2007年12月01日

押川剛がK点越えて屋根越えてお山の大将自画自賛

宮崎知事、徴兵発言で釈明/今度は「徴農制」必要

宮崎県の東国原英夫知事は29日、徴兵制に賛意を示したとされる発言について「徴兵制を容認していない。戦争に直結するものでは全然ない」と弁明した。同時に、若者に一定期間、強制的に農業を体験させる「徴農制」などの仕組みが必要との考えを強調した。
東京都内で開かれた「道路整備の促進を求める全国大会」終了後に報道陣に答えた。
東国原知事は「徴兵制」発言について「社会のモラルハザード、規範意識の欠落、希薄化はどういうところで補うのか。学校教育が補えない中で、心身を鍛錬する場が必要ではないかと言いたかった」と釈明。
「この国の道徳観の崩壊を心配しての発言と解釈してほしい」とした上で、知事は「例えば徴農制とかで一定期間、農業を体験するとか、介護、医療、災害復興の手伝いなどをある程度強制しないと今後の担い手不足、社会構造の変化に付いていけないと危惧している」と強調した。

2007年11月29日 四国新聞


なこと言ったって明らかに「徴兵制を容認」してるでしょ。「必要だと思ってる」んでしょうが。「徴兵制」が「戦争に直結」したら、それこそ「戦争」の方で迷惑するんですよ。「徴農制」ったって同じことで、「農」だろうが「兵」だろうが、要するに「徴」するわけだ。「徴」というのは強制的に取り立てることですけど、本人の意志に反することを暴力的に強制することが「規範」だと思っているわけです。

このことはそのまんま東本人の限界を露呈しています。そのまんま東によれば、人は強制されなければ局地的な関心を超えた公共的な関心を持ち得ないということのようです。したがって強制のない状態では人間は誰でも卑近で利己的な関心に基づいて行動しているということになります。そのまんま東をして強制的に県知事を務めさせているのは誰なのか、大変興味がわくところです。もし仮にそのまんま東が強制によらず自発的に県知事を務めているのだとすれば、それは利己的な動機によるものだということになります。

もしそうではないということであれば、そのまんま東は自分が他人とは違う立派な、格が違うステージにいるのだ、ということを自分で主張する、という、カリスマ的な地位を自ら要求していることになりますが、そのまんま東ではない僕の立場から見れば、県知事にでもなれば色んな女性とお近づきになれるよな、と考える方が納得がいきます。これは僕の欲求も少し、いや相当入っていることを否定はしませんが、そのまんま東の行動パタンから考えて納得がいく、ということです。だいたい僕はあんなんじゃないので、県知事なんかにならなくてもその辺に関してははまず満足のいく状態を保っていますし、悪かったね。

まあ、言い訳とういものはすればする程ドツボにはまるんだそうですが、覚醒剤なんかもやればやる程はまるんだそうです。というのも、押川剛さんを検索して当ブログにいらっしゃった方が何人かいらっしゃるわけですが、彼は昨日またもや「NEWS ZERO」にご出演あそばされていたのでした。なにか「本気汁」だか「本気塾」だかというものをつくったそうです。クスリとかはまってる人を「立ち直らせる」為の施設もしくは組織のようですが。で、昨日はそこに新たな覚醒剤常用者を収容しようというお話でした。

33歳の覚醒剤常用者がいるわけですが、警察に捕まったり精神病院に入れられたりという経緯を経ているようなのね。もちろん覚せい剤取締法というものがあるから警察のご厄介になったりすることもあるし、薬物常用の背景に精神障害があったりするのは珍しいことじゃない。けれどもこの人はどうも「本気塾」に入ることにした、ということなんですが、どうもこの人の母親が問題で、まあ、甘やかすわけですよね。「本気塾」はどうゆうわけかゲーム禁止なんだそうですが、ゲーム機を買い与えちゃうし、そのゲーム機を押川さんが買い取るんですが、そうすっと常用者の人は母親に抗議するわけ。すると母親はそのゲーム機を取り返そうとするんだよ。

話しにならないので入塾については一旦保留とするんだけど、常用者の人は頭を坊主にして何らかの決意のようなものを示したというわけで、それで母親は電車に乗って帰って行って、常用者の人は「本気塾」に入ることになるわけです。というストーリーを全部撮影して放送していたんですね。撮影しないと放送出来ませんから。放送しないんなら撮影しないんですが。それでこれは「子供がダメな親から自立する」というオハナシなわけです。

ところがこれってどっかで聞いたようなオハナシなんですよ。というのは例の渋谷さんとこの「ハーレム」が、そこの女のひとたちってのは問題のある家庭から逃れて来た人たちだったんじゃないか。つまり「本気塾」は渋谷さんの「ハーレム」のストーリーをなぞっているんです。要するに押川さんは渋谷さんの所から女の子を「奪還」することには失敗しましたが、その代わりに「ハーレム」のコンセプトを密かに持ち出して来ちゃったんですね。やっぱり「家庭」というものがイザというときには役に立たないことが多いもんだということに気がついたんでしょうか。やっぱり伊達に精神科の周辺でゴロついてるわけではないのかも知れません。

とはいうものの、やはり目的は「社会規範」である点が「ハーレム」とは異なる一方でそのまんま東と一致するところです。押川さんもやはり、最終的には「社会規範」を本人の意志に反した強制によって押し付けるしかないものと考えています。このように全ての人の意志に反するものとして「規範」を措定し、自分だけが「規範」の側に立つという位置を選んだ場合には、人は自らが特権的な地位を占めることを許します。これは他人から見れば愚かな独りよがりにしか見えませんが、当人にしてみればクスリなどでは味わえない程の陶酔をもたらすものなのかも知れません。なにしろ「「人のため」だけを考えて生きてきた男なのである。」と自分の部下に語らせるんですから、そこらへんの脳の壊れた薬物常用者も真っ青です。

こういう人はそのような「自己陶酔」を行動原理にしていますので、過去において往々にして「規範」からの著しい逸脱を経験しているのも不思議ではありません。かつてはワルの限りを尽くして来た彼らは、今では「正しさ」の皮をかぶることでより巧妙に快楽を引き出すのですが、これは「規範」の退廃した形態を巧妙に利用しているだけなのです。じゃあ「退廃」していない「規範」」ってのはどこにあるんだよ、と言われれば、当面そういうものはどこにも見当たりませんとしか言いようがなかったりしますが。


posted by 珍風 at 00:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
結構見抜いてる人がいるよな、と思う
Posted by 日本人 at 2012年11月17日 12:01
粗にして野なれど禿ならず
Posted by 珍風ふさふさ at 2012年11月17日 20:48
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