2008年02月20日

今日から沖縄飢え殺し

沖縄・岩国などの米兵、外出禁止…当分、昼夜問わず

 在日米軍は20日朝から、沖縄県での米海兵隊員による女子中学生暴行事件など相次ぐ不祥事を受けて、沖縄の空・海・陸・海兵隊と、海兵隊岩国基地(山口県)、同キャンプ富士(静岡県)の米兵に対し、当分の間基地外への外出を原則禁止する措置をとった。
 これまで、夜間外出の一時禁止は行われた例があるが、今回は、昼夜問わず、しかも、基地外に住む米兵も、基地と家の往復のみ許すという厳しい内容で異例の措置だ。
 また、在日米軍は19日、今月22日を「反省の日」とし、日本に駐留する全ての部隊が米軍人としての規範を確認することを明らかにした。
 米軍は声明文を出し、「ブルース・ライト司令官は、受け入れがたい米軍人の行動に対し、日本政府などと協力して迅速に対応を取る」と強調。「すべての米軍人は非番の際にも責任ある行動をとるように」と、倫理意識を徹底する方針を示した。

2008年2月20日  読売新聞


これは「パフォーマンス」などという生易しいものではありません。米軍はいつでも果敢であり、アグレッシヴです。いつでも喧嘩腰、どこでも発砲、すぐ殴る、それがアメリカです。これは反省の意思表示などではなく、兵糧攻めなのです。

沖縄経済における米軍基地依存度は、およそ7%とされ、沖縄の民間住宅投資とほぼ同率とされています。2004年の沖縄県企画部の調査によれば軍用地料869億円、米軍雇用者所得540億円、米軍人・軍属らの消費支出523億円であり、これらが県民総所得の5.2%を占めます。加えて基地周辺整備事業や自体への交付金まで含めると約7%となりますが、現在の景気後退局面を考えると、基地依存度はより高まっていることが予想されます。

このうち米軍人・軍属らの消費支出は沖縄経済の2%未満ですが、これが数多くの飲食店・小売店によって担われていることを考えると、意外と多くの人たちに関わるものであると考えられます。おそらく、米兵相手の飲食店あたりから音を上げ始め、最終的には「もういいじゃないか」になる、というのが米軍の作戦です。これは戦争なのであり、「駐留」といえども軍事的侵攻に他なりません。「駐留」を続けるということは、軍にとっては戦い続けるということであり、常に積極的に攻勢に出ることが要請されるのです。

兵士による強姦だの殺人だのという事件は、このような措置によって解決出来る問題ではありません。実のところこれは軍隊が解決可能な問題ではないのです。なにしろ連中はいわば「犯罪者集団」なのです。とはいっても、これは別に彼らが戦闘において殺人を行なうからではありません。戦闘における殺人は犯罪ではありません。しかし彼らは犯罪者たるべく訓練されているのです。

例えば新兵は訓練過程において「徹底的に鍛え直され」ます。これは肉体的・精神的に厳しく追い詰めることによって行なわれますが、その過程で兵士は無力感を味わわされる一方で、逆に常に「強く」あることを要求されます。このようにして兵士は自己の「強さ」を強迫的に確認せざるをえません。戦闘においてはこれが勇敢さとなって表れるのですが、戦闘をしていないときは彼らはどうすれば良いのでしょうか。誰かに対して自分の「強さ」を誇示することがどうしても必要です。無力感に負けて狂気に落ち込まないために、それは是が非でも必要なのですから、時々そこらの猿どもを殺したり犯したりしなければなりません。

それがか弱い少女であれば、彼の「強さ」には多少キズがつくといえるでしょう。あたかも今回の事件の容疑者は、被害者少女を「成人だと思った」と供述しているとのことです。しかしいくら米兵でも、成人女性であれば強姦しても罪に問われない国があると思っているわけではないでしょう。彼が言うのは被害者は成人に見える、ほとんど大人だ、すくなくともカラダはもう大人だぜ、ということであり、どうか俺を立派な大人の女を強姦したものとして認めてくれ、ということに他なりません。全く軍人の鑑と言うべき、骨の髄まで哀れな軍人であります。

このように悪いことをするために存在するのが兵隊さんですが、彼が「正しい」のは戦闘で人を殺しているときだけです。もっとも、戦闘での殺人だって殺人に他なりませんから、これは良くないことなのではないでしょうか。人を殺してはいけないはずです。素朴な倫理観からはそう思わざるをえません。餓鬼が「何故人を殺してはいけないのか」などと生意気な質問をした場合には頭をひっぱたいて良いそうです。しかし戦争の場合は殺人の罪には問われないのです。それに死刑という刑罰まで存在していて、毎年当たり前のように実施されています。これは不思議なことではないでしょうか。

大きな誤解の元になっているのが、殺人罪において保護される法益が「人の生命」である、と説明される点です。しかしながら殺人が許される、というよりはむしろ命令されるいくつかの場合を考えると、この解釈には問題があります。殺人を命ずることが出来るのは国家に限られていることから、これは国家の統治権に関わるものでしょう。人が勝手に他人を殺すことは国家の統治権の侵害に当たります。したがって殺人は内乱や外患誘致などと共に国家的法益に対する罪の中に含まれるはずです。

死刑が存続している国家はもちろん、軍隊を保持する全ての国家は国民の生殺与奪の権を保留しています。生意気な餓鬼には「人の命は国のものである、と国が決めているから」と答えるのが多少正確を期した回答ではないでしょうか。僕たちの命は国家の気が変わるまでの風前の灯であり、自分がたまたま生きているのは国家が殺すのを面倒くさがっているか、単に殺し忘れているだけなのかもしれない、と考えると人命の尊厳もあってなきが如しですが、僕たちはそのことをいつも忘れてしまいます。そしてさかんに「人命」を「尊重」してみたりするのですが、国の認めない「殺人」を口を極めて罵るかと思えば、国家から誰かに対する殺害命令が下されれば、適当な理由さえついていれば、歓呼してこれを迎えるというわけです。だから同じ米兵がイラクあたりで誰を強姦しても全然オッケーですし、米軍自身も22日にはその件についても特に「反省」はしません。てゆうかだいたいにおいて「反省」ということをしないようですが。


posted by 珍風 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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