2008年05月27日

みんなで松尾裁判長の自殺を止めよう

長崎市長射殺、暴力団幹部に死刑・地裁判決

 長崎市で昨年4月、市長選の選挙活動中だった伊藤一長市長(当時61)が射殺された事件で、殺人や公職選挙法違反(選挙の自由妨害)などの罪に問われた暴力団幹部、城尾哲弥被告(60)の判決公判が26日、長崎地裁であった。松尾嘉倫裁判長は「民主主義を根幹から揺るがす凶悪、卑劣な犯行」として求刑通り死刑を言い渡した。
 金銭強奪目的などではなく、被害者が1人で、殺人の前科がない被告に対する死刑判決は異例。城尾被告の弁護人は判決を不服として、即日控訴した。
 松尾裁判長は判決理由で「当選阻止が犯行の目的で、選挙の自由を妨害する犯罪でこれほど直接的で強烈なものはない」と非難。「被害者が1人にとどまる点を考慮しても極刑はやむを得ない」と結論付けた。

2008年5月26日 NIKKEI NET


殺害当時伊藤さんは確かに長崎市長だったのですが、同時に選挙活動中であり、その意味では市長候補のひとりであったわけです。城尾さんとしては長崎市に対して色々と不満があったということで、市のトップに矛先を向けて「世間を震撼」させようとしたんだそうですから、城尾さんが撃ったのは長崎市長としての伊藤さんであるようです。

という事実を認める一方で松尾嘉代、じゃなかった松尾嘉倫裁判長は伊藤さんが選挙活動中であったことを捉えて「当選阻止が犯行の目的で、選挙の自由を妨害する犯罪」であるとしました。つまり殺されたのは市長候補としての伊藤さんなのです。ここら辺は非常に微妙なところで、城尾さんにもうちょっとよく聞いた方がよくはないかと思われます。

なにしろ遺族ですら「争点には私たちが知りたかった(犯行の)背景は入っていなかった」とか、「なぜ殺害までする必要があったのか、最後まで分からなかった。まだ自分の中では納得できていない」という不満を残す裁判です。 別に何から何まで遺族を納得させる必要はありませんが、犯行に至る「事実」の解明が不十分であり、刑事裁判の体をなしていないのではないかと疑われるところであります。

もしかすると城尾さんが「市長候補」を殺害することによって、選挙という民主主義の手続を妨害した、というのは松尾さんの独断である可能性があるのではないでしょうか。城尾さんにはそんなつもりはさらさらなくて、「市長」に仕返しをするためにやっただけでしょう。それが選挙運動中であったのは、たまたま「市長」に身近に接近することが出来る機会が選挙のときしかないからでしょう。

そうだとすると、これは単に「怨恨」による犯行であって、松尾さんが言うようなそんな「民主主義を根幹から揺るがす」ような大袈裟なものではなかったと思われます。その場合、この犯行はなるほど傍から見れば「当選阻止」の効果を持つものの、それを「目的」だと言い切るのはちと問題でしょう。アメリカでケネディ家の人々を次々と殺してしまうような政治的暗殺とはだいぶ違うようです。

裁判では公判前手続が行われ、犯行の動機についてはあまり追求しなかったようですが、その結果裁判官が親切にも被告人が考えてもいなかったような社会的に重い意味を持つ「動機」を与えてくれて、立派な「政治的犯罪」になってしまったようです。やはりそこらへんが「暴力団幹部の力」というものなのかも知れません。

司法が「暴力団」の威光に負けて、その犯罪に「箔」をつけてしまったのは大変嘆かわしいことですが、ことによるとそんなことはないのかも知れません。松尾さんは大変立派な方であると聞いています。よく知りませんが、とにかくヤクザに脅かされてビビるような人ではない、という、これは飽くまで噂ですが、まあ、未確認情報とか口からでまかせというようなものです。そうではなくて、城尾さんの怨恨殺人が政治的暗殺になってしまったのは、死刑判決を出すためだという、そういう話しもあります。

この判決は異例中の異例といってもいいものであり、怨恨によってあまり残虐でない方法で1人を殺したものに対する死刑判決は今まで出ませんでした。松尾裁判長はあえて「死刑のハードル」をまた一段下げることに挑んだようです。松尾さんはこの犯行を評して「選挙の自由を妨害する犯罪でこれほど直接的で強烈なものはない」としてその「政治的」効果の大きさを指摘し、そこから「被害者が1人にとどまる点を考慮しても極刑はやむを得ない」という結論を導きます。このストーリーを描くために「公判前」に「動機」は捏造され、城尾さんがこのストーリーから外れようとすると、それは「理解に苦しむ憶測を交えたもの」とされて切り捨てられてしまうのでした。

そこでこの判決は裁判員制度の施行を前にして死刑判決を増やし、それに国民を馴れさせるという効果を持ちます。知らない人が知らない所でテキトーに死刑になる分には誰も文句は言いませんが、自分の責任で自分の目の前にいる人間を殺す、というのはそんなに簡単なことではありません。死刑をもっと気軽な、気楽でカジュアルなものに、楽しみでワクワクするというのは難しいにしても、少なくとも「よくあることさ」ぐらいにする必要があります。そうしないと裁判官と違ってクビになりたがっている裁判員どもは死刑を回避してしまう虞があります。

そういうわけで今回はちょっと無理をして死刑判決を出してみました。どこが「無理」って、「市長候補」を1人殺すことが「民主主義を根幹から揺るがす」としてしまったのがかなり苦しいのです。通常のよくある殺人事件でも、その被害者が将来において「市長候補」になる可能性を完全に排除することは出来ないのですし、多くの場合既に「有権者」だったりするのですから、人1人殺すということは「民主主義を根幹から揺るがす」という点において城尾さんに引けを取るものではないのです。

ですからこの場合だけ「民主主義」がどーたら言うのは無理矢理に死刑判決を出すために松尾さんがないアタマを絞って考えたものだとしても、非常に残念な結果に終わったとしか言いようがありません。この判決は「現市長であり当選する可能性の高い市長候補の命を奪うことはそこらの有象無象の有権者の命を奪うことよりも重大であるから死刑にする」という判決なのであって、したがってこの判決自体が「民主主義を根幹から揺るがす」ことになってしまったのは大変残念なことです。特に松尾さんとそのご家族にとってはとても残念です。松尾さんは「民主主義」を守るためには死刑をも辞さずという立派なお考えの持ち主なのですから。


posted by 珍風 at 20:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
恐ろしいですね

>なにしろ遺族ですら「争点には私たちが知りたかった(犯行の)背景は入っていなかった」

>犯行に至る「事実」の解明が不十分であり、刑事裁判の体をなしていないのではないかと疑われるところであります。
が特に裁判の特徴を現しているように
思えます。

裁判官と言うものは、両方の意見を聞き、
証拠を並べ、そして”頭を使い”
結果を考える職業じゃないのでしょうか?

これで死刑が通る・・・・?
恐ろしい世の中ですね・・・・
Posted by at 2009年02月08日 04:33
政策的な判決というようなものでしょうね。政治的に死刑にされるなんてたまらんわな。

名前を書き忘れると0点だって、先生が言ってました。
Posted by 珍風 at 2009年02月08日 11:54
前科がなくても殺意を持って人を殺したのだから死刑でも当然!人を殺して死刑が不服なんて?私の家族が被害者なら殺人犯罪者が刑務所からでてきたら必ず殺して刑務所に行きますね。死刑にならないから…
Posted by 日本人 at 2009年09月18日 13:50
別に止めませんよ。そうすると「犯罪者」の家族が「日本人」さんの命を狙う事になりますが、もしかすると「日本人」さんの家族の命も危険に晒されるわけで、おちおち刑務所にも行っていられません。逃げた方が良さそうです。そうやってお互いに復讐し合うことによって人々は自らを護るために法を無視したり武装を固めたりする事になるでしょうね。これは暴力を独占する国家にとっては耐え難い事ですから、「死刑」というものが何のためにあるのか、「日本人」さんにもお分かりかと思います。それはあなたの生命に対する支配権を国家が保持しているということです。つまり前科がなくても殺意がなくても人を殺してなくても死刑で当然!
Posted by 珍風人 at 2009年09月19日 20:50
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