2008年06月02日

カルマはめぐる ぐるりんぱ

元少年が「つかえ取れた」  光市事件、判決翌日に

 山口県光市の母子殺害事件で、被害者遺族の会社員本村洋さん(32)が1日、岐阜市で記者会見し、被告の元少年(27)が差し戻し控訴審の死刑判決翌日に「胸のつかえが取れた」と発言していたことを明らかにした。
 本村さんによると、判決翌日の4月23日朝に元少年に接見したジャーナリストから発言内容を聞いた。元少年はすっきりした表情で語ったという。本村さんは「罪から逃れようとしたことは、彼なりに苦しかったのではないか。弁護団は上告したが(元少年自身は)贖罪の道を歩み始めたのだと思う」と話した。
 会見に先立って開かれた犯罪被害者の支援を考える講演会で、本村さんは犯罪被害者の刑事裁判参加の必要性を強調。裁判員制度について「裁判員になるのは大変なことだが、(制度を通じて)事件の教訓を社会が学ぶことになると思う」と期待を込めた。

2008年6月1日 共同


これはどうも『週刊Spa!』のこの記事のことかなと思うんですが。

「[光市母子殺害事件]元少年が語った「死刑の覚悟」
 【独占手記】大弁護団と対立し解任された弁護士が死刑判決後に接見!
 
身元引受人でもある男が被告の“肉声”を語る」

「弁護士」というのは今枝さんですね。解任騒動以来、扶桑社と接近して裁判員制度の宣伝につとめておられるようで、ご苦労様なことであります。ところで本村さんは「弁護士」から聞いたんじゃなくて「ジャーナリスト」から聞いたそうです。今枝さんと一緒に「元少年」に会った「ジャーナリスト」がいるようで、現在のところ今枝さんと本村さんの間をとりもっている、といったところでしょうか。

まあ、こう言っちゃナンですが『Spa!』ですから、いつも「女の子がこう言ったら本当はこういう気持ちだ」みたいな記事を載せてるようですが、少なくとも僕の経験上、アレはウソばかりでしたね。色々と懲りたんであまり信をおいていないのですが、元少年が「胸のつかえが取れた」と言ったというのが「贖罪の道を歩み始めた」という「気持ち」であるということになるのかどうかは、判断しかねます。最高裁から差し戻された時点で死刑判決を予期していたかも知れませんし。

ところで本村さんの「会見」は「講演」の後に行われたようですが、その講演ではやっぱり裁判員制度の宣伝を頑張っておられます。なにしろ「後期高齢者医療制度」同様、決まっちゃったものの問題山積、政府が騒いでいるだけで国民は全然ついてこないんですから大変で、昨日の敵は今日の友というわけで、なかよくお国にご奉公と、こういうことになっております。

裁判員裁判「とても大事」 本村洋さんが岐阜で講演

 山口県光市母子殺害事件の被害者遺族、本村洋さん(32)が一日、「犯罪被害者の現状と必要な支援」と題して岐阜市のじゅうろくプラザで講演した。
 犯罪被害者の支援活動をしている「ぎふ犯罪被害者支援センター」が主催。会場には約九百人が詰めかけた。
 本村さんは「事件から十年目で、まだ裁判をやっている。これだけ長い時間裁判を聞き続けるのは疲れる。早く結果を知りたいのが被害者」と裁判の迅速化を要望。少年法については「理念は正しい」としながらも、「罪を軽くして早く社会に戻すのが必ずしもいいわけではない。最初に軽い罪を犯したときにきっちり更生教育をし、再犯防止を」と訴えた。
 本村さんは来年五月から始まる裁判員裁判についても言及。裁判の迅速化も期待できることから「賛成」という。「裁判員を一度やった人には一生忘れられない経験になるはず。事件から教訓を学ぶという意味で、とても大事」と述べた。「今まではプロへの押しつけだった。市民が参加することで民主主義の実現が一歩前進するのでは」と期待を込めた。
 本村さんは一九九九年四月、当時十八歳の少年に妻の弥生さん=当時(23)=と長女の夕夏ちゃん=同十一カ月=を自宅で殺された。元少年は四月に広島高裁差し戻し控訴審で死刑判決を言い渡され、上告中。(稲熊美樹)

2008年6月2日 中日新聞


本村さんのお話は「疲れる」からなんでもいいからとにかく「結果」を早く聞かせろ、というせっかちな「迅速化」のご要望と少年事件の「厳罰化」の主張、そして裁判員になっておまえら「教訓」を学べ、というありがたいお言い付けでありました。それはおいといて、5月30日の衆院法務委員会において少年法改正案が可決されました。民主党の修正案を丸呑みして、とにかく通してしまおうということのようです。改正の主旨は、少年審判においてとりあえず「被害者」や「遺族」の傍聴を認めようということであり、これは小さいけれども偉大な一歩であります。

既に「被害者」の皆さんは少年審判の「意見陳述」において様々な問題を起こしておられるようです。そもそも「意見陳述」は裁判所に対して行うものであるにも関わらず、少年に対して何かを語りかけたり、「死ね」なんて語りかけてみたり、土下座を要求したり、ものを投げつけたりする人がいるようです。このような状態では「意見陳述」も審判以外の場所で家裁調査官相手にやってもらうという形式に限定するのが当然のところですが、国会では何を血迷ったか、逆に審判の間中傍聴することを認めてしまいました。それに加えて審判の場において「意見陳述」が行なえるのは従来通りです。

この上更にいわゆる「被害者参加制度」のようなものが少年審判においても取り入れられるならば、「被害者」等は少年の処遇をコントロールするようになるでしょう。つまり少年にある種の質問などを行なうことによって、心証を悪化させるような言動を引き出すなどの操作が可能になるわけです。このようなことは一般の刑事裁判でも検察官によって行なわれており、光市の事件の公判でもやってましたが、検察官ではない一般人たる「被害者」等は、より思い切った形で行なうことが出来るでしょう。

「厳罰化」によって犯罪が減少するとはいえないようなのですが、にも関わらず「厳罰化」を求めようとするときにその根拠となっているのが「被害者の心情」ということになっています。しかしながら「被害者の心情」は満足するとしても、「厳罰化」が広く社会一般にどのような効果をもたらすかということはあまり考えられていないようです。「厳罰化」というと死刑が増えそうな気もするんですが、まあ、年に何十人でも何百人でも殺したいだけ殺すとしても、全ての犯罪者を死刑に処すわけにもいきません。「厳罰化」とはなによりも財産刑においてはその増額ですし、自由刑においては刑期の延長を意味します。そしてこれはしばしば受刑者の社会的な転落を意味します。

罰金が保有する資産に匹敵する高額であったり、刑期が出所後の生計を立てるのに困難なほど延長されるならば、日常生活への復帰を困難にすることでしょう。「厳罰化」すればするほどこのようなことになる者が増加することになります。少年においても「最初に軽い罪を犯したときに」厳罰を科すことは、しばしばレッテル張りとなり、更生を難しくしてしまうものです。そのようにして累犯者となって行き、ついには「厳罰」の犠牲となります。過重な罰金、過長な刑期は「更生」に反し、違法行為者を一つの階層として社会の下層に固定します。これに多額の損害賠償が拍車をかければ言うことはありません。それは新たな連座制であり、新しい21世紀の身分制度の出現であるといってもいいでしょう。

心置きなく差別することの出来る人たちがいるのは心休まることです。「いわれなき」差別でなく、なにしろ悪い奴で、悪いことをしたんだから酷い目に遭うのも当たり前というわけで、晴れやかな気分で差別を楽しむことが出来ます。「自業自得」というものです。例の「カルマ」というやつです。這い上がろうとするところにまた上から何か落としてみたり、気まぐれに優しくしたり鬼になってみたり、終わることのない反省と謝罪を要求してみたりするのも「社会の敵」である連中には全くお似合いの処遇というものです。刑期が終わったからといって大きな顔をされてはたまりません。もっとも、社会全体としては「危険」因子としての生活困窮者の増加を意味することになりますから、一般の人たちが「被害者」となる機会が増えるのも「自業自得」というものですし、それを防止するためだといって世の中が窮屈になってくるのも「自業自得」なのです。


posted by 珍風 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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