2007年12月08日

自動処刑装置の御歳暮一覧

みなさんお歳暮の手配はお済みでしょうか。年末の大掃除の準備は進んでいますか。連日の宴会ご苦労様です。もうすぐクリスマスですね。プレゼントは何にしましょうか。おやおや、あなたは今年も「プレゼントはワ・タ・シ黒ハート」ですか。あなたそれ何年やってるんですか。「人間処刑台」こと「自動執行装置」鳩山邦夫さんは年末恒例の死刑執行で気前よく三体もゴロンとプレゼントしちゃってるんですよ。

執行された死刑囚3人の確定判決の認定事実要旨

 7日に刑を執行された死刑囚3人に対する確定判決の認定事実要旨は次の通り。
 【藤間静波死刑囚】
 藤間死刑囚は昭和57年、神奈川県藤沢市の女子高生=当時(16)=に交際を断られたことを逆恨みして自宅に押し入り、女子高生と妹=同(13)、母=同(45)=を次々に刺殺。犯行の手助けをした少年=同(19)=も兵庫県尼崎市で刺殺した。56年には金銭トラブルから神奈川県鎌倉市の男性=同(20)=を横浜市内で殺害した。
 2審途中の平成3年に控訴取り下げ書を提出。効力をめぐって公判が中断したが最高裁が無効と判断、7年後に審理が再開された。最高裁が16年6月、死刑の1、2審判決を支持し、上告を棄却した。
 【池本登死刑囚】
 池本死刑囚は昭和60年6月、徳島県日和佐町(当時)に住んでいた親類の男性=当時(46)=とその妻=同(54)=が自分の畑にゴミを捨てたと思い込み、狩猟用の散弾銃を持ち親類宅に押し掛け、夫婦を射殺。さらに以前から恨みを持っていた男性=同(71)=も近くの路上で射殺した。
 1審徳島地裁は無期懲役判決を言い渡したが、2審高松高裁は死刑を選択。最高裁も平成8年3月、死刑判決を支持し池本死刑囚の上告を退けた。
 【府川博樹死刑囚】
 府川死刑囚は同居中のホステスをクラブから辞めさせる資金を得ようと計画。平成11年4月19日夕、新聞勧誘で知り合った東京都江戸川区の女性=当時(65)=に借金の申し入れをしたが断られたため、女性と母親=同(91)=を刺殺、現金を見つけられず逃走した。
 東京地裁は求刑通り死刑判決を言い渡し、東京高裁は控訴棄却。本人が15年1月に最高裁への上告を取り下げ、死刑が確定した。

2007年12月7日 産経ニュース


ところで世の中には中国で覚醒剤を所持していたヤクザが中国の法律に基づいて死刑になるのは当然としながらもイランの女性同性愛者がイランの法律に基づいて死刑になるのは許せないという人もいます。どういうことになっているのかよくわかりませんが、その根拠はどうも「感性」のようです。とはいえイランで同性愛者が死刑になるのを許せないという「感性」はヤクザの死刑を中国の法律に基づいているから容認するという判断とは矛盾をきたします。何人も現地の法に抗弁することを許されないのであれば、中国の死刑も容認されなければなりますまい。しかしそうなのであればイラクの方も認めなければならない道理です。もっともイランの同性愛者は既にイスラム法の圏外にいて、イギリスが彼女をイランに送還するかどうかという問題だったのであり、イラン在住のその他の同性愛者にはあまり関係ない話しだったわけです。イラン国内の同性愛者は死刑になっても仕方がないというわけでしょう。「感性」は理性的判断に基づいて慎重に運用されています。

とはいうものの死刑存置派にとっては大多数の国民の「感性」が頼りであります。例えば名古屋の女性拉致殺害事件などは「感性」には強く訴求するところがあるようです。このような通り魔的な事件では被害者と加害者の間には面識がなく、被害者の事件との関わりは偶発的なものであり、別の誰かであってもよかったわけです。したがって加害者側においては自分の利得の追求が主要な動機とされ、他に被害者に対する怨恨、その怨恨を生じさせるに至った客観的事実などといった、情状を構成出来る要件がありません。

このような例を挙げることによって誰でもわりと気軽に「感性」的に死刑に賛成することが出来ます。もっともこのような事件は殺人の中でもいわば特殊な事例ではありまして、世の中そんなに都合の良い話しばかりではないのがツライところです。7日の三名様もそれぞれに一癖も二癖もあって、「良い」犯罪者とは言えないようです。それどころか内2人はどうやらキチガイです。

藤間静波さんは人格障害の例のように見えます。人格障害は治らないもんだと思われていて、そういう人による犯罪は「更生不能」ということでいかにも死刑が適当に思われがちです。しかしこういう人がやがてどうなるかというと、中年ごろになるとだいたいおとなしくなっているもののようです。「性格」は変わらないようですが、その行動は加齢と共に変化するようですから、「更生」は可能だと言っていいでしょう。どんな性格をしていてもその行動が「犯罪」の範疇に入らなければ法的に問題ありません。

ところが逮捕された藤間さんがオカシクなっちゃったのはまた別の問題かもしれません。彼は情状酌量を求めようという矢先にVサインをしてしまって死刑判決を受けたり、控訴を取り下げようとします。控訴の取り下げについては異常な精神状態によるものとして認められず、控訴審では死刑判決を支持していますが東京高裁の荒木友雄裁判長は拘禁精神病の可能性を指摘してます。その後上告が棄却されて刑が確定したのですが、最高裁第三小法廷の浜田邦夫裁判長は「法に定めた上告理由に当たらない」としました。というのは弁護側が被告の精神状態が悪化していることから原判決の破棄を主張したことに対したものですが、その時から藤間さんの精神状態がどうだったのか、明らかにされていません。悪化の一途をたどっているとも考えられますし、そもそもこれが拘禁精神病などではなく元来人格障害どころか立派な精神病であったのかも知れず、もしかすると彼の犯罪そのものも精神病との関係が疑われるところです。

この場合は刑法39条による刑の免除、もしくは減軽、裁判中にオカシクなった場合には刑事訴訟法314条の心神喪失者の公判停止に該当する可能性がありました。また、拘禁の影響であるにしてもこれが治癒していなければ国連の犯罪防止法刑事司法委員会による「死刑囚権利保障規定」において「妊娠している女子若しくは新生児の母又は精神病になった者に対して執行してはならない」とされていることに抵触します。もっとも死刑囚の状態ががこれに該当するかどうかは国民には分らないことになっていますから、この規定が遵守されていると考える根拠はありません。

池本登さんの例は妄想によるものであれば精神病であるし、妄想でないのであれば被害者側にいやがらせをした事実があることになります。どちらにしても多くの殺人同様、その場限りの憤怒によるものであり同様の重大な犯罪を犯す可能性が高いとは思えませんので、一審判決は無期懲役であったものです。ところが二審では高松高裁の村田晃裁判長は池本さんの過去における「粗暴な行動」を理由に死刑判決を出してしまいました。「粗暴」といってもショットガンの免許を取れる程度の「粗暴」ですから、死刑の判決理由としてはかなり「粗暴」ですし、これでは犯罪を裁くのではなくて人格を裁いているわけです。ちなみに散弾銃保持の許可や「粗暴な行動」、53歳にもなってまだ「粗暴」なことなどは、いずれも精神病の可能性を排除するものではありません。池本さんは3年前には再審請求を出していたはずですが、どうしたんでしょう。

そこへいくと府川博樹さんなどは、女に狂って犯罪に走る単なるバカのようにも思えます。そして実際にもどうも単なるバカのようで、人を殺しておきながら肝心のお金は見つからずに逃げています。しかも強盗ではなく、借金を断られてアタマに来てしまったのでした。この点で「女性の歓心を買い、独占するために生命さえもないがしろにする発想」とする一審の東京地裁木村烈裁判長の解釈は的を得ていません。断られて始めて「生命をないがしろに」し始めたものであり、「断られたら殺そう」という腹づもりもなかったようです。単なる逆上であり、東京高裁の高橋省吾裁判長は控えめに「計画的とはいえない」と評していますが、無計画の極みであるといえましょう。高橋さんは「動機は短絡的」とも言っています。判決理由の文脈からすると「計画的とはいえない」という部分が死刑を回避すべき要素であり、逆接される「動機は短絡的」が死刑にすべき理由のつもりでしょうが、同じことを違う面から言ってみたに過ぎません。恣意的な判決であるというべきでしょう。

昔は死刑判決を下すには相当の理由が必要とされていましたが、最近では死刑を回避する特別な事情が必要になってきているようです。戦後1949年をピークとして減少してきた死刑確定数は、ここ3〜4年で爆発的に増加しています。今年は今のところ23名の死刑確定が出ましたが、去年は20名、一昨年は11名、2004年は15名でした。それまではほぼ1桁、だいたい5〜6人で推移していたものです。今年の23名というのは、戦後の平均の倍に達します。現在確定死刑囚が110名もいて、何で早く執行しないんだと思う人もいるかもしれませんが、実はその半数以上がごく最近死刑が確定したばかりの人であり、そのまた半分は今年の話しなのです。

一方で死刑の執行は1990年から1992年の間事実上執行停止状態が続きましたが、1993年には7名、1994年2名ですが95年と96年は6名ですし、98年も6名ですから、今年の6名というのが特に多いというわけではありません。死刑執行も大事ですし、氏名や認定事実などを公表するのも当然とはいえ良いことに違いありませんが、判決は人が下すものであり、誰がどのような判断で死刑相当の判断を下したのかということも合わせて知る必要があるでしょう。これは鳩山さんにもお願いしたいところですが、マスゴミも事件が起こった時と死刑が執行された時ばかりではなく、刑の確定時にも、特にそれが死刑の場合であればそれなりに派手に扱ってもらいたいもんです。もちろん人殺しってのはオモシロいもんだよな、それが誰によるものであっても。でも人殺しにも「動機」というものがあるわけで、犯罪記事などを好んで読む人はこの「動機」にこだわるものです。だったら国家の「動機」も報道すればみんな喜んで読むと思うけどな。


今年の死刑執行は9名だった。最新の3つを勘定に入れるの忘れてた。バカです。9名ってのは最近では1976年の12名に次いで多い。70年代の後半から80年代にかけてはさすがに遠慮がちに年に1〜3くらいで推移して、ついに1990年からの執行停止状態に至るんですが、「再開」してからしばらくの間は5、6名ずつ吊るしています。そんで21世紀に入るとさすがに1〜3くらいのペースに落ちるんですが、最近だんだん増えてきて、今年は何と9名というわけです。このペースだと来年は2桁突入か?最近は行政も司法も人の命を奪うことに抵抗がなくなってきたようです。法に触れなければ何をしても平気なんでしょう。


posted by 珍風 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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