2007年12月29日

私は如何にして心配するのを止めてガソリンを愛するようになったか

「屍鬼」は最終的に「村を焼き払う」小説ですが、吸血鬼と村人との闘争のクライマックスで村が文字通り全焼するに至るのは、ひとりのキチガイ女が火を放ったのでした。この女性はそもそも話しの最初から異常な人物として登場し、事件の進行に伴ってその狂気は亢進します。この人は二児の母なんですが、常日頃から「外部からの侵襲」によって子供が奪われることを病的に恐怖していました。しかしこれは合理的な根拠に基づいて用心をしているというわけではないようです。

彼女によると村の南端を走る国道を通る自動車によって子供がひき殺される虞れがあるとのことですが、これは実際に危険があるというよりも、外部との交通がタブーとなっているということでしょう。だからといって彼女はタブーに近い巫女のような役割を果たすわけではありません。最初のうちはその卦があるようにも見えますが、それは放棄されたようです。彼女は吸血鬼の存在にいち早く気がつくなんてことは全然なくて、実際に家族が吸血鬼の襲撃を受けたときもおよそきちんとしたことは何一つやらない、ドジを踏む、馬鹿なことをしでかす、といった一連の異常行動を、専ら状況の隅っこの方で逞しくしていたと思ったら、いきなり火を放ったりするんですから油断が出来ません。

彼女の危惧は、したがって外部に起因するものとは言い難く、村と外部との境界付近に生活していることによって裏返って過激化した排他性の現れでしかありません。これが極端になると逆説的に村の壊滅をもたらすという辺りに、内部から崩壊してゆくメカニズムの一端を窺うことも出来るでしょう。

ちなみに「最初のうちはその卦があるようにも見え」たとかいったのは、彼女の餓鬼が車に引っ掛けられて病院に担ぎ込まれたときに、そこに居合わせた例の坊主を犯人かと「勘違いして」食って掛かる、というシーンが置かれていることを指します。これはまるでイカれたモンスターペアレントがわけのわからない難癖をつけているように見えるわけですが、彼女はここで災厄の「原因」を的確に指摘しているのです。

まあ、考えてみれば霊媒みたいな人は多かれ少なかれ「イッちゃってる」方がそれらしく見えるものですし、皆さんの身の回りにも「霊媒体質」を自称するバカ女の一人や二人には事欠きますまい。もっとも、そういう連中がきちんとやるべきこと(放火など)をやってくれることは、幸にして極めて稀なことですが、困っちゃうなデイトに誘われて。


posted by 珍風 at 05:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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