書のなかで、3歳の娘が母親から離れたのが、1分間(60秒)だったという。連写でもしない限り、1枚か2枚だろう。それだけで警察署に通報されたならば、「そんなに警察は暇じゃないよ。秋祭りの警備で忙しいんだ」と地域課の警察官はきっと腹立たしかっただろう。
 母親は、『民事不介入だから仕方ないとはいえ、納得できない。05年から子どもを狙った性犯罪者が出所すれば、地元警察が監視する制度が始まったはずだ。対象者かどうか確認するのは最低限の勤めではないか』(原文ママ)。こうなると、もはや正気の沙汰ではない。
 複数の警察が、秋祭りの場で3歳児を1、2枚撮影したひげもじゃの人物を捜す、職務質問する、撮影した写真を証拠とし、過去に性犯罪があったか否かまで取り調べる。この母親は、それが警察官の最低限の努めだという。これらの出動が義務だといわれたならば、東京都の警察官は何百万人も必要だろう。国民の税負担は膨大になる。
 『逃げることを知らない子どもが守られず、非常識な撮影者が制限されないとはおかしな話だ。私の悶々(もんもん)とした気持ちは消えない』(原文ママ)と結ぶ。1千万人以上いる東京の治安は、TV局が大げさに騒ぎ立てるほど悪くない。それ以前に、秋祭りには大勢の目がある。カメラを持った人物が3歳児に危害を加える可能性はゼロだろう。
 喧騒としたなかで、子どもから目を離していた自分の愚かさを棚に上げ、「逃げることを知らない子どもが守られず」という発想の異常さにはむしろ驚かされる。(つづく)

幼児の無断写真。母親の抗議は現代病なのか?=朝日新聞の投書より(下)

【PJ 2007年09月23日】− (上)からのつづき。朝日新聞の21日の『声』の、「見知らぬ男が勝手に娘写す」という投書は、横浜市在住の33歳の母親だが、内容の信憑性に疑問がある。
 秋祭りの場で、母親が3人の娘から目を離したのが1分間だったという。この時間は疑わしい。写真を撮られた3歳児が60秒間で、どれだけ遠くに行って帰ってこられるのか? 写真を撮られた娘が下を向く時間を20秒だった、と仮定して差し引くと、片道20秒の距離だ。親の視野から、そう外れない距離だったはず。
 警察はおおかた、母親はもっと長時間にわたり、親戚との立ち話で夢中になっていたと見なしたのだろう。(警察官からは)『最後に「お母さん、お子さんのそばから離れないでくださいよ」と諭された』(原文通り)。この母親は、警察から暗に親としての保護義務の欠如を問われたのだ。すると、今度は朝日新聞に投書してきたのだ。
 最近は、30代の親の言動で、目や耳を疑う話が多い。
  ・保育園の運動会で(保育士が撮った)わが子の写真が園内祭で無断掲示された。理事長に抗議し、すべての写真展を止めさせた
  ・小学校に通うわが子が泣かされたから、担当教師を飛び越え、学校長や教育委員会に訴える。数ヶ月にわたって執拗に抗議した
 今回の朝日新聞の投書の主は、秋祭りで、わが娘の写真を撮られたからといい、相手を性犯罪者の容疑、わが子は犯罪被害者の立場で警察に通報しているのだ。これらの当事者は自分の考えがアブノーマルで、異常行動だと気づいていない点がこわい。
 こうした社会現象のひずみはどこから生まれてきたのだろうか。
 子育てのさなかの30代は、かつて団塊世代の親の上昇志向から、大切な10代を進学塾、学習塾などに送り込まれて育ってきた、という背景がある。自分の成績しかみえず、友だちとのつながり、地域とのつながりが薄かった。親はただ成績への期待が強く、しつけが満足にできず、わが子のわがままに目をつぶる傾向にあった。他方で、外で遊ばない子どもたちは、住人などから注意される機会が少なくなった。この環境では、自分の行動が中心に座る。『唯我(ゆいが)』。ただ我のみ、という自己中心主義で、他人をいたわる心が欠けている。相手のミスは徹底して責めまくる。他方で、自分は正しい判断を持つ人間だと信じ込む。
 成人して、子どもを持つ親となった今も、他人から受けたミスが許されず、攻撃的な人間のままだ。日本人の美のひとつ『お互い様』という言葉は、この世代ではもはや死語だ。「店長出せ」「社長出せ」「市長出せ」「校長出せ」──。あちこちから聞こえてくる。知ったかぶりで、個人情報保護法、プライバシー、肖像権などを持ち出す。法的な解釈も満足にできないのに、法律の表層だけを振り回す。
 東京・葛飾区内の神社の境内で、9月15日(投書と同日の秋祭り)、PJはヤグラ太鼓の少年少女や、踊る老若男女を撮影していた。屋台の周りに集まる子どもにカメラを向けると、ほとんどの親は、「ほら、ほら写真を撮ってくれるのよ」と振り向かせてくれていた。本殿の前で、小学校高学年の浴衣姿の姉妹にカメラを向けたところ、「撮らないでください」と母親から冷淡な口調で拒絶された。素直に引き下がった。
 今回の投書を、PJはその取材現場に置き換えてみた。写真を撮った親から、抗議された挙げ句の果てに、警察に通報される。地元警察署のパトカーがやってくる。祭りの境内は、複数の制服警官の出現で騒然となる。母親はきっと娘の肖像権を持ち出すだろう。PJが諸々と反論する。「署で話を聞こう」となる。PJは「取材の自由」で拒否するだろう。しかし、一般人やアマチュアカメラマンならば、連行に応じるだろう。
 投書の主は、『性犯罪者の対象者かどうか確認しろ、それが警察官の最低限の務めではないか』と主張している。一般人が少女を撮った。それで連行される姿を想像すると、戦前の治安維持法の下では、市民の通報で特高警察が土足で踏み込んできたという、弾圧の世相が浮かぶ。
 朝日新聞の「見知らぬ男が勝手に娘写す」という、タイトルの投書の主は、そんな暗い世の中を求めているのだろうか。むしろ、「唯我時代」の現代病の一端だと捉えたい。【了】

パブリック・ジャーナリスト 穂高健一【 東京都 】


なるほど「現代病」ですか。穂高さんは「団塊の世代」とか「団塊ジュニア」とかいうもんがお嫌いなようです。連中は自己チューなんだそうです。まあ、だいたい「誰かが嫌いだ」という場合はこういう理由であることが多いわけですが、特にある「世代」全体をひっくるめて批判しようという時にはこういう書き方をするのが文章道の基本中の基本のようです。なかでも写真を撮ったりする「ジャーナリスト」に対する配慮に欠けている点に特にご立腹の様子です。ちなみにこの「投書」の原文は、全文が記事中に引用されていますが、プロの書く文章との格調の違いは明白でしょう。

見知らぬ男が勝手に娘写す 横浜市 女性 パート 33歳

 15日夜、私は3人の子供を連れ、東京・世田谷の秋祭りに出かけた。私は親類らと話をしており、3歳の娘から目を離した。浴衣姿の娘は1分ほどで戻ってきたが、「ひげもじゃの人が写真を撮ってくれたよ」。そして、「下を向いて顔は上げなかった」という。それにしても、娘の写真を勝手に撮るとは許せない。
 地元の警察に電話をした。「撮影だけでは犯罪にならない」という。その男の風体すら聞いてくれなかった。「人を見かけで判断してはいけない」からだそうだ。最後に「お母さん、お子さんのそばから離れないでくださいよ」と諭された。
 民事不介入だから仕方がないとはいえ、納得できない。05年から子どもを狙った性犯罪者が出所すれば地元警察が監視する制度が始まったはずだ。対象者かどうかを確認するのは最低限の勤めではないか。
 また、逃げることさえ知らない子どもが守られず、非常識な撮影者が制限されないとはおかしな話だ。私の悶々とした気持ちは消えない。


あまり下手な文章を書くと(原文ママ)などと、まるでもう誤字脱字と文法上の誤りだらけのような扱いを受けますので気をつけたいものです。それはともかく、この文章はなかなか達意のものであるといえるでしょう。殊に「娘の写真を勝手に撮るとは許せない。」という断定が妙です。小事に慌てふためいて憤慨する滑稽な様子が余すところなく活写されています。ビルマにもこういう「非常識な撮影者」に厳然たる処置を下した人がいましたが、この女性パート33歳さんも「撮影」そのものが許せないわけです。この人にとっては「撮影」そのものが「犯罪」なのですから、「それが犯罪に結びとも考えにくい」という穂高さんの指摘は的を得ていません。

続く段落がこの文章の山場です。女性パート33歳さんは直ちに「地元の警察に電話をした。」この段落は前の段落の末尾から短いセンテンスの積み重ねを続けて短絡的な行動を描写し、その後を警察官の会話のみで組み立てることによって、警察側のペースに巻き込まれて返す言葉もなく口ごもってしまい、ついには逆に説諭までされてしまう主人公のお間抜けな姿を効果的に表現することに成功していると思います。穂高さんも「応対した警察官の顔が見えてくる」と褒めていますが、たったこれだけの文章で電話線の両端にいる二人の人物の様子を活き活きと表現し切る手並みは並大抵のものではありません。そればかりか電話を切っても納得がいかず、プンスカ怒っている姿はちょっといじらしくさえあるではありませんか。「悶々」としている30女を慰めるにやぶさかではありませんよ。

一方の穂高さんは、「ジャーナリスト」としての職業的な危機感から、ちょっと写真を撮っただけで警察に引っ張られる「弾圧の世相」を思い浮かべて危険がっています。もちろん女性パート33歳さんが「そんな暗い世の中を求めている」わけではないことを穂高さんもわかっているわけです。むしろ「「唯我時代」の現代病」が、「暗い世の中」を無自覚に招き寄せてしまうのではないかと心配しているようです。たしかにそれはその通りなんですが、それは「世代」とは無関係じゃないかな。いつだって変な女はいますよ。その一方で穂高さんは、この女性のごとき現在30代の「団塊ジュニア」が、「自分の成績しかみえず、友だちとのつながり、地域とのつながりが薄かった」、「親はただ成績への期待が強く、しつけが満足にできず、わが子のわがままに目をつぶる傾向にあった」、「外で遊ばない子どもたちは、住人などから注意される機会が少なくなった」などと、負けずに無自覚ぶりを発揮しています。

こういう紋切り型の「ジャーナリスト」の決まり文句は、正に当の30代の人々にも同じように利用さています。そういう人たちはこれらの言葉を「世代論」ではなく「現代社会の病理」と受け止め、「子どもの安全」のために「地域とのつながり」を強め、「しつけ」を「満足に」施し、「住人」同士で「注意」しあい、「ひげもじゃ」の「不審者」を積極的に警察に「通報」したりして、一言でいえば「地域を活性化」して「地域の防犯力」を向上しようとしています。穂高さんの指摘する「団塊ジュニア」の問題点は彼等自身によって過剰に克服されようとしているのです。こういう人たちに「東京の治安は、TV局が大げさに騒ぎ立てるほど悪くない」と言ってみたり、統計を示して犯罪の減少しつつあることを説得して「安心」してもらおうとしても無駄なようです。

こういう人たちは現実的な「犯罪」を警戒しているわけではありません。彼等が恐れているのは、ちょうど小学生の頃に通り魔的に日本中の餓鬼共を惨殺して全国を恐怖のどん底に叩き込んだ恐ろしい「犯罪者」の噂なのです。今ではそのような「犯罪者」の存在は彼等の世界観の一部をなしています。鎌を持った餓鬼殺しのいない世界、そして生き残るための不合理な規則(べっこう飴とかポマードとか)を持たない世界など考えられません。そんな世界観を補強するエピソードには敏感に反応しますが、しかしいくら論理を尽くしてもオバケを怖がることを止めさせることは出来ない道理です。そういえば水野美紀さんも33歳ですか。バンボロみたいなでかいハサミ持って滅法強いと来た日にゃあかないっこありません。一方その頃、もうちょっと大きなお兄さんやお姉さんたちは「ナンチャッテおじさん」をめぐる情報戦にうつつを抜かしていたんですから負けずに馬鹿です。僕なんかもう世界観の一部になってます。
posted by 珍風 at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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